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【5位】異世界探偵ナラティブ・ヴェリタス  作者: り|20↑|札幌
グリッチ・ヴェリタス/GLITCH VERITAS
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第2話:魔法使いの飛翔!

王都の昼下がり。獣医院のリビングは、今日も今日とてカオスに包まれていた。


「……お母様?天井からピンク色の何かがぶら下がってますわよ!」


ナラは、優雅に紅茶を啜りながら天井を指差した。

そこには、蜘蛛のように手足だけで張り付いている少女――グリッチ・ヴェリタスがいた。


「やっほー! 重力定数のバグを見つけたから遊んでるの! 見て見て、スカートがめくれないよ! 鉄壁!」


「パンツが見えないのは結構ですが、見苦しいですわ! 降りてきなさい!」


「嫌だもんねー! ここからだと、エラーラお姉ちゃんのつむじが丸見えで興奮するんだもん!」


「へ、変態か君は!?」


エラーラが実験の手を止めて叫ぶ。

この正体不明の少女、グリッチが居候を始めて数日。彼女の存在は、ヴェリタス家の常識を物理法則ごと破壊し続けていた。

その時、ドアが激しくノックされた。


「エラーラ君! 緊急事態だ! 知恵を貸してくれ!」


入ってきたのは、王都警察のカレル警部だ。彼はいつになく焦っていた。


「警部さん? また怪奇事件ですの?」


「いや、今回は『不可能犯罪』だ。……王都銀行の貸金庫から、国宝級の宝石が盗まれたんだよ」


カレルは帽子を脱ぎ、汗を拭った。


「現場は完全な密室。鍵はかかっており、警報装置も作動していない。魔法的な侵入痕跡もない。……まるで、犯人が壁をすり抜けたかのように、宝石だけが消えていたんだ」


「ほう! 密室ミステリーか! 燃えるねぇ!」


エラーラが目を輝かせる。

その時、天井からグリッチがボトッと落ちてきた。

そして、満面の笑みで手を挙げた。


「はーい! 犯人は私でーす!」


「「「は?」」」


「だーかーら! 私が盗みました! ……はい、逮捕して!」


グリッチは両手を突き出し、手錠を待つポーズを取った。


「……な、なぜ嘘をつく」


ナラが冷ややかな目で見る。


「だってさ、犯人になったら、お姉ちゃんが私のことを『追いかけて』くれるでしょ? 愛の逃避行だよ! 捕まった後は、牢屋でお姉ちゃんに『尋問』されるんだ……えへへ、涎出てきた」


「不純な動機すぎるわッ!!」


ナラがグリッチの頭をひっぱたいた。


「あだっ!?」


「警部さん、こいつの戯言は無視してください。……でも、面白そうですわね。行きましょうか、お母様」


「うむ! 科学捜査の出番だ!」


一行は、事件現場である王都銀行へと向かった。


銀行の地下金庫室。

そこは分厚いミスリル合金の壁に囲まれ、最新の魔導セキュリティが施された、蟻一匹入れない密室だった。


「……確かに、侵入の形跡がないね?」


エラーラが分析機をかざす。


「扉の開閉ログもなし。転移魔法の残留マナもなし。……論理的に考えて、不可能だ」


「ふーん」


グリッチは、興味なさそうに金庫室の壁をペタペタと触っていた。


「ねえねえ、この壁さぁ」


「触らないでください、指紋がつきますわよ」


ナラが注意する。


「ここ、判定が甘いよ?」


「はい?」


グリッチは、壁に向かってスッと足を踏み出した。

すると、彼女の足が、まるで水面に入るように、硬い合金の壁の中に「沈んだ」。


「なッ……!?」


カレル警部が目玉を飛び出させる。


「ほらね。ここの座標データ、ちょっとバグってるんだよ。……よいしょ」


グリッチは、そのままズルズルと壁の中に入り込み、金庫の中へ通り抜けてしまった。


「か、壁抜け!?」


「すり抜けたぞ!?」


壁の向こうから、グリッチの声が聞こえる。


『あー、やっぱり。……ここ、空間が重なってるよ。座標さえ合わせれば、誰でも入れるね』


「……空間のレイヤー?」


エラーラがハッとする。


「そうか! この銀行は、古い地下迷宮の上に建てられている! その影響で、地下空間の位相がズレて、特定のルートを通れば壁を無視して侵入できる『抜けグリッチ』が発生しているんだ!」


「つまり……犯人は魔法使いでも怪盗でもなく、たまたまその抜け道を見つけた奴ってことですの?」


ナラが壁を蹴るが、当然彼女の足は痛むだけだ。グリッチのような「バグ存在」でなければ、通り抜けることはできない。


『おーい、犯人いたよー』


壁の中から、グリッチの暢気な声。

次の瞬間。


「ぎゃあああああ!」


凄まじい打撃音と悲鳴が聞こえ、壁から一人の男が「弾き出されて」きた。

男は全身ボコボコにされ、泡を吹いて気絶している。懐からは盗まれた宝石が転がり落ちた。


「……解決、ですね」


ナラが呆れて呟く。

壁からグリッチが顔半分だけ出した状態で戻ってきた。

「確保したよ!……このおじさん、壁の中でずっと隠れてたみたい」


「お、お手柄だお嬢ちゃん! ……しかし、今の壁抜けはどうやったんだ?」


カレルが震えながら聞く。


「え? 普通に歩いただけだよ?」


グリッチは、壁から完全に抜け出し、埃を払った。


「私ね、こういう『世界の隙間』が得意なんだ!」


「……隙間?」


ナラが聞き返す。


「うん。……私もいつか、あのおじさんみたいに捕まってみたいな……そしたら私、静かになるよ?」


「……何言ってるの!」


ナラは、グリッチの頭を小突いた。


「あんたみたいな騒がしいのが消えたら、静かすぎて耳鳴りがしますわ。……ずっとここにいなさい」


「えへへ。……ナラちゃん優しいー!」


・・・・・・・・・・・


数日後。

獣医院に、情報屋のルルが遊びに来た。


「あ、あの……ナラさん。……頼まれていた、裏社会の動向調査ですけど……」


小汚い古着を着て、部屋の隅に同化するように座っているルル。

彼女は極度の対人恐怖症だが、ナラにだけは懐いている。


「ありがとうルル。……そこにお菓子があるから、食べていいわよ」


「は、はい……。あうぅ、ナラさんと同じ空間の空気を吸えるだけで、私は……」


ルルが至福の不審な表情で空気を吸い込んでいた、その時。


「わぁ!陰気の塊だー!!」


実験室から飛び出してきたグリッチが、ルルを見つけて目を輝かせた。


「ひぃッ!? だ、誰ですかこの眩しい生き物は!?」


ルルがナラの背中に隠れる。


「初めまして! 私はグリッチ! ヴェリタス家のアイドルだよ!」


グリッチは、ルルの背後に回り込み、その古着をまじまじと観察した。


「へぇー……。すごいね、この服。……防御力高そう」


「え? あ、いえ、ただの魔力防御用の古着ですけど……」


「違うよ。……『心の防御』だよ」


グリッチは、ルルのジャージの裾をめくろうとした。


「ねえねえ、中身見せてよ! ルルちゃんの中身、すっごくドロドロしてて面白そう! 私にも少し分けてよ!」


「ひぃぃぃッ!? せ、セクハラですぅぅぅ! ナラさん助けてぇぇ!」


「こらグリッチ! お客様に失礼よ!」


ナラが鉄扇でグリッチの頭を叩く。


「だってぇ! ルルちゃんから、すっごく『濃い』信号が出てるんだもん!」


グリッチは頭をさすりながら、興味深そうにルルを見た。


「自己否定、コンプレックス、独占欲……うわぁ、中身がパンパンだね! 羨ましいなぁ!」


「う、羨ましい……?」


ルルが怯えながら聞く。

その時。

街の方から、不気味なサイレンが鳴り響いた。

窓の外を見ると、巨大な泥の巨人が暴れているのが見えた。


「怪異発生だ!」


エラーラが飛び出してくる。


「あれは……『自己否定の泥人形』! 人々のネガティブな感情が集合して実体化したものだ!」


「ネ、ネガティブ……? あ、あうぅ……」


ルルが頭を抱える。


「わ、私のせいです……。さっき、ナラさんに相応しくない自分を呪っていたから……」


「あんたのマイナス思考、災害レベルですわね!」


ナラが叫ぶ。


「行きますわよ!カチコミですわ!」



現場はカオスだった。

泥人形は、周囲の人々の「心の弱み」を暴き立てる精神攻撃を仕掛けていた。


『オマエハ、ダメナヤツダ……』


『ダレモ、オマエヲ愛シテイナイ……』


「くっ……! 耳障りな声ですわね!」


ナラが鉄扇で攻撃するが、泥の体は打撃を吸収してしまう。

その上、精神攻撃がナラの古傷を刺激する。


「お母様! 解析は!?」


「待ってくれ! 奴の精神汚染波が強すぎて近づけない!」


「あうぅ……ごめんなさい……私が……私が悪いんです……」


ルルが座り込み、泥人形に取り込まれそうになる。


「ルル!」


ナラが助けようとするが、泥の触手に阻まれる。

絶体絶命。

その時、ピンク色の影が突っ込んだ。


「わーい! 泥遊びだー!」


グリッチだった。

彼女は、魔法少女姿で、泥人形の懐に飛び込んだ。


『消エロ……。オマエニ、価値ハナイ……』


泥人形が呪詛を吐く。

だが、グリッチは笑った。


「うん、知ってる! 私、価値ないもん!」


グリッチの拳が、泥人形の腹にめり込んだ。

精神攻撃が効いていない。


「私には心がないから、悪口は効かないんだよ~だ!」


グリッチは、泥人形の中からルルを引っこ抜いた。

物理的に、強引に。


「捕まえた!」


「ぐぇッ!?」


「ルルちゃんはルルちゃんだよ! そのジメジメしたところも含めて、面白い生き物だよ!」


グリッチは、ルルを小脇に抱え、泥人形の顔面に回し蹴りを叩き込んだ。


「えいっ!」


純粋な暴力。

精神的ダメージを受けないグリッチの攻撃は、泥人形にとって天敵だった。


「……とどめ!」


グリッチは、指先を向けた。


「えーとじゃあ……ビーム!」


極太の光線が泥人形を貫き、怪異は霧散した。

あっけない幕切れ。


「……ふぅ。泥だらけになっちゃった」


グリッチは、自分の服についた泥を払いながら笑った。


「あ、あの……」


ルルが、震えながらグリッチを見上げた。


「助けて……くれたんですか……?」


「ん? 違うよ。ルルちゃんの中身が気になったから、ほじくり出しただけ!」


「えぇ……」


「でもさ」


グリッチは、ルルの顔を覗き込んだ。


「ルルちゃん、すごいね。……あんなにたくさんの『嫌な気持ち』を持ってるのに、パンクしないんだね」


グリッチの手が、ルルの胸に触れる。


「私ね、空っぽなの。……中身がないの。だから、ルルちゃんみたいに、ドロドロしたものでもいいから、何かが詰まってるのが……羨ましいな」


その瞳は、笑っているのに、泣いているように見えた。

底なしの虚無。

自分が何者でもないという、決定的な欠落感。

ルルは、その時初めて理解した。

この明るすぎる少女が抱えている、深い闇を。

自分は「自分が嫌い」だけど、彼女は「自分がない」。

その孤独の深さは、ルルですら想像できないものだった。


「……グリッチさん」


ルルは、グリッチの手を握った。


「貴女は……不思議ですね。……そこにいるのに、いないみたいで……」


「あはは!鋭いねルルちゃん。……私、バグだからさ!」


グリッチは、握り返した。


「……帰りましょう」


ナラが歩み寄ってきた。


「二人とも、お説教ですわよ。……特にグリッチ、単独行動は禁止と言ったでしょう」


「えへへ、ごめんなさいナラちゃん!」


グリッチはナラに抱きついた。

ナラは文句を言いながらも、グリッチの背中をポンポンと叩く。

ルルは、その光景を見て、少しだけ嫉妬し、そして少しだけ安心した。

この奇妙な少女にも、帰る場所があるのだと。


その夜。

獣医院の屋上。

グリッチは、一人で星を見ていた。


「……ナラちゃんはいいな」

 

背後から近づいてきたナラに、グリッチがポツリと言った。


「お姉ちゃんとの『思い出』がたくさんあって。……辛いことも、楽しいことも、全部ナラちゃんの中身になってる」


「……何よ、急に」


「私には、何もないんだ」


グリッチは、自分の手を空にかざした。

星の光が、手を透かして見えるような気がした。


「過去も、記憶も……心も。全部、ないの!」


「……バカね」


ナラは、グリッチの隣に座った。


「これから作ればいいじゃない。……今日、ルルを助けたでしょ? それも立派な『思い出』よ」


「……そっか。そうかもね」


グリッチは笑った。

でも、その笑顔にはノイズが走っていた。

自分の存在が、世界から拒絶されているのを感じる。


「ねえ、ナラちゃん。……指切りしよう」


「は?」


「私たちが、家族だってこと。……忘れないって約束」


グリッチは小指を差し出した。

ナラは、ため息をついて、その小指に自分の指を絡めた。


「はいはい。……約束よ。あんたがどんなにバグってても、あたしの家族よ」


「……うん。ずっと一緒だよ」


二人は指切りをした。

グリッチは、ナラの肩に頭を預けた。

温かい。

この温もりだけは、バグじゃない。

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