第1話:野蛮人対宇宙人(1)
王都の歴史書において、その日は「天蓋崩落の日」と記されることになるだろう。
雲ひとつない晴天が、唐突に、黒く塗り潰されたのだ。
王都の上空に現れたのは、ドラゴンでも魔王でもない。全長数キロメートルに及ぶ、幾何学的な形状をしたガレリア帝国の「宇宙開拓船団」だった。
王都を守る魔術師団が、必死の形相で迎撃魔法を放つ。
極大の炎や雷が空を駆け上がる。しかし、それらは戦艦の表面を覆う透明な膜に触れた瞬間、虚しく霧散した。
旗艦ブリッジ。
一等少尉アレンは、モニターに映るその光景を、哀れみの目で見つめていた。
「エネルギー変換効率0.02%。原始的な熱干渉ですね」
「ああ。彼らは『魔法』などと呼んでいるようだが、要するに大気中の粒子を非効率に燃焼させているだけだ」
司令官が、退屈そうにコーヒーを啜る。
「制圧開始。ただし、殺すな。この惑星の住民は、希少なサンプルだ。丁重に『保護』しろ」
ガレリア軍が放ったのは、破壊光線ではなかった。
無数のドローンが散布した「神経伝達遮断ガス」と「幸福誘発波」である。
王都の騎士たちは、剣を抜くこともできずに崩れ落ち、笑顔で空を見上げて降伏した。
恐怖も、流血もない。
ただ、圧倒的な文明の格差による、静かなる「収容」だった。
アレン少尉は、胸を痛めながらも、使命感に燃えていた。
(可哀想な未開の人々……。だが安心してくれ。我々が来たからには、もう野蛮な生活に苦しむことはない。我々が君たちを『文明』へと引き上げてあげるんだ)
それは、100%純粋な善意だった。
そして、それこそが最も残酷な、ナラティブ・ヴェリタスが最も嫌悪する「文脈の押し付け」であることに、彼はまだ気づいていなかった。
制圧から数時間後。王都は「管理居住区」と改名された。
アレンは、暴動の鎮圧と重要人物の確保のために、地上部隊を指揮していた。
そこで彼は、運命の出会いを果たす。
王都の下町。パワードスーツを着たガレリア兵たちが、一人の女性を取り囲んでいた。
漆黒のドレススーツに身を包み、鉄扇を持った女。ナラティブ・ヴェリタスだ。
「警告。武装を解除し、保護に従いなさい」
機械音声が告げる。
しかし、ナラは不敵に笑った。
「笑わせないで。自分らのケツは自分で拭くわ。アンタらのオムツなんざ、いらないのよ」
「抵抗する場合、非致死性スタンガンを使用します」
兵士がテーザー銃を撃つ。
だが、ナラは動かなかった。いや、速すぎたのだ。
彼女は瞬きする間に兵士の懐に飛び込み、強化繊維で作られたスーツの関節部に、鉄扇を突き刺した。
「悪いわね。あたし、モノの壊し方はよく知ってるの」
ナラは、体重移動だけで100キロ近いパワードスーツを投げ飛ばし、ドローンのセンサーを素手で握りつぶした。
魔法ではない。筋肉と、反射神経と、野生の勘。
生物としての純粋なスペックだけで、彼女は未来のテクノロジーを凌駕していた。
モニター越しにそれを見ていたアレンは、電流が走るような衝撃を受けた。
「……美しい!」
魔法などというオカルトに頼らず、自らの肉体を極限まで研ぎ澄ませた姿。
それは、テクノロジーに依存し、肉体が退化したガレリア人にとって、失われた「生物としての理想形」だった。
「彼女だよ……!彼女こそが、この星の希望だ!魔法という迷信に毒されず、自らの力で立つ『高潔なる野蛮人』!」
アレンの脳内で、勝手な物語が構築された。
『彼女は、未開な惑星で孤独に戦う、進歩的な姫君なのだ』と。
「総員、攻撃中止!彼女は特別だ!私が直接説得に向かう!」
アレンはハッチを開け、ナラの前に降り立った。
彼はヘルメットを脱ぎ、両手を広げて、最大限の敬意を示した。
「待ってください!高貴なる戦士よ!我々は君を傷つけたいわけではない!」
ナラティブは、鉄扇を構えたまま、冷ややかな目でアレンを見下ろした。
「……何アンタ?他のブリキ野郎とは少し違うみたいね」
「私はアレン。ガレリア帝国の少尉です。君のその強さ、その美しさに感銘を受けました。どうか、我々の船に来てください。君には、泥にまみれた地上ではなく、星の海こそが相応しい」
ナラは鼻で笑った。
「ナンパなら他を当たんなさい。あたしは高いわよ?」
「金銭の話ではありません!文明の話をしているのです!」
ナラは数秒考え、そして鉄扇を閉じた。
(……ま、いいわ。宇宙船の飯の味も気になるし)
「いいわよ。アレン少尉。連れて行きなさい。アンタたちの『文明』とやらを、見学させてもらうわ」
こうして、ナラは「一級保護対象」として、天空の要塞へと招かれた。
宇宙船のVIPルームは、快適すぎた。
気温24度、湿度50%。重力制御により、体への負担は最小限。
壁からはリラクゼーション効果のあるα波が出ており、ベッドは雲のように柔らかい。
「どうですか、ナラティブ殿。これがガレリアの生活です」
アレンは、自信満々に銀色のトレーを運んできた。
そこには、チューブに入ったペーストと、数粒の錠剤が置かれている。
「これは『完全栄養食』です。人間の活動に必要なカロリー、ビタミン、ミネラルが完璧なバランスで配合されています。消化吸収率は99%。排泄物も最小限で済みます。もう、地上の人々のように、不衛生な作物を育てたり、動物を殺して解体するような野蛮な行為は必要ないのです」
ナラは、チューブを手に取り、少し舐めた。
無味無臭。わずかに甘いような、化学薬品の味。
「……効率的ね」
「でしょう!我々は『食』という苦役から解放されたのです!」
「でも、これじゃ『生きてる』気がしないわね。……不味い。」
ナラはチューブを放り投げた。
「あのね、少尉。人間がなんで飯を食うか分かる?栄養補給のため? 違うわよ。『他の命を奪って、自分の血肉にする』っていう、業を背負うためよ。肉を噛み切る感触。野菜の泥の匂い。骨から滲み出る髄の味。泥道にはそういう『ノイズ』があるから、あたしたちは自分が動物だって思い出せるの」
アレンは困惑した。
「しかし……それは非効率です。病気のリスクもある。なぜ、安全で清潔な道があるのに、わざわざ泥道を歩くのですか?」
「泥道だからこそ、足跡が残るんでしょうが」
ナラは、部屋の端末を操作し、地上の監視カメラの映像を呼び出した。
そこには、スラム化した広場で、大鍋をかき混ぜるエラーラ・ヴェリタスの姿があった。
ガレリア軍は、地上にも「完全栄養食」を配給していた。
しかし、市民たちはそれを食べようとしなかった。
彼らは配給されたブロックを砕き、エラーラが作った「謎のスープ」に混ぜて食べていた。
そのスープには、雑草、虫、さらにはガレリア軍が捨てた廃材から染み出した油まで入っている。
「なんてことだ!」
アレンが悲鳴を上げる。
「狂っている!せっかくの無菌食品を、あんな汚物と混ぜるなんて!エラーラとか言ったか。あの祈祷師が民衆を洗脳しているんだ!科学を否定し、呪術的な儀式で毒を食わせている!」
ガレリア人にとって、エラーラは「文明の敵」に見えた。
だが、ナラには真実が見えていた。
エラーラは、ガレリアの食品に含まれる「依存性物質」や「ホルモン剤」を分析し、それらを中和するために、王都固有の微生物や薬草を投入していたのだ。
そして何より、あのスープには「味」があった。
塩辛くて、苦くて、脂っこい、強烈な生の味。
市民たちは、栄養よりも「人間としての尊厳(味覚)」を守るために、泥のスープを選んでいたのだ。
「……アンタには分からないでしょうね。あのスープは、アンタたちの完璧なエサよりも、ずっと価値があるってことが」




