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ヴェリタスの最終定理Ⅰ 真理の証明(中)ナラティブ・ヴェリタス  作者: 王牌リウ
発狂と嫉妬

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第1話:発狂と嫉妬(1)

王都の朝は、キメラ肉の焦げる匂いで幕を開ける。

少年アル・ルアルは、安宿の軋むベッドから弾き飛ばされるように起き上がった。


「今日も世界は、輝いてる!」


アルは革の鞄をひったくり、石畳の通りへと駆け出した。

道端の露店では、ドワーフの親父が「一振りで天気が変わる杖」を、さも伝説の秘宝であるかのように大声で売り捌いている。アルはそれを華麗にスルーし、魔法で極低温に冷却された「爆発ソーダ」を買い込んだ。


アルは裏路地のカフェ「ネコヤシキ」に辿り着いた。

そこには、「一流」のオーラを纏いつつ、脚を組んで座っている女がいた。

漆黒のドレススーツに身を包み、透き通るような色白の肌と、冷徹な紅い瞳。

探偵、ナラティブ・ヴェリタスだ。

彼女は、美しく整えられた黒髪を指で弄びながら、不味そうな顔で珈琲を睨みつけていた。


「……あら?そこに立っているのは、アルじゃありませんの?泥だらけの靴で一流のあたしの視界に踏み込むなんて、その厚顔無恥さだけは評価して差し上げてもよろしくてよ」


「ナラ様!奇遇だね。またエラーラさんと喧嘩でもしたの?」


「喧嘩!?あの論理の化け物とあたしが対等に口を利いているとでも思って? あたしはただ、研究室を三回連続で爆破して『計算通りの熱膨張だ!』と言い張るあの女の顔を見るのが、美学的に耐えられなくなっただけですわ!」


ナラは音を立ててカップを置いた。


「相変わらずだね。でも、ナラ様がこの街にいてくれるから、みんな安心して暮らせるんだよ。本当は、すごく情に厚いって、街の人も言ってたよ」


「なっ……あたしはただ、不調和なノイズが耳障りだから排除しているだけ。勘違いしないでちょうだい!……それよりあんた、お腹が空いているのではないかしら?一流のあたしの前で、子供が空腹だなんて、それはもはや犯罪に等しい美学的欠陥ですわ!」


ナラは、派手に椅子を蹴り立てて立ち上がった。

そして、近くを通りかかった店員を、獲物を狙う鷹のような眼光で呼び止める。


「この子に、店で一番高い特大ステーキと、これでもかというほどポテトを盛りなさい!支払いはあたしにつけておいてよろしいわ。一流は、見込みのある後輩への投資を惜しまないものですのよ!」


高笑いを上げようとして派手にむせたナラは、顔を真っ赤にして座り直した。

アルは運ばれてきたステーキにかぶりつきながら、ナラに街で見かけた面白い情報の「お裾分け」をすることにした。


「あ、そうだ。ナラ様、さっきあっちの広場で、すっごく尻尾の太い獣人の女性がいたよ。もう、これ以上ないくらいモフモフで!」


その瞬間。

ナラの紅い瞳がカッと見開かれ、手に持っていた鉄扇がミシミシと悲鳴を上げた。


「……なんですって?極太の……モフモフ……? アル、その情報は無視できない重要参考事項ですわね!あたしが直々に確認しに行く必要がありますわ!」


「ナラ様、鼻息荒いよ……」


「うるさいわね!さ、食べ終わったならさっさと帰りなさい!あたしはこれから、その『極太の脅威』を追跡しに行きますわよ!」


ナラは鉄扇を握りしめ、漆黒のドレスを翻すと、路地の奥へと消えていった。おそらく、エラーラへの報告など二の次にして、本能の赴くままに尻尾を追いかけるのだろう。

アルは、テーブルに残された温かいステーキを頬張りながら、黄金色に染まり始めた王都の空を見上げた。



次の日。

少年アルは、監禁されていた。

彼の前に立つのは、どこにでもいるような、ごく平凡な中年女性、ジャリオ・ジウイである。彼女はエプロンを締め、まるで掃除を始める主婦のような手つきで、作業台の上のアルを見下ろした。

ジャリオは、アルの皮を剥ぎ始めた。


「さ、綺麗にしましょうね。余分なものは、すべて取り除かなければ」


アルの悲鳴は、魔法で強化された防音壁に吸い込まれ、一滴も外へは漏れなかった。彼女は丁寧に、慈しむように、少年の「外装」を剥がし取っていく。

剥ぎ終えたアルの「残骸」を、彼女は風呂場へと引きずっていった。

浴槽には、ドロドロとした緑色の魔導融解液が満たされている。

ジャリオは、まだ微かに震えている肉塊を、迷いなくその中へ沈めた。少年の存在が「物質」へと還元されていく。骨が溶け、内臓が崩れ、数分後には、そこにはただの、少し濁った液体が残るだけだった。

ジャリオは無表情に栓を抜いた。

アルだったものは、排水口の渦に飲み込まれ、王都の下水道へと流れて消えた。彼女は手際よく風呂場を洗い流し、最後に、何事もなかったかのようにエプロンの紐を解いた。


「さ、洗濯物を干さなきゃ」


ジャリオ・ジウイは、満足感と共に、地下室を後にした。


この日を境に、王都には奇妙な「流行」が蔓延し始める。

朝、路地裏を歩けば、そこには目をくり抜かれた飼いイヌの死骸が転がっている。一つ、二つではない。街中の至る所で、イヌの視覚だけが奪われ、その空洞が虚空を睨んでいた。

市民の通報を受けた警察の対応は、もはや正常な思考回路を放棄していた。


「これは器物損壊。すなわち、自分の所有物たるイヌを毀損することで、自分に注意を惹こうとする悪質ないたずらだ。注意喚起にとどめる。捜査の必要はない」


巡査部長は、血の海に浮かぶイヌの死体を見下ろしながら、欠伸混じりに報告書をまとめた。命は「所有物」という記号に置換され、その異常性は、法という名のフィルターを通して「平穏」として処理された。


イヌの死体の山の中で、プルカ・ルオルという男が、「ネズミが可愛そうだから、人を食べたい!」と、獣のような叫びを上げた。その欲望は、良心の欠落から生じた純粋な悪意だった。しかし、彼の前に現れたのは、聖母のような微笑みを湛えた老婆、ミュギル・パリオスだった。


「まあまあ、お腹が空いているのね。可哀想に。これを食べなさいな」


ミュギルは慈愛に満ちた手つきで、プルカの口に「カエル」を押し込んだ。一匹、また一匹。プルカが人を食いたいと叫ぶたびに、彼女は優しく、しかし、抗いようのない力で生きたカエルを喉の奥へと流し込む。

プルカの腹は膨れ上がり、彼は結局、一人も人間を食うことなく絶命した。


一方で、王都の老人ホームでは、別の不条理が完成していた。職員たちは「ウマの保護」という崇高なスローガンを掲げていたが、その論理回路は決定的なショートを起こしていた。


「ウマは可哀想だ。餌が必要だ。だが、ウマに餌をやるのは効率が悪い。そうだ、トリに餌をやろう」


職員たちは、ウマを救うための儀式として、自分たち自身を細かく裁断し、トリたちの餌へと変貌させた。ベランダに集まる雀や鳩が、職員たちの肉片を啄む。守られるはずだったウマたちは、その光景をただ空腹のまま見つめ、老人ホームの廊下には、主を失ったトリの鳴き声だけが響き渡った。


そして、その日は突然訪れた。

ある花屋の主人が、ミミズがどこにも売っていないことに激怒した。


「なぜだ!なぜ王都にミミズがない!これでは花を美しく飾るあたしの指先が汚れるではないか!」


彼女は自らの体に魔導燃料を浴びせて自爆した。


この爆発を、待ち望んでいた者たちがいた。

武装した「ネコ」の軍団である。

彼らは二足歩行で走り、最新鋭の魔導銃火器を構え、王都の心臓部である魔力発電所を電撃的に乗っ取った。駆けつけた不動産屋の集団と、トカゲたちが応戦したが、武装ネコたちの統率された暴力の前には無力だった。

ネコたちは、捕らえた不動産屋とトカゲを丁寧に梱包し、中央市場のサカナ屋へと卸した。


「新鮮な二足歩行の肉、入ったよ!」


サカナ屋の店主は、それがかつての取引相手であることなど微塵も気にせず、包丁を研いで解体作業に入った。


この一連の「王都戦争」において、もっとも莫大な利益を得たのは、一軒のパン屋を営むジェルク・イオクだった。

彼は戦火のさなか、冷徹な確信を得た。


「誰も、今食べているパンの中身など気にしていない。この狂気の中では、味がすれば、それは食料として認識される」


ジェルクはまず、パンの素材に「教師」を混ぜた。客たちは「最近のパンは傲慢でいい」と喜び、貪り食った。

次に、彼は「医者」を練り込んだ。客たちは「複雑な風味が素晴らしい」と称賛し、列を作った。

そして最後、ジェルクは究極の境地に達した。

彼は、パンの素材を「無」にしたのだ。

焼き上がったのは、見た目も重さも、そして概念さえも魔力そのものである「虚無パン」だった。実体はないが、食べたという錯覚と膨大な魔力だけを胃袋に流し込む禁断の食料。

人間たちは、この虚無パンを絶賛し、栄養失調になった。

魔力を体内で適切に循環させられない獣人たちは、過剰な魔力に耐えきれず、破裂して次々と死亡した。

一方で、誇り高いエルフたちは、そもそも人間の食品に見向きもしなかったため、この未曾有の食糧危機を完全に無傷でやり過ごしていた。


武装したネコたちは、発電所を占拠したまま、なぜか全員で咽び泣いていた。


「俺たちは……何を求めていたんだ……」


激しい戦闘と、支配。その果てに残った虚無感に耐えきれず、彼らは次なる行動に出た。

ネコたちは王都刑務所を力ずくで乗っ取り、中にいた重罪人たちを適当に追い出した。

そして、その空いた独房に、全く無関係の眼科医、ジル・コニアをぶち込んだ。

ジル・コニアは、ただ往診の帰り道だった。彼はなぜ自分が投獄されたのか、なぜ看守のネコたちが泣きながら大急ぎで自分のカルテを食べているのか、理解することを脳が拒否した。


武装したネコたちは、その圧倒的な軍事力を持ちながら、一つの致命的な欠落に苦しんでいた。彼らは、ミカンの味を知らなかった。オレンジでもなく、グレープフルーツでもない、「ミカン」という概念が、彼らを絶望へと叩き落としていたのだ。


「俺たちは、なぜミカンを知らないんだ……!」


一匹のネコが咽び泣き、魔導銃を空に向けて乱射した。その叫びは同胞たちの魂を揺さぶり、ネコ軍団は一致団結して王都軍の本部を襲撃した。守備隊の騎士たちは、泣き喚きながら突撃してくる毛玉の軍団に困惑し、次々とサカナ屋の店先に並べられていった。

ネコたちは軍の最深部、禁忌の倉庫から最新鋭の新型爆弾「龍の炎」を奪取した。一発で一つの文明を塵に帰し、歴史そのものを事象の地平線に叩き込む、最悪の終末兵器だ。

彼らはそれを十発、全弾を奪い取ると、「ペンギンを抹殺しなければならない」という使命感に駆られた。

ネコたちは魔導潜水艦を強奪し、遥か南方に浮かぶペンギンの楽園、クレッシェンド島へと急行した。島に辿り着くや否や、彼らは十発の「龍の炎」を全弾投下した。

まばゆい光が世界を白く塗り潰した。

一発で十分だった。二発目で島は消滅し、三発目で海底プレートが砕け、十発目が着弾した頃には次元の穴が開き、海水が虚空へと吸い込まれていった。ペンギンたちは、ミカンの味を語る間もなく、原子レベルで分解され、歴史から抹消された。


この未曾有の超大爆発が生んだ魔力の乱気流は、王都にいた一人の少女、ニーア・リーアの脳細胞に奇跡的な変異をもたらした。

彼女は、爆風の余波が街を抜けた瞬間、全宇宙の真理を理解する「天才」へと覚醒した。

ニーアは悟りを開いた。彼女の脳内には、神の数式が完璧な形で描き出された。しかし、その知能指数が無限大に達した直後、彼女の肉体はその情報量に耐えきれなかった。王都駅のホームで電車を待っていたニーアは内部から発火し、華々しく爆死した。駅の掲示板には、彼女が死の間際に指先で記した「ミカン=虚無」という数式だけが、血文字で残された。


ネコたちは、島を消滅させた後も咽び泣き続けていた。


「俺たちは……また過ちを犯した。悪いのは、すべてウサギだ」


ネコたちは自分たちの蛮行を棚に上げ、なぜか「ウサギの蛮行」を恥じ入るという高度な責任転嫁を完了させた。


「ウサギどもがコーヒーを飲むから、世界からミカンが消えるんだ!」


ネコ軍団は王都に帰還するや否や、怒りの矛先を「コーヒー屋」へと向けた。

店の壁が粉砕され、武装したネコたちが重火器を抱えて乱入し、カウンターの奥に爆薬を設置していく。


「ウサギ信者め!珈琲を捨て、ミカンを崇めろ!」


ネコたちはそう叫ぶと、次々にコーヒー屋を爆破していった。王都の至る所で黒い煙が立ち上り、芳醇な豆の香りが、火薬と断末魔の叫びに塗り替えられていく。


その光景を見ていたジェノバ・レブンという男は、自らの頭蓋を丁寧にくり抜き、その空洞を愛玩用のオウムのための「特等席」として提供した。オウムが彼の脳があった場所で羽を休めるたび、ジェノバはうっとりとした表情を浮かべるのだが、彼には一つだけ欠点があった。

ジェノバ・レブンは、カマキリを食べなかった。

これが、壊れきった王都国民の逆鱗に触れた。


「カマキリを食べない男が、どうしてオウムを愛せるというのだ!」


市民たちは、ジェノバへの怒りを「金融業者」へと向けた。彼らは集団で金融街を襲撃し、自分たちの肉体を魔導液でドロドロに溶かすと、液状化したまま金融業者の口の中へと無理やり侵入し始めた。

溶けた市民たちは業者の体内を蹂躙し、内臓を滑り降り、最終的にはつま先を突き破って外へと這い出してきた。常識的に考えれば、金融業者は即死する光景だ。

しかし、金融業者は死ななかった。

それどころか、つま先から市民を排泄し終えた業者たちは、かつてないほどの活力を得て、市民を追いかけ回し始めた。


「つま先から出た分、割増で返してもらうぞ!」


ドロドロに溶けた市民と、つま先から人間を出した金融業者が、夕暮れの街で果てしない鬼ごっこを繰り広げる。


武装ネコたちは、この光景を見て、ついに「正気」という名の病に冒された。

ネコたちは、ガタガタと震え出した。

自分たちが生きているこの世界そのものが、もはや一つの生物として腐り落ち、腐敗した膿から新しい不条理が産まれる循環に入ったことを、その野生の勘で悟ってしまったのだ。


「カマキリを食わないから、つま先から出る……?……意味が、わからない……」


そして、ある日の朝。

王都に、最後の、そして決定的な沈黙が訪れた。

一人の男が、朝食のパンを口に運ぼうとして、言葉を発した。


「みゅっ!」

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