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ヴェリタスの最終定理2 ナラティブ・ヴェリタス  作者: Wan Liyue
裏切りの忠義

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第1話:裏切りの忠義(1)

王都の夜空は、磨き上げられた黒曜石のように澄み渡っていた。

星々は瞬き、月は静かに地上の繁栄を見守っている。

王立魔導学会のサロン。

豪奢なシャンデリアの下、暖炉には赤々と薪が燃え、心地よい音が琥珀色の液体で満たされたグラスを揺らしていた。


「……素晴らしい!実に素晴らしいよ、エラーラ君!」


上機嫌な声を上げているのは、地方領主であり、王都きっての魔法推進派であるアサノ卿だった。

彼は、テーブルに広げられたエラーラの論文『異界渡航理論における位相幾何学的アプローチ』を、まるで恋文でも読むかのように熱心に見つめていた。


「空間を『移動』するのではなく『置換』する……。この発想はなかった。これこそが、我ら人類が次のステージへ進むための翼だ!」


向かいに座る魔女エラーラ・ヴェリタスは、少し照れくさそうに紅茶を啜った。


「アサノ卿。まだ仮説の段階だよ。学会の他の連中は、『金にならない妄想』だと鼻で笑っている。実用化にはあと数年はかかるだろう」


「笑わせておけばいい!夢を見ない者に、未来は創れない。私は君の研究に賭けるよ。資金なら心配するな。私の領地の鉱山が枯れるまで、いくらでも支援しよう」


アサノは豪快に笑い、グラスを掲げた。

彼の背後には、筆頭家老のオオイシが控えていた。

オオイシは、主君の楽しそうな姿を見て、目を細めていた。彼にとって、アサノが少年のように目を輝かせて未来を語る姿こそが、何よりの誇りだった。


「エラーラ殿」


オオイシが静かに口を開いた。


「我が殿は、貴殿の知性を『王国の宝』だと常々仰っております。我ら騎士一同も、貴殿の研究を守る盾となりましょう。何かあれば、いつでもお声がけください」


「……感謝するよ、オオイシ殿」


エラーラは微笑んだ。

ここには、純粋な信頼があった。

利害関係を超えた「知」への敬意と、より良き明日への希望。

暖炉の火が、彼らの顔を温かく照らしていた。



同じ時刻。

サロンの反対側にあるバーカウンターでは、重厚なジャズが流れていた。


「……ったく、軟弱な」


グラスをカタリと置いたのは、法務局長ギラード卿だった。

彼は不機嫌そうに、遠くで談笑するアサノたちのテーブルを一瞥した。


「魔法、魔法、魔法……。どいつもこいつも、楽をすることばかり考えおって。己の手足を動かし、汗をかき、法と規律を守る。それが国家の礎だろうが」


その隣で、探偵ナラティブ・ヴェリタスが、カクテルのチェリーを摘まみながら笑った。


「また愚痴?旦那様。せっかくの高級ブランデーが不味くなるわよ」


「うるさい。これは憂国の嘆きだ」


ギラードは葉巻に火をつけた。紫煙がゆっくりと天井へ昇っていく。


「……ナラティブよ。お前だけだ、まともなのは。魔力に頼らず、その身一つで悪を挫く。お前のような『力』こそが、真に信頼に足るのだ」


ギラードは、厳格で融通の利かない男だった。

「魔法は卑怯だ」と公言して憚らない。

だが、ナラは知っていた。彼が誰よりもこの国の秩序を愛し、無法から弱者を守るために、寝る間も惜しんで働いていることを。

その背中は大きく、そして温かい。


「ありがと。でも、アサノ卿も悪い人じゃないわよ?あたしの事務所の家賃、こっそり立て替えてくれたりしたし」


「フン。あやつは人が良すぎるのだ。技術に夢を見すぎて、足元がおろそかになっている。……まあ、悪人ではないことは認めるがな」


ギラードは、憎まれ口を叩きながらも、アサノの人柄自体は否定しなかった。

思想は違えど、同じ国を憂う同志としての、敬意はあった。

夜が更け、二つのグループが帰り際にエントランスで鉢合わせた。


「ギラード殿」


アサノが気さくに声をかけた。


「奇遇ですな。貴殿も明日の式典の準備ですかな?」


「……アサノ殿か」


ギラードは居住まいを正し、コートの襟を直した。


「準備も何も、私は憂鬱で仕方がない。明日の儀式では、私が『魔導杖』を持って点火せねばならんそうじゃないか。

なぜ私が、あんなオモチャを使わねばならんのだ」


ギラードは、腰に下げた儀礼用の杖をポンと叩いた。

アサノは苦笑した。


「ハハハ、そう毛嫌いなされますな。それは最新式の杖です。わずかな魔力で美しい花火が上がる。技術の進歩を祝う式典には相応しい演出でしょう」


「フン。剣で薪を割る方が、よほど確実で美しいと思うがね」


ギラードの頑固な物言いに、アサノの家臣たちがムッとした空気を出す。

だが、アサノはそれを手で制し、穏やかに微笑んだ。


「相変わらずですな、貴殿は。……だが、そこがいい。貴殿のような『重し』がいるからこそ、我々も安心して空を飛べるというものだ」


アサノは、ギラードに右手を差し出した。


「思想は違えど、目指す頂は同じ。王都の繁栄と、民の安寧。……明日の式典、共に成功させましょう」


ギラードは、差し出された手をじっと見た。

そして、短く息を吐き、その手を力強く握り返した。

武人の手と、学者の手。

互いに厚く、温かい手だった。


「……違法行為だけはするなよ、アサノ殿。貴殿が空を飛びすぎて法を犯せば、私がその足を引っ掴んで地上に引きずり下ろすからな」


「望むところだ。その時は、謹んでお受けしよう」


二人の高官が握手をする。

その横で、エラーラとナラも顔を見合わせた。


「やれやれ。うちのスポンサーは頭が固くて困るわ」


「ふふ。うちのスポンサーは夢見がちで困るよ」


二人の最強の女性は、それぞれの「父」を見つめ、苦笑しながらも誇らしげだった。

オオイシもまた、ギラードに深く一礼した。


「ギラード様。我が主君は、時に情熱が過ぎることがございます。不手際があれば、どうか法務局長として、厳しくも公正なご指導を」


「うむ。任せておけ、オオイシ」


ギラードは頷いた。


「お前のような実直な部下を持って、アサノ殿は幸せ者だな」


そこには、微塵の曇りもない信頼があった。

アサノは新技術で国を富ませようとし、ギラードは法と規律で国を守ろうとしていた。

車の両輪のように、二人がいればこの国は安泰だ。


「では、また明日」


「ああ、式典で会おう」


二つのグループは別れ、それぞれの馬車へと乗り込んだ。

アサノの馬車の中で、アサノは上機嫌に窓の外を眺めていた。

王都の夜景が流れていく。


「いい夜だ、オオイシ。ギラード殿も、根は熱い男だ。

明日はきっと、素晴らしい日になるぞ」


「はい、殿。式典の後は、領地の酒を持って参りましょうか」


オオイシが提案する。


「おお、それはいい。ギラード殿にも振る舞おう。あの頑固者も、美味い酒には弱かろう」


アサノは楽しげに笑った。

一方、ギラードの馬車。

ギラードは、腰の杖を外して膝の上に置いた。


「……どうも調子が悪いな」


ギラードが杖を振ると、チリッ、と小さな火花が出た。


「接触が悪いのか?まあいい、明日の本番で点けばいいだけのことだ」


彼は杖をホルスターに戻し、ナラティブを見た。


「ナラティブよ。明日の式典が終わったら、久しぶりに二人で飯でも食うか。お前の好きな、駅前のステーキ屋で」


「本当!?」


ナラが目を輝かせた。


「やった!約束よ!パパ!一番高いやつ、頼んじゃうからね!」


「ああ。約束だ。たまには家族サービスもしないとな」


ギラードは笑った。

馬車は、石畳を軽快に駆けていく。

街灯の光が、彼らの笑顔を照らし、通り過ぎていった。


深夜。

ヴェリタス探偵事務所に戻ったエラーラは、研究の続きをするためにデスクに向かっていた。

ふと、窓の外に目をやる。


「……おや」


空から、白いものがハラハラと落ちてきていた。

予報にはなかった雪だ。


「雪か。……明日の式典は、白銀の舞台になりそうだね」


エラーラは呟き、窓を開けた。

冷たく澄んだ空気が流れ込んでくる。

雪は音もなく降り積もり、王都の屋根を薄化粧していく。


「美しいねぇ」


彼女は、雪の結晶が掌に落ちて溶けるのを見つめた。

純白で、無垢な雪。


「明日は早起きしなくては」


エラーラは窓を閉め、部屋の明かりを消した。

隣の部屋からは、ナラの静かな寝息が聞こえてくる。

世界は、正常だった。

論理は機能し、法は尊ばれ、人は人を信じていた。

アサノは未来を夢見て眠りにつき、ギラードは職務を全うするために制服に袖を通す準備をしている。

静寂な夜。

平和な夜。

雪はただ静かに降り続け、眠る王都を優しく包み込んでいった。

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