第1話:中年会社員の涙!
王都の下町。
安い焼酎と、煮込み過ぎたモツの臭いが充満する居酒屋『焼き鳥・若ちゃん』。
その薄汚れたカウンターで、あたし、ナラティブ・ヴェリタスは、ハイボールの氷をカランと鳴らした。
「……はぁ。世知辛い世の中になったもんだ」
隣の席には、ひどく疲れた男が突っ伏していた。
グレーの安スーツ。伸びかけの無精髭。すり切れた革靴。
どこからどう見ても、ノルマに追われ、上司に詰められ、家庭に居場所がない、しがない中年会社員だ。
名を、ガンツといった。
「あら、ため息なんて吐くと幸せが逃げるわよ? ……ま、この店の酒じゃ無理もないけれど」
あたしが声をかけると、ガンツはコップ酒を煽りながら、重い口を開いた。
「なぁ、姉ちゃん。……聞いてくれよ。最近の若いのは、なっちゃいねぇんだ」
「若いのが?まあ、よくある話ね」
「ああ。『挨拶』ができねぇんだよ」
ガンツは、悔しそうに拳を握りしめた。
「現場に入ったら、まずは客の目を見て、『挨拶』するのが礼儀だろうが。相手に『こっちは本気だ』って情熱を伝える。それが信頼関係の第一歩だ」
「……なるほどね。熱心な営業マンじゃない。基本は大事よ」
あたしはピーナッツを摘みながら頷いた。元気な挨拶はビジネスの基本だ。
「だろ!?それを今の新人は、無言で仕事しやがる。相手の顔も見ねぇで、指先一つでパパッと処理して『はい、完了っす』だとよ」
「ああ……わかるわ。最近の子って、何でも魔導端末で済ませようとするものね」
「そうなんだよ! 俺が注意してやったんだ。『おい、ルカ。ちゃんと汗水たらして、泥臭くぶつかっていけ』ってな。そうしなきゃ、客だって心を開いてくれねぇだろ?」
ガンツはテーブルを叩いた。
店主が嫌な顔をするが、彼は気づかない。
「そしたらあいつ、なんて言ったと思う? 『先輩、それタイパアー悪くないっすか? ツール使えば一瞬っすよ』だとよ!」
「タイパ……。嫌な言葉ね。一流の仕事には、無駄に見える『間』が必要なのよ」
あたしは同意した。効率化ばかり求めて、情緒のない仕事をする若者が増えているのは、どこの業界も同じらしい。
「道具だってそうだ」
ガンツは、懐を愛おしそうに撫でた。
ジャケットの下に、何か重くて硬いものが入っているような膨らみがある。恐らく、長年使い込んだ商売道具――万年筆か、計算機か、あるいは職人の工具だろう。
「俺はね、昔ながらの『重み』がある道具が好きなんだ。手入れは面倒くせぇし、音もうるせぇし、手も汚れる。……だがな、こいつが動く時の反動こそが、『いい仕事をした』っていう実感になるんだよ」
「……あんた、意外と職人気質なのね。そういうこだわり、嫌いじゃないわ」
「へへっ、そう言ってくれるのは姉ちゃんだけだ。……上は違う。『ガンツ君、今期からアナログなやり方は経費削減のため控えるように。これからはアイチーで自動化を推進します』だと」
ガンツは、涙ぐんでいた。
「俺はね。俺は……俺は!現場に『俺が担当しました』っていう証を残すのが流儀なんだ。それが俺の名刺代わりで、他社へのアピールにもなる。……それを『カンプライヤンス的にNG』だの『個人情報の取り扱いが面倒』だの……」
彼は、深いため息をついた。
その背中には、時代の波に取り残された男の哀愁が漂っている。
「……一流の流儀が理解されないなんて、一流じゃない証拠よ。気にすることないわ」
あたしは、自分のボトルから彼のコップに酒を注いでやった。
「あんたみたいな骨のある男は、もう……絶滅危惧種なのかもね」
「……違ぇねぇ。俺はただ、真面目に、丁寧に、一件一件の案件に向き合ってきただけなのになぁ」
ガンツは酒を飲み干し、ふらりと立ち上がった。
「すまねぇな、姉ちゃん。愚痴っちまった。……これから『夜勤』だ。大きな案件が入っててな!」
彼はヨレヨレのジャケットを羽織り、小銭を置いて店を出て行った。
その背中は小さく、雨に濡れた野良犬のように震えていた。
あたしは、彼が残していった温もりを見つめた。
きっと今夜も、彼は理不尽な上司や生意気な部下に挟まれながら、汗水たらして営業回りに奔走するのだろう。
「……頑張んなさいよ、会社員」
あたしはグラスを掲げ、名も知らぬ企業戦士に乾杯した。




