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第2弾:ナラティブ・ヴェリタス  作者: 王牌リウ
他人の為に死ねますか

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201/304

第1話:自殺を要求する社会!

その日、王都の空は、一度も瞬きをしない巨大な眼球のような、不快な晴天だった。

大聖堂の鐘が鳴り響き、予言が下されたのは正午のことだ。


『選ばれし3名の「器」が死ねば、世界を蝕む「魔瘴気」は晴れるであろう』


指名されたのは、何の変哲もない三人の市民。


下町のパン屋の店主、ハンス。

スラム街の孤児、ミコ。

そして、没落貴族の令嬢、エリス。


ナラティブ・ヴェリタスは、依頼を受けてエリスの屋敷――今は古びたアパートの一室――を警護していた。

鉄扇を構え、窓の外を睨む。

隣には、怯えるエリスと、同じく保護されたハンスとミコがいる。

ナラは覚悟を決めていた。

トロッコ問題だ。3人を殺せば世界が助かる。ならば、暴徒化した民衆や、過激な思想を持つ集団が、正義の御旗を掲げて殺到するはずだ。

血で血を洗う、思想と信念のぶつかり合い。それが人間の歴史だからだ。


しかし。


1時間が経過し、3時間が過ぎ、陽が傾き始めても――何も起きなかった。

デモ隊のシュプレヒコールも聞こえない。

爆発音もしない。

石一つ飛んでこない。

王都は、不気味なほどの静寂に包まれていた。


「……どうなっているの?」


ナラは通信機を取り出した。


「お母様。状況はどうなってるの? 敵の動きは?」


『奇妙だ、ナラ。……誰も動いていない』


エラーラの声にも、困惑が滲んでいた。


『宗教団体は内部で神学論争を始め、分裂している。テロリストは疑心暗鬼になり、アジトから出てこない。人権団体は議論が紛糾し、硬直している』


「……は?」


『思想を持つ者たちは、思想ゆえに動けないのだ。思考の迷路にはまり込んでいる』


ナラは窓の外を見た。

通りには、日常の風景が広がっている。買い物帰りの主婦、遊ぶ子供。

誰もが予言を知っているはずなのに、誰もが「誰かがなんとかするだろう」と思って、見て見ぬふりをしている。

平和だ。

けれど、この静けさは、嵐の前のそれではない。もっと底知れぬ、真空のような恐怖。


「おかしい……。静かすぎる」


ナラの背筋に、冷たい汗が伝った。

人間は、こんなに理性的ではないはずだ。

何かが来る。

思想も、感情も、迷いもない「何か」が。


その静寂を破ったのは、絶叫でも銃声でもなかった。

規則正しい、ゴム底の靴がアスファルトを叩く音。

一つや二つではない。数百、数千の足音。

ナラが窓から身を乗り出すと、路地裏から、大通りから、そしてマンホールの蓋を押し上げて、無数の男たちが現れていた。

彼らは武器を持っていなかった。剣も銃もない。

全員が、同じ青い作業着を着て、ヘルメットを被り、手にはパイプレンチやツルハシ、高圧洗浄機のノズルを握っている。

その目は、死んでいるように暗く、疲れていた。


「……水道局?」


王都水道局・特別維持管理課。

彼らは無言のまま、アパートを取り囲んだ。

怒りも、憎しみも、殺気すらない。

ただ「面倒な仕事が増えた」という、倦怠感と義務感だけが漂っている。


「ここは私有地よ!」


ナラがバルコニーから叫ぶ。

先頭にいた、現場監督らしき男が、事務的にバインダーを開いた。


「王都水道局です。『配管清掃業務』を開始します」


「はあ? 清掃?」


「対象は、そこにいる『有機的詰まり』3名。……直ちに排除します」


男は、まるで「排水溝の髪の毛を取り除く」と言うような口調で、殺害を予告した。


「ふざけないで! 帰れ!」


ナラが鉄扇を振るう。

だが、作業員たちは動じない。

彼らは、アパートの鉄扉を、業務用の切断機で切り裂き始めた。


「障害物確認。撤去します」


「工期が押しています。急いでください」


躊躇いがない。

ナラは戦慄した。狂信者なら説得の余地がある。悪党なら脅しが効く。

だが、彼らは「仕事」をしているだけだ。

マニュアルに従い、上司の命令に従い、淡々と作業を進める公務員。これほど話の通じない相手はいない。


『ナラ! 聞こえるか!』


エラーラの切迫した声が通信機から響く。


『彼らを止めろ! だが……彼らの言い分は、物理学的には100%、正しい!』


「どういうことよ!?」


『解析が完了した。選ばれた3人の体質だ。彼らは生まれつき魔力親和性が異常に高く、無自覚に大気中の魔素を吸着してしまう特異体質だ』


エラーラが早口でまくし立てる。


『この世界は、巨大な魔力循環システム――いわば「配管」の上に成り立っている。彼ら3人は、その配管の中で肥大化した「生きたヘドロ」なのだ!』


「ヘドロ……!?」


現場監督が、アパートのドアを蹴り破りながら叫んだ。


「そうだ! あんたたちには見えないだろうがな、俺たちのモニターでは真っ赤な警告灯が点きっぱなしなんだよ!」


監督の目が血走っていた。それは残業続きの会社員の、狂気を孕んだ目だった。


「あいつら3人が生きて呼吸しているだけで、魔力圧が上昇し、王都の浄水システムのポンプが逆流を起こしかけている! このままじゃ30分以内に下水管が破裂して、王都の市民全員が汚物にまみれて死ぬんだよ!」


テロリストは世界征服を狙うため、世界が壊れては困る。だから慎重になる。

宗教団体は神の意志を解釈しようとして、時間を浪費する。

だが、現場の水道屋は違う。

彼らは「今そこにある危機」と直面している。


「議論してる暇なんてねぇんだよ! 今すぐ『詰まり』を抜かなきゃ、みんな死んじまうんだ!」


「市民に水を届けるのが俺たちの仕事だ! 邪魔する奴は、公務執行妨害で排除する!」


作業員たちが、パイプレンチを振り上げて雪崩れ込んでくる。

これは殺人ではない。

「メンテナンス」なのだ。

都市機能を維持するための、必要経費としての排他処理。


「逃げるわよ!」


ナラは3人を庇いながら、裏口から飛び出した。

だが、外にはさらなる絶望が待っていた。

路地裏を走るナラの前に、黄色いヘルメットの集団が立ちはだかった。

高圧電流が流れるスタンバトンを構えている。


「電力局です。対象の生体電流が送電網にノイズを走らせています。大規模停電回避のため、絶縁します」


屋根の上には、灰色のベストを着た集団。


「通信局です。対象の存在が魔導回線を圧迫しています。パケットロス防止のため、データごと削除します」


さらに、大通りに出ようとした瞬間。

大型トラック、バス、タクシーの車列が、壁となって道を塞いだ。


「運輸連合だ。お前らが逃げ回ると、避難民の移動に支障が出る。物流が止まれば経済が死ぬ。……轢き殺してでも、ダイヤを守る!」


インフラストラクチャーの叛逆。

水道、電気、ガス、通信、交通。

王都の血管とも言える社会基盤そのものが、ナラと3人のターゲットを「ウイルス」として認識し、総力を挙げて排除にかかってきたのだ。

街の明かりが消える。

通信機がノイズにまみれる。

水道が止まる。

それを見た一般市民たちが、窓を開けて叫び始めた。


「おい! 水が出ないぞ!」


「魔導通信が繋がらない! どうなってるんだ!」


「あの3人のせいか!? 殺せ! 早く殺して復旧させろ!」


民衆は、思想では動かなかった。

だが、「生活の不便」には耐えられなかった。

トイレが流れない恐怖。スマホが使えない不安。冷蔵庫の中身が腐る焦り。

それらが、「人権」や「倫理」を瞬時に凌駕した。

さっきまで平和だった市民が、鬼の形相でナラたちを指差している。

社会全体が、3人の死を渇望している。


「……なんてこと」


ナラは、震えるエリス、ハンス、ミコを抱き寄せた。

敵は悪の組織ではない。

この「生活」というシステムそのものだ。

呼吸をするように、水を飲むように、当たり前のこととして、彼らは3人を殺そうとしている。


「ここへ!」


ナラは、閉鎖された地下鉄の入り口を鉄扇でこじ開け、3人を押し込んだ。

だが、そこは袋小路だ。

上からはインフラ連合軍が、重機を使って掘削を始めている。


「……どうすればいいのよ、お母様」


ナラは呻いた。

戦う相手がいない。全員が「正当な業務」を行っているだけなのだから。

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