第2話:Seven days war
主題歌:ぼくらの七日間戦争/SEVEN DAYS WAR
https://youtu.be/XBstbk_i6uM?si=2ja3r1Gtssnd3hI1
1月6日。
メルダさんからの最後の手紙が届いた。
『邪魔をするな。社長が乗る飛行船を落とす。社長の豪邸の真上に墜落させてやる。止めたければ空へ来い』
ナラティブさんは、獣病院のリビングで、エラーラさんと朝ごはんの約束をしていた。
体中が痛むはずなのに、最高の笑顔で。
「お母様。今日の朝ごはんは、お粥がいいですわ」
「おや、珍しいね。分かった、胃に優しい最高の一品を作っておくよ」
エラーラさんの穏やかな笑顔。
この笑顔を守るためなら、地獄へだって行ける。そんな顔をしていた。
僕たちは、建設中の時計塔のてっぺんから、飛行船に飛び移った。
上空1000メートル。風がすごくて、息ができない。
甲板には、魔導強化薬を飲んだメルダさんが立っていた。手には巨大なスパナを持っている。
「どけぇぇッ! あの女を殺すんだ!」
「だめだ、メルダさん!」
僕は叫んだ。
「うるさい! 社長の息子が!」
メルダさんがスパナを振り回す。
「あいつは言った!『言い訳をするな』と!あいつは金持ちだ!家政婦もシッターも雇える!ひとりで育児と仕事を回していた私の苦しみが、あいつに分かるかぁぁぁッ!」
ナラティブさんが、鉄扇で攻撃を受け止める。
すごい音がして、ナラティブさんの腕から血が吹き出した。傷口が開いたんだ。
「……ええ、分からないわよ!」
ナラティブさんは叫び返した。風よりも大きな声で。
「あいつは想像力が欠如した、幸福な成功者だもの! あんたの痛みなんて一生分からない!」
「じゃあ!この悔しさを!この惨めさを!どうすればいいんだよ!」
ナラティブさんは、鉄扇を捨てた。
そして、捨て身でメルダさんの懐に飛び込んで、胸ぐらを掴んだ。
「生きて、幸せになりなさいよ!!」
ナラティブさんの平手打ちが飛んだ。
「あんたがあの女を殺しても、あの女は最期まであんたを軽蔑して死ぬわよ!『これだから無能は野蛮だ』って思いながらね!そんなの悔しくないの!?」
もう一発。愛のある、痛い音。
「あいつより幸せになって、あいつを見返してやりなさい!心中なんてして、あいつの人生の『悪役』に使われたら意味ないじゃない!」
メルダさんの手から、スパナが落ちた。
カラン……と乾いた音がして、風に消えた。
メルダさんはその場に崩れ落ちて……子供みたいに、泣き出した。
「……認めてほしかった……。ただ、人間として……『ありがとう』って言われたかっただけなのに……」
ナラティブさんは、泣き崩れるメルダさんを抱きしめた。
「分かってる。あたしが分かってるから。あんたは頑張ったわよ!」
飛行船は、住宅街を避けて、湖に不時着した。
事件は終わった。
メルダさんは騎士団に捕まったけど、死人は出なかった。
ナラティブさんは闇に消えて、手柄は全部「エンジントラブルを防いだ騎士団」のものになった。
そして。
僕は家に帰った。
豪邸のリビングで、母さんは優雅に紅茶を飲んでいた。
「おかえり、イリューシャ。聞いたわよ、飛行船の事故に巻き込まれたんですって?まったく、運の悪い子ね。怪我がなくてよかったわ」
母さんは、テロがあったことすら知らなかった。
メルダさんの反乱も、僕の葛藤も、母さんの完璧な世界には届いていなかった。
母さんは何も変わらない。これからも、多くの人を踏みつけにして、冷たく輝き続けるんだろう。
僕は、母さんを見た。
前みたいな恐怖はなかった。あるのは、静かな「さよなら」の気持ちだけだった。
「……母さん」
「なにかしら?」
「僕は、母さんみたいには、ならないよ。」
母さんは、不思議そうに首を傾げた。
「あら、どういう意味? トップを目指さないの?」
「ううん。人の痛みが分からないトップより、痛みに寄り添える人間になるってことだよ」
僕は自分の部屋へと歩き出した。
母さんの冷たい視線を感じながら、僕は胸の奥で、あの黒いドレスの英雄を思った。
社会は残酷だ。母さんみたいな人が勝つようにできているのかもしれない。
だけど。
僕は知っている。
その陰で、誰にも知られず、血を流して誰かを守っている人がいることを。
(ありがとう、ナラティブさん。僕は、僕の戦いを始めるよ)
1月7日。
僕とナラティブさんは、獣病院へ戻ってきた。
ナラティブさんは途中の公衆浴場で身支度を整えて、予備のドレスに着替えて、完璧な化粧をしてドアを開けた。
「……おはようございます、お母様」
リビングには、お粥の煮える優しい匂いが満ちていた。
エラーラさんが本を閉じて振り返る。
「おはよう、ナラ。随分と長い散歩だったね」
「ええ。イリューシャ君と、少し遠出をしてきましたの」
ナラティブさんは席に着いた。
体中は悲鳴を上げているはずだ。鉄扇を持つ手は震えている。
でも、目の前には湯気を立てるお粥があって、エラーラさんの笑顔がある。
ナラティブさんはスプーンを手に取った。
温かさが、冷え切った体に染み渡る。
「美味しい?」
エラーラさんが聞く。
ナラティブさんは顔を上げた。
朝日の中で、その笑顔は宝石よりも輝いて見えた。
「ええ。……世界で一番、美味しいですわ」
僕もお粥を食べた。
温かくて、少ししょっぱかった。
誰も知らない七日間の戦争は終わった。
社会の闇は消えないけれど、ここにある「温かい食卓」だけは、確かに本物だった。
ナラティブさんは、今日もまた、誰にも気づかれないように包帯を巻き直して、不条理な世界の中で、愛する人々のために笑うのだろう。
そして僕も、いつか彼女みたいな大人になるんだ。
強くて、優しくて、カッコいい、影の英雄に。




