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第1話:爆発する新年!

1月1日。

街は、お祭りの熱気で膨れ上がっていた。

空からは紙吹雪が降ってきて、楽団のラッパが鳴って、屋台からはソースの匂いが漂ってくる。

みんな、笑っていた。騎士団の人も、観光客も、犬も猫も。

この世界には「幸せ」しかないみたいだった。

ただ一人、僕を除いて。


「帰りたくないなぁ……」


僕は、大通りのベンチの端っこで、小さく膝を抱えていた。

小学5年生の男の子が正月早々家出なんて、笑われるかもしれない。

でも、あの家には帰りたくなかった。

冷たい大理石の床と、それよりも冷たい母さんが待つ、あの豪邸には。


『イリューシャ。涙で株価は上がらないわ』


『テストで98点?完璧以外は無価値よ』


僕の母さんは、王都でも五本の指に入る魔導工場の社長だ。

母さんの辞書にあるのは「利益」と「効率」だけ。

特に、自分と同じ「働く女性」には容赦がなかった。


『風邪をひいた?自己管理もできないなら辞めなさい』


そう言って、泣いている人を何人もクビにしてきたのを、僕は知っている。


(母さんは怪物だ。……僕も大人になったら、あんなふうになるのかな……)


そんなことを考えていた時だった。

僕の目に、奇妙なものが映った。

灰色の作業着を着た、おばさんたちの集団。

みんな、手提げを両手に提げて、お祭りの人混みの中を歩いている。

おかしい。

あんなに目立つのに、騎士団の人たちも、道行く人たちも、誰もおばさんたちに気づかない。まるで空気が通るみたいに、誰も彼女たちを見ようとしない。


(……変だ。みんな、どうして避けないの?)


僕は目をこすった。でも、やっぱり見える。

その中の一人が、僕が座っているベンチの下に、袋を置こうとしていた。

その横顔を見て、僕は心臓が止まりそうになった。


「……メルダさん?」


僕の家で、時々家政婦もしてくれていた工場のパートさんだ。

いつも優しくて、母さんに隠れて僕にこっそり飴をくれた人。

でも、去年の暮れに、母さんにひどく怒鳴られて、泣きながら出て行ったはずの……。


「メルダさん、何してるの?」


僕が声をかけると、メルダさんは振り返った。

その目は、死んだ魚みたいに暗くて、深くて……怖かった。


「……あら、社長のぼっちゃん」


メルダさんは、能面みたいに笑った。


「邪魔しないでね。私たちは今、お仕事中なの。お母様への『未払い請求書』を届けている最中なのよ」


袋の口が開いた。

中に入っていたのは、野菜でもお菓子でもない。

赤い光を放つ、魔導爆弾だった。


「……!」


僕はとっさにメルダさんの腕を掴んだ。


「離して!……社長の息子が、私に指図するな!」


メルダさんが叫んで、僕を突き飛ばした。すごい力だった。

スイッチが入る音がした。

止められない。爆発する。こんな人混みの中で!


「逃げ――!」


その時。

黒い風が僕の横を通り抜けた。

遥か上空で、何かが弾ける音がした。花火みたいに、綺麗な光が散った。

見上げると、ベンチの前には、黒いドレスを着た背の高いお姉さんが立っていた。

手には、黒鉄でできた扇子を持っていた。


「……子供に乱暴はいけないわね、おば様」


その人は、振り返って笑った。

太陽みたいに明るくて、でもどこか影のある笑顔だった。


「怪我はない、ボク?あたしの名前はナラティブ。通りすがりの『正義の味方』よ」



僕は、ナラティブさんに連れられて、王都の外れにある獣病院の2階へ行った。

そこは「ヴェリタス探偵事務所」という場所だった。

ドアを開けると、そこは別世界みたいに暖かくて、コーヒーのいい匂いがした。


「新年おめでとう。……おや、可愛いお客様だね」


白衣を着た優しそうな女の人が、ソファで本を読みながら笑った。

この人はエラーラさん。世界一の魔導士なんだって。

でも、エラーラさんも、窓の外の向かいのビルで、おばさんたちが大暴れしていることには気づいていないみたいだった。


「ええ、お母様。迷子のイリューシャ君ですわ。少し街を案内してきます」


ナラティブさんは、お嬢様みたいな綺麗な言葉で嘘をついて、僕の手を引いて外に出た。

ドアを閉めた瞬間、ナラティブさんは「ふぅ」と息を吐いて、履いていたハイヒールを脱ぎ捨てた。

裸足になった彼女は、なんだかすごく強そうに見えた。


「さて、話して、ボク。あの『透明なおばさんたち』のこと」


路地裏で、僕は全部話した。

母さんがどれだけ冷たいか。メルダさんがどれだけひどい扱いを受けていたか。

そして、あのおばさんたちが展開しているのが、社会から無視され続けた怨念による『認識阻害結界』だっていうことも。


「……母さんがみんなを追い詰めたんだ。だからこれは、僕の責任なんだ」


僕が泣きそうになると、ナラティブさんはしゃがんで、僕の目を見た。


「……あんたの母親は最悪ね。それは間違いないわ」


「……うん」


「でもね、親の罪を子供が背負う必要はないの。それに、いくら辛くても、無関係な人たちを巻き込んでいい理由にはならない」


ナラティブさんは立ち上がって、鉄扇をパチンと鳴らした。


「行くわよ、ボク。大人の女の喧嘩を止めに行くわよ。あたしたちだけでね」


その日から、僕とナラティブさんの、誰にも言えない秘密の戦争が始まった。


お祭りで賑わう広場、劇場、駅。

メルダさんたちが仕掛けるテロを、ナラティブさんは片っ端から潰して回った。

ナラティブさんは魔法が使えないらしい。


「あたしにあるのは、筋肉と根性と、ちょっとの知恵だけよ」


そう言って笑う彼女の戦い方は、まるでダンスみたいだった。

モップやデッキブラシで襲いかかってくるおばさんたちを、鉄扇で受け流して、


「ごめんなさいね。有給休暇だと思って寝てなさい」


と優しく気絶させていく。


次の日。

巨大なドラゴンのフロートの下に爆弾が仕掛けられた。

ナラティブさんは、迷わず車体の下に潜り込んだ。


「ナラティブさん!」


僕は外で見張りをしていた。

フロートの上からは、楽しげな音楽と、子供たちの笑い声が聞こえてくる。

その真下で、ナラティブさんは油まみれになって戦っていた。

出てきた時の彼女は、ひどい姿だった。

ドレスは破れて、腕からは血が流れていて、顔は泥だらけ。


「痛ッ……!」


彼女は、傷口を押さえて顔をしかめた。


「大丈夫!?」


僕が駆け寄ると、彼女はすぐに「いつもの笑顔」を作った。


「こんなのかすり傷だわ。さあ、顔を洗って戻りましょ」


彼女は、エラーラさんたちの前では絶対に痛い顔を見せなかった。

「ちょっと転びましたの」って笑って。

その背中が、僕にはどんな騎士よりも大きく見えた。


さらに次の日。

戦いは泥沼になっていた。

ナラティブさんの体は傷だらけだった。

僕は耐えきれなくなって、公衆電話から母さんの会社に電話をかけた。


『はい、社長室』


「母さん……! 僕だ、イリューシャだ!」


『あら、家出ごっこは終わったの? 今夜は取引先のパーティがあるから、シャワーを浴びておきなさい』


母さんの声は、いつも通り完璧で、冷たかった。僕が怪我をしてないかとか、そんなことは一つも聞かない。


「違うんだ! メルダさんがテロを起こしてるんだ! 母さんに復讐するために!」


『メルダ? ……ああ、あの根性のないパートのこと?テロだなんて、負け犬の遠吠えね。放っておきなさい、どうせ何も成し遂げられないわ』


「母さんが追い詰めたんじゃないか! 謝ってよ! 止めてよ! ナラティブさんが怪我してるんだよ!」


『イリューシャ。聞きなさい』


母さんの声が、温度を失った。


『弱者が喚くのをいちいち聞いていたら、トップには立てないの。あの人たちはね、努力しなかったからそうなったの。自業自得よ』


電話が切れた。

僕は受話器を握りしめたまま、泣いた。

母さんには、何も届かない。母さんの「成功」という権威の城壁の中には、他人の痛みなんて1ミリだって入らないんだ。

電話ボックスの外で、ナラティブさんが雨に打たれていた。

彼女は何も言わずに、僕の肩を抱いてくれた。

雨の冷たさと、彼女の手の温かさが、僕の胸に刺さった。

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