第1話:最近の若者は駄目だ!
王都の空は、青く澄み渡っていた。
魔導産業によって繁栄を極めたこの街は、表面上は平和そのものだ。だが、その足元には、長年の構造的腐敗によって蓄積されたヘドロが、今にもマンホールから溢れ出そうとしていた。
王都総合病院の特別診察室。
そこは、白衣を纏った一人の「魔女」の独壇場だった。
「へぇ……。フム、フムフム! こいつは興味深いねぇ!」
褐色の肌に銀髪が映える美女、エラーラ・ヴェリタスは、ソファに沈み込む患者の周りを、落ち着きなく歩き回っていた。
彼女は青い瞳をカッと見開き、患者の頭部に装着された魔導センサーの数値を、まるで新しい玩具を与えられた子供のように覗き込んでいる。
「見てくれたまえ、ナラ君! この脳波の乱れ! まるで断末魔の悲鳴じゃないか! ああ、ゾクゾクするねぇ!」
私は、呆れた溜息をつきながら、カルテを整理した。
「お母様……いえ、先生。患者様の前ですわよ。少しは落ち着きなさいな。一流の医師らしく振る舞えないの?」
黒いドレススーツに身を包んだ私、ナラティブ・ヴェリタスは、鉄扇を閉じて彼女を窘める。
私の養母であり、世界最強の魔法使いにしてマッドな研究者であるエラーラは、医学にも精通しているため、こうして時折、困難な症例の診断に駆り出されるのだ。
患者の名はゴウダ、60歳。
この国の高度経済成長期――いわゆる「魔導バブル」の恩恵を一身に浴びて育ち、大手魔導商社の部長職を定年まで勤め上げた男だ。
主訴は、「原因不明の極度の倦怠感、手の震え、そして世界が灰色に見える絶望的な無気力」。
ゴウダは、脂汗の浮かんだ額を拭いながら、力なく言った。
「……先生。私はもう、ダメかもしれません」
その横には、怯えた小動物のように縮こまり、視線を床に落とし続けている妻が座っている。
「私がこれほど弱ってしまったのは、この国の将来を憂いているからなのです。最近の若者は、なっていません。覇気がない。根性がない。すぐに『権利』だの『ハラスメント』だのと騒ぎ立てる。彼らを見ていると、私が身を粉にして築き上げてきたこの国の繁栄が、音を立てて崩れていくのが分かる……。その絶望が、私を鬱にさせたのです」
ゴウダは、さも自分が悲劇の愛国者であるかのように語った。
私は眉をひそめた。彼の言葉の端々から滲み出る、独特の「腐臭」。それは、長年かけて醸成された、【他者を見下す傲慢さ】と、【肥大化した自己愛】が混ざり合った、吐き気を催す匂いだった。
エラーラは、淹れたての珈琲をビーカーのようなカップで啜りながら、ニヤリと笑った。
「憂国? 絶望?ノン、ノン、ノン!違うよゴウダ君。君の認識は根本的に間違っているね!」
エラーラは両手を広げ、大げさな身振りで告げた。
「君の病状は、鬱でもなければ、燃え尽き症候群でもない。もっと原始的で、もっと動物的な……そう!『ハラスメント・ジャンキー』の禁断症状だ!」
ゴウダの顔が紅潮した。
「な、何を馬鹿な!私は人材育成に人生を捧げてきた!厳しくも愛のある指導をしてきた教育者だぞ!」
「じんさいいくせい?……フム」
エラーラは首を傾げ、実験動物を見るような純粋な瞳で問いかけた。
「では聞こうか?君が定義する『教育』とは、具体的にどのような化学反応を相手に起こすプロセスを指すんだい?」
ゴウダは、待ってましたとばかりに胸を張り、カッと目を見開いて答えた。
「『否定』することだ!」
迷いのない即答だった。
「部下というものは、基本的には未熟で愚かな存在だ。だからこそ、まずは彼らの人格を徹底的に『否定』しなければならない!『お前はダメだ』『お前は無能だ』『俺がいなければ生きている価値もないゴミだ』と、骨の髄まで理解させるのだ!そうして心をへし折り、自我を粉砕し、更地にしてやって初めて、上司の命令に従う『忠実な犬』になる!改善点の指摘?褒めて伸ばす?甘い!そんなものは甘やかしだ!全否定による『再構築』こそが、真の教育なのだよ!」
唾を飛ばして熱弁するゴウダ。
私は扇子で口元を隠し、冷ややかに言い放った。
「……あなた、それを本気でおっしゃっているの?三流の調教師でも、もう少しマシな鞭の使い方をしますわよ」
エラーラは、楽しそうにモニターを指差した。
「ほうら!やはりだよ!見たまえナラティブ君! 面白いデータだ!今、彼が『否定』の哲学を語っただけで、脳内の報酬系回路がスパークしている! ドーパミンがドバドバだ!」
エラーラはゴウダに顔を近づけた。
「君にとって、部下を怒鳴りつけ、相手が青ざめ、震え、涙を流す姿を見ることは、仕事ではないね。『自らの優位性を確認し、全能感に浸るための自慰行為』……生理学的に言えば、脳内麻薬の摂取プロセスだったわけだ」
エラーラは残酷な事実を、あたかも新種のバクテリアを発見したかのように嬉々として解説する。
「君は40年間、会社の金で、毎日欠かさず『イジメ』という名の麻薬を打ち続けてきた重度の中毒者だ。朝、挨拶を無視して不安にさせることで微量の快感を得る。昼、会議で部下を全否定してゴミ箱行きにすることで絶頂に達する。夜、飲み会で説教をして精神を安定させる。……それが、君の『勤勉さ』の正体だよ」
定年退職。それはゴウダにとって、休息の始まりではなかった。
『サンドバッグの供給停止』
すなわち、麻薬の強制遮断だったのだ。
「君の手の震えは、殴る相手がいなくなったことによる渇望だ。無気力なのは、他人の生気を吸えなくなったからだねぇ。君は一人ではエネルギー産生すらできない。他人の心を薪にして燃やさなければ、体温さえ維持できない寄生虫なのだよ!」
ゴウダは激昂し、机を叩いた。
「無礼な! 私はこの国の経済を支えてきた世代だぞ!我々が厳しく指導してきたからこそ、この国は成長したんだ!最近の若者が軟弱だから、経済が停滞しているんじゃないか!」
「……全く逆だね」
エラーラは、スッと表情を消した。その青い瞳が、科学者の冷徹さを帯びる。
「この国の経済が、ここ30年もの間、完全に失速し、停滞している理由。それは若者のせいではない。君たち『バブル・団塊ジュニア世代』が、実力者を殺し続けたからだ」
エラーラは、空中に光る数式とグラフを展開した。
「ゴウダ君。君、かつてこんな部下を潰した記憶はないかい?仕事は早く、ミスはなく、難関資格も持っている。だが、君の酒の誘いは断り、君のつまらない武勇伝にも愛想笑いをしない。当時、30代から40代の部下……いわゆる『氷河期世代』だ」
ゴウダの顔が引きつった。心当たりがあるのだ。
「ああ、いたな。可愛げのない男だった。だから私は徹底的に指導してやったよ。完璧な書類に難癖をつけ、みんなの前で罵倒し、彼が徹夜で作った企画書を目の前で破り捨ててやった。そうしたら、あいつ、心を病んで休職したよ!根性が足りんのだ!」
「それが答えだよ」
エラーラは珈琲を一口飲み、静かに告げた。
「君が彼を虐め抜いた理由。それは彼が無能だったからではない。彼が、君より遥かに『有能』だったからだ!」
君たち「バブル・団塊ジュニア世代」は、景気の上昇気流に乗って、自動的にエスカレーターを登ってきた。
対して、氷河期世代は、バブル崩壊後の焼け野原で、狭き門をくぐり抜け、過酷な競争を生き残ってきた、いわば、「虐待サバイバー」だ。
基礎能力、危機管理能力、学習意欲。どれをとっても、ゴウダたちとはスペックの桁が違う。
「君は、本能的に悟っていたのだね。『こいつを正当に評価したら、自分の無能さが露呈する』と。部下が優秀であればあるほど、何もしない高給取りである自分の立場が危うくなる。『偽物』である君は、『本物』である彼らが怖くてたまらなかったのだ」
だから、ゴウダは「虐め」た。
人格を否定し、自信を奪い、精神を摩耗させることで、彼らのパフォーマンスを強制的に低下させた。
「有能な部下を、自分より下のレベルまで引きずり下ろすこと」。それこそが、ゴウダにとっての最大の防衛本能であり、生存戦略だった。
「君がやったのは教育ではない。『優秀な遺伝子に対する、いやがらせ』だ!自分より賢い人間が組織にいると都合が悪いから、精神を壊して『使い潰した』。実に非効率的で、愚かな生存戦略だねぇ!」
「そして、もう一つ。君が『宇宙人』と呼んで忌み嫌う、最近の若者たち……『Z世代』への憎悪だ」
ゴウダは顔を真っ赤にして叫んだ。
「そうだ!あいつらは異常だ!俺が怒鳴っても響かない!『じゃあ辞めます』と平気で言う!会社への忠誠心がない!」
「当たり前じゃない!」
私は声を荒げた。
「あなたたちのような怪物が支配する泥舟に、いったい誰が忠誠を誓うというの?私だって、お母様のためじゃなければ、こんな腐った国、とっくに見限っていますわ!」
エラーラが引き取って解説する。
彼ら若者は、生まれた時から「不況」と「停滞」しか見ていない。彼らは極めて「合理的」だ。
「頑張れば報われる」というゴウダたちの神話を、彼らは最初から信じていない。
だから、理不尽なハラスメントには「耐える」のではなく「見限る」という選択をする。
それが、ゴウダには許せなかった。
彼の承認欲求を満たすための【イジメのシステム】――「上司は絶対」という宗教が、若者には通用しないからだ。
自分の脅しに屈せず、冷めた目で自分を見つめる若者たち。
その視線は、ゴウダにこう告げているようだった。
『あなたの人生には、尊敬に値するものが何もない』と。
「だから君は、彼らを『異常』と呼んで切り捨てた。理解できないのではない。『自分の価値観が否定されるのが怖い』から、彼らの感性を『狂っている』と決めつけることで、自分の精神を守ったに過ぎない」
エラーラは白衣を翻し、総括した。
「結果、どうなったか。君たち『バブル・団塊ジュニア世代』が、保身のために『氷河期世代』を潰し、『Z世代』を排除した。組織に残ったのは、君に尻尾を振るだけの無能なイエスマンと、君のコピーのような小物のハラスメント野郎だけだ。『無能な古株』が、既得権益を守るために『有能な若手』を虐殺し続けた30年。それが、この国の経済が失速し、イノベーションが枯渇し、世界から取り残された最大の原因だ。少子化? 景気循環? 違うねぇ。これは、『バブル・団塊ジュニア世代』による『組織的自殺』だよ」
ゴウダは反論できず、ターゲットを変えた。
隣に座る妻を睨みつけたのだ。
「おい!お前からも言ってやれ! 俺がいかに家族のために尽くしてきたか!俺の稼ぎで飯を食ってきたんだろうが!」
妻は、ビクリと体を震わせた。
私は、ゴウダと妻の間に割って入った。
「やめなさい! 奥様を脅すんじゃないわよ!」
私は妻の手を取り、優しく問いかけた。
「……奥様。娘さんたちは、どうされていますの?」
妻は、震える声で、しかし絞り出すように答えた。
「……長女も、次女も……就職と同時に家を出て、連絡先を変えました。結婚式にも……呼ばれませんでした。住所も……教えてくれません」
「なんだと!?」
ゴウダが叫ぶ。
「あいつらは親不孝者だ!俺があれだけ厳しく『教育』してやったのに!『お前はブスだ』『愛嬌がない』『誰のおかげで学校に行けると思ってる』と厳しく指導してやった恩を忘れやがって!」
私は、こみ上げる怒りで視界が赤く染まるのを感じた。
「……逃げたのですわ」
「はあ?」
「娘さんたちは、親不孝をしたんじゃない。『避難』したのですわよ!あなたという『毒』から!家の中でも、あなたは娘たちを否定し、サンドバッグにして、自分のストレスを解消していたんでしょ?娘さんたちは、あなたの所有物じゃない。一人の人間として、自分の命を守るために逃げ出したの。当然の判断だわ!」
ゴウダはポカンとしていた。
本気で理解できていないのだ。
彼にとって、家族とは「自分を崇め、ケアし、サンドバッグになるための無償の奴隷」でしかなかったからだ。
「……妻よ。お前は俺の味方だよな? 俺たちは一心同体……」
ゴウダが妻に手を伸ばそうとした時、妻は、今まで見せたことのない速さで、私の後ろに隠れた。
そして、小さな、しかし明確な声で言った。
「……先生。この人の『入院』が決まったら……私、離婚届を出します。もう、準備はしてあります」
「な……!?」
ゴウダの世界が、音を立てて崩れ始めた。
部下も、娘も、妻も。
全員が、彼を愛していたのではなく、ただ「恐怖」していただけだった。
恐怖という鎖が切れた今、彼の周りには誰もいない。




