第2話:勝ち逃げする死者!
アパートの一室。
そこには、薄汚れた中年男がいた。
男は、祭壇のようなテーブルに、ヴォルグたちの写真と、血のついた遺品を並べて、薄ら笑いを浮かべていた。
「みーつけた!!」
リオンがドアを蹴破り、飛び込んだ。
「やっぱり教団じゃない! ただのコソ泥崩れじゃないか!よくもヴォルグたちをやってくれたな!僕が成敗してやる!」
男は驚愕して振り返った。その目は、復讐鬼特有の濁った光を宿していた。
「……貴様、よくここがわかったな。警察も、あの賢者エラーラですら、我が偽装に騙されていたというのに」
「当たり前だ! 僕の直感は世界一なんだよ!さあ吐け! なぜ彼らを殺した!ザルサスの復讐か!? 世界征服の邪魔だったからか!?」
リオンは杖を構え、男を尋問した。
男は、ふん、と鼻で笑った。
「ザルサス? 世界征服?……くだらん。そんな大層な理由なわけがないだろう」
男は、祭壇に飾られた一枚の古びた写真を指差した。
それは、1年半前、ザルサス教団を壊滅させた直後の「凱旋パレード」の写真だった。
ヴォルグ、セレス、ラピスの3人が、群衆に手を振り、笑顔で紙吹雪を浴びている。
「こいつらはな……俺の『焼きそば』を台無しにしたんだ」
「……は?」
リオンの手が止まる。
「や、焼きそば……?」
「そうだ! あの日、俺はパレードの屋台で、なけなしの金で『特製焼きそば』を買ったんだ!それを楽しみにしていた! 唯一の楽しみだった!なのに……こいつらが、パレードの山車の上から、景気良く『記念品』のボールを投げやがった!そのボールが……俺の焼きそばに直撃して、地面に落ちたんだよ!」
男は目を血走らせて叫んだ。
「俺の焼きそばは泥まみれになった!なのにこいつらは、俺の方を見て笑っていた! 手を振っていた!『ごめんね』の一言もなかった!英雄気取りで……俺のささやかな幸せを踏みにじりやがったんだ!」
リオンは絶句した。
言葉が出なかった。
あまりの……あまりのくだらなさに、目眩がした。
「そ……そんなことのために……?たかが焼きそば一つで……ヴォルグたちを殺したのか!?彼らは世界を救ったんだぞ!きっとボールが当たったことなんて気づいてなかっただけだ!そんな……そんな、どうでもいい理由で……!!」
「どうでもよくない!! 俺にとっては世界の終わりだったんだよ!!」
男が絶叫する。
「英雄なら何をしてもいいのか?」
「…そ、それは……」
「英雄なら、何をしても、いいのか?……俺の恨みは俺だけのものだ!誰にも否定はさせん!」
リオンの全身が怒りで震えた。
「ふざけるな……ふざけるなよッ!そんな理由で死んだヴォルグたちが……あまりにも不憫すぎるだろうがぁぁぁッ!!」
リオンは杖を振りかざした。
しかし、その激昂こそが、男の狙いだった。
「隙だらけだ。」
男は懐から一本の短剣を取り出した。
それは、闇市で買ったザルサスの遺物、『魔殺しの刃』。
魔力を帯びた結界を無効化し、肉体を腐食させる呪いの武器。
男が突っ込んでくる。
リオンは反射的に防御障壁を展開した。
「無駄だ!僕のバリアはせ……」
嫌な音がした。
男の短剣は、リオンの自慢の障壁を紙のように切り裂き、その小さな腹部に深々と突き刺さった。
「……え?」
リオンの目が点になる。
熱い。痛い。寒い。
腹から、信じられない量の血が溢れ出してくる。
「あ……が……?」
男は短剣をねじ込み、リオンを蹴り飛ばした。
「魔法使いが、接近戦で勝てると思ったか?お前も、俺の恨みの糧になれ」
男は短剣を抜き、窓から逃走した。
リオンは、血の海の中に崩れ落ちた。
「……くそ……ったれ……」
リオンは、床を這った。
傷口を押さえる手が震える。血が止まらない。
魔力が急速に霧散していく。
『魔殺しの刃』の毒が、リオンの体内の魔力回路をズタズタに食い荒らしていた。
(痛い……痛いよ……。死ぬ……僕、死ぬのか……?)
1年前、エラーラを蘇生させた時。
リオンは代償として、自身の「魂の予備領域」と「自己再生能力」を全てエラーラに移植してしまった。
だから、今のリオンには「蘇生」が効かない。
回復魔法も受け付けない。
一度きりの命。それを、彼はここで使い果たしてしまったのだ。
「……電話……エラーラに……」
血まみれの手で、ポケットの端末を取り出す。
『エラーラ』の文字。
通話ボタンを押す。
『……ツーツー……ツーツー……』
繋がらない。
エラーラは今、地下水道の最深部――圏外エリアにいる。
存在しない敵を追いかけて。
僕が正しかったのに。僕の話を聞いてくれなかったのに。
「……あはは。……バカだなぁ、エラーラ……。そっちには……何もいないのに……」
リオンの視界が霞んでいく。
後悔が押し寄せる。
なんで一人で来たんだろう。
なんで喧嘩したまま別れちゃったんだろう。
もっと素直に、「一緒に来て」って言えばよかった。
「僕が正しい」なんて証明、命より大事なことじゃなかったのに。
犯人の動機があまりにも下らなくて、ヴォルグたちの死があまりにも理不尽で、涙が出てくる。
でも、それを伝える相手も、もういない。
「……会いたいなぁ……。最後に……もう一回……喧嘩したかったなぁ……」
リオンは、薄れゆく意識の中で、最後の力を振り絞った。
・・・・・・・・・・
数時間後。
地下水道の捜索を終えたエラーラとナラは、徒労感と共に地上に戻ってきた。
「……何もなかった。罠ですらなかった。ただの廃墟だ」
エラーラが珍しく苛立ちを見せる。
「私の論理が間違っていたというのか? 魔力痕跡は完璧だったのに」
その時、カレル警部から通信が入った。
『……エラーラ。落ち着いて聞いてくれ。スラム街のアパートで、通報があった。現場から……リオンの生体反応が消失した』
「何だと?」
エラーラの心臓が早鐘を打つ。
消失。それは死を意味する言葉だ。
嫌な予感がする。1年前の、あの日のような予感が。
「ナラ! 急ぐぞ!」
二人は全速力で現場へ向かった。
アパートは、静まり返っていた。
警察の規制線を強引に突破し、エラーラは部屋に飛び込んだ。
「リオン!!」
そこには、地獄があった。
部屋中が血まみれで、祭壇のようなテーブルにはヴォルグたちの写真。
そしてその中心に、小さな体が仰向けに倒れていた。
髪は血で赤く染まり、その瞳は虚空を見つめたまま動かない。
腹部には、致命的な刺し傷。
既に、冷たくなっていた。
「……嘘だ」
エラーラは膝から崩れ落ちた。
震える手で、リオンの頬に触れる。冷たい。あまりにも冷たい。
「リオン……? 起きろ。冗談はやめろ。おい、勝手に死ぬな。お前は私を生き返らせたんだぞ。自分が死んでどうする……!」
エラーラは必死に蘇生魔法をかけようとする。
しかし、反応がない。
リオンの魂の器は、1年前にエラーラを救うために壊れてしまっていたからだ。
その事実は、エラーラ自身が一番よく知っていた。
「なんで……なんで蘇生できないんだ!私の計算では……くそっ! くそっ!!」
ナラが、悲痛な面持ちでエラーラの肩を抱く。
「お母様……もう……」
エラーラの視線が、リオンの指先に落ちた。
彼は、最後の力で、床に文字を遺していた。
犯人の特徴でも、逃走経路でもない。
彼らしい、あまりにも彼らしい、子供じみた勝利宣言。
『 僕 の 勝 ち ! 』
その横に、リオンの魔力でマーキングされた地図と、犯人のくだらない動機を記したメモが残されていた。
『犯人は焼きそばを恨んだ男。ザルサス関係なし。僕の直感が正解!』
「……はは」
エラーラから、乾いた笑いが漏れた。
「……そうか。お前の勝ちか。お前の直感が正しかった。私の論理は間違っていた。ザルサスなんて関係なかった。お前の言った通りだ……」
エラーラは、リオンの冷たい手を握りしめ、額を押し付けた。
1年前の記憶が蘇る。
あの時は、リオンが泣いていた。エラーラの亡骸にすがりついて。
今度は、エラーラが泣いている。
「……勝って……死ぬ馬鹿がどこにいる……。これじゃあ……私が負けたままで……再戦もできないじゃないか……」
いつも冷静なエラーラの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
1年前、リオンが流した涙と同じ温度の涙が、リオンの頬を濡らす。
「ごめん……リオン……。話を聞かなくて……ごめん……」
天才科学者の慟哭が、雨音の消えた部屋に響き渡った。
犯人の男は、その日のうちに逮捕された。
リオンが命がけで残した魔力マーキングが、逃走した男の居場所を完璧に示していたからだ。
男は「俺の焼きそばが……」とうわ言のように繰り返していたが、その姿は哀れなほどに小さかった。
そんな男に、ヴォルグも、セレスも、ラピスも、そしてリオンも殺されたのだ。
現実は、映画のように劇的ではない。残酷なまでに、くだらなく、あっけない。
数日後。
雨上がりの丘に、4つの新しい墓標が並んだ。
ヴォルグ、セレス、ラピス。そして、リオン。
エラーラは、リオンの墓の前に立っていた。
彼女の手には、リオンが生前「完成したら見せてやる」と言っていた、新型魔導エンジンの設計図が握られていた。
それは、直感だけで描かれた、エラーラがいなければ完成しない、未完の地図だった。
「……リオン。お前は私の半分だった。論理と直感。静寂と喧騒。氷と炎。二つで一つだったんだ」
エラーラは設計図を墓前に置いた。
「この続きは、私が書く。お前の直感が描いた夢を、私の論理で形にする。……それが、私の贖罪だ」
ナラが傘を閉じる。雨は上がっていた。
「行きましょう、お母様。彼はもう、どこへも行かない。ここでずっと、あんたのことを見てるわ」
「ああ」
エラーラは涙を拭い、顔を上げた。
その瞳には、かつての冷徹さの中に、リオンから受け継いだ「熱」が宿っていた。
「……見ていろよ、リオン。私はもう二度と、間違えない」
天才科学者は歩き出す。
その背中には、目に見えない小さな「相棒」の魂が、しっかりと寄り添っているようだった。




