第2話:未来の残穢と、過去の現在!
王都に、雨の季節が訪れていた。
獣医院の二階。
いつもなら爆発音と怒号が響くこの部屋も、今日ばかりは湿っぽい空気に包まれていた。
「……ふぅ。湿気で髪がまとまりませんわ」
窓辺で溜息をついたのは、漆黒のドレスに身を包んだナラティブ・ヴェリタスだ。
彼女は手鏡を見ながら、丁寧に髪を梳かしている。その仕草は洗練された令嬢のそれだが、鏡を見る目はどこか鋭く、窓の外の雨を睨みつけていた。
「気圧の低下は自律神経に影響を及ぼすからねぇ。ナラ君、カルシウムが足りていないんじゃないか?」
奥のデスクで、何やら複雑な回路図を広げているのは、白衣の美女エラーラ・ヴェリタスだ。
彼女はマグカップを片手に、ニヤリと笑った。
「うるさいですわね、お母様。……あんたこそ、また徹夜して。目の下にクマができてますわよ。一流の科学者は健康管理も完璧であるべきです」
「善処しよう。……だが、この『自動肩こり解消マシン』の設計が佳境でね」
「それ、前に爆発してケンジさんの腰を破壊したやつじゃない……」
ナラが呆れ顔でツッコミを入れようとした時、階下から控えめな、しかし切羽詰まったノックの音が聞こえた。
「あ、あの……。すみません……。エラーラさん……いますか……?」
蚊の鳴くような声。
ナラが眉をひそめてドアを開けると、そこにはずぶ濡れになった少女が立っていた。
情報屋のルルだ。彼女は極度の対人恐怖症で、いつも何かに怯えている。
「あら、ルルじゃない。どうしたの、そんなに濡れて。……入りなさい、タオルを貸してあげるから」
「あ、あう……。すみません、汚しちゃって……。あの、でも、急ぎで……」
ルルはガタガタと震えながら、一枚の羊皮紙――いや、盗撮された写真のような魔導写し絵を差し出した。
「これ……。地下水路の奥で、見ちゃったんです……。怖くて、誰にも言えなくて……」
エラーラが素早く写し絵を受け取る。
そこには、暗い水路の奥に佇む、異様なシルエットが映っていた。
生物ではない。金属の装甲と、無数のチューブ、そして赤く光る単眼を持つ、機械の怪物。
「……なんだい、これは?」
ナラは、その写真を見た瞬間、顔から血の気が引いた。
持っていたタオルが、床に落ちる。
「……嘘」
ナラの唇が震えた。
彼女の脳裏に、封印したはずの記憶がフラッシュバックする。
焦げ臭い風。崩れたビル。逃げ惑う人々。そして、無機質な駆動音と共に迫りくる、殺戮の機械たち。
「なんで……こいつが、この時代に……」
「ナラ君?」
エラーラが怪訝そうに声をかける。
ナラはハッとして、強引に笑顔を作った。
だが、その瞳の奥には、隠しきれない恐怖と焦燥が渦巻いていた。
「……な、なんでもありませんわ! ただの不法投棄されたガラクタでしょう! 不潔ですわね!」
「そうか? この流線型のフォルム、明らかにオーバーテクノロジーを感じるが……」
「とにかく! これはあたしが見てきます! お母様はここにいて!」
ナラは、ルルから場所を聞き出すと、傘も差さずに部屋を飛び出した。
「おっと、待ちたまえナラ君! 単独行動は……」
エラーラの制止も聞かず、ナラは雨の中へと消えていった。
残されたエラーラは、落ちたタオルを拾い上げ、写真を見つめた。
「……彼女があんなに動揺するなんて。……ただ事じゃないねぇ」
エラーラの瞳が、科学者の冷静さと、母親の厳しさを帯びて光った。
王都の地下水路。
そこは、地上の華やかさとは無縁の、汚濁と闇の世界だ。
雨の影響で増水した濁流が、轟音を立てて流れている。
ナラは、ドレスの裾を汚すことも厭わず、ぬかるんだ通路を進んでいた。
彼女の手には、いつもの護身用ナイフではなく、エラーラの研究室から無断で持ち出した「魔導炸裂弾」が握られている。
(間違いない。あれは……)
ナラは唇を噛み締めた。
それは、彼女がいた未来で、反乱分子を狩るために作られた自律兵器だ。
感情を持たず、慈悲もなく、ただターゲットをミンチにするためだけに動く、死神の機械。
(どうして過去の世界に?)
もしそうなら、これは私の責任だ。
あんなものを、この平和な時代に解き放つわけにはいかない。
ましてや、エラーラに見せるわけにはいかない。
未来の「母」は、あの機械を止めるために命を削っていた。
きっと、自分を責める。科学を呪うかもしれない。
(守らなきゃ……お母様の心も、この街の平和も)
ナラは決意を固め、水路の奥へと進んだ。
やがて、広い空洞に出た。
そこには、写真通りの怪物がいた。
高さ3メートルほどの、蜘蛛と人間を融合させたような金属の巨体。
全身から蒸気を噴き出し、赤い単眼で周囲をスキャンしている。
『ピピッ……。生体反応、確認。……対象、識別……』
無機質な合成音声。
ナラは、物陰から飛び出した。
「ごきげんよう、鉄屑さん!」
ナラは優雅に、しかし殺意を込めて挨拶し、魔導炸裂弾を投げつけた。
「未来へお帰りなさいッ!!」
爆炎が上がる。
狭い地下空間が揺れ、天井からパラパラと粉塵が落ちてくる。
煙が晴れる。
そこには、無傷のドロイドが立っていた。
爆発の瞬間、青白い障壁を展開したのだ。
「……嘘でしょ? バリア機能まで搭載してるの!?」
ドロイドの腕が変形し、高速回転するガトリング砲が現れた。
「ッ!?」
ナラは反射的に横へ飛んだ。
彼女がいた場所が、一瞬で蜂の巣になる。コンクリートが粉砕され、破片がナラの頬を掠める。
「くっ……! 一流のレディに向かって、なんて野蛮な挨拶!」
ナラは柱の陰に隠れ、荒い息を吐いた。
手が震えている。
怖い。
あの未来の記憶が蘇る。逃げ惑う日々。殺されていった仲間たち。
今のナラは、エラーラに鍛えられて強くなった。
だが、相手は「戦争」のために作られた殺戮兵器だ。生身の人間が勝てる相手ではない。
『対象、捜索中……』
重い足音が近づいてくる。
逃げ場はない。武器も、もうない。
(ここまで、なの……?)
ナラは目を閉じた。
最後に浮かんだのは、今朝、寝癖頭でコーヒーを飲んでいたエラーラの顔だった。
(ごめんね、お母様。……あんたの淹れたコーヒー、もっと飲みたかったわ)
ドロイドが、ナラの隠れている柱の前に立った。
ガトリング砲が回転を始める。
『発見。……サヨウナラ』
死の銃口が火を噴こうとした、その刹那。
「――私の娘に『サヨウナラ』とは、随分と気安いじゃないか」
凛とした声が、地下道に響き渡った。
ドロイドの頭上に、幾何学模様の魔法陣が出現した。
そこから、極太の雷撃が降り注ぐ。
ドロイドが痙攣し、膝をつく。
ナラが驚いて顔を上げると、水路の入り口に、白衣を翻した女性が立っていた。
手には、即席で作ったような魔導ライフルを構えている。
「お母様……!?」
エラーラ・ヴェリタスは、鋭い眼光を放ち、ニヤリと笑った。
「水臭いねぇ、ナラ君。……娘のピンチに駆けつけない親が、どこの世界にいるんだい?」
彼女の背後には、恐怖で顔面蒼白のカレル警部と、腰を抜かしているルルの姿もあった。
「か、怪物だ! なんだあれは!?」
カレルが叫ぶ。
「説明は後だ! ……ナラ、立つんだ!」
エラーラが叫ぶ。
「あんな鉄屑に、君の『物語』を終わらせてたまるものか! ……さあ、反撃の時間だよ!」
ナラは、涙を拭い、立ち上がった。
震えは止まっていた。
最強の味方が、ここに来たのだから。
「……ええ。分からせてあげるわ」
地下水路に、雷光と銃声が交錯する。
「右だナラ君! 角度30度から触手が来る!」
「了解ですわ!」
エラーラの指示に従い、ナラは舞うように跳躍した。
未来兵器『パージ・ドロイド』から伸びた鋼鉄の触手が、彼女の残像を貫く。
「お返しよ!」
ナラは空中で身をひねり、瓦礫の一部をドロイドのセンサーめがけて蹴り飛ばした。
硬質な音が響くが、強化ガラス製のレンズにはヒビひとつ入らない。
『対象ノ運動エネルギー、解析完了。……予測可能デス』
ドロイドが無機質に告げ、背部からミサイルポッドを展開した。
「ちっ! まだ隠し武器を持ってるの!?」
ナラが着地し、舌打ちをする。
「まずいねぇ。あの狭い空間で爆発されたら、私たちごと生き埋めだ」
後方で魔導ライフルを構えるエラーラも、額に汗を滲ませる。
『消滅シテクダサイ』
ミサイルが発射された。
数条の白煙が、ナラたちに迫る。
「カレル警部! 防御を!」
エラーラが叫ぶ。
「わ、分かってる!」
カレル警部は、警察支給の防護シールドを最大出力で展開した。
「うおおおおッ! 公務員の底力を見ろォォォッ!」
爆炎と衝撃波がシールドを襲う。
カレルと、後ろに隠れていたルルが吹き飛ばされ、泥水の中に転がる。
シールドは粉砕されたが、直撃は免れた。
「ゲホッ……! 死ぬかと思った……」
ルルが涙目で震えている。
「……ふん。旧式にしてはやるじゃない」
ナラは煤だらけになりながらも、ドレスの乱れを直した。
だが、ドロイドは止まらない。
弾切れなどないと言わんばかりに、ガトリング砲を再装填し、さらに接近してくる。
その圧倒的な「暴力」と「効率」の塊。
それはまさに、ナラが憎み、恐れていた未来そのものだった。
「……やっぱり、無理よ」
ナラが弱音を吐く。
「あいつは、戦争のために作られた殺戮マシーンよ。……あたしたちの時代の技術じゃ、傷一つつかない」
「弱気だねぇ、ナラ君」
エラーラが、ナラの隣に並んだ。
彼女は、懐から小さな試験管を取り出し、チャプチャプと振った。
「技術レベルが違う? ……だからどうした」
エラーラは不敵に笑った。
「科学とは、未知を解明し、克服するための力だ。……相手が未来の兵器だろうが、そこに『理屈』がある限り、攻略法はある!」
「お母様……」
「ナラ。君は気づいているはずだ。あいつの動き、特定のパターンがあることを」
「え?」
ナラは、ドロイドを凝視した。
攻撃の直前、関節部から排気ガスが出る。
重火器を使う瞬間、足元のアンカーが固定される。
そして何より――。
「……熱よ」
ナラが呟く。
「攻撃のたびに、胸のコアが赤熱してる。……冷却が追いついてない?」
「正解だ!」
エラーラが指を鳴らす。
「あいつはこの時代の『マナ濃度』に適応していない! 高出力の攻撃を行うたびに、内部機関がオーバーヒートを起こしているのだよ!」
「ってことは……」
「強制冷却してやればいい。……急激な温度変化による、装甲の脆性破壊だ!」
エラーラは、試験管を魔導ライフルに装填した。
中身は、絶対零度を封じ込めた液体窒素の魔導濃縮液。
「だが、チャンスは一瞬だ。コアが露出する攻撃の瞬間、私がこれを撃ち込む。……その直後、君がトドメを刺せ」
「……やってやるわ」
ナラは、足元の鉄骨を引き抜いた。
重さ50キロはある鉄の塊を、彼女は軽々と担ぎ上げた。
「一流のレディは、打席に立てばホームランしか狙わないものよ」
作戦開始。
ナラが囮となって飛び出す。
「こっちよ、ポンコツ! あたしをミンチにしたいんでしょ!?」
『ターゲット、補足。……最大火力デ粉砕シマス』
ドロイドが反応した。
胸部装甲が展開し、内蔵された巨大なビーム砲が光を放つ。
コアが剥き出しになり、真っ赤に輝く。
「今だッ!!」
エラーラが引き金を引いた。
放たれた氷の弾丸が、ビーム発射直前のコアに吸い込まれる。
凄まじい蒸気と共に、ドロイドの胸部が一瞬で凍りついた。
赤熱していた金属が、急激な冷却によって悲鳴を上げる。
装甲に亀裂が入る。
『警告。警告。内部温度、臨界点突破。システム凍結……』
「ごめんあそばせぇぇぇぇッ!!」
ナラが、頭上から鉄骨を振り下ろした。
全身全霊、魂の一撃。
「あたしの家族に……手を出すなぁぁぁッ!!」
鉄骨が、脆くなったドロイドの胸部を粉砕した。
コアが砕け散り、火花が散る。
ドロイドは、断末魔のような機械音を上げ、膝をつき、そして前のめりに倒れた。
巨大な鉄屑となった怪物が、沈黙する。
勝った。
過去の知恵と、未来の意志が、絶望のテクノロジーを打ち砕いたのだ。
「はぁ……はぁ……」
ナラは鉄骨を落とし、その場にへたり込んだ。
全身が泥だらけで、ドレスはボロボロだ。
でも、心は晴れやかだった。
「……ナイススイングだ、ナラ君」
エラーラが歩み寄り、手を差し伸べた。
「ありがとう、お母様。……あんたのサポートのおかげよ」
ナラはその手を取り、立ち上がった。
二人は、破壊されたドロイドを見下ろした。
「……これ、どうするの?」
ナラが問う。
「回収して、徹底的に解析・封印するよ」
エラーラは真剣な顔で言った。
「こんな危険な技術、この時代には早すぎる。……だが、この残骸から『未来の悲劇を防ぐためのヒント』が得られるかもしれない」
「そうね。……頼んだわよ、マッドサイエンティスト」
ナラは微笑んだ。
このドロイドは、悲しい未来の遺物だ。
だが、今ここで破壊されたことで、それは「未来を変えるための種」になったのだ。
「あの……」
物陰から、ルルが出てきた。カレル警部も一緒だ。
「す、すごかったです……! お二人とも、まるでヒーローみたいで……」
ルルが目を輝かせている。
「ああ。……報告書を書くのが大変だが、街が守られたのは事実だ」
カレル警部が苦笑しながら帽子を直した。
「礼を言うよ。……エラーラ君、そしてナラティブ君」
ナラは、カレルに名前を呼ばれ、少し照れくさそうに顔を背けた。
「……別に。あたしは、自分の庭を掃除しただけですわ」
雨上がりの地上。
マンホールから出ると、空には虹がかかっていた。
「ふぅ! 空気が美味いねぇ!」
エラーラが伸びをする。
「そうね。……お腹空いたわ」
ナラもお腹をさする。
「よし、帰ろう! ケンジ君に特大のシチューを作ってもらおうじゃないか!」
「賛成ですわ。……あ、でもその前に」
ナラは立ち止まり、エラーラの背中を見つめた。
そして、そっと後ろから抱きついた。
「……ごめんなさい」
「ん? 何がだい?」
「……あんたを巻き込みたくなかったの。あたしの『過去』のせいで、あんたが傷つくのが怖かった」
ナラの声が震えている。
強がっていても、彼女はずっと怖かったのだ。
自分のせいで、この大切な日常が壊れてしまうことが。
エラーラは、振り返らずに、ナラの手を自分の胸の上で握りしめた。
「……ナラ。私は科学者だ」
エラーラは優しく言った。
「未知の現象、予測不能なトラブル、そして厄介な娘。……それら全てを含めて、私の研究対象なのだよ」
彼女は、ナラの方を向き、額と額を合わせた。
「君の過去も、未来も、全部ひっくるめて私が引き受ける。……だから、君はただ、私の娘として笑っていればいい」
「……うぅ……」
ナラは、堪えきれずに涙をこぼした。
そして、エラーラの胸に顔を埋めた。
「……バカ。……お母さんのバカ……」
「はいはい。愛しているよ」
二人は、虹の下で寄り添った。
その姿は、どこにでもいる親子のようで、そして世界で一番強い絆で結ばれた戦友のようだった。
「さあ、帰ろうナラ君! シチューが冷める!」
「ちょっと、走らないでよ! 筋肉痛なんだから!」
泥だらけのドレスと、煤けた白衣。
二人の笑い声が、雨上がりの街に溶けていった。
未来からの銃声は止んだ。
ここにあるのは、温かな「現在」だけだ。




