第10話:急行の悪と、鈍行の正義!
王都の昼下がり。
平和な大通りに、突如として怒号と銃声が響き渡った。
「動くな!銀行強盗だ!」
覆面をした三人組の強盗団が、現金を詰めた袋を抱えて銀行から飛び出してくる。
運悪く、その目の前を通りかかったのが、買い物帰りのナラティブ・ヴェリタスだった。
「……あら。不愉快なノイズですこと」
ナラは眉をひそめた。特売の卵を買ったばかりなのだ。割れたらどうしてくれる。
彼女が鉄扇を取り出そうとした、その時。
「おい!そこの女!人質だ!」
リーダー格の男――ボウソウが、ナラに銃を突きつけ、その腕を掴んだ。
「へ?」
「車だ!車を奪え!」
ボウソウはナラを引きずり、路肩に停車していた一台の魔導車に目をつけた。
屋根に『仮免許・練習中』の看板がついた、教習所の車だ。
「乗れ! お前らもだ!」
強盗団は、運転席にいた教習生を「降りろ!」と蹴り飛ばし、代わりにボウソウが運転席に座った。
手下二人は後部座席へ。
そしてナラは、助手席の男――教官の膝の上に放り投げられそうになり、「ふざけんな!」と自ら後部座席の真ん中に割り込んだ。
「だ、出しやがれ! 警察が来るぞ!」
車内は定員いっぱいのすし詰め状態。
運転席のボウソウが、震える手でハンドルを握る。
助手席には、制服を着た教官が座っていた。
眼鏡をかけた、神経質そうな男。名はガッカ。
ガッカは、銃を突きつけられても、眉一つ動かさなかった。
ただ、冷徹な目で運転席のボウソウを見つめた。
「……発進しないのか?」
「うるせぇ! 今エンジンを……かからねぇぞ! どうなってんだこのボロ車!」
ボウソウがキーを回すが、魔導エンジンは沈黙したままだ。
「故障か!? クソッ!」
「いいえ」
ガッカが、クリップボードの採点簿を開きながら言った。
「シートベルトです」
「は?」
「全席シートベルト着用義務違反。……当教習車は、搭乗者全員がベルトをロックしない限り、魔力供給が遮断される仕様です」
車内に、気まずい沈黙が流れた。
「……はあああああ?」
ナラが素っ頓狂な声を上げた。
「あ、あんたねぇ! 今は強盗が逃走しようとしてるのよ!? ベルトなんてしてる場合……」
「法律に『強盗時は除く』という例外規定はありません」
ガッカは真顔だった。
「安全運転の第一歩は、身を守ることから。……さあ、締めてください。警察が来てしまいますよ?」
「お、お前が言うなァッ!」
ボウソウが叫ぶ。
だが、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。
背に腹は代えられない。
「くっそぉぉ! お前ら、ベルト締めろ!」
「へ、へい!」
強盗たちは慌ててシートベルトをカチャカチャと装着した。
ナラも、不本意ながらベルトを締める。
「……なんであたしまで」
全員のベルトが装着された瞬間、エンジンが唸りを上げた。
「よし! 行くぞッ!」
ボウソウがアクセルを床まで踏み込んだ。
車が急発進――
「ぶべッ!?」
車は数メートル進んで、急停車した。
全員の体が前のめりになり、シートベルトが食い込む。
「な、なんだ!? エンストか!?」
「いいえ。……補助ブレーキです」
助手席のガッカが、足元の教官用ブレーキを踏み込んでいた。
「て、テメェ……!」
ボウソウが銃を向ける。
「校内……および市街地での急発進は危険行為です。減点10」
ガッカは、赤ペンで採点簿に書き込みをした。
「ふんわりアクセルを心がけてください。『認知・判断・操作』の基本がなっていない」
「強盗に安全運転求めてんじゃねぇよッ!」
ナラが、後ろからガッカの座席を蹴り上げた。
「あんたバカなの!? 殺されるわよ!? さっさと行かせなさいよ!」
「命が惜しいからこそ、安全運転なのです。……事故を起こせば、死ぬのは我々ですから」
「こいつ……!」
ボウソウは血走った目で叫んだ。
「分かったよ! ふんわり踏めばいいんだろ!」
車は、教習車らしくノロノロと発進した。
時速30キロ。
「遅ぇよ! もっと出せ!」
「無理だ! こいつがブレーキに足乗せてやがる!」
「ここはスクールゾーンです。時速30キロ制限」
「警察が来てるんだよォォォッ!」
パトカーが後ろに迫る。
カレル警部の拡声器の声が聞こえる。
『前の車! 止まりなさい!』
「振り切れ! あそこの交差点を右だ!」
交差点の信号は赤。
ボウソウはアクセルを踏み込む。
「行けェェェッ!」
またしても急ブレーキ。
車は停止線の手前でピタリと止まった。
「ぐぇッ!」
「痛ってぇ!」
「赤信号です」
ガッカが前を指差す。
「信号無視だろ常識的に考えてッ!!!」
ナラが絶叫した。
「あたしたちは今、犯罪者集団の人質ですのよ!? 信号守って捕まったらどうすんのよ!」
「法を守れない人間に、自由はありません」
「哲学語ってんじゃないわよ!」
ボウソウが泣きそうになりながら叫ぶ。
「頼むよ! お願いだから行かせてくれよ! 青になるまで待ってたら捕まっちまう!」
「ダメです。……歩行者がいます」
横断歩道を、お婆ちゃんがゆっくりと渡っている。
強盗車は、その前で大人しく停車していた。
「……シュールすぎるわ」
ナラは頭を抱えた。
信号が青になる。
「よし! 今だ!」
ボウソウが右折しようとする。
「な、なんだよ今度は!」
「ウインカーが出ていません。合図不履行。減点5」
「殺すぞッ!」
「曲がる30メートル手前で合図を出しなさい。後続車へのマナーです」
「パトカーにマナー守ってどうすんのよ!」
ナラがツッコむ。
車内はカオスだった。
強盗たちは「早く行け」「ブレーキ踏むな」と叫び、ガッカは「左に寄りすぎです」「確認不足」と減点を重ねる。
ナラも巻き込まれ、「そこは一時停止よ!」「いや止まってる場合じゃないでしょ!」と情緒不安定なツッコミを入れ続ける。
「もう嫌だ……! 俺、帰りたい……!」
手下の一人が泣き出した。
「泣くな! 俺たちはプロだ!」
ボウソウが励ます。
「見ろ! 高速道路の入り口だ! あそこに乗ればこっちのもんだ!」
「高速……! 助かった!」
車はゲートに向かう。
バーが上がっている。突っ切れば逃げられる。
だが。
ガッカの手が、ダッシュボードに伸びた。
「カードが入っていませんね」
「突破するんだよォォォ!」
「料金所強行突破は、道路整備特別措置法違反です」
ガッカは、ハンドブレーキを引いた。
後輪がロックされ、車はスピンした。
「うわあああああ!」
車は回転しながら、料金所のブースの真横に、完璧な「幅寄せ停車」を決めて止まった。
「……停車措置、良好。減点なし」
「死ぬかと思ったわッ!」
ナラが叫ぶ。
車は完全に包囲された。
カレル警部と警官隊が銃を構えている。
「降りろ! 袋のねずみだ!」
「く、くそっ……! 終わりだ……!」
ボウソウがハンドルに突っ伏す。
「……おい、教官」
ボウソウが、恨めしげにガッカを見た。
「あんたのせいで……全部台無しだ」
「私のせいではありません。あなたの運転技術と遵法精神の欠如が原因です」
ガッカは、採点簿を破り取り、ボウソウに渡した。
「本日の教習、終了。……検定結果は」
採点簿には、真っ赤な文字で『-100点』と書かれていた。
「不合格です。……補習を受けてきなさい」
「ふざけんなァァァッ!!」
ボウソウが逆上し、隠し持っていた手榴弾のピンを抜こうとした。
「道連れだ!全員死ね!」
「やめなさい!」
ナラが止めようとする。
その時。
車のカーナビから、聞き覚えのある声が響いた。
『あー。……聞こえるかね、ナラ君?』
「お母様!?」
『その車の反応を追っていたよ。……実はその車、私の開発した「教習用・魔導自律車両」でね』
エラーラの声だ。
『「不合格」の判定が出ると、生徒の悔しさを晴らすために……「教育的爆発」を起こす機能がついているんだ』
「……は?」
「教育的……爆発?」
ボウソウが動きを止める。
ガッカが、静かにシートベルトを外した。
そして、ドアを開けた。
「……逃げましょう」
「え?」
「爆発します」
ガッカは、ナラの手を引いて車外へ飛び出した。
「ちょ、ちょっと待っ……!」
次の瞬間。
車が膨れ上がり、爆発した。
屋根が吹き飛び、タイヤが転がり、強盗たちが空高く打ち上げられる。
強盗たちは黒焦げになりながら、星になった。
爆風の中、ナラとガッカは、煤だらけになりながら地面に座り込んでいた。
「……ゲホッ、ゲホッ……」
ナラは、アフロになった髪を触り、震える声で言った。
「……説明、してくれるわよね? お母様?」
『ハハハ! 大成功だ! 不合格者の再犯率をゼロにする、画期的なシステムだろう?』
通信機からエラーラの能天気な声が聞こえる。
「……殺す」
ナラは通信機を握りつぶした。
そこへ、カレル警部が駆け寄ってきた。
「ナラ君! 大丈夫か! ……犯人は確保した! お手柄だぞ!」
「……お手柄?」
ナラは、隣で平然と眼鏡を拭いているガッカを見た。
「……あんた、何者?」
ガッカは、眼鏡をかけ直し、一礼した。
「私はガッカ。……王都教習所の指導員です」
彼は、燃え上がる車を見つめ、少し寂しげに言った。
「残念です。……今日も、合格者を出せませんでした」
「当たり前でしょ! あんな車に乗せてたら、全員死にますわよ!」
ナラは立ち上がり、ドレスの埃を払った。
もう、ツッコミ疲れた。
「……二度と、あんたの車には乗りませんわ」
「おやおや。……貴女のシートベルト着用速度は素晴らしかったですよ? 素質があります」
「いらないわよそんな素質!」
ナラは、カレル警部に「あとは任せましたわ」と言い捨て、家路についた。
夕陽が沈んでいく。
今日の夕飯は、きっと焦げた匂いのする料理だろう。
「……歩いて帰ろう」
ナラは心に誓った。
一流のレディは、自分の足で歩くものだ。
特に、助手席にルールブックの悪魔が座っている時は。




