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ナラティブ・ヴェリタス  作者: 王牌リウ
ナラティブ・ヴェリタス短編集2 正論の悪夢篇
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第9話:規律の番人と、焼却の館!

「痛っ! ……な、何をするんですの!?」


ナラティブ・ヴェリタスが悲鳴を上げる。

彼女が紅茶を飲もうとカップを持ち上げた瞬間、背後から伸びた機械アームが、ピシャリと彼女の手の甲を叩いたのだ。


「おや、角度が甘いよナラ君。肘の角度は35度、小指の反らし方は黄金螺旋を描くべきだ」


白衣のマッドサイエンティスト、エラーラ・ヴェリタスが、奇妙な装置のダイヤルを調整しながら得意げに言った。


「これは新発明『礼儀作法矯正ギプス』だ! これさえあれば、どんな下品な人間でも強制的に王族レベルの所作が身につく!」


「余計なお世話ですわ!」


ナラは怒りでドレスの裾を翻すと、矯正ギプスを裏拳で粉砕した。


「ああっ!センサーが!」


「ふん。……機械に指図されるマナーなんて、猿芝居ですわ」


ナラが優雅に鉄扇を広げた時、階下のドアベルが鳴った。

カレル警部だ。しかし今回は、いつになく顔色が悪い。


「……エラーラ君、ナラ君。すまないが、至急来てくれ。……『気色の悪い』死体が出たんだ」


現場は、王都の高級別荘地にある、広大な屋敷の離れだった。

焼け焦げた臭いが鼻をつく。

昨夜、この離れが全焼し、持ち主である大富豪、キカク男爵が焼死体となって発見されたのだ。


「……これが、被害者ですか?」


ナラは、焼けた部屋の中を覗き込み、眉をひそめた。

遺体は、部屋の隅で発見されていた。

だが、その死に様が異様だった。

苦しみもがいた様子がない。彼は、燃え盛る炎の中で、背筋を伸ばし、椅子に深く腰掛け、まるで瞑想でもするかのように手を膝の上に置いて死んでいたのだ。


「検死の結果、死因は一酸化炭素中毒および焼死。……薬物の反応はない。彼は意識があったはずだ」


カレル警部が手帳を見ながら説明する。


「意識があって……逃げなかったの?」


ナラが問う。


「そこが、謎なんだ」


エラーラが、現場を歩き回りながら補足した。


「見てごらん、ナラ君。ドアは熱で歪んで開かなかったようだ。だが、あそこの大きな窓ガラス……鍵はかかっていないし、すぐそばに重厚な彫像がある。これを投げれば、ガラスを割って脱出できたはずだ」


窓の外には、美しい緑の芝生が広がっている。

窓を割って一歩踏み出せば、そこは安全圏だった。

なのに、男爵は窓に指一本触れず、座ったまま焼け死んだ。


「自殺……でしょうか?」


若い刑事が呟く。


「いいえ」


ナラは、男爵の遺体の服――焼け残った襟元を見た。

完璧に結ばれたネクタイ。乱れのないボタン。


「この男……。死ぬ瞬間まで『格好をつけて』いたわね。自殺する人間が、こんなに身だしなみを気にするかしら?」


そこへ、一人の男が音もなく現れた。

燕尾服を着た白髪の執事、セバスだ。

彼は主人の死だというのに、涙一つ見せず、慇懃無礼に一礼した。


「おや、警察の方々。まだ何か? ……旦那様は、運命を受け入れられたのです。静かに眠らせて差し上げてください」


「運命? ……焼け死ぬのが運命だなんて、随分と燃える人生ですこと」


ナラが皮肉を言う。

執事は、ナラを一瞥し、鼻で笑った。


「下賤な方には理解できないでしょう。……旦那様は、『掟』に生き、掟に殉じたのです」


「掟?」


「左様。……『キカク家の家訓』。それは法律よりも重い、絶対のルールでございます」


執事は、懐から分厚い手帳を取り出し、読み上げ始めた。


「第1条、他人の敷地に土足で踏み入るべからず」


「第8条、公共物および借用物を故意に破損するべからず」


「第15条、いかなる時も、紳士としての品位を損なうべからず」


ナラが、信じられないものを見る目で遺体を見た。

この男は、逃げなかったのではない。

「窓ガラスを割る」ことと、「窓の外の芝生を踏む」ことを、死ぬことよりも恐れたのだ。


「……バカじゃ、ないの?」


ナラの本音が漏れた。

捜査が進むにつれ、男爵の異常な潔癖症と遵法精神が明らかになった。

彼は生前、「信号無視をするくらいなら遅刻して商談を逃す」「釣り銭が1円でも多いと警察に届けるまで動かない」といった奇行で有名だった。


「論理的に考えて、生存本能の欠如だ」


エラーラが分析する。


「ルールとは社会生活を円滑にするためのツールだ。だが彼にとっては、ルールを守ること自体が自己目的化し、生命維持よりも優先順位が高くなっていた」


「本当に、この国のエリートはどうなってますの?」


ナラは呆れ果てた。

だが、一つだけ疑問が残る。

なぜ、火事が起きたのか?

そして、なぜ執事は止めなかったのか?

ナラは、屋敷の庭で水やりをしている執事セバスの元へ向かった。


「……いい芝生ですわね」


「ええ。旦那様が、隣の土地所有者から管理を任されていた、自慢の芝生でございます」


セバスは水をやりながら、淡々と答えた。


「……あんたが殺したんでしょう?」


ナラは単刀直入に切り込んだ。

セバスの手が止まる。


「……人聞きの悪い。私は火事の時、買い出しに出ておりました。アリバイもございます」


「物理的に火をつけたとは言ってないわ」


ナラは、燃えた離れの窓の下――美しい芝生の上に立っている、小さな立て看板を指差した。


『立入禁止・私有地につき。罰金あり。』


「あれを置いたのは、あんたね?」


セバスは、ゆっくりと振り返った。

その顔には、薄ら寒い笑みが張り付いていた。


「……旦那様は、最近ボケ始めておられましてな。私の給金を『計算が合わない』と言って減らそうとされたのです。長年尽くしてきた私を、泥棒扱いされました」


セバスは、ジョウロを置いた。


「私は、旦那様の『高潔な精神』を尊重しただけですよ。……火事が起きた時、旦那様は窓から逃げようとしたでしょう。ですが、窓の外にはあの看板がある」


執事は、恍惚とした表情で語った。


「旦那様は考えたはずです。『この窓を割れば借家法違反、外に出れば不法侵入。……ああ、なんと浅ましい! 紳士失格だ!』とね」


「……だから、座って死んだと?」


「ええ。立派な最期でした。……自分の命よりも、看板の文字を守ったのですから。まさに、マナーの殉教者だ」


セバスは笑った。

直接手を下さず、主人の「狂った倫理観」を利用して殺したのだ。

完全犯罪。法的には、看板を置いただけの彼を殺人罪に問うことは難しい。

ナラは、ため息をついた。


「命をなんだと思ってるの。……ルールも、マナーも、生きててこそでしょうが」


ナラは、芝生の中にズカズカと踏み入った。


「おやめください! そこは立ち入り禁止……」


ナラは、立て看板をヒールで踏み抜き、粉砕した。


「ああっ!? 何をなさる!」


「うるさいわね。……こんな木の板一枚で、人が死ぬなんて」


ナラは、割れた看板の破片を拾い上げ、セバスのに投げつけた。


「あんたもあんたよ。……主人がバカなら、引っぱたいてでも連れ出すのが一流の執事でしょうが!」


ナラはセバスの胸ぐらを掴んだ。


「給料が不満なら、ストライキでもしなさいよ! 交渉しなさいよ! ……こんな陰湿なやり方で殺して、せいせいした?」


「は、離せ! 暴力は野蛮だぞ!」


「野蛮? ……上等よ」


ナラは、セバスを芝生の上に背負い投げた。


「あたしはねえ、生きるためなら泥水だってすするわ。窓ガラスなんて百枚でも割るわ。……ルールを守って死ぬくらいなら、ルールを破ってでも生き延びて、後でごめんなさいって言うわよ!」


ナラは、倒れたセバスを見下ろした。


「それが、人間の『品格』ってもんでしょうが!」


セバスは、何も言い返せなかった。

ナラの圧倒的な「生への執着」と「リアリズム」の前に、彼らの歪んだ美学は、ただの滑稽なごっこ遊びに見えたからだ。

そこへ、エラーラとカレル警部がやってきた。


「やれやれ、また派手にやったねナラ君」


エラーラが苦笑する。


「警部さん。……こいつ、自白しましたわよ。『看板を使って心理的に誘導した』ってね」


「……未必の故意による殺人、ですね」


カレル警部は、セバスに手錠をかけた。


「法的に難しいラインだが……私がねじ込んでみせよう。こんなふざけた殺し方が許されてたまるか」


セバスは、抵抗しなかった。

ただ、壊された看板を見て、「ああ、美しい芝生が……」と呟いて連行されていった。

事件解決後の夕暮れ。

ナラとエラーラは、屋敷の門を出て歩いていた。


「……理解できませんわ」


ナラは、不満げに靴の裏の芝生を払った。


「命より大事なルールなんて、この世にあるんですの?」


エラーラは即答した。


「……人間というのは厄介な生き物でね。『物語ナラティブ』に生きるあまり、現実を見失うことがある」


エラーラは、ナラを見た。


「男爵にとっての物語は、『私は高潔な紳士である』というものだった。その物語を守るために、彼は命を捨てた。……ある意味、幸せな最期だったのかもしれないよ」


「……幸せ?」


ナラは、振り返った。

焼け落ちた離れ。主を失った屋敷。

そこには、何も残っていない。


「あたしは御免だわ……」


ナラは、強く言った。


「あたしの物語は、ハッピーエンドじゃなきゃ嫌なの。……そのためなら、窓ガラスだって、壁だって、世界のルールだって、全部ぶち壊して進んでやるわ」


ナラは、拳を握りしめた。


「頼もしいねぇ」


エラーラは嬉しそうに目を細めた。


「なら、君には特別なプレゼントをあげよう」


「え? 何ですの?」


エラーラは、ポケットから小さなハンマーを取り出した。

ピンク色のリボンがついている。


「『緊急脱出用・万能クラッシャー』だ! これさえあれば、強化ガラスだろうが結界だろうが、一撃で粉砕できる!」


「……いりませんわよそんなの!」


「遠慮するな! さあ、試しにそこの電柱でも……」


「器物損壊で捕まりますわよ!」


二人の声が、夕暮れの街に響く。

ルールに縛られて死んだ男と、ルールを壊してでも生きようとする女。

その対比を笑い飛ばすように、ヴェリタス親子の足取りは軽かった。

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