表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ナラティブ・ヴェリタス  作者: 王牌リウ
ナラティブ・ヴェリタス短編集2 正論の悪夢篇
167/212

第8話:強盗の権利と、定刻の退社!

「……騒がしいですわね」


ナラティブ・ヴェリタスは、買い物袋を提げながら、眉をひそめた。

大通りが封鎖されている。

黄色い規制線。集まる野次馬。そして、殺気立つ警察官たち。


「立てこもり事件だ!」


「人質がいるぞ! 犯人は凶悪な爆弾魔の残党だ!」


どうやら、先日ナラたちが解決した爆破事件の逃亡犯が、近くの銀行に立てこもっているらしい。

興味はない。早く帰って夕飯の支度をしたい。

そう思って通り過ぎようとした時、一人の男の声が響いた。


「状況報告を」


その声は、あまりにも落ち着き払っていて、戦場の空気には不釣り合いだった。

規制線の最前線。

そこに、一人の刑事が立っていた。

よれたスーツに、無精髭。一見するとくたびれた中年だが、その目は鋭く時計の針を追っていた。

名は、ローキ刑事。王都警察捜査一課のエース……らしい。


「はっ!犯人は銀行内に篭城!人質は10名! 要求は逃走用の魔導車と100,000,000クレストです!」


部下が報告する。


「ふむ。交渉の余地はないな。突入準備」


「了解!」


ローキ刑事の手際は鮮やかだった。

瞬時に配置を指示し、犯人の死角を見抜き、突入ルートを確保する。

その指揮能力は、素人のナラが見ても「一流」だと分かるものだった。

ナラは少し感心して、足を止めた。

これならすぐに解決するだろう。見ていくのも悪くない。

犯人が窓際に出てきた。絶好のチャンスだ。


「警部!今です!」


だが、ローキ刑事は動かない。

時計の長針が、真上を指した。

教会の鐘が、ゴーン、ゴーンと鳴り響く。

午後5時。定時である。

その瞬間。

ローキ刑事は、くるりと背を向けた。


「お疲れ様でした」


「……は?」


部下たちが、そして野次馬たちが、一斉に凍りついた。

ナラも、持っていた買い物袋を取り落としそうになった。


「け、警部!? どこへ行くんですか!?」


「帰る」


ローキ刑事は、ポケットからタイムカードを取り出し、空中で「打刻」のジェスチャーをした。


「定時だ。……また明日」


「バカなこと言わないでください! 犯人は目の前ですよ!?」


「今月、私はすでに残業上限ギリギリだ。これ以上働けば、警察組織がブラック企業であると認めることになる。……私は、組織の健全化を守るために帰るのだ」


「人質がいるんですよ!?」


「人質の命も大事だが、私のワークライフバランスも大事だ。過労死したら誰が責任を取る?」


彼は、捜査資料を部下に押し付け、ネクタイを緩めた。


「あとは夜勤の班に引き継げ。……じゃあな」


彼は本当に、現場を去り始めた。

犯人が銃を乱射し始め、悲鳴が上がっているのに。

背を向けて、駅の方へと歩き出したのだ。


「……イカれてる」


ナラの中で、何かが弾けた。

彼女は、規制線をくぐり抜け、ローキ刑事の前に立ちはだかった。


「お待ちなさい」


「なんだ君は。民間人は下がって……」


「下がりませんわよ!」


ナラは、ローキ刑事のネクタイを掴み、グイッと引き寄せた。


「あんた正気? 人が死にそうになってるのに、時計見て帰るの?」


「君には関係ない。……私は労働者の権利を行使しているだけだ」


「権利? ……そんなもん、義務を果たした人間が言う台詞よ!」


ナラは、ローキ刑事を銀行の方へ投げ飛ばそうとした。

だが、この男、意外と腰が重い。合気道の達人か何かか、ナラの力を柳のように受け流した。


「暴力はいけないな。公務執行妨害だぞ」


「仕事してないくせに公務もクソもありますかッ!!」


その時。

銀行の中から、犯人の怒号が聞こえた。


「おい警察ゥ! いつまで待たせるんだ! 人質を一人殺すぞ!」


威嚇射撃の音が響く。

子供の泣き声。


「……チッ」


ナラは舌打ちをした。

この給料泥棒と問答している暇はない。


「……いいわ。あたしがやる」


ナラはドレスの裾をまくり上げた。

鉄扇を抜き放ち、パチンと開く。


「一流のレディは……警察が役に立たない時、自ら治安を守るものですわ!」


ナラは銀行へと疾走した。

ローキ刑事は、それを呆れたように見送った。


「……民間人の介入か。報告書を書くのが面倒だな。まあ、明日の朝やるか」


彼はあくびをして、本当に帰ってしまった。


銀行のロビーは、恐怖に支配されていた。

覆面をした犯人グループが5人。人質は20人ほど。

その中には、幼い少女もいる。


「動くな! 誰だテメェ!」


犯人が銃を向ける。


「通りすがりの納税者ですわ、」


ナラは優雅に一礼した。


「あんたたち、運が悪かったわね。……あたし、今とっても機嫌が悪いの」


「ああん? 知るかよ! 殺せ!」


銃声。

だが、ナラはそこにいなかった。

彼女は弾丸よりも速く踏み込み、犯人の一人の顎を鉄扇でカチ上げた。


「ごめんあそばせッ!」


男が宙を舞い、天井に激突する。


「な、なんだこの女!?」


ナラは止まらない。

回し蹴りで銃を弾き飛ばし、肘打ちで鳩尾を潰す。

その動きは洗練された暴力の舞踏。

鬱憤を晴らすかのように、彼女は暴れ回った。

あっという間に、犯人たちは制圧された。

残るは、リーダー格の男一人。

彼は、幼い少女を盾にしてナイフを突きつけていた。


「く、来るな! こいつがどうなってもいいのか!」


ナラは動きを止めた。

人質を取られては、手が出せない。


「へへっ、そうだ。武器を捨てろ! 土下座しろ!」


ナラが鉄扇を置こうとした、その時。

銀行の自動ドアが開き、あの男が入ってきた。

ローキ刑事だ。

片手にはビール、もう片手には焼き鳥を持っている。


「……おい。騒がしくて一杯飲めないじゃないか」


「はぁ!? あんた、帰ったんじゃなかったの!?」


ナラが叫ぶ。


「駅前の屋台で飲んでいたら、銃声が聞こえたものでね。……プライベートの妨害は困る」


ローキ刑事は、顔を赤らめていた。

酔っ払っている。


「おい警察!近づくな!殺すぞ!」


犯人が叫ぶ。


「……うるさいなぁ」


ローキ刑事は、千鳥足で犯人に近づいた。


「君ねぇ。……今、何時だと思ってるんだ?」


「は?」


「夜の6時だぞ。……こんな時間まで働いて、残業代は出てるのか?」


「……え?」


犯人が虚を突かれる。


「見ろ、その目の下のクマ。肌荒れ。……過重労働の兆候だ。」


「い、いや……俺たちは強盗団だし……」


「強盗も立派な労働者だ!」


ローキ刑事は、犯人に説教を始めた。


「リスク手当は?深夜割増は?有給休暇は消化できてるのか? ……使い捨てにされるだけだぞ?」


「うっ……確かに、ボスは取り分を独り占めして……」


犯人の心が揺らぐ。


「組合を作れ。ストライキをしろ。……こんなブラックな職場は今すぐ辞めるべきだ」


ローキ刑事の言葉には、妙な説得力があった。

彼は、心底「労働環境」を憂いているのだ。

たとえ相手が犯罪者であっても。


「……俺、辞めます」


犯人はナイフを落とし、泣き崩れた。


「田舎に帰って、家業を手伝います……」


「……は?」


ナラは、開いた口が塞がらなかった。

暴力でも、魔法でもなく。

説法で、凶悪犯を改心させた?


「……嘘でしょ」


「よし。退職届の書き方は私が教えてやろう。……ただし、明日の朝な」


ローキ刑事は、犯人の肩をポンと叩き、その場に座り込んで焼き鳥を食べ始めた。


「……解決、したの?」


人質たちが顔を見合わせる。

ナラは、ため息をついて鉄扇を拾った。


「……一流の解決法とは言えませんけれど。……ま、結果オーライですわね」


ナラは、少女を抱き上げ、母親の元へ返した。


「ありがとう! お姉ちゃん!」


「いいのよ。……礼なら、そこの酔っ払いに言いなさい」



事件後。

ナラは、銀行の外でローキ刑事に声をかけた。


「ねえ。……あんた、わざとやったの?」


「何がだ?」


ローキ刑事は、酔いの冷めた目で空を見上げていた。


「定時に帰るフリをして犯人を油断させたり……労働話で同情を誘ったり」


「まさか!」


彼は鼻で笑った。


「私は、本心から言っただけだ。……ルールを守らない奴が、幸せになれるわけがない。刑事だろうが、強盗だろうが、人間は休まなきゃ壊れる。……それだけだ」


彼は背中を向け、歩き出した。


「明日は8時30分始業だ。遅刻は許されない。……帰るぞ」


その背中は、少し小さく、そして奇妙に大きく見えた。


「……変な男」


ナラは苦笑した。

彼には彼なりの、曲げられない「物語ナラティブ」があるのだろう。

たとえそれが、他人からは滑稽に見えたとしても。


「……ま、悪くはないわね!」


王都の夜に、ナラの元気な声が響いた。

不条理で、滑稽で、でも少しだけ優しい世界。

ナラティブ・ヴェリタスは、今日もまた、たくましく生きていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ