第5話:法の番人と、対立の極道!
王都の裏社会に、その名は轟いていた。
『黒龍会』。
麻薬、人身売買、違法魔法具の密造。あらゆる悪事に手を染める、王都最大のマフィア組織である。
そのアジトである港の倉庫街に、今、一人の男がカチコミをかけていた。
「……おい、コラ。ここが誰のシマか分かってんのか?」
強面の構成員たちがドスや魔導銃を構え、包囲する。
その中心に立つ男――ジョウギは、顔色一つ変えず、懐から銀色のアイテムを取り出した。
「……武器かッ!?」
構成員たちが身構える。
だが、ジョウギが取り出したのは、金属製のメジャーだった。
「……計測終了。確定しました」
ジョウギは眼鏡の位置を直し、事務的な口調で告げた。
「事務所の看板ですがね……。建築基準法および王都景観条例第4条に基づき、規定サイズより『2センチ』はみ出しています。直ちに撤去しなさい」
「……は?」
「聞こえませんでしたか? 違法建築物です。是正命令に従わない場合、行政代執行の対象となります」
ジョウギは一歩も引かない。
恐怖を感じていないのではない。「違法状態を見過ごす」というストレスの方が、死の恐怖を上回っているのだ。
「ふざけやがって……! ぶっ殺せ!」
「お待ちなさいッ!!」
銃声が響く直前、倉庫の天井窓が粉砕された。
ガラスの雨と共に、漆黒のドレスを着た美女と、白衣の変人が降ってくる。
「ごめんあそばせ! ……不法投棄の取り締まりに来ましたわよ!」
ナラティブ・ヴェリタスが着地と同時に鉄扇を一閃させ、構成員を吹き飛ばす。
エラーラ・ヴェリタスも、着地ざまに怪しげな粘着弾を放ち、銃を持った男たちの動きを封じた。
「カレル警部から『自殺志願者の公務員を保護してくれ』と頼まれたときは耳を疑いましたけれど……」
ナラは、呆れ顔でジョウギを見た。
「あんた、バカなの? ヤクザの巣窟にメジャー一本で乗り込むなんて」
「バカではありません。私は市民生活課の係長です」
ジョウギは名刺を差し出した。
「貴女方も、窓ガラスを割っての侵入は器物損壊罪です。後ほど請求書を送ります」
「……助けてやったのに、その言い草?」
ナラのこめかみに青筋が浮かぶ。
だが、感傷に浸る暇はなかった。
奥から、さらに数十人の構成員と、ボスのドラグが現れたからだ。
「騒がしいな……。どこのどいつだ?」
ドラグは、巨大な魔導ガトリング砲を片手でぶら下げていた。
その銃口が、ナラたちに向けられる。
「全員ミンチにしてやるよ!」
「お母様! 防御を!」
「了解だ!」
エラーラが防御障壁を展開しようとした、その時。
ジョウギが、スタスタとボスの前に歩み出た。
「おい、君」
「あ?」
「その重火器は、王都銃刀法における『第一種危険物』に該当する。所持許可証を見せなさい」
「何言ってんだテメェ!」
「許可証がないなら、即刻没収だ。警察を呼ぶ前に、自主的に提出しなさい」
ジョウギは、ガトリング砲の銃身に手をかけた。
場の空気が凍りつく。
ボスが引き金を引けば、ジョウギの上半身は消し飛ぶ。
「……面白い」
ドラグはニタリと笑った。
「気に入ったぜ、その度胸。……おい、こいつら全員『運び屋』に使え。隣街の敵対組織へのカチコミだ。人間の盾にちょうどいい」
ナラたちは拘束され、マフィアの装甲車に押し込まれた。
「……最悪ですわ」
装甲車の後部座席。
ナラとエラーラは手錠をかけられ、両脇を銃を持った男たちに挟まれていた。
助手席にはボスが座り、運転席には――なぜか、ジョウギが座らされていた。
「おいメガネ! 出せ! 警察が来る前にずらかるんだよ!」
ドラグが怒鳴る。
だが、車は動かない。
「発車できません」
ジョウギがハンドルを握ったまま、前を向いて答えた。
「ああん!? エンジンがかからねぇのか!?」
「いいえ。……シートベルトです」
ジョウギは、後部座席をルームミラーで見た。
「定員オーバーな上、後部座席の全員がシートベルトを着用していません。道路交通法違反です。全員が着用するまで、私は発車しません」
「ふッ……ふざけんなァァァッ!」
ドラグが銃を突きつける。
「撃つぞ! 脳みそぶちまけるぞコラァ!」
「撃っても構いませんが、運転手が死ねば車は動きませんよ。それに、車内で発砲すれば鼓膜が破れる恐れがあり、労働安全衛生法にも抵触します」
「グヌヌヌ……!」
ドラグは顔を真っ赤にして、部下たちに怒鳴った。
「おい! てめぇら! ベルト締めろ! 今すぐだ!」
「へ、へい!」
凶悪なマフィアたちが、慌ててシートベルトを探してカチャカチャと装着する。
手錠をかけられたナラとエラーラにも、隣の男が親切にベルトをかけてくれた。
「……シュールな光景だねぇ」
エラーラが感心したように呟く。
ようやく車が発進した。
だが、スピードが出ない。
「遅ぇよ! もっと踏め!」
「ここは制限速度40キロです。法定速度を守ります」
「警察が追ってきてんだぞ!」
後方からパトカーのサイレンが聞こえてくる。
「チッ、来やがった! 信号無視して突っ切れ!」
交差点の信号は赤。
だが、ジョウギはブレーキを踏んだ。
「ぐえっ!?」
急停車で、前のめりになるマフィアたち。シートベルトのおかげで怪我はない。
「赤信号です。止まります」
「殺すぞテメェェェッ!!」
「殺されても、赤は赤です」
ジョウギの瞳は、死んだ魚のように濁っていた。
彼には「恐怖」という感情の回路が欠損しているようだった。
あるのは、「ルール」というプログラムを実行する機能だけ。
「……あたし、こいつ嫌い」
ナラが呟く。
「でも……ある意味、最強の盾かもしれませんわね」
その時、横道から敵対組織の車が突っ込んできた。
「死ねェ! 黒龍会!」
窓からロケットランチャーが構えられる。
「ひぃッ! 撃たれる!」
マフィアたちが悲鳴を上げる。
「……あ」
ジョウギが呟いた。
「あそこの車、一時停止無視しましたね」
ジョウギは、無表情のままハンドルを切り、アクセルを踏み込んだ。
「道路交通法優先権の行使です」
ジョウギの運転する装甲車が、敵の車に側面から突っ込んだ。
敵車は横転し、ロケットランチャーが暴発して自爆した。
「……やったか?」
マフィアたちが顔を見合わせる。
「前方不注意ですね。過失割合は10対0で向こうが悪いです」
ジョウギは何事もなかったかのように車をバックさせ、また制限速度で走り出した。
「……お母様。こいつ、あたしたちよりヤバいんじゃない?」
「論理的に考えて、彼は『歩くコンプライアンス災害』だね」
車は、敵対組織のアジトである廃工場に到着した。
ドラグは、ジョウギを盾にして降り立った。
「おい! 出てこい!戦争だ!」
廃工場から、敵のボスと数十人の兵隊が出てくる。
一触即発。
「やっちまえ!」
銃撃戦が始まろうとした瞬間、ジョウギが手を挙げた。
「ストップ! ストップです!」
彼は戦場の真ん中に進み出た。弾丸が飛び交う中、仁王立ちする。
「今、何時だと思っている!」
ジョウギは腕時計を指差した。
「王都騒音防止条例により、この時間帯の銃撃戦および爆破行為は禁止されている! 近隣住民の迷惑を考えなさい!」
「はぁ!?」
両組織の男たちが呆気にとられる。
「撃ちたいなら、防音設備のある射撃場に行きなさい! ここは住宅地に近い!」
「知るかボケェ! 死ね!」
敵のボスがマシンガンを撃つ。
「……危険行為確認」
ジョウギは、懐から魔導端末を取り出した。
「警察ですか? はい、騒音苦情です。あと、銃刀法違反、火薬類取締法違反、集団暴走行為……ええ、現行犯です」
彼は、目の前で撃たれているのに、平然と通報し始めた。
「ふざけやがって!」
ドラグも銃を抜く。
「……もう、見てられませんわ!」
ナラが動いた。
彼女は魔力で手錠を引きちぎると、ドレスの裾を翻して飛び出した。
「お母様!援護を!」
「了解だ!粘着弾発射!」
エラーラも拘束を解き、隠し持っていたガジェットを放つ。
敵の足元が粘着液で固められる。
「動けねえ!」
「ごめんあそばせッ!」
ナラは戦場を駆け抜けた。
ジョウギの胸ぐらを掴んで引き寄せ、弾丸の雨から守る。
「あんたは下がってなさい! ……命知らずにも程がありますわよ!」
「しかし、彼らは条例を……」
「条例より命を守りなさいよ、この石頭!」
ナラはジョウギを安全な物陰に放り投げると、鉄扇を展開した。
「さあ、クズども! ……あたしの耳元で騒いだ罪、万死に値しますわよ!」
ナラの独壇場だった。
彼女は舞うように敵の懐に入り込み、顎を砕き、関節を外し、武器を破壊していく。
エラーラの科学兵器が、逃げようとする敵を逃さない。
「ひぃぃ! 化け物だ!」
「警察の方がマシだ!」
数分後。
二つの組織は壊滅し、男たちは全員地面に伸びていた。
サイレンの音が近づいてくる。
カレル警部率いる警官隊が到着したのだ。
「全員確保ォ! ……って、また終わってるのか」
カレルは、山積みになったマフィアたちを見て溜息をついた。
その横で、ジョウギが手帳にメモを取っている。
「……暴力行為、器物損壊、公務執行妨害……」
ジョウギは、ナラの方へ歩み寄ってきた。
「……何の用?」
ナラが警戒する。
ジョウギは、ナラの顔をじっと見て、言った。
「貴女。……さっき、私を投げ飛ばしましたね?」
「助けてあげたんでしょうが」
「理由はともあれ、公務員への暴行は罪になります。……後日、事情聴取に来ていただきます」
「……はぁ?」
ナラのこめかみがピクピクと痙攣する。
この男、命を救われておきながら、まだ法律の話をするのか。
「それと、貴女のそのドレス。……露出度が公序良俗に反する可能性があります。軽犯罪法1条20号に……」
ナラの堪忍袋の緒が切れた。
「……お母様」
「なんだい?」
「こいつ、殴っていい?」
「……止めはしないよ」
ナラの右ストレートが、ジョウギの顔面にめり込んだ。
ジョウギはきりもみ回転しながら吹き飛び、パトカーのボンネットに激突した。
「ぐふッ……! ……こ、公務執行……妨害……」
ジョウギは、白目を剥いて気絶した。
それでも手には、法律辞典が握りしめられていた。
「……ふん。せいせいしましたわ」
ナラは拳を払い、髪をかき上げた。
「行きましょう、お母様。……あんなのと関わってたら、シワが増えますわ」
「やれやれ。……彼のような『正しすぎる』人間も、ある意味では怪異の一種かもしれないねぇ」
二人は、夜の闇へと消えていく。
後には、壊滅したマフィアと、気絶した公務員、そして頭を抱えるカレル警部だけが残された。
「……報告書、どう書けばいいんだ……」
王都の夜は更けていく。
ルールを守る者と、ルールを壊す者。
そのどちらもが、この混沌とした世界には必要なのかもしれない。
……たぶん。




