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哲学サバイバル2:ナラティブ・ヴェリタス  作者: 王牌リウ
ナラティブ・ヴェリタス短編集2 正論の悪夢篇
160/240

第1話:Extreme Ways

主題歌:ボーン・レガシー/Extreme Ways

https://youtu.be/7rMV-rWaU-c?si=eQEYiCKJpkbCweyC

これを手に取ったあんたに、最初に言っておくことがある。

俺はかつて、一つの「真実」を書いた。

世界最強の男ドミトリー・ヴォルコフすら震え上がらせた、理外の怪物。エラーラ・ヴェリタスという名の、白衣の少女の物語だ。

あの記事は、世界を変えたか?

ああ、変えたとも。劇的に、そして、退屈なほどに。

かつて「幽霊」のようだった彼女の名は、今や王都の路地裏のガキでも知っている。


「古代兵器の暴走を止めた」


「竜王の反乱を鎮圧した」


「謎の疫病の特効薬をバラ撒いた」


新聞の一面は連日彼女の偉業で埋め尽くされ、教科書には彼女の肖像画が載り、胸には数え切れないほどの最高位勲章が輝いている。

世界は彼女を「救世主」「魔法科学の始祖」と崇め、その存在はもはや「常識」となった。


だが、である。


俺、ギデオン・ヴァンツは、インクと安煙草の染み付いた指で、今、猛烈な恥辱に震えている。

俺は『知っているつもり』になっていた。「俺だけは、あの天才の深淵を最初に覗いた記者だ」という、三流特有の自惚れに浸っていた。

だが、俺は何も知らなかったのだ。

光があれば、そこには必ず、光よりも濃く、深く、重い「影」が落ちるということを。

その影こそが、この世界を物理的に支えている「本物の柱」であるということを。

これは、俺が再び出会ってしまった、歴史の教科書には決して載らない「真の伝説」についての記録だ。

もしあんたが、エラーラ・ヴェリタスこそが最強であり、彼女の科学こそが真理だと信じて疑わない幸福な人間なら、今すぐこの紙束を暖炉に放り込むんだな。

ここから先に書かれるのは、その「最強」がひれ伏し、その「科学」すら及ばない、暴力と愛と鉄錆にまみれた、真の怪物の物語だからだ。



王都アルトリアのアスファルトは、今日も雨に濡れて鈍く光っていた。

俺は襟を立て、久しぶりに大陸最強の男、「不動」のドミトリー・ヴォルコフの屋敷の門をくぐった。

今回の取材対象は、ドミトリーではない。

今や世界のVIPとなった、エラーラ・ヴェリタスへの独占インタビューだ。

世間は彼女の「偉業」は知っているが、彼女の「人間性」を知らない。

彼女は孤独なのか? 後継者はいるのか? 未来をどう見ているのか?

俺は、その内面に迫る「決定版」を書くつもりだった。俺にはその資格があると思っていた。


「入れ、ギデオン。先生はもうすぐ到着される」


執事に通された応接室。

そこには、俺の予想を裏切る光景が広がっていた。

ドミトリー・ヴォルコフ。

数々の修羅場をくぐり抜け、かつては最強の名をほしいままにした男。

その彼が、いつもの特等席である暖炉の前の革張りソファではなく、部屋の隅の硬い椅子に、背筋を伸ばして座っているのだ。

まるで、上官の視察を待つ新兵のように。額には脂汗が滲んでいる。

そして、その「上座」であるソファには、一人の女が座っていた。

エラーラでは、ない。

黒だ。

それが第一印象だった。

夜の闇を切り取って仕立てたような、漆黒のドレススーツ。

艶やかな黒髪は、暖炉の火を浴びて濡れたように輝いている。

彼女は足を組み、片手に最高級の赤ワインが入ったグラスを揺らしながら、退屈そうに窓の外の雨を眺めていた。

美しい。息が止まるほどに。

だが、その美しさは、美術館に飾られる聖女の肖像画ではない。

研ぎ澄まされた刀の刃紋や、引き金を引かれる直前の銃口が放つ、死と隣り合わせの機能美だ。


「……あんた、誰だ?」


俺の声は、思ったよりも掠れていた。

女がゆっくりとこちらを向く。

その瞳は、血のように赤かった。俺を一瞥した瞬間、心臓を鷲掴みにされたような錯覚に陥る。

彼女からは、匂いがした。

高級な香水ではない。鉄錆と、硝煙と、乾いた血の匂い。

俺のような、戦場帰りの傭兵を取材してきた記者なら分かる。これは、「殺した数」が桁外れの人間だけが纏う、死神のフェロモンだ。


「……あら。随分と熱心な視線ね、記者さん」


声は、鈴を転がすように甘く、そして氷のように冷たかった。

彼女の手元には、優雅なグラスとは不釣り合いな、無骨な鉄扇が置かれている。

ドミトリーが慌てて割って入った。


「ギ、ギデオン!失礼のないようにしろ。彼女は……」


「いいわよ、ドミトリー。堅苦しいのは嫌い」


女はふっと笑った。その笑顔に、俺は背筋が凍るほどの「色気」と「殺気」を感じた。

一体、何者だ? ドミトリーの愛人?

いや、それにしてはこの歴戦の英雄が萎縮しすぎている。エラーラの護衛? にしては態度が大きすぎる。

俺が答えを出せずに立ち尽くしていると、ドアが乱暴に開かれた。


「やあ、待たせたね。北の山脈で封印されていた巨神兵が起動しかけたから、物理的に説得してくるのに手間取ったよ」


白衣にゴーグル、ボサボサの銀髪。

世界の英雄、エラーラ・ヴェリタスだ。

彼女は部屋に入ってくるなり、俺にもドミトリーにも目もくれず、真っ直ぐにその「黒い女」の隣に座った。

そして、女の手からワイングラスを奪い取り、一気に飲み干した。


「ふぅ。アルコールによる前頭葉の鎮静化。……さて、記者君。今日は何用だ?」


俺は慌てて思考を切り替え、手帳を開いた。

謎の女の正体は気になるが、今はエラーラへの取材が最優先だ。

俺は、世間が知りたがっていること、そして俺自身が「天才の孤独」に触れるための質問を用意していた。

それが、どれほど愚かで、どれほど無知な行為かを、知らずに。


「ええ、先生。今日はあなたの『内面』に迫る記事を書きたいと思いまして」


俺はペンを走らせるふりをしながら、口火を切った。


「あなたは数々の偉業を成し遂げた。その知識と科学力は人類の宝であり、あなたは唯一無二の存在です。そこで伺いたい。その力を、後世に残すおつもりはないのですか?つまり……弟子を取る、といったお考えは?」


部屋の空気が、ピクリと揺れた。

ドミトリーが顔面蒼白になり、目で「やめろ」と訴えてくる。だが、俺は止まらなかった。


「あるいは、プライベートな質問で恐縮ですが……ご家族は?娘さんとか。あなたの天才的な才を継ぐ者がいれば、世界は安泰でしょう」


エラーラは、キョトンとした顔で瞬きをした。

隣の黒髪の女は、無表情のまま、鉄扇を開いたり閉じたりしている。パチン、パチンという音が、心臓の鼓動のように響く。

俺は、最後に一番核心を突く質問を投げかけた。


「それに、もう一つ。あなたは『世界最強』と呼ばれ、全てを解決してきました。そんなあなたにも、心から尊敬する人物、あるいは頭が上がらない相手というのはいるのでしょうか?……いや、いないでしょうね。あなた以上の者など、この世に存在しないのですから」


俺は、完璧な質問だと、思った。

天才の孤独を浮き彫りにし、彼女の孤高さを際立たせるための、最高のレトリックだと。


……しかし。


次の瞬間、ドミトリーが深く、長く、絶望的な溜息をついた。


「……ギデオン。言ったはずだぞ。『光に聞け、影のことは光が一番よく知っている』と。……無知とは、時に罪だな」


「え?」


エラーラが、肩を震わせ始めた。

忍び笑いが、やがて爆発的な哄笑に変わる。


「ハハハハハッ!面白い!最高だね、君は!『弟子はいないのか』『娘はいないのか』『尊敬する人はいないのか』……か!ああ、お腹が痛い。非論理的すぎて涙が出てくるよ」


エラーラは涙を拭い、そして、隣に座る黒髪の女の肩を、バンバンと叩いた。


「答えは全てイエスだ。いるよ。全部、ここにね」


俺の思考が停止した。

ここにいる? この、謎の女が?

エラーラは、まるで自慢の最高傑作の魔導具を紹介するように、黒髪の女を見つめた。

その瞳には、今まで見たことのないような、深い慈愛と、それ以上の「畏敬」が宿っていた。


「記者君。君は大きな勘違いをしている。私が世界を救った?違うね。私はただの『解析者』であり『観測者』だ。泥にまみれ、血を流し、本当にどうしようもない絶望的な状況をひっくり返してきたのは、私じゃあ、ない」


エラーラは指を鳴らした。


「そうだね、彼女について語ろうか。ここにはオフレコの記者しかいないことだしね。彼女は、ここではない『未来』から来たんだ」


「……未来?」


ペンが手から滑り落ちた。


「そう。君たちが平和ボケしている間に、歴史の分岐の先で確定していた『滅びの未来』だ。文明が崩壊し、空は常に灰色で、暴力と略奪だけが正義とされる地獄。彼女はそこで生まれ、育ち、たった一人で戦った」


エラーラの声のトーンが落ちる。それは科学者の説明ではなく、神話を語る語り部のようだった。


「彼女は大戦争を収め、崩壊した社会を復興させ、人類を絶滅の淵から救い出した。……そして、それだけじゃ飽き足らず、自力で『過去』へ飛んできたのさ」


俺は口をパクパクとさせた。

タイムマシン? 魔法? そんなものが実在するのか?


「タイムマシンなんて便利なものはないよ」


俺の疑問を見透かしたように、エラーラは笑った。


「彼女はね、私が未来の廃墟に遺した断片的な理論を独学で解析し、最後は肉体という檻すら超越して、時空の壁を『殴り壊して』ここに来たんだ。ただ、過去にいる私に会いたいという、マザコンじみた執念だけでね」


俺は、戦慄とともに黒髪の女を見た。

彼女は、ただ座っているだけだ。

だが、言われてみれば分かる。その身に纏う空気の重さが。

彼女のドレスの黒は、ただの色ではない。

幾千の夜、幾万の死線をくぐり抜け、全ての返り血を飲み込んで凝縮された、深淵の黒だ。


「彼女は私の娘であり、私の理論を継ぐ最高の弟子であり、そして……私がこの世で唯一、心から頭が上がらないと認める『サバイバー』だ」


エラーラは言った。


「紹介しよう。ナラティブ・ヴェリタス。私が先日、世界を救えたのは、彼女が未来から『正解』を持ち帰ってくれたからに過ぎない。真の英雄は、私ではなく、彼女だよ」


黒髪の女――ナラティブ・ヴェリタスが、ゆっくりとこちらを向いた。

彼女が動くだけで、部屋の重力が変わったような錯覚を覚える。

鉄扇が、パチンと鳴った。


「……お母様、喋りすぎよ。この記者さん、顔が真っ青じゃない。死ぬわよ?」


その声は、甘く、艶やかで、そして絶対的な「王」の響きを持っていた。

俺は、自分の唇が震えているのに気づいた。

「弟子はいないのか」「娘はいないのか」「尊敬する人はいないのか」。

俺は、怪物の目の前で、怪物の存在を否定するような愚問を吐いていたのだ。無知とは、これほどまでに恥ずかしいものなのか。

彼女は、俺の言葉の一つ一つに、「お前は何も見ていない」と突きつけられているようだった。

ナラティブは、妖艶に微笑みながら俺に問いかけた。


「ねえ、記者さん。あんたの記事、いつも読んでるわよ。『世界を救った大賢者エラーラ』……フフ、面白いおとぎ話ね。子供の寝かしつけには丁度いいわ」


彼女は立ち上がり、音もなく俺の目の前まで歩み寄った。

鉄扇の先端が、俺の喉元に突きつけられる。冷たい。死の冷たさだ。


「でも、本当の『救済』ってのはね、綺麗な魔法や、賢い論文で出来るもんじゃないの。泥を啜り、臓物を踏みしめ、理不尽な運命を暴力でねじ伏せた先にしかないのよ。……あんたのその綺麗なインクで、その『重さ』が書けるかしら?」


彼女の瞳の奥に、俺は見た。

燃え盛る都市。崩れ落ちる空。

その中でたった一人、血まみれになりながらも、運命に抗い続けた女の姿を。

ドミトリーが「最強」と呼ばれた時代すら、彼女にとっては「温い遊び場」に過ぎないのだ。

俺は、記者としての自分を試されていた。

このまま尻尾を巻いて逃げるか。それとも、この途方もない「真実」に焼き尽くされるか。

俺の中で、何かが燃え上がった。

かつて、エラーラを取材した時に感じた興奮。いや、それ以上だ。

あの時は「神」を見たと思った。だが今は、「神を殺し、神を生んだ人間」を見ている。


「……書かせて、もらいますよ。」


俺は、乾いた喉から声を絞り出した。

恐怖で震える手を、もう一方の手で押さえつける。


「俺は、記者だ。ゴシップ屋の三流記者だが、目の前に『本物』があるなら……それを記録するのが仕事だ。あんたが未来から来た?世界を救った影の英雄?上等だ。世界が信じなくても、俺が書く。あんたのその正体を、全部暴いてやる。」


沈黙が落ちた。

ドミトリーが息を呑む音が聞こえる。

ナラティブ・ヴェリタスは、ジッと俺の目を見つめていた。その赤い瞳に、俺のみすぼらしい姿が映っている。

やがて、彼女は鉄扇を引き、満足そうに目を細めた。


「……根性あるじゃない。ただの『観測者』かと思ったけど、少しは見込みがあるわね」


彼女が笑うと、部屋に満ちていた殺気が、ふっと甘い香りに変わった気がした。

それは、死線を共にした戦友に向けるような、奇妙な親愛の情を含んでいた。


「いいわ、ギデオン・ヴァンツ。あたしたち親子の『伝説』、特等席で見せてあげるわ。ただし、途中で泣いても知らないわよ?」


窓の外の雨は、いつの間にか上がっていた。

雲の切れ間から、鋭い陽光が差し込み、ナラティブの黒髪を照らす。

 

俺は悟った。

俺が今まで書いてきた「真実」は、氷山の一角ですらなかった。

エラーラ・ヴェリタスという「光」の下には、ナラティブ・ヴェリタスという巨大な「影」が広がっている。

そして、世界を本当に支えているのは、この影の方なのだ。


「さて、記者君」


エラーラが嬉しそうに手を叩いた。


「紹介が終わったところで、仕事の時間だ。実は今、隣国で『時空の歪み』から正体不明の魔獣が湧き出しているらしくてね。私の計算では、世界の崩壊まであと3時間といったところかな」


「は? 3時間?」


俺が素っ頓狂な声を上げると、ナラティブは優雅に立ち上がり、鉄扇を開いた。

その所作の美しさに、俺はまた見惚れてしまう。


「行くわよ、お母様。3時間もいらないわ。30分で片付ける」


「了解だ、ナラ。……ギデオン、君も来るだろう?伝説の続きを書きたいなら、靴紐をしっかり結んでおくことだ」


二人は、当たり前のように散歩に出かける足取りで、部屋を出て行った。

ドミトリーが、俺の肩を叩く。


「……諦めろ、ギデオン。あれが『ヴェリタス一家』だ。俺たち凡人は、ただ口を開けて見上げることしかできんよ……」


俺は苦笑し、手帳を胸ポケットにねじ込んだ。


「ああ、そうだな。だが、見上げることはできる。記録することもできる」


俺は駆け出した。

二人の背中を追って。

インクと雨の匂いは消えた。

代わりに、鉄と血と、そして眩いばかりの「生」の匂いが、俺の鼻腔を満たしていた。


あれから、俺の書く記事は変わった。

世界中がエラーラの勲章や、輝かしい成果だけを報じる中で、俺だけが書いている。

彼女の隣に立つ、黒衣の女性のことを。

鉄扇一振りで魔獣を屠り、冷徹な一言で独裁者を黙らせ、そして時折、エラーラに向ける少女のような笑顔のことを。

編集長は相変わらずだ。


「おいギデオン、またこんな怪しい女の話か? 読者が求めてるのはエラーラ様なんだよ!」


……と、原稿を突き返してくる。

俺の記事は、やはり「三流記者の妄想」として、ゴシップ欄の隅に追いやられている。

だが、それでいい。

俺は知っている。

この世界の平和が、輝かしい光だけでなく、その光を支える強靭な影によって守られていることを。

そして、その影こそが、時空を超えて愛する人を守りに来た、世界で最も不器用で、最も美しい娘であることを。

夜の王都。

俺は安酒場のカウンターで、新しい原稿用紙を広げた。

インクの匂いと、安煙草の煙。

俺、ギデオン・ヴァンツは、今日もペンを走らせる。

誰にも信じられなくても、誰にも読まれなくても。

それが、あの怪物のごとき母娘に魅入られた、一人の「観測者」の使命なのだから。


「……さて、次はどの『伝説』を書くとするか」


俺はニヤリと笑い、ペン先にインクをたっぷりと吸わせた。

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