第1話:夢に逃げる愚者!
その日、ヴェリタス探偵事務所のドアが開いた瞬間、室内の空気が澱んだ。
それは「虚栄心」の臭いだった。
「……ナラちゃん。少し、時間をいただけます?」
入ってきたのは、北都の画家リウ・ヴァンクロフトだ。
いつもは極彩色のドレスで陽気に振る舞う彼女が、今日は喪服のような暗い顔をしている。そして、彼女の後ろには、二人の若い獣人がふんぞり返って立っていた。
狼獣人の青年、ガロ。
兎獣人の少女、ミミ。
二人はリウの画廊に出入りしていた顔見知りだ。以前は「俺、小説家になるんだ」「私は声優よ」と、若者特有の、少し痛々しいが愛すべき「青色」のオーラを放っていたはずだった。
だが、今。
リウの目に見える彼らの色は、ドブ川の底に沈殿したヘドロのような、濁った紫色に変貌していた。
「よ、探偵。今日は相談じゃない。忠告に来てやったんだ!」
ガロが、頼みもしないのにソファに座り、足を組んだ。ブランド物のスーツを着ているが、サイズが合っておらず、まるで服に着られているようだ。
ミミも隣に座り、魔導水晶をいじりながらガムを噛んでいる。
ナラが眉をひそめて問う。
「……忠告? あんたたち……小説と声優の修行はどうしたの?」
ガロは鼻で笑った。
「フン。辞めたよ。気づいたんだ。俺の本質は……物事の真理を見抜き、断罪する『知性』にあるとな!」
ミミが気だるげに続く。
「そ。私たちの鋭い感性で、業界の良し悪しをジャッジしてあげることこそが、本当の『貢献』なのよ」
二人は、高らかに宣言した。
「俺たちは今日から、『御意見番』になることに、した!」
リウは、最後の望みをかけるように二人に問いかけた。
その問いは、クリエイターなら誰もが目を輝かせて答えるはずの、根源的な質問だった。
「……そうですか。評論をするというのなら、あなたたちの魂を震わせた『名作』は何ですの?尊敬する作家は? 骨の髄まで嫉妬した演技は?あなたたちの審美眼のルーツを教えてくださいまし」
室内が沈黙した。
ガロはきょとんとし、ミミはあからさまに不快そうな顔をした。
「はあ?リウさん何言ってんの?」
ガロは呆れたように肩をすくめた。
「俺は他人の作品なんか読まないよ。他人からの影響を受けたら、俺のオリジナリティが濁るだろ?それに、最初の3行も見れば、その作品がゴミかどうかなんて直感でわかるんだよ」
ミミもネイルを眺めながら言う。
「私もアニメとか見ないし。……ダサいし。私たちは予備知識なしの、完全にフラットな目線でジャッジするのが売りなの。『キモい』『キショい』『マジ無理』。そういう消費者のリアルな声を代弁するのが、評論家ってやつでしょ?」
無知。無関心。無敬意。
彼らは、自らが石を投げようとしている対象について、何一つ知らず、知ろうともしていなかった。
リウの顔から、表情が消えた。
彼女はゆっくりと口を閉じ、深く椅子に沈み込んだ。その瞳からは、もう彼らに対する期待の光が消え失せていた。
ナラは立ち上がった。
「……わ、わわわ、わかったわ。少し裏を取らせてもらう。リウ、こいつらのお守りをしてて」
ナラによる調査は、社会の闇をえぐるような、冷徹な分析となった。
彼らがハマっていたのは、詐欺師キリトが運営する「クリエイティブ・ネクサス」という名の、巨大な搾取システムだった。
ナラは、王都の商業登記簿と、裏社会の資金ルートを照らし合わせ、その全貌をホワイトボードに書き出した。
それは、「夢」を燃料にして、若者の人生を燃やし尽くす焼却炉の設計図だった。
ガロとミミが所属したのは、「次世代リーダー養成サロン」。
月額会費は500,000クレスト。
ここで提供されるのは、「影響力」という名の幻想だ。
キリトは、自社で保有する数万のアカウントを使い、ガロたちのSNSアカウントをフォローさせる。
ガロたちは「俺の発言には1万人の支持者がいる!」と錯覚し、全能感に浸る。
キリトは「叩きターゲット」を指定する。
サロン生全員で一斉に誹謗中傷コメントを書き込み、トレンド入りさせる。
ガロたちはそれを「俺たちの力で社会を動かした」と誤認するが、実際はキリトが裏でアクセス数を操作し、広告収入を得ているだけだ。
最大の問題は、その月額500,000クレストの出処だ。
二人は働いていない。親からの仕送りも限界がある。
そこでキリトが用意したのが、「芸能人御用達ラウンジ」という名の売春斡旋所だった。
ミミが「ラウンジ」で働く。客はキリトが手配した半グレや、成金の老人たち。「これは枕営業の練習だ」と吹き込まれ、ホテルに行く。月収は1,000,000クレストを超える。
ミミはその金を、「ガロくんの活動費」として全額ガロに渡す。
ガロはその金を、「サロン会費」や「拡散オプション料」として、右から左へキリトに支払う。
キリトは受け取った金の中から、ミミへの給料を支払う。
金は、外部から一切入ってきていない。
ミミが体を切り売りして得た金が、ガロを経由してキリトに入り、その一部がまたミミに戻る。
回るたびにキリトが手数料を中抜きするため、二人の手元には借金と、疲弊した肉体だけが残る。
これは、経済活動ではない。カルト宗教の集金システムそのものだ。
しかし、ナラが最も戦慄したのは、詐欺の手口そのものではない。
これほど単純な詐欺に、なぜ彼らが嬉々として引っかかり、しかも、「自分たちは特別だ」と信じ込んでいるのか。
その原因を探るべく、ナラは彼らの実家と経歴を洗った。
そこに浮かび上がったのは、「恵まれた環境が生んだ、骨の髄まで腐った怠惰」のロジックだった。
ガロの実家は、地方の資産家だった。
彼は幼い頃から「お前は特別だ」と甘やかされて育った。
挫折を知らない彼にとって、「努力」とは「才能のない人間がすること」だった。
大学受験に失敗しそうになった時、彼は「俺は学歴社会なんて下らない枠には収まらない。漫画家になる」と宣言した。
親は喜んで最高級の画材を買い与えた。
しかし、彼は3日で辞めた。「背景を描くのが面倒くさい」「ペン入れで手が汚れる」からだ。
彼は自分に言い訳をした。「俺の絵は前衛的すぎて、今の画材では表現できない」。
次に選んだのが小説だった。「文字なら魔導水晶で寝ながらでも打てる。これなら楽勝だ」。
しかし、プロットを組む構成力も、長文を書く根気もなかった。
彼は、一行も書かずに言った。「俺の構想は壮大すぎて、新人賞には送れない」。
ミミの実家は地主で、彼女は何不自由なく、ただ「可愛い」と言われるためだけに育てられた。
彼女にとって人生の目的は「承認されること」であり、「何かを成し遂げること」ではなかった。
彼女は勉強が嫌で、「バンドでデビューする」と言い出した。
高いギターを買ったが、Fコードで指が痛くなり、1週間で辞めた。
言い訳は「私の音楽性はバンドという形態に縛られたくない」。
「声優なら楽器もいらない。マイクの前で喋るだけ」と勘違いして転向。
しかし、台本の文字が読めず、発声練習で喉が枯れるのが嫌で辞めた。
言い訳は「講師のセンスが古臭い。私の個性を殺そうとしている」。
漫画も、小説も、音楽も、演技も。
勉強から逃げた彼らは、やはり、「勉強」という最初のハードルを越えようとしなかった。
なぜなら、彼らは心の底でこう信じているからだ。
「本気を出せば、俺たちは誰よりもすごい。ただ、本気を出すのが『面倒くさい』だけだ」
そんな彼らにとって、「評論家」は、まさに、天啓だった。
なあんにも作らなくていい。
知識がなくても「直感」と言い張れる。
安全圏から他人を見下せる。
キリトが用意したボットが「さすが!」と褒めてくれる。
彼らは、何かを愛しているから評論家になったのではない。
自分を愛しているから評論家になったのだ。
「自分が傷つかずに、他人より優位に立てる場所」を探し求めた果てにたどり着いたのが、この「批評の座」だったのだ。
ナラは調査を終え、事務所への帰路についた。
雨が降っていた。
ナラは、手元の端末に映るガロのSNSアカウントを見つめる。
そこには、新人作家の小説に対する、彼の「レビュー」が投稿されていた。
『冒頭3ページで切った。キャラが不自然。作者は社会経験が足りない。星1。読む価値なし』
この投稿には、キリトのボットによる「いいね」が数千件ついている。
ガロはこの小説を読んでいない。キリトから渡された「叩きマニュアル」をコピペしただけだ。
しかし、ガロ本人は本気でこう思っている。
「俺はこの駄作を書いた作者よりも偉い。なぜなら、俺はこの作品の『欠点』を見抜いたからだ」
ナラは吐き気を覚えた。
これは、ただの怠惰ではない。
「努力する人間への『嫉妬』」と、「自分は何もしないことへの『正当化』」が癒着し、『悪意』の塊となっている。
彼らは、必死に汗をかいて作品を作る人間を見ると、不安になるのだ。
「もしかしたら、俺たちは何者でもないんじゃないか?」という事実に直面してしまうから。
だから、彼らは石を投げる。
「あんなもの、ゴミだ」と嘲笑うことで、自分たちの「何もしない選択」を正解にしたいのだ。
作り手を「労働者」と見下すことで、何も作れない自分を「貴族」だと錯覚したいのだ。
ナラは事務所のドアノブに手をかけた。
中には、沈黙を守り続けるリウと、被害者面をして待っている二人がいる。
ナラの手には、彼らを地獄に突き落とすための、完璧な証拠ファイルが握られていた。
「……リウ。準備はいい?」
ナラは小さく呟き、ドアを開けた。
そこにあるのは、救済ではない。
この世で最も愚かで、最も罪深い「お客様」たちへの、最後の審判の場だった。




