第2話:嫉妬が放つ人間爆弾(2)
爆風が、地下闘技場の壁を揺らした。
肉片と化した子供の残骸が、雨のように降り注ぐ。
アリオスは、その中心で立ち尽くしていた。
黄金の髪も、白銀の鎧も、すべてが赤黒く染まっている。
「……あ……あぁ……?」
アリオスは、自分の手を見た。
ついさっきまで、温かい小さな手を握っていたはずの手。
それが今、何も掴めずに震えている。
パニックになった子供たちが、救いを求めて英雄に駆け寄ってくる。
彼らの体は、蛍のように明滅する赤色に包まれていた。
「待って! ……来るな! 彼に近づくんじゃないわ!」
ナラが、客席から飛び降り、アリオスと子供たちの間に割って入った。
鉄扇を開き、子供たちを制止する。
「どきなさい! 僕は彼らを……!」
アリオスが叫び、子供に手を伸ばそうとした。
「触るなと言ってるのよッ!!」
ナラが、アリオスの頬を裏拳で打ち抜いた。
「……え?」
「よく見なさい! ……あんたが触れた子が、爆発したのよ!」
ナラの指摘に、アリオスは凍りついた。
そうだ。
僕が抱きしめた瞬間、あの子は光って、弾け飛んだ。
『正解だ。さすがは「怪奇相談所」の探偵殿』
会場のスピーカーから、愉悦に歪んだ声が響き渡る。
貴賓席のバルコニーに、ワイングラスを持った男が現れた。
ガロット公爵。
その隣には、顔面蒼白で震える従者、バダがいた。
「説明してやろう、太陽の騎士。……その子供たちに埋め込んだのは、我が国が極秘開発した『生体感応爆弾』だ」
ガロットは、舞台上のアリオスを見下ろして嘲笑った。
「起爆のトリガーは、特定の魔力波長への接触。……すなわち、『アリオス、貴様のオーラ』だ」
「……僕の……オーラ……?」
「そうだ。貴様が慈愛を持って彼らに触れれば触れるほど、治癒魔法をかけようとすればするほど……彼らは貴様の愛に反応して、木っ端微塵に吹き飛ぶのだよ!」
地獄の宣告だった。
英雄の力。人々を守ってきた太陽の魔力。
それが、最愛の人々を殺す「起爆スイッチ」に変えられたのだ。
「嘘だ……そんな……」
「助けてアリオス様ぁ!」
事情を知らない子供が、泣きながらアリオスの足にすがりついた。
「ヒッ……!?」
アリオスは、反射的に子供を蹴り飛ばしてしまった。
恐怖で。
触れれば殺してしまうという、極限の恐怖で。
子供が転がる。
「……あ……ごめん……違うんだ……」
アリオスは後ずさる。
子供たちは、拒絶されたショックで呆然としている。
守るべき対象から、逃げ惑う英雄。
その姿は、あまりにも無様で、哀れだった。
「……最低の脚本ね」
ナラは、鉄扇を握りしめた。
ガロット公爵。そして、それを手引きしたバダ。
人間の心を持たない悪魔たち。
「エラーラ! 解析は!?」
ナラが通信機に向かって叫ぶ。
『……最悪だ、ナラ君』
獣医院にいるエラーラの声も、苦渋に満ちていた。
『爆弾は心臓と一体化している。……無理に解除しようとすれば心停止する。遠隔操作も不可能。……唯一の解除方法は、彼らが「アリオスの魔力圏外」へ退避することだけだ』
つまり、アリオスがここにいる限り、子供たちは歩く爆弾であり続ける。
「……聞こえましたわね、アリオス!」
ナラは、アリオスの胸ぐらを掴んだ。
「あんたは下がってなさい! ……この場は、魔力を持たないあたしが制圧しますわ!」
「で、でも……バダが……!」
アリオスは、バルコニーにいる幼馴染を見上げた。
まだ信じているのだ。
彼が脅されているのだと。助けを求めているのだと。
「……おい、バダ。……何か言ってやれ」
ガロット公爵が、バダの背中を押した。
バダは手すりにしがみつき、ガタガタと震えながら下を見た。
「……俺が、売ったんだ」
「……え?」
「お前を売ったんだよ! ……お前の弱点も、行動パターンも、この子供たちのリストも! 全部俺がガロット公爵に渡したんだ!」
バダは叫んだ。
堰を切ったように、汚泥が溢れ出す。
「金だよ! 金が欲しかったんだ! ……お前が稼ぐ莫大な報酬! それを見てたら、俺だって使いたくなるだろ!?」
「金……? でも、必要な分は渡していたはずじゃ……」
「足りねえよ!全然足りねえよ!……俺はな、お前の『影』でいることにうんざりしてたんだ!」
バダは、自分の胸を叩いた。
「どこに行っても『アリオス様の従者』! 誰も俺を見ない! 俺の名前すら覚えない! ……だから俺は、カジノで大金を使って、『お客様』扱いされたかったんだよ! チヤホヤされたかったんだよ!」
コンプレックス。
英雄の傍らにいる凡人の、肥大化した自意識。
彼は、アリオスの金を使うことでしか、自分の価値を感じられなくなっていたのだ。
「お前が悪いんだぞ、アリオス……!」
バダは、アリオスを指差して責任転嫁を始めた。
「お前が俺に全部押し付けて、自分は剣だけ振ってニコニコしてたから! ……お前が俺を、こんな『怪物』にしたんだ!」
「……」
アリオスは、言葉を失った。
反論できなかった。
図星だったからだ。
彼は、「信頼」という言葉を隠れ蓑にして、面倒な管理業務から目を背けていた。
バダがどんな顔で金を管理しているのか、どんな悩みを抱えているのか。
一度も、真剣に見ようとしなかった。
自分の勝手な理想を、押し付けていただけだった。
「……そうね」
ナラが、冷たく言い放った。
彼女は、アリオスを突き放し、バダを睨みつけた。
「あんたの言う通りよ、クズ男。……アリオスは、脇が甘すぎた。無知の罪よ」
ナラは、鉄扇を開いた。
「でもね。……だからって、あんたが子供たちを爆弾に変えていい理由にはならないのよッ!!」
ナラは、壁を蹴って跳躍した。
バルコニーへ。
元凶を断つために。
「ひぃッ! 公爵! 助けて!」
バダが逃げ惑う。
「……ふん。騒がしい女だ」
ガロット公爵が指を鳴らすと、伏せていた私兵団が一斉に射撃を開始した。
魔導ライフルの雨。
「邪魔ですわッ!」
ナラは空中で回転し、鉄扇で弾丸を弾き返した。
そのままバルコニーに着地し、私兵たちをなぎ倒す。
ナラが公爵に迫る。
だが、公爵は余裕の笑みを崩さない。
「……チェックメイトだ、聖女殿」
公爵は、懐からスイッチを取り出した。
そして、バダの背中をポンと叩いた。
バダが振り返る。
「バダ君。……君の借金、これでチャラにしてやろう」
公爵がスイッチを押した。
バダの背中に、魔法陣が浮かび上がった。
真っ赤な、禍々しい紋章。
子供たちに刻まれたものよりも、遥かに巨大で、複雑な術式。
「な、なんだこれ!? 熱い! 背中が熱い!」
「『特攻用・人間爆弾』だ」
公爵は、笑いながら後退した。
「君の体には、最大出力の爆弾を埋め込んでおいた。……出力は子供たちの100倍。この闘技場ごと、アリオスを吹き飛ばす威力だ」
「う、嘘だろ……? 俺は協力者だぞ!?」
「用済みの裏切り者だろう? ……最後に役に立て。『信頼』してくれる親友と共に散るがいい」
公爵は、隠し通路へと姿を消した。
残されたのは、発光する背中を押さえて絶叫するバダと、呆然とするナラ。
「……嘘だ……嘘だぁぁぁぁッ!!」
バダは錯乱した。
死にたくない。まだ遊び足りない。
彼は、手すりを乗り越え、アリーナへと飛び降りた。
「助けてくれ! アリオス! 俺たち友達だろ!?」
バダは、アリオスに向かって走り出した。
アリーナの中央。
アリオスは、迫りくるバダを見て、動けなかった。
「来るな……! バダ、来ないでくれ!」
「嫌だ! 死にたくない! お前の魔力でなんとかしてくれよ!」
バダは、親友に縋り付こうとする。
だが、彼の背中の輝きは、アリオスに近づくごとに強まっていく。
アリオスのオーラに反応しているのだ。
近づけば爆発する。
触れれば、終わる。
「……離れろ! 離れろバダ!」
アリオスは、剣を抜くことも、魔法を使うこともできなかった。
攻撃すれば誘爆する。
かといって、抱きしめることもできない。
その時。
バダの表情が、恐怖から、奇妙な歪みへと変わった。
それは、最期の瞬間に露わになった、どす黒い「本音」だった。
「……へへ。……いい気味だ」
バダは、嗤った。
「お前が稼いだ金で……博打するのは、最高だったぜ……!」
「……っ!?」
「お前が真面目に剣を振ってる間に……俺は王様気分だったんだ! ……ざまぁみろ!」
死ぬ間際の、本音。
それは、アリオスの心を殺すための、最期の呪詛。
自分が死ぬなら、こいつも道連れにする。精神的に、再起不能にしてやる。
歪んだ友情の成れの果て。
「……死ねェッ! 親友ゥッ!!」
バダは、自らアリオスに向かってダイブした。
全身が白熱し、爆発の閃光が放たれる。
「アリオスーーッ!!」
ナラは、動いた。
アリオスは動けない。思考が停止している。このままでは、二人とも死ぬ。
(……させるかッ!)
ナラは、アリオスを守るためにバダを止めるのではない。この胸糞悪い物語を、こんな最悪の形で終わらせないために動いた。
ナラはバダの懐に滑り込み、その勢いのまま回し蹴りを放った。
狙いはバダの横腹。彼を物理的にアリオスから引き剥がし、誰もいない客席の方へ吹き飛ばす算段だった。
「邪魔よッ!!」
ナラのヒールがバダの脇腹に深々とめり込んだ。
完璧なタイミング。これでバダは吹き飛ぶはずだった。
だが。
「……なっ!?」
ナラの足が、離れなかった。
蹴りの衝撃を受けた瞬間、バダの背中の魔法陣から粘着質な黒い雷のようなものが噴出し、ナラの脚を絡め取ったのだ。
『ハハハハハ! 引っかかったな、探偵!』
スピーカーからガロット公爵の嘲笑が響く。
『その爆弾は「衝撃感応式」の安全装置付きだ! 外部から強い衝撃を受けると、起爆を確実にするために「対象を捕獲」し、逃がさないように吸着する仕様なのだよ!』
「くっ……! 離れなさい!」
ナラは足を振りほどこうとするが、磁石のようにくっついて離れない。
バダもパニックに陥り、ナラにしがみついてくる。
「暴れるんじゃないわよ! 余計に……!」
裏目に出た。
距離を取るはずが、ナラ自身が爆心地に固定されてしまったのだ。
このままでは、ナラもろとも木っ端微塵になる。
「……なら、こいつで剥がすまでよ!」
ナラは即座に判断し、懐から愛用の鉄扇を抜き放った。
鉄扇の先端に魔力を集中させる。
物理的な切断が無理なら、魔力の奔流でこの「粘着雷」そのものを相殺し、強制的に弾き飛ばす。
ナラは鉄扇をバダと自分の脚の間に突き入れ、魔力を解放した。
「『断絶』ッ!!」
青い閃光が走る。
だが、その瞬間、バダの背中の魔法陣が、ナラの魔力を飲み込むようにして赤黒く膨張した。
『学習しない女だ!』
ガロットの声が、愉悦に歪む。
『その爆弾は「魔力感応式」だと言っただろう! 貴様のその膨大な魔力を注ぎ込めば、どうなると思う?』
ナラの顔色が蒼白になる。
鉄扇から放出した魔力が、爆弾のエネルギー源として吸収されたのだ。
バダの体が、風船のように異常に膨れ上がる。
心臓の鼓動音が、サイレンのように高まり、赤黒い光が闘技場全体を覆い尽くすほどの範囲へと拡大した。
『エネルギー充填率、200%突破。……爆破範囲、半径500メートルに拡大』
無機質なシステム音声が絶望を告げる。
当初はアリオス一人を殺す威力だった爆弾が、ナラの魔力を吸って「闘技場ごと王都の一区画を消滅させる戦略兵器」へと進化してしまったのだ。
「あ……あぁ……」
バダが白目を剥く。エネルギーの奔流に耐えきれず、彼の意識は飛びかけている。
ナラは、自分の手が震えるのを見た。
最悪だ。
助けようとして蹴れば拘束され、解こうとして魔を使えば威力を跳ね上げた。
私の行動が、事態を決定的に悪化させた。
避難していた子供たちも、アリオスも、そして私自身も。
全員、逃げ場なしの即死圏内。
「……しまっ……た……」
ナラティブ・ヴェリタスの完璧な計算が、悪意のギミックの前に崩れ去る。
死のカウントダウンが、残り0秒を指そうとしていた。
(……ここまで、なの?)
万策尽きたナラの脳裏に、走馬灯がよぎる。
だがその時、彼女の視界の端で、呆然と立ち尽くしていたはずのアリオスが動いた。
「……ナラさん、伏せて!!」
アリオスが、自らの剣を投げ捨て、素手で飛び込んできたのだ。
彼は魔力を使わなかった。
ただの、鍛え上げた腕力だけで、ナラとバダの間に指をねじ込んだ。
「うおおおおおおおおッ!!」
アリオスの指から血が噴き出す。
彼は、ナラの拘束を解くのではない。
バダごと、ナラごと、その場から「上」へ向かって、自分の全身全霊の力で放り投げようとしていた。
「アリオス!? 何を!?」
「君を死なせるわけにはいかない! ……バダ! お前もだ! 誰一人、死なせはしないッ!!」
英雄の矜持。
魔力でも、スキルでもない。
友と恩人を守りたいという、ただの人間としての「火事場の馬鹿力」。
アリオスの筋肉が断裂する音が聞こえた。
「いっけぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」
粘着雷が、物理的な怪力によって無理やり引きちぎられた。
ナラとバダの体が、ロケットのように真上――天井の換気口へ向かって射出される。
「……バカな男!」
ナラは空中で体勢を立て直した。
アリオスが作った一瞬のチャンス。
ここで私が諦めたら、それこそ全員死ぬ。
ナラは空中でバダの体を蹴り上げた。今度は魔力を使わず、純粋な体術のみで。
「……地獄で、反省してきなさいッ!!」
ナラの蹴りが、バダをさらに高く、天井の装甲板を突き破って空へと押し上げる。
直後。
上空で、太陽が生まれたかのような閃光が走った。
最後の一瞬。
走馬灯の中に、幼い頃のアリオスと笑い合う自分の姿が浮かんだ。
あの頃は、ただ一緒にいるだけで楽しかったのに。
いつから、金と数字しか見えなくなってしまったのか。
「……ごめん」
呟きは、光に飲まれた。
闘技場の天井付近で、巨大な爆発が起きた。
熱風と衝撃波が、会場を襲う。
ナラは、アリオスと子供たちを庇って伏せた。
「……う、ぅ……」
瓦礫が降ってくる。
煙が充満する。
やがて、静寂が戻った。
アリオスは、呆然と空を見上げていた。
そこには、天井にぽっかりと空いた穴と、黒い煤だけが残っていた。
バダの姿は、跡形もなかった。
「……バダ……?」
アリオスは、空を掴もうとして、虚空を握った。
「……あ……あああ……」
ナラは、立ち上がった。
ドレスはボロボロ、全身煤だらけ。
だが、彼女はアリオスに同情の言葉をかけなかった。
「……見なさい」
ナラは、アリオスの胸ぐらを掴み、無理やり立たせた。
「これが、あんたが『面倒くさい』と言って、他人任せにした結果よ」
「……」
「あんたが目をつぶっていた間に……。あんたの親友は怪物になり、そして破裂した。……あんたが、殺したも同然よ」
残酷な真実。
だが、それを告げなければ、彼は一生、被害者面をして生きていくことになる。
アリオスは、泣き崩れた。
英雄の仮面が剥がれ落ち、ただの無力な青年が、そこにいた。




