第1話:嫉妬が放つ人間爆弾(1)
●今回は完全にエンタメ。細かい話は一切ありません。
王都のメインストリートは、熱狂の渦に包まれていた。
紙吹雪が舞い、歓声が地鳴りのように響く。
今日は、隣国との国境紛争を平定し、凱旋した国民的英雄――「太陽の騎士」アリオスのパレードが行われているのだ。
「……騒々しいですわね」
ナラティブ・ヴェリタスは、警備協力を依頼されたカレル警部の横で、不機嫌そうに鉄扇をあおいでいた。
漆黒のドレススーツは、この祝祭の空気の中で異物のように浮いている。
「まあそう言うな、ナラ君。彼は今、この国の希望そのものだ。」
カレルが苦笑いする。
オープンカーの上で手を振るアリオスは、確かに絵に描いたような英雄だった。
輝く金髪、抜けるような青い瞳。鍛え抜かれた肉体に、人懐っこい笑顔。
彼が手を振るたびに、女性客が黄色い悲鳴を上げ、子供たちが憧れの眼差しを向ける。
「……光が強すぎますわ。影が見えなくなるほどに」
ナラは、アリオスではなく、その車の影に寄り添うように歩く一人の男に目を留めた。
バダ。
アリオスの幼馴染であり、彼の公私にわたるすべてを管理するマネージャーだ。
地味なスーツを着た小柄な男。彼は笑顔を作っているが、その目は笑っておらず、絶えず周囲をキョロキョロと伺っている。
そして、時折、懐の魔導端末を焦った様子で確認し、脂汗を拭っていた。
(……あの男。祝いの席にしては、顔色が土気色すぎなくて?)
ナラの直感が警鐘を鳴らす。
パレードが交差点に差し掛かった時、バダがふと列を離れ、路地裏の影に隠れていた黒服の男たちと接触したのを、ナラは見逃さなかった。
ナラは人混みを抜け、路地裏へと耳を澄ませた。
「……金は用意する! あと少し待ってくれ! アリオスの遠征手当が入れば……!」
「期限は過ぎているぞ、バダ。……ガロット公爵はお待ちかねだ」
「わかってる! だから、あの『リスト』は……!」
「……きな臭いですわね」
ナラは呟いた。
英雄の影で、腐臭が漂い始めている。
その日の夕方。
陽だまり獣医院に、思いがけない客が訪れた。
「すいません! 急患です!」
飛び込んできたのは、変装用のサングラスをかけたアリオスだった。
腕には、パレード中に拾ったという、足を怪我した野良犬が抱えられている。
「この子が車輪に轢かれそうで……! ケンジ先生、お願いします!」
「はいはい、すぐに診るよ。アリア、消毒を!」
ケンジとアリアが手際よく処置を始める。
アリオスは、心配そうに犬の頭を撫で続けていた。
その姿は、戦場の英雄というよりは、ただの優しい青年だった。
「……ふむ。君が『太陽の騎士』か」
エラーラ・ヴェリタスが、実験室から出てきて興味深そうに観察する。
ナラは、コーヒーを出しながらアリオスに尋ねた。
「治療費、お持ちですの?」
「えっ?」
アリオスはきょとんとした。
そして、ポケットを探ったが、手ぶらだった。
「あ……。ごめん、財布を持ってなくて。……いつもバダが払ってくれるから」
「……自分の財布も持たずに外出を?」
「うん。お金のことはよく分からないんだ。給料も、経費も、スケジュールも、全部バダに任せてるから。彼は僕の兄弟みたいなものだからね!『信頼』してるんだ!」
アリオスは、屈託なく笑った。
「僕はお金を触ったこともあまりないんだ。剣を振るうこと以外は、からっきしでさ」
その笑顔に、ナラは生理的な悪寒を覚えた。
純粋? 無垢?
いいえ、違う。
これは「育児放棄された大人」だ。
「……アリオスさん」
ナラは、冷ややかに言った。
「『信頼』と、丸投げは違いますわよ? ……自分の人生の操縦桿を、他人に握らせたままで怖くありませんの?」
「え? どうして? バダは僕のために生きてくれているんだ。疑うなんて失礼だよ」
アリオスは本気で不思議そうだった。
彼は、自分が搾取されている可能性など、微塵も考えていない。
自分が光の中にいられるのは、影で泥を被ってくれているバダのおかげだと、盲目的に信じている。
「……重症ね」
ナラはため息をついた。
この男は、英雄という神輿に乗せられた、無知な子供だ。
だが、その「無知」が、とんでもない怪物を育てていることに、彼はまだ気づいていない。
その夜。
ナラは、情報屋のルルを呼び出した。
「ルル。……アリオスの従者、バダについて洗いなさい。特に、金回りについてよ」
「あ、あうぅ……。バダですか……。あの人、裏では有名ですよ……」
ルルはピンクの古着のフードを被りながら、端末を操作した。
「王都の地下にある『魔導カジノ』。……バダはそこの常連です。それも、億単位の金を溶かしている『太客』として」
「億……!?」
「はい。アリオスさんが命がけで稼いだ討伐報酬、国からの支援金……。そのほとんどが、バダによって横領され、賭博の闇に消えています」
ルルが見せたデータには、天文学的な数字の「借金」が記されていた。
借入先は、闇金だけではない。
ガロット公爵。
王都の貴族でありながら、敵国と通じていると噂される、黒い噂の絶えない男。
「……詰みましたわね」
ナラは確信した。
バダはもう、金では解決できない領域に足を踏み入れている。
彼がガロット公爵に売れるもの。
それはもう、金ではない。
「国の英雄」という立場を利用した、取り返しのつかない「何か」だ。
翌日。
ナラは、アリオスを呼び出した。
場所は、人目のつかない公園のベンチ。
「アリオスさん。……これを見て」
ナラは、ルルが集めた証拠書類――バダの横領の記録と、借用書のコピーを突きつけた。
「……これは?」
「バダの借金よ。……あんたの稼ぎは、全部スラれてるわ。それどころか、あんたの名義で多額の借金まで背負わされている」
アリオスは、書類を見た。
だが、その目は文字の上を滑るだけだった。
「……何かの間違いだよ」
アリオスは、書類を返した。
「バダは、『絶対』そんなことしない。彼は投資に失敗しただけかもしれないし、誰かに騙されたのかもしれない。……僕が話せば分かるよ」
「『絶対』ですって?バカをおっしゃい!」
ナラは、アリオスの胸ぐらを掴んだ。
「目を覚ましなさい! ……あんたが『信じる』と言って思考停止している間に、あいつはあんたを売ったのよ!国を!売ろうとしているのよ!」
「やめてくれ!」
アリオスは、ナラの手を振り払った。
その目には、初めて見る怒りの色が宿っていた。
「君に何が分かる! ……僕とバダは、同じ孤児院で育ったんだ! 泥水を啜って、背中を預け合って生きてきたんだ! ……彼を疑うことは、僕の人生を否定することだ!」
「……」
ナラは、手を引いた。
届かない。
「幼馴染」「兄弟」「絆」。
そんな美しい言葉が、彼の目を曇らせている。
彼は、真実を見たくないのだ。
信じていたものが腐っていたと認めるより、盲目のままでいることを選んでいる。
「……後悔しますわよ?」
ナラは、冷たく言い捨てた。
「『信頼』なんて言葉……。被害者の台詞じゃありませんわ」
アリオスは、背を向けて去っていった。
その背中は、英雄のそれではなく、迷子の子供のように頼りなかった。
その夜。
バダは、ガロット公爵の屋敷に呼び出されていた。
「……期限だ、バダ」
ガロット公爵は、ワインを揺らしながら冷酷に告げた。
机の上には、バダの借用書が山積みになっている。
「か、金を……! アリオスが次の遠征に行けば、報奨金が入るんです! もう少しだけ……!」
バダは床に額を擦り付けて懇願した。
「金などいらんよ」
公爵は、足元に転がるバダの頭を踏みつけた。
「私が欲しいのは……『実験体』だ」
「じ、実験体……?」
「そうだ。……我が国が開発した、新兵器のテストを行いたい。だが、被験者が足りなくてな」
公爵は、一枚のリストを投げた。
そこには、アリオスが支援していた孤児院の子供たちや、ファンクラブの会員名簿が記されていた。
「アリオスを慕う、無垢な羊たち。……彼らを、指定の場所に集めろ。それが、借金を帳消しにする条件だ」
「そ、そんな……! 子供たちを……!?」
バダは震えた。
それは、一線を超える行為だ。
だが、断れば自分が殺される。
アリオスへの裏切りが露見し、破滅する。
バダの脳裏に、アリオスの笑顔が浮かんだ。
『ありがとう、バダ。君のおかげで僕は戦えるよ』
無邪気な、何も知らない、光り輝く笑顔。
(……お前が悪いんだ)
バダの心に、どす黒い感情が湧き上がった。
嫉妬。劣等感。
俺はお前の影だ。お前が光を浴びれば浴びるほど、俺の闇は濃くなる。
俺がこんなに苦しんでいるのに、お前は何も知らずに笑っている。
(……いいさ。お前の大切なもの、全部売ってやるよ。……俺が生き残るためにな)
バダは、震える手でリストを拾い上げた。
「……分かりました。……やります」
悪魔との契約が成立した。
数日後。
王都の広場で、アリオス主催の「孤児院チャリティーイベント」が開催されることになった。
企画したのは、バダだ。
「子供たちと触れ合って、勇気を与えよう」という名目で。
ナラは、そのチラシを見て、戦慄した。
「……場所は、閉鎖された地下闘技場?」
会場がおかしい。
そして、ルルからの緊急連絡が入る。
『ナラさん! ガロット公爵の私兵団が動いています! それに、地下から……信じられないほどの魔力反応が!』
「……まさか」
ナラは、獣医院を飛び出した。
鉄扇を握る手が、汗で滑る。
「間に合って……!」
だが、歯車はもう回り始めていた。
会場には、数百人の子供たちとファンが集まっている。
そして、満面の笑みのアリオスと、その影で青ざめた顔をしているバダ。
「さあ、みんな! アリオス様と握手だ!」
バダの合図で、子供たちがアリオスに駆け寄る。
アリオスは、子供を抱きしめた。
「ありがとう。……君たちの笑顔が、僕の力だ」
その瞬間。
アリオスの腕の中で、子供の体が、ボゥッと赤く発光した。
「え……?」
子供が、見上げた。
その瞳は、焦点が合っておらず、ただ幸福そうに笑っていた。
「……あったかい……」
膨張。
「――ッ!!??」
ナラが会場に飛び込んだのと同時だった。
アリオスの腕の中で、子供が弾け飛んだ。
血と肉片が、紙吹雪のように舞い散る。
「……あ?」
アリオスは、返り血で真っ赤に染まり、何が起きたのか理解できずに立ち尽くしていた。
抱きしめていたはずの子供は、もういない。
そして、会場にいた他の子供たちの体も、次々と赤く発光を始めた。
連鎖する破裂音。
悲鳴。
地獄の蓋が、開いたのだ。
ナラの絶叫が、爆音にかき消されていく。
『信頼』という名の怠惰が招いた、最悪の悲劇の幕開けだった。




