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ナラティブ・ヴェリタス  作者: 王牌リウ
郵便配達員
151/212

第3話:人生の作者!

翌朝。獣病院の2階、ヴェリタス探偵事務所。

朝日は差し込んでいたが、その空気は凍りついていた。


「……先生。これが、ポストに入っていました」


助手のゴウが、震える手で一通の封筒を差し出した。

宛名は『エラーラ・ヴェリタス様』。

封筒は高級な和紙で、インクからはほのかに鉄の臭いがした。

エラーラは、無言でそれを受け取った。

ペーパーナイフを使わず、指先で乱暴に封を切る。

中から出てきた便箋には、血を混ぜたインクで、あまりにも美しい文字が綴られていた。


『拝啓、お母様。あたしは今、とても幸せです。探偵という仕事の重圧から解放され、優しい先生のもとで、静かに暮らすことにしました。もう探さないでください。今まで育ててくれてありがとう。ナラティブ・ヴェリタスより』


静寂。

ゴウが息を呑んで見守る中、エラーラは手紙を読み終え――ふっ、と鼻で笑った。


「……0点だ」


エラーラは、手紙をデスクに叩きつけた。


「文法は完璧。文字も美しい。論理的破綻もない。……だが、『魂』がない」


彼女の青い瞳が、科学者としての冷静さと、母親としての激情を同時に宿して燃え上がった。


「私の娘はね、こんな『お行儀の良い』文章は書かないんだよ。あの子の言葉には、もっとこう……生きるための泥臭さと、隠しきれない気品と、私への屈折した情熱が混ざっていなければならないんだ!」


エラーラは立ち上がった。その瞬間、彼女の全身から膨大な魔力が噴出し、部屋中のビーカーやフラスコが共鳴して震えた。


「これはナラの文章ではない。何者かが、ナラの肉体を使って出力させただけの『無機物』だ。……許さん。私の最高傑作を、こんな三文芝居の小道具にするとは」


彼女は白衣を翻し、壁に掛けてあった古びたロングソード――かつて騎士団長時代に使っていた愛剣を掴んだ。


「ゴウ君。留守番を頼む」


「せ、先生! どこへ!?」


「『添削』の時間だ」


三日月商店街。

今日もまた、住民たちは貼りついた笑顔で「理想の日常」を演じていた。

だが、その平穏は、物理的な暴力によって粉砕された。

商店街の入り口にあるアーケードの看板が、爆音と共に吹き飛んだ。

舞い上がる粉塵。

その中から、一人の女が悠然と歩いてくる。

白衣を風になびかせ、手には抜き身の長剣。その姿は、魔王をも凌ぐ威圧感を放っていた。


「ひッ……!? な、なんだ!?」


八百屋の店主が腰を抜かす。

エラーラは、彼を一瞥もしない。ただ、商店街の中心にある『配送センター』を見据えていた。


「邪魔だよ。どきなさい」


彼女が一歩踏み出すたびに、殺気が物理的な突風となって店先の野菜や看板を吹き飛ばす。

洗脳された住民たちが、武器を持って集まってくる。


「郵便屋さんを守れ!」


「よそ者は帰れ!」


「……愚かな。思考を放棄した家畜に用はない」


肉屋の店主が牛刀を振りかざして襲いかかる。

エラーラは剣を振ることすらせず、指先を軽く弾いた。


「『強制睡眠』」


肉屋の店主は、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ち、即座に大いびきをかき始めた。

脳内の覚醒中枢に直接魔力干渉し、強制的にシャットダウンさせたのだ。


「か、囲め! やっちまえ!」


数十人の住民が一斉に襲いかかる。

エラーラは溜息をついた。


「数は暴力ではない。……ただの『処理対象』だ」


彼女は剣を地面に突き立てた。

刹那、地面に幾何学的な魔法陣が展開される。


「『重力干渉』」


住民たちの体が、ふわりと宙に浮いた。


「う、うわぁっ!? 足が!」


重力が半減し、まともに踏ん張ることができず、全員が手足をバタつかせて空中に漂う。


「そこでおとなしくしていなさい。……さて」


エラーラは配送センターの、分厚く塗り固められた壁を見上げた。


「リウ君の観察眼は正しかったようだね。……空間歪曲の結界か。小賢しい」


彼女は右手に膨大な魔力を収束させる。

鍵を開ける? そんなまどろっこしいことはしない。


「『箱』ごと、こじ開けてやる!」


「魔導砲撃」


閃光が奔った。

轟音と共に、配送センターの壁、天井、そして床までもが消し飛び、地下への大穴が開いた。


地下、選別室。

衝撃と落盤で、部屋の中はカオスと化していた。


「な、なんだ!? 地震か!?」


郵便屋が、ペンを取り落として叫ぶ。

部屋の隅では、拘束されたリウが悲鳴を上げ、拘束台の上のナラは、口元の針の激痛に耐えながら天井を睨んでいた。

崩落した天井から、瓦礫と共に光が差し込む。

その光を背に、白衣の天使――いや、破壊神が降り立った。


「……見つけたぞ、三文作家」


エラーラだ。

彼女は周囲の惨状――棚に並ぶ「小包」、切断されたハンナ、そして血まみれのナラを見て、表情を氷点下まで凍らせた。


「……ほう。人間の尊厳をここまで『編集』するとは。……医学的興味すら湧かない。ただの冒涜だ」


「お、お母様……!」


ナラが呻く。彼女の唇には、まだ縫合針が刺さったままだ。

エラーラは瞬時にナラの元へ駆け寄り、目にも止まらぬ速さで針を引き抜いた。

同時に、掌から緑色の光が溢れる。


「『細胞修復』」


ナラの傷口が、見る見るうちに塞がっていく。

痛みは消え、代わりに熱い力が体に満ちていく。

エラーラは、ナラの拘束ベルトを素手で引きちぎり、抱き起こした。


「……遅くなってすまない、ナラ。酷い顔だ」


「……ふん。お母様のド派手な登場に比べれば、マシよ」


ナラは口元の血を拭い、ニヤリと笑った。

その目は、死んでいなかった。


「貴様……! 僕の聖域を!」


郵便屋が、隠し持っていた大型の電動骨切りノコギリを起動させた。

不快な金属音が響き渡る。


「ここは僕の編集室だ! 部外者が土足で踏み込んでいい場所じゃない! 出て行け!」


彼はノコギリを振り回し、エラーラに向かって突進してくる。

エラーラは剣を構えようとしたが――。

ナラの手が、エラーラの白衣を掴んで止めた。


「……待って、お母様」


「ナラ?」


「こいつは、あたしの獲物よ。……あたしの身体を使って、勝手な『物語』を書こうとした罪……あたし自身の手で『校閲』しなきゃ気が済まない」


ナラは立ち上がった。

ボロボロのドレス。血に濡れた黒髪。

だが、その姿は、どんな着飾った貴婦人よりも気高く、美しかった。

彼女は腰から愛用の鉄扇を抜き放つ。


「……いいだろう。存分にやりなさい」


「感謝するわ」


エラーラは一歩下がり、リウの拘束を解きに向かった。


「生意気な小娘が! お前の物語はもう終わってるんだよ!」


郵便屋がノコギリを振り下ろす。

ナラは紙一重でそれを躱す。風圧で髪が舞う。


「終わってないわよ。……ここからがクライマックスだわ!」


ナラは鉄扇を開き、ノコギリの側面を打ち据えた。

火花が散る。


「なぜだ! なぜわからん! 僕が書き直した方が、みんな幸せなんだ!ハンナは感謝の手紙となり、商店街は潤い、誰も孤独ではなくなった!汚い現実を、綺麗な虚構で塗り替えて何が悪い!」


郵便屋の叫びは、ある種の信念に満ちていた。

彼は本気で、自分の凶行を「善意」だと信じている。

ナラは、回転しながら彼の攻撃をいなし、その懐に飛び込んだ。


「あんたの言う『幸せ』はね……『読後感』が悪すぎるのよ!」


ナラの一撃が、郵便屋の鳩尾に入る。


「ぐはっ!」


「人間ってのはね、失敗もするし、孤独にもなるし、汚い感情も抱くわ。でも、だからこそ! たまにある小さな『救い』が輝くのよ!」


ナラは、脳裏に浮かぶ日常を思った。

変人の母親、生意気な助手、ストーカー気質の友人、そして焼きたてのパンの香り。

それらは全て、面倒くさくて、騒がしくて、愛おしい現実だ。


「あんたの作る『編集された人生』には、その輝きがない! ただの綺麗なゴミよ!」


「黙れ黙れ黙れぇぇ! 僕がルールだ! 僕が作者だァァ!」


郵便屋は狂乱し、デタラメにノコギリを振り回す。

ナラは冷静だった。

彼女には見えていた。相手の動きが。その薄っぺらい信念の脆さが。


「……いいえ。あんたは作者じゃない」


ナラは鉄扇を閉じ、切っ先を彼に向けた。


「あんたは、ただの『盗作野郎』よ!」


ナラが踏み込んだ。

鉄扇が閃く。

それは、ノコギリを持つ郵便屋の両手首を、正確に捉えていた。

鮮血が舞う。

ノコギリが床に落ち、けたたましい音を立てて止まった。


「あ……ああ……?」


郵便屋は、呆然と自分の手を見た。

かつて、ハンナの手首を固定し、無理やり文字を書かせたその手は、いまや力を失い、だらりと垂れ下がっていた。


「あたしからの『書き損じ』よ。


その手じゃ、もう二度とペンは握れないわ」

ナラは冷徹に見下ろした。


「地獄の底で、自分の罪の物語でも反芻してなさい」


郵便屋は崩れ落ちた。

痛みよりも、自分の「作品」を否定された絶望に、その精神が崩壊していくのが見えた。


戦いは終わった。

駆けつけたカレル警部と警官隊によって、洗脳が解けた住民たちと、放心状態の郵便屋が連行されていく。

地下からは、変わり果てた姿のハンナ・ミラーも救出された。

彼女は生きていた。エラーラの緊急処置により、一命を取り留めたのだ。

担架で運ばれる際、彼女はナラの方を見て、声にならない声で何かを呟いたように見えた。

『ありがとう』と。


夕暮れ。

半壊した三日月商店街の瓦礫の上に、ナラは座り込んでいた。

リウは保護され、泣きながらもスケッチブックにこの光景を描き留めていた。


「……終わったね」


背後から、エラーラが声をかける。

彼女の手には、どこからか調達してきたコーヒーが二つ。


「はい。普通のブラックだ」


「……気が利くじゃない、お母様」


苦い液体が、喉の乾きを癒やしていく。


「……あたし、間違ってなかったかしら」


ナラは廃墟と化した街を見渡した。

「綺麗な嘘」で守られていた街は、真実によって破壊された。

住民たちはこれから、自分たちが犯した罪と向き合い、地獄のような日々を送ることになるだろう。

それでも、これが正義だったのか。


「ナラ。」


エラーラが、隣に座った。

そして、ナラの肩を抱き寄せた。


「君は、物語を守ったんだ。……誰にも編集されない、彼ら自身の人生をね」


エラーラは空を見上げた。


「結末がハッピーエンドかどうかは、探偵が決めることじゃない。それは、彼らがこれから生きて決めることだ。君はただ、そのための『白紙のページ』を取り戻してやったんだよ」


「……そうね」


ナラは、エラーラの肩に頭を預けた。

白衣からは、薬品と、古い書物と、かすかな母親の匂いがした。

 

「……帰ろう、お母様。ゴウが晩御飯を作って待ってるわ」


「ああ。今日はリウ君も招いて、盛大にパーティーといこう」


二人は立ち上がった。

瓦礫の山を背に、最強の魔法使いと、誇り高き探偵が歩き出す。

その影は長く伸び、決して消えることのない、確かな「絆」の物語を地面に描いていた。

王都の風が、血の臭いを運び去り、代わりに夜の静寂を運んでくる。

そこにはもう、偽りの手紙は届かない。

ただ、不器用で温かい、本物の日常があるだけだった。

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