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ナラティブ・ヴェリタス  作者: 王牌リウ
郵便配達員
150/230

第2話:突入する探偵!

王都警察、捜査一課の取調室――ではなく、薄暗い喫煙室。

紫煙が充満する中、カレル警部は、帽子を目深に被り、苦渋の表情でナラに向き合っていた。


「……無理だ、ナラ君。捜査令状は出せん」


カレルがテーブルに叩きつけたのは、ナラが持ち込んだ決定的証拠――切断された小指が入った小箱だった。


「どうしてよ! 指一本送りつけられて、これが事件じゃないって言うの!?」


「言っただろう。被害者とされる『ハンナ・ミラー』は、法的には『本人の意思で転居済み』なんだ」


カレルは、悔しげに拳を震わせた。

郵便屋は、あまりにも用意周到だった。

ハンナの失踪直後、彼女の実印が押された『委任状』が役所に提出されている。財産管理から転居手続きまで、全てを郵便屋に一任するという完璧な書類だ。


「指紋もDNAもハンナ本人のものだと一致した。だが、郵便屋はこう供述したよ。『ああ、ハンナさんは昔、農作業で指を詰めましてね。そのホルマリン漬けを、引越しの荷物から見つけたルルさんが、嫌がらせで盗んだんでしょう』とな」


「……そんなデタラメが通るわけないでしょ!」


「商店街の連中が、全員その『デタラメ』を支持しているんだよ!」


カレルが怒鳴り、そして深いため息をついた。

八百屋も、肉屋も、理髪店も。全員が口を揃えて「郵便屋さんは善人だ」「ハンナは指がなかった」「ルルは虚言癖がある」と証言した。

数十人の証言者と、一人の少女の訴え。警察組織がどちらを信じるかは明白だった。


「……民事不介入だ。遺体が出るか、犯人がボロを出さない限り、我々は動けない」


ナラは唇を噛み切りそうなほど強く食いしばり、部屋を飛び出した。

廊下で待っていた、北都から来た画家、リウが、心配そうに駆け寄る。


「ナラちゃん、ダメだった?」


「……ええ。あの街は、法律の外側にあるわ」


リウは、持っていたスケッチブックを開いた。

そこには、三日月商店街の風景が描かれている。だが、所々に赤いバツ印が書き込まれていた。


「ねえナラちゃん。わたくし、やっぱり変だと思うの。あの街」


「何が?」


「建物の『容積』がおかしいんだわ」


リウは、商店街の中心にある『旧・郵便配送センター』の建物を指差した。元は精肉店の冷凍倉庫だった場所だ。


「外から見た建物の幅と、中の間取りが合わないの。壁が厚すぎるっていうか……『壁の中に部屋がある』っていうか」


「隠し部屋……」


「それとね、匂い。……絵の具には『定着液』ってのを使うんだけど、あの配送センターの換気扇から、それと同じ匂いがするの」


「定着液?」


「もっと強力なやつ。……『防腐剤』の匂いだよ」


ナラの背筋が凍りついた。

防腐剤。

生きている人間には、決して使わない薬品。


「……行くわよ、リウ。夜を待って潜入する」


「ええっ!? わたくしも!?」


「あんたの鼻と目が頼りなの。……これ以上、あのクソ野郎に『編集』させないためにね」


夜の三日月商店街は、死んだように静まり返っていた。

街灯だけが、作り物めいた明るさでアスファルトを照らしている。

ナラとリウは、路地裏の影に身を潜めながら進んだ。


「……ねえナラちゃん。見て」


リウが指差した先。

閉店したはずの八百屋のシャッターが、少しだけ開いていた。

そこから、暖かな光と、笑い声が漏れている。

ナラは隙間から中を覗いた。

そこでは、八百屋の家族と、近所の肉屋、魚屋の店主たちが集まり、豪華な食卓を囲んでいた。

テーブルの上には、下町には似つかわしくない高級ワイン、霜降りのステーキ、煌びやかな宝石類。


「これ、みんなで分けたお金で買ったんだよなぁ! ガハハ!」


「郵便屋サマサマだねぇ。あの偏屈ババアが消えてくれたおかげで、うちの借金もチャラになったし」


「次は誰にする? 角のタバコ屋の爺さん、最近足が悪いでしょ? そろそろ『施設』に行ってもらおうか?」


彼らは笑っていた。

肉を食らい、酒を浴び、隣人が「処理」された報酬で宴を開いていた。

彼らは知っているのだ。ハンナがどうなったかを。

知っていて、共犯者になることを選び、その甘い汁を吸っている。


「……気持ち悪い」


リウが口元を押さえる。

ナラの中で、何かが切れた。

恐怖ではない。純粋な嫌悪と、義憤。

ナラはシャッターを蹴り上げ、店内に踏み込んだ。


「あら、楽しそうね。そのお肉、何の肉かしら?」


宴が凍りつく。

八百屋の店主が、口の周りを脂で汚したまま立ち上がった。


「て、テメェ……あの探偵!」


「あんたたち、正気なの? ハンナさんはあんたたちのパンを焼いてくれてた仲間でしょう! それを売って食う飯は美味い!?」


ナラが叫ぶ。

しかし、返ってきたのは謝罪でも恐怖でもなかった。

敵意だ。


「……うるせぇ!」


肉屋の店主が、ステーキナイフを握りしめた。


「部外者が偉そうに説教垂れるんじゃねぇ! 俺たちは生きてくのに必死なんだよ!」


「この街は死にかけてたんだ! 郵便屋さんが救ってくれたんだ!」


「邪魔するな! 俺たちの幸せを壊すな!!」


住民たちが、一斉にナラたちに襲いかかってきた。

腐った野菜、ワインの瓶、そして刃物。

彼らの目は血走り、口からは泡を吹いている。集団催眠のような、狂信的な暴力。


「くっ……!」


ナラは鉄扇で瓶を弾き、リウを庇いながら後退する。

一般市民だ。本気で攻撃すれば殺してしまう。

だが、彼らは殺す気で来ている。


「逃げるわよリウ!」


「う、うん!」


二人は路地裏へ駆け込んだ。

背後から、「殺せ!」「逃がすな!」という怒号が追いかけてくる。

かつては人情の街だった場所が、今は強欲と狂気の迷宮と化していた。

追っ手を撒き、ナラたちが辿り着いたのは、街の中心にある『配送センター』だった。

リウが言っていた、「壁が厚すぎる」建物だ。


「……ここね」


ナラはピッキングツールで裏口の鍵を開けた。

重い鉄扉が開くと、冷気と共に、猛烈な異臭が鼻をついた。

鉄錆、カビ、ホルマリン、そして――古くなった肉の臭い。


「ウッ……」


「口を塞いで、リウ」


中は、薄暗い作業場になっていた。

だが、そこにあるのは郵便物ではない。

壁一面の棚に、整然と並べられた「小包」たち。

茶色いクラフト紙で丁寧に梱包され、宛名ラベルが貼られている。

ラベルには、住所ではなく、中身の部位が書かれていた。


『右大腿骨・上物』

『肝臓・処理済み』

『頭髪・かつら用』


大きさも形も様々な小包。

その隙間を埋めるように、大量の「手紙」の束が置かれている。

すべて、ここにある「元・人間」たちの筆跡を真似て書かれた、偽造手紙のストックだ。


「なに……これ……」


リウが震えながら、一つの小包を指差した。

ラッピングの一部が破れ、中身が見えている。

そこにあったのは、干からびた人間の耳だった。


「……ここは郵便局じゃない」


ナラが呻く。


「ここは……人間を『資源』として解体し、発送するための……選別室よ」


その時。

奥の部屋から、「ガリ……ガリ……」という、硬質な音が聞こえてきた。

何かを削るような、あるいは、骨をペンの先端で擦るような音。

ナラは鉄扇を構え、音のする方へ進む。

重厚な防音扉を開けた先。

そこは、手術室のような白い部屋だった。

部屋の中央に、拘束台があった。

そこに、一人の老婆が縛り付けられている。

ハンナ・ミラーだ。

だが、彼女の姿は、人間の尊厳を完全に剥奪されていた。

両足は大腿部から切断され、断面は綺麗に縫合されている。

痩せ細った体には無数のチューブが繋がれ、栄養剤と、何か別の液体が循環している。

目は虚ろで、口は猿轡で塞がれている。

そして、彼女の右手だけが、奇妙な機械に固定されていた。

万力のような器具が手首と指をロックし、強制的にペンを握らせている。

その横に、郵便屋が座っていた。

彼は、慈愛に満ちた目でハンナを見つめながら、機械のハンドルを回していた。

ハンドルが回るたびに、ハンナの右手が機械的に動き、便箋に文字を刻んでいく。

ペン先からは、インクではなく、彼女の手首に深く刺さった管から直接吸い上げられた、鮮血が流れ出ている。


「……あ、あ……」


ハンナの喉から、声にならない悲鳴が漏れる。

激痛と絶望の中で、彼女の意思とは無関係に、手は美しい文字を綴っていく。


『私は元気です。毎日がとても幸せです』


「……よし。今日も良い文字だ」


郵便屋は、満足げに頷き、書きあがった手紙を手に取った。

そして、入り口に立つナラたちに気づき、ゆっくりと振り返った。


「おや。……配達時間外ですよ、探偵さん」


「……貴様ッ!!」


ナラが叫び、鉄扇を展開して飛びかかった。

躊躇はない。この男は殺さなければならない。

鉄扇の刃が、郵便屋の首を狙う。

しかし。

ナラの攻撃は、横から飛び出してきた大男によって阻まれた。

肉屋の店主だ。彼は牛刀を構え、焦点の合わない目で立っていた。

その後ろから、八百屋、魚屋、理髪店の店主たちが、武器を持ってなだれ込んでくる。


「先生の邪魔をするなぁァァァ!!」


多勢に無勢。狭い室内での乱戦。

ナラはリウを庇いながら戦うが、ジリジリと追い詰められる。

リウが背後から羽交い締めにされ、悲鳴を上げる。

ナラが気を取られた瞬間、後頭部に衝撃が走った。

視界が揺らぐ。

ナラは床に崩れ落ちた。


「……乱暴はいけませんねぇ」


郵便屋が、ナラの前にしゃがみ込む。

彼は、ナラの頬についた血を、ハンカチで優しく拭った。


「どうです? ハンナさんは幸せそうでしょう?」


「……どこが……ッ! これが人間のすることか!」


「人間だからこそ、ですよ」


郵便屋は立ち上がり、ハンナの頭を愛おしそうに撫でた。


「彼女は孤独でした。偏屈で、誰からも愛されず、ただ老いて死んでいく運命だった。でも見てください。僕が彼女を『編集』したことで、彼女の指はルルさんの宝物になり、彼女の足は犬の餌になり、彼女の血液は美しい手紙となって、遠くの親戚を安心させている」


彼は両手を広げた。


「無駄なものなど何一つない。捨てられるはずだった人生が、僕の手によって、誰かの役に立つ『資源』として循環している。これは殺人ではありません。……『推敲』です。汚くて、冗長で、読むに堪えない彼らの人生を、僕が美しく、有意義な物語に書き直してあげているんですよ」


狂っている。

完全に、論理が破綻している。

だが、その瞳は澄み切っていた。彼は本気で、自分を救世主だと信じているのだ。


「さて。……ナラさん。あなたも『編集』が必要なようですね」


郵便屋は、新しい拘束台を用意させた。

住民たちが、ナラを引きずり上げ、手足を革ベルトで固定する。

ナラの黒いドレスが無残に裂かれ、白い肌が露出する。


「あなたは気が強すぎる。口も悪い。これでは、あなたの『お母様』も心配でしょう」


彼は、棚から一枚の、なめしたばかりの人皮のような紙を取り出した。


「僕が書き直してあげましょう。あなたは、探偵という危険な仕事に疲れ、心を病んでしまった。そして、優しい『先生』に出会い、この街で静かに暮らすことを選んだ……という物語にね」


「ふざけるな……!お母様が、そんな手紙信じるもんですか!」


「信じますよ。……だって、あなたの血と骨髄で書くんですから」


郵便屋は、鋭利なガラスペンの先端を、ナラの首筋に当てた。

チクリとした痛みと共に、赤い雫が伝う。


「リウさんは……そうですね。若いし、良『皮』が取れそうだ。わたくし、絵心はないんですが、キャンバスにするには丁度いい」


「いやぁぁぁ! 離してぇぇ!」


リウが絶叫する。

ナラは必死に拘束を解こうともがくが、ビクともしない。

目の前では、ハンナがまだ、機械的に手紙を書き続けている。


「さあ、始めましょうか。……まずは、あなたのその美しい声を『封印』するところから」


郵便屋が、巨大な縫合針と、太い糸を取り出した。

彼は、ナラの唇に針を当て、ニッコリと笑った。


「静かな女性は、愛されますよ?」


針が皮膚を貫く激痛。

ナラの視界が暗転する。

薄れゆく意識の中で最後に見たのは、自分の血をインク壺に満たし、恍惚の表情でペンを走らせる、郵便屋の悪魔のような笑顔だった。


『拝啓、お母様。あたしは今、とても幸せです――』

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