第2話:突入する探偵!
王都警察、捜査一課の取調室――ではなく、薄暗い喫煙室。
紫煙が充満する中、カレル警部は、帽子を目深に被り、苦渋の表情でナラに向き合っていた。
「……無理だ、ナラ君。捜査令状は出せん」
カレルがテーブルに叩きつけたのは、ナラが持ち込んだ決定的証拠――切断された小指が入った小箱だった。
「どうしてよ! 指一本送りつけられて、これが事件じゃないって言うの!?」
「言っただろう。被害者とされる『ハンナ・ミラー』は、法的には『本人の意思で転居済み』なんだ」
カレルは、悔しげに拳を震わせた。
郵便屋は、あまりにも用意周到だった。
ハンナの失踪直後、彼女の実印が押された『委任状』が役所に提出されている。財産管理から転居手続きまで、全てを郵便屋に一任するという完璧な書類だ。
「指紋もDNAもハンナ本人のものだと一致した。だが、郵便屋はこう供述したよ。『ああ、ハンナさんは昔、農作業で指を詰めましてね。そのホルマリン漬けを、引越しの荷物から見つけたルルさんが、嫌がらせで盗んだんでしょう』とな」
「……そんなデタラメが通るわけないでしょ!」
「商店街の連中が、全員その『デタラメ』を支持しているんだよ!」
カレルが怒鳴り、そして深いため息をついた。
八百屋も、肉屋も、理髪店も。全員が口を揃えて「郵便屋さんは善人だ」「ハンナは指がなかった」「ルルは虚言癖がある」と証言した。
数十人の証言者と、一人の少女の訴え。警察組織がどちらを信じるかは明白だった。
「……民事不介入だ。遺体が出るか、犯人がボロを出さない限り、我々は動けない」
ナラは唇を噛み切りそうなほど強く食いしばり、部屋を飛び出した。
廊下で待っていた、北都から来た画家、リウが、心配そうに駆け寄る。
「ナラちゃん、ダメだった?」
「……ええ。あの街は、法律の外側にあるわ」
リウは、持っていたスケッチブックを開いた。
そこには、三日月商店街の風景が描かれている。だが、所々に赤いバツ印が書き込まれていた。
「ねえナラちゃん。わたくし、やっぱり変だと思うの。あの街」
「何が?」
「建物の『容積』がおかしいんだわ」
リウは、商店街の中心にある『旧・郵便配送センター』の建物を指差した。元は精肉店の冷凍倉庫だった場所だ。
「外から見た建物の幅と、中の間取りが合わないの。壁が厚すぎるっていうか……『壁の中に部屋がある』っていうか」
「隠し部屋……」
「それとね、匂い。……絵の具には『定着液』ってのを使うんだけど、あの配送センターの換気扇から、それと同じ匂いがするの」
「定着液?」
「もっと強力なやつ。……『防腐剤』の匂いだよ」
ナラの背筋が凍りついた。
防腐剤。
生きている人間には、決して使わない薬品。
「……行くわよ、リウ。夜を待って潜入する」
「ええっ!? わたくしも!?」
「あんたの鼻と目が頼りなの。……これ以上、あのクソ野郎に『編集』させないためにね」
夜の三日月商店街は、死んだように静まり返っていた。
街灯だけが、作り物めいた明るさでアスファルトを照らしている。
ナラとリウは、路地裏の影に身を潜めながら進んだ。
「……ねえナラちゃん。見て」
リウが指差した先。
閉店したはずの八百屋のシャッターが、少しだけ開いていた。
そこから、暖かな光と、笑い声が漏れている。
ナラは隙間から中を覗いた。
そこでは、八百屋の家族と、近所の肉屋、魚屋の店主たちが集まり、豪華な食卓を囲んでいた。
テーブルの上には、下町には似つかわしくない高級ワイン、霜降りのステーキ、煌びやかな宝石類。
「これ、みんなで分けたお金で買ったんだよなぁ! ガハハ!」
「郵便屋サマサマだねぇ。あの偏屈ババアが消えてくれたおかげで、うちの借金もチャラになったし」
「次は誰にする? 角のタバコ屋の爺さん、最近足が悪いでしょ? そろそろ『施設』に行ってもらおうか?」
彼らは笑っていた。
肉を食らい、酒を浴び、隣人が「処理」された報酬で宴を開いていた。
彼らは知っているのだ。ハンナがどうなったかを。
知っていて、共犯者になることを選び、その甘い汁を吸っている。
「……気持ち悪い」
リウが口元を押さえる。
ナラの中で、何かが切れた。
恐怖ではない。純粋な嫌悪と、義憤。
ナラはシャッターを蹴り上げ、店内に踏み込んだ。
「あら、楽しそうね。そのお肉、何の肉かしら?」
宴が凍りつく。
八百屋の店主が、口の周りを脂で汚したまま立ち上がった。
「て、テメェ……あの探偵!」
「あんたたち、正気なの? ハンナさんはあんたたちのパンを焼いてくれてた仲間でしょう! それを売って食う飯は美味い!?」
ナラが叫ぶ。
しかし、返ってきたのは謝罪でも恐怖でもなかった。
敵意だ。
「……うるせぇ!」
肉屋の店主が、ステーキナイフを握りしめた。
「部外者が偉そうに説教垂れるんじゃねぇ! 俺たちは生きてくのに必死なんだよ!」
「この街は死にかけてたんだ! 郵便屋さんが救ってくれたんだ!」
「邪魔するな! 俺たちの幸せを壊すな!!」
住民たちが、一斉にナラたちに襲いかかってきた。
腐った野菜、ワインの瓶、そして刃物。
彼らの目は血走り、口からは泡を吹いている。集団催眠のような、狂信的な暴力。
「くっ……!」
ナラは鉄扇で瓶を弾き、リウを庇いながら後退する。
一般市民だ。本気で攻撃すれば殺してしまう。
だが、彼らは殺す気で来ている。
「逃げるわよリウ!」
「う、うん!」
二人は路地裏へ駆け込んだ。
背後から、「殺せ!」「逃がすな!」という怒号が追いかけてくる。
かつては人情の街だった場所が、今は強欲と狂気の迷宮と化していた。
追っ手を撒き、ナラたちが辿り着いたのは、街の中心にある『配送センター』だった。
リウが言っていた、「壁が厚すぎる」建物だ。
「……ここね」
ナラはピッキングツールで裏口の鍵を開けた。
重い鉄扉が開くと、冷気と共に、猛烈な異臭が鼻をついた。
鉄錆、カビ、ホルマリン、そして――古くなった肉の臭い。
「ウッ……」
「口を塞いで、リウ」
中は、薄暗い作業場になっていた。
だが、そこにあるのは郵便物ではない。
壁一面の棚に、整然と並べられた「小包」たち。
茶色いクラフト紙で丁寧に梱包され、宛名ラベルが貼られている。
ラベルには、住所ではなく、中身の部位が書かれていた。
『右大腿骨・上物』
『肝臓・処理済み』
『頭髪・かつら用』
大きさも形も様々な小包。
その隙間を埋めるように、大量の「手紙」の束が置かれている。
すべて、ここにある「元・人間」たちの筆跡を真似て書かれた、偽造手紙のストックだ。
「なに……これ……」
リウが震えながら、一つの小包を指差した。
ラッピングの一部が破れ、中身が見えている。
そこにあったのは、干からびた人間の耳だった。
「……ここは郵便局じゃない」
ナラが呻く。
「ここは……人間を『資源』として解体し、発送するための……選別室よ」
その時。
奥の部屋から、「ガリ……ガリ……」という、硬質な音が聞こえてきた。
何かを削るような、あるいは、骨をペンの先端で擦るような音。
ナラは鉄扇を構え、音のする方へ進む。
重厚な防音扉を開けた先。
そこは、手術室のような白い部屋だった。
部屋の中央に、拘束台があった。
そこに、一人の老婆が縛り付けられている。
ハンナ・ミラーだ。
だが、彼女の姿は、人間の尊厳を完全に剥奪されていた。
両足は大腿部から切断され、断面は綺麗に縫合されている。
痩せ細った体には無数のチューブが繋がれ、栄養剤と、何か別の液体が循環している。
目は虚ろで、口は猿轡で塞がれている。
そして、彼女の右手だけが、奇妙な機械に固定されていた。
万力のような器具が手首と指をロックし、強制的にペンを握らせている。
その横に、郵便屋が座っていた。
彼は、慈愛に満ちた目でハンナを見つめながら、機械のハンドルを回していた。
ハンドルが回るたびに、ハンナの右手が機械的に動き、便箋に文字を刻んでいく。
ペン先からは、インクではなく、彼女の手首に深く刺さった管から直接吸い上げられた、鮮血が流れ出ている。
「……あ、あ……」
ハンナの喉から、声にならない悲鳴が漏れる。
激痛と絶望の中で、彼女の意思とは無関係に、手は美しい文字を綴っていく。
『私は元気です。毎日がとても幸せです』
「……よし。今日も良い文字だ」
郵便屋は、満足げに頷き、書きあがった手紙を手に取った。
そして、入り口に立つナラたちに気づき、ゆっくりと振り返った。
「おや。……配達時間外ですよ、探偵さん」
「……貴様ッ!!」
ナラが叫び、鉄扇を展開して飛びかかった。
躊躇はない。この男は殺さなければならない。
鉄扇の刃が、郵便屋の首を狙う。
しかし。
ナラの攻撃は、横から飛び出してきた大男によって阻まれた。
肉屋の店主だ。彼は牛刀を構え、焦点の合わない目で立っていた。
その後ろから、八百屋、魚屋、理髪店の店主たちが、武器を持ってなだれ込んでくる。
「先生の邪魔をするなぁァァァ!!」
多勢に無勢。狭い室内での乱戦。
ナラはリウを庇いながら戦うが、ジリジリと追い詰められる。
リウが背後から羽交い締めにされ、悲鳴を上げる。
ナラが気を取られた瞬間、後頭部に衝撃が走った。
視界が揺らぐ。
ナラは床に崩れ落ちた。
「……乱暴はいけませんねぇ」
郵便屋が、ナラの前にしゃがみ込む。
彼は、ナラの頬についた血を、ハンカチで優しく拭った。
「どうです? ハンナさんは幸せそうでしょう?」
「……どこが……ッ! これが人間のすることか!」
「人間だからこそ、ですよ」
郵便屋は立ち上がり、ハンナの頭を愛おしそうに撫でた。
「彼女は孤独でした。偏屈で、誰からも愛されず、ただ老いて死んでいく運命だった。でも見てください。僕が彼女を『編集』したことで、彼女の指はルルさんの宝物になり、彼女の足は犬の餌になり、彼女の血液は美しい手紙となって、遠くの親戚を安心させている」
彼は両手を広げた。
「無駄なものなど何一つない。捨てられるはずだった人生が、僕の手によって、誰かの役に立つ『資源』として循環している。これは殺人ではありません。……『推敲』です。汚くて、冗長で、読むに堪えない彼らの人生を、僕が美しく、有意義な物語に書き直してあげているんですよ」
狂っている。
完全に、論理が破綻している。
だが、その瞳は澄み切っていた。彼は本気で、自分を救世主だと信じているのだ。
「さて。……ナラさん。あなたも『編集』が必要なようですね」
郵便屋は、新しい拘束台を用意させた。
住民たちが、ナラを引きずり上げ、手足を革ベルトで固定する。
ナラの黒いドレスが無残に裂かれ、白い肌が露出する。
「あなたは気が強すぎる。口も悪い。これでは、あなたの『お母様』も心配でしょう」
彼は、棚から一枚の、なめしたばかりの人皮のような紙を取り出した。
「僕が書き直してあげましょう。あなたは、探偵という危険な仕事に疲れ、心を病んでしまった。そして、優しい『先生』に出会い、この街で静かに暮らすことを選んだ……という物語にね」
「ふざけるな……!お母様が、そんな手紙信じるもんですか!」
「信じますよ。……だって、あなたの血と骨髄で書くんですから」
郵便屋は、鋭利なガラスペンの先端を、ナラの首筋に当てた。
チクリとした痛みと共に、赤い雫が伝う。
「リウさんは……そうですね。若いし、良『皮』が取れそうだ。わたくし、絵心はないんですが、キャンバスにするには丁度いい」
「いやぁぁぁ! 離してぇぇ!」
リウが絶叫する。
ナラは必死に拘束を解こうともがくが、ビクともしない。
目の前では、ハンナがまだ、機械的に手紙を書き続けている。
「さあ、始めましょうか。……まずは、あなたのその美しい声を『封印』するところから」
郵便屋が、巨大な縫合針と、太い糸を取り出した。
彼は、ナラの唇に針を当て、ニッコリと笑った。
「静かな女性は、愛されますよ?」
針が皮膚を貫く激痛。
ナラの視界が暗転する。
薄れゆく意識の中で最後に見たのは、自分の血をインク壺に満たし、恍惚の表情でペンを走らせる、郵便屋の悪魔のような笑顔だった。
『拝啓、お母様。あたしは今、とても幸せです――』




