表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【5位】異世界探偵ナラティブ・ヴェリタス  作者: り|20↑|札幌
ナラティブ・ヴェリタス短編集
15/73

第15話:笑いの絶望と、英雄の喜劇!

王都の夜空に、不気味なファンファーレが響き渡る。

場所は、かつて廃業したはずの古いサーカス小屋「ミッドナイト・サーカス」。

今夜、そこから漏れ出るのは、歓声ではない。

呼吸困難に陥るほどの、狂った「笑い声」だ。


「……アハハ! アハハハハ! 助けて! 止まらないの! ギャハハハ!」


小屋から逃げ出してきた市民たちは、顔を引きつらせ、涙を流しながらも笑い続けていた。


「……趣味が悪いですわね。笑いというのは、心から溢れるものでしてよ?」


漆黒のドレススーツに身を包んだナラティブ・ヴェリタスは、ハンカチで口元を覆いながら、冷徹な眼差しを向けた。

その隣には、巨大な音響解析機を背負った白衣の美女、エラーラ・ヴェリタスが立っている。


「ふむ。空間内の『笑気性マナ濃度』が致死量を超えている……」


エラーラがゴーグルを調整し、深刻な声で告げた。


「強制的な感情操作。……『笑わなければ死ぬ』という強迫観念が、ウイルスとなって伝染しているんだ」


「笑わなければ、死ぬ……?」


「ああ。……そして、その中心にいる怪異は、皮肉なことに『笑うことができない』存在だ」


エラーラはタブレット端末に、サーカス小屋の内部反応を映し出した。

ステージの中央に佇む、一人のピエロ。


「彼の名は、ジョー。……50年前、この国で一番のコメディアンだった男だ」


「コメディアンが、どうしてこんな呪いを?」


「彼は、当時の権力者である市長ギグルスの不正を、風刺ネタにして笑い飛ばしたんだ。民衆は大喝采したが、ギグルスは激怒した」


エラーラの声が、静かな怒りを帯びる。


「ギグルスはジョーを捕らえ、拷問にかけた。『二度と私を笑い者にできないようにしてやる』と……彼の顔の筋肉を切り刻み、笑顔を作れない体にした上で、サーカスの舞台に立たせ続けたんだ」


観客は、無表情で芸をするジョーを見て、最初は戸惑い、やがて「不気味だ」と石を投げた。

ジョーは、心では泣きながら、それでも客を笑わせようと必死に動いた。

だが、届かなかった。

絶望の中で彼は死に、その怨念が今、この「死のサーカス」を開演させている。


「……許せませんわ」


ナラの手の中で、鉄扇がバキリと音を立てた。


「笑いは、人間に許された最高の救いですわ。……それを奪い、あまつさえ恐怖に変えるなんて」


ナラは、エラーラの方を向いた。

その瞳には、これまでのどの事件よりも強く、激しい「正義」の炎が燃えていた。


「お母様。……行きましょう」


「ああ。……最高の笑顔で飾ろうじゃないか」


二人は頷き合い、極彩色のテントの中へと足を踏み入れた。

テントの中は、地獄の遊園地だった。

色とりどりの風船が浮いているが、それは人の生首の形をしている。

玉乗りの玉は髑髏だ。

そして、ステージの中央には、巨大なピエロの怪異――『嘆きの道化師』が立っていた。


『……ワラエ……。ワラッテクレ……。オレハ……オモシロイダロ……?』


怪異がジャグリングのクラブを投げると、それが空中で刃物に変わり、ナラたちに襲いかかる。


「お待ちなさいッ!!」


ナラは鉄扇を開き、舞うように刃を弾き飛ばした。

火花が散る。


「無理やり笑わせようなんて、芸人失格ですわよ! ユーモアの欠片もありませんわ!」


『ウルサイ……! オマエモ……ワラワセテヤル……!』


怪異が巨大化し、触手のような腕でナラを捕らえようとする。

その指先からは、神経を麻痺させる笑気ガスが噴き出している。


「ナラ君! 呼吸を止めろ! 吸い込んだら最後だ!」


エラーラが叫び、魔導送風機を展開してガスを吹き飛ばす。


「ええ! ……でも、懐に入らないと捕まえられませんわ!」


ナラは息を止め、ドレスの裾を翻して突っ込んだ。

触手が迫る。

ナラはスライディングで股下を抜け、怪異の軸足を思い切り蹴り上げた。


「転びなさいッ!」


怪異がバランスを崩し、派手に転倒する。

まるで喜劇のワンシーンのように。


「今だ、お母様!」


「ナイスボケだ、ナラ君!」

エラーラが飛び出し、『因果抽出式・時間逆行注射器』を怪異の背中に突き刺した。


「成分、抽出ッ!」


怪異が悲痛な声を上げ、シリンダーの中に灰色の液体――「笑えない悲しみ」が満たされていく。

怪異の姿が揺らぎ、本来のジョーの姿が一瞬だけ浮かび上がった。


「……解析完了。座標特定!」


エラーラはシリンジを引き抜き、ナラの方へ走った。

だが、怪異はまだ消滅していない。

最後の力を振り絞り、サーカス小屋全体を崩壊させようと暴れ始めたのだ。


「ナラ! 急げ! こいつを止めるには、過去の『オチ』を変えるしかない!」


エラーラはシリンジを構えた。

その手は、震えていなかった。

これから娘を死地へ送り出すというのに、彼女の瞳には絶対的な信頼があった。


「……ナラ」


エラーラは、注入の直前、ナラの手を握った。


「君は、私の誇りだ。……どんな過去も、どんな悲劇も、君ならきっと『ハッピーエンド』に書き換えられる」


エラーラの言葉が、ナラの胸に染み渡る。

かつて、名前もなく、物語もなかったナラ。

そんな彼女が今、世界を救うヒーローとしてここに立っている。

それは、目の前の母が、ずっと信じてくれたからだ。


「……行ってくるわ、お母様」


ナラは、エラーラの手を握り返し、ニカっと笑った。

その笑顔は、どんな宝石よりも眩しかった。


「あたしが、最高に笑える結末にしてきてあげるわ!」


灰色の液体が魔導回路に注入される。

ナラの意識が、50年前の拷問部屋へと飛んだ。



50年前。市長公邸の地下室。

湿ったカビの臭いと、錆びた鉄の臭い。


「……笑えよ、ジョー君」


市長ギグルスが、ニヤニヤと笑いながらナイフを弄んでいた。

椅子に縛り付けられた青年、ジョーは、恐怖で震えている。


「君は私を笑い者にしたんだろう? ……なら、今ここで笑ってみせろ。私が君の顔を切り刻む間も、ずっと笑っていられるようにな」


ギグルスは、ジョーの頬に刃を当てた。


「や、やめて……! 許してくれ……!」


「許さん。権力者を侮辱した罪は、その笑顔で償ってもらおう」


ギグルスが力を込めた、その瞬間。


「――あら、お取り込み中ですの?」


場違いに明るい声が、地下室に響いた。


「な、誰だ!?」


ギグルスが振り返る。

扉が蹴破られ、一人の美女が入ってきた。

漆黒のドレスに身を包んだナラティブ・ヴェリタスだ。

彼女の手には、なぜか「パイ」が乗せられた皿が握られている。


「通りすがりのエンターテイナーですわ」


ナラは優雅に一礼した。


「市長さん。……あなた、笑いのセンスが絶望的ですわね」


「な、なんだと……?」


「人を傷つけて笑うなんて、三流の悪役でもやりませんわよ? ……一流のコメディはね」


ナラは、目にも留まらぬ速さでパイを投げた。


「こういうのを言うんですのよッ!!」


パイが見事にギグルスの顔面に命中した。

生クリームまみれになる市長。

縛られていたジョーが、思わず吹き出した。


「き、貴様ァァァッ! 私の顔に何を!」


ギグルスが激昂し、ナイフを振り回してナラに向かってくる。


「殺してやる! 八つ裂きにしてやる!」


「暴力反対! ……ここは舞台ですわよ!」


ナラは、部屋の隅にあったモップを手に取り、ギグルスの足元に転がした。

ギグルスが派手に転倒する。

ナラは、すかさずテーブルクロスを引き抜き、転んだギグルスの上にふわりとかけた。

そして、手品師のように指を鳴らす。


「消えてなくなれ、悪い政治家!」


ナラがクロスをめくると――ギグルスは消えていなかったが、その上に置いてあった花瓶の水が、彼の頭からバシャリとかかった。


「つめたッ!?」


「あら失敗。……水も滴る汚い男、の完成ですわね」


ナラは、ギグルスを徹底的に「コケ」にした。

殴るのではない。蹴るのでもない。

パイを投げ、足を引っ掛け、水をかけ、バナナの皮で滑らせる。

権威を振りかざす男が、無様に転げ回る姿。

それは、残酷な拷問部屋を、一瞬にして「ドタバタ喜劇」の舞台へと変えた。


「ひぃぃ! や、やめろ! 私は市長だぞ!」


クリームと水と泥にまみれたギグルスが、這いつくばって逃げようとする。

ナラは、その背中を踏みつけた。

そして、冷ややかに見下ろした。


「市長? ……いいえ、今のあんたはただの『ピエロ』よ」


ナラは、ジョーの方を振り返った。

ジョーは、涙を流しながら、腹を抱えて笑っていた。

恐怖が消え、純粋な「おかしさ」が彼を救っていた。


「……笑えた?」


ナラが尋ねる。


「あ、ああ……! 最高だ……! あんた、最高だよ!」


ジョーが答える。

ナラは、ジョーの縄を解いた。


「覚えときなさい。……笑いは、剣よりも強いのよ」


ナラは、ジョーの手を取って立たせた。


「権力なんて、笑い飛ばしてやりなさい。……恐怖に屈して顔を強張らせるんじゃない。あんたの武器は、その『笑顔』なんでしょ?」


「……はいっ!」


ナラは、倒れているギグルスを一瞥した。


「この男はもう、誰も傷つけられない。……一生、今日の恥を背負って生きるのよ」


ナラの体が光に包まれる。

タイムリミットだ。


「さあ、幕引きよ。……最高のオチをつけてきなさい!」


ジョーは、ナラに向かって深くお辞儀をした。

それは、命の恩人へ捧げる、最高の芸人の礼だった。



「……ッは!」


ナラが目を開けると、現代のサーカス小屋だった。

静寂。

先ほどまでの狂気じみた笑い声も、怪異の気配も、きれいに消え失せていた。


「おかえり、ナラ君」


エラーラが、ステージの上で待っていた。

彼女の手には、一枚の古びたポスターが握られている。


「見てごらん」


ポスターには、満面の笑みを浮かべた伝説のコメディアン、ジョーの写真があった。


『伝説の喜劇王ジョー。権力を笑い飛ばし、世界中に笑顔を届けた男』


「彼はあの日から、一度も笑うことをやめなかった。……ギグルス市長は失脚し、ジョーは国民的英雄になったんだ」


「……ふふ。ハッピーエンドね」


ナラは、ポスターのジョーの笑顔を見て、つられて微笑んだ。

奪われた笑顔は戻り、悲劇は喜劇へと書き換えられた。


「終わったね」


エラーラが言った。


「ええ。……全部、終わりましたわ」


ナラは、大きく息を吐いた。

これで、街にはびこる怪異はあらかた片付いたはずだ。

平和が戻る。

でも、それは同時に、一つの「予感」を連れてくる。


「……ねえ、お母様」


ナラは、エラーラの方を向いた。

月明かりが、スポットライトのように二人を照らしている。


「あたしたち……いいコンビだったわよね?」


「何を言うんだ。……『だった』じゃないだろう」


エラーラは、ナラに歩み寄り、その手を取った。


「これからもだ。……世界にはまだ、救われていない物語がたくさんある」


エラーラは、ナラの瞳を覗き込んだ。

その黄金の瞳には、ナラへの信頼と、そしてこれからの未来への希望が満ちていた。


「私の科学と、君の物語。……この二つがあれば、どんなバッドエンドも覆せる」


「……そうね」


ナラは、エラーラの手を強く握り返した。

胸の奥が熱くなる。

この人がいれば、あたしはどこへでも行ける。

どんな敵とも戦える。


「約束よ、お母様。……あたしがおばあちゃんになっても、一緒にバカやってよね」


「もちろんだ。……その頃には、私は不老不死の薬を完成させているかもしれないがね」


「やめてよ! 一緒に年を取りなさい!」


二人は顔を見合わせ、吹き出した。

その笑い声は、かつての呪われたサーカス小屋を、温かい劇場へと変えていく。


「さあ、帰ろうナラ君! ……実は、留守番のケンジ君たちに、特大のピザを頼んでおいたんだ!」


「あら! 気が利きますわね! あたし、チーズ増量がいいわ!」


「了解だ! カロリーなんて概念は、今夜だけは忘却しよう!」


二人は腕を組み、夜の街へと歩き出した。

その背中は、頼もしく、そして何よりも楽しそうだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ