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第2話:初めての謎解き!

あの夜から、3日が過ぎた。

私は、預かった時計を誇らしげに眺めていた。

傷一つない白。狂いなく時を刻む針。

セドリックは今頃、アリサと共に更生への道を歩んでいるだろうか。

その答えは、最悪の形でもたらされた。


「死体発見!」


王都警察からの連絡。

私は耳を疑った。現場へ走った。

路地裏のゴミ捨て場。そこに、セドリックはいた。

彼は死んでいた。

死因は、薬物の過剰摂取。

右腕には注射痕が無数にあり、口からは泡を吹いていた。だが、その表情は幸せそうに緩んでいた。


「……嘘、でしょ」


私は立ち尽くした。

なぜ? 時計を預けて、やり直すはずだったじゃない。

検視官が言う。


「所持金はゼロ。着ていた服も靴も売って、薬を買ったようだ。……最後は、自分の体も売った痕跡がある」


彼は、時計を私に預けたことで「心の重荷」を下ろしてしまったのだ。

「時計は安全だ」という安心感が、逆に彼のリミッターを外した。

彼は弱さに勝てなかった。アリサの愛も、母の誇りも、薬の快楽の前では無力だった。

私は、自分の甘さを呪った。

私が時計を預かったせいで、彼は死んだのかもしれない。


だが、悲劇はそこで終わらなかった。

翌日。

隣国のホテルで、アリサの変死体が発見されたのだ。

死因は毒殺。

密室での不可解な死。

彼女の荷物は荒らされていたが、検視の結果、胃の中から奇妙な紙片が見つかった。

それは、飲み込もうとして失敗した、何かの「売却証明書」の一部だった。


何が起きているの?

私は事務所に戻り、白い時計を手に取った。

アリサの死。セドリックの死。そして、売却証明書。

点と点が繋がらない。いや、繋げたくない。

だが、探偵としての本能が、私にある行動を促した。

私は、時計店から借りてきた特殊な工具で、セラミックの裏蓋をこじ開けた。

違和感があった。

ケースの間に、不自然な隙間がある。

そこには、何もなかった。

いや。

なにかが入っていた形跡があった。


――その瞬間。


私の脳内で、パズルのピースが組み上がり、残酷な絵を描き出した。

あの日、アリサが言っていた言葉。


『時計を守りたかった』


『セドリックのために』


嘘だ。

全て、嘘だった。

アリサが本当に盗んだのは、時計そのものではなかった。

この裏蓋の中に隠されていたチップ、『セドリックの実家の土地の権利書データ』だったのだ。

彼女の計画はこうだ。


1.先月から「時計が欲しい」と騒ぎ、セドリックの意識を時計に向けさせる。


2.時計を盗み出し、中の権利書だけを抜き取る。


3.私(探偵)に追い詰められることも計算に入れ、港で「愛のための窃盗」を演じる。


4.セドリックを感動させ、時計そのものはナラに預けさせるように誘導する。


これが、彼女の最大のブラフだった。

もし時計をセドリックに返せば、彼が中身を確認するかもしれない。あるいは質屋が裏蓋を開けるかもしれない。

だが、「探偵という第三者に時計を預けさせる」という形を取れば、時計は封印される。

誰も中身のチップの有無に気づかないまま、彼女はチップを持って高飛びできる。

時計は、ただの「抜け殻」だったのだ。


「……は、はは」


私は乾いた笑い声を漏らした。

あの日、港で見せた涙。愛の告白。

すべては、この白い時計を私の手元という安全地帯に固定し、自分の逃走時間を稼ぐための演技だった。

彼女はセドリックのことなど愛していなかった。

最初から、このチップ狙いだったのだ。

私は、自分の審美眼のなさに絶望した。

聖女だと思った女は、稀代の詐欺師だった。

そして、その女もまた、権利書を売った相手――裏社会のシンジケートに、口封じで殺されたのだ。


私の絶望をよそに、事態は最悪の方向へと転がり落ちていった。

権利書の流出により、セドリックの実家である「エルフの名門貴族」が動き出したのだ。

その鉱山の地下には、エルフたちが獣人を奴隷として酷使し、禁忌の実験を行っている施設があった。権利書はその事実を隠蔽するための命綱だった。

一方で、アリサの実家も正体を現した。

彼らはただの貧しい家ではなかった。「人身売買組織」だったのだ。

アリサは、幼い頃から「ハニートラップ要員」として洗脳育成された、いわば、特殊工作員だった。

彼女もまた、親に利用され、最後は組織の利益のために命を落とした、悲しい駒に過ぎなかった。

権利書を巡り、エルフ貴族、人身売買組織、そして権利書を買ったシンジケート。

三つ巴の抗争が勃発した。

王都の夜が燃え上がる。

魔法と銃弾が飛び交い、血が流れる。

彼らは「富」と「隠蔽」と「メンツ」のために殺し合う。

誰一人として、死んだセドリックやアリサのことなど気にかけていない。


抗争の火の粉が舞う中、私はビルの屋上から街を見下ろしていた。

左手首には、あの『純白の時計』が巻かれている。

アリサは、策に溺れ、嘘にまみれて死んだ。

彼女の家族は、娘を道具として使い捨てた。

セドリックの家族は、差別と虐待の罪を隠すために戦争を始めた。

全員が、悪だ。全員が、救いようのないクズだ。人間の業。社会の闇。

私は、それらを見抜けなかった。表面的な「物語」に酔いしれ、真実から目を背けていた。

その中で、ただ一人。

薬に負けて、路地裏で野垂れ死んだセドリック。

彼は、権利書という巨万の富には目もくれなかった。そもそも、その存在すら知らなかったのかもしれない。

彼が執着したのは、ただ一つ。


「母の思い出(時計)」だけだった──。


彼は、自分の弱さを知っていた。

だから、最後の良心に従って、時計を私に託した。

権利書が抜かれているとも知らず、アリサに裏切られているとも知らず、ただ純粋に「母の愛」と「アリサの愛」を信じて、私に託した。


「……どいつもこいつも地獄行きだけど」


私は、白い時計の文字盤を指でなぞった。

硬質で、冷たくて、美しい。

どんなに泥にまみれても、傷一つ付かないセラミック。

その「白さ」は、セドリックの愚かなほどの純真さと重なる。

最も愚かで、最も弱く、最も悲惨な死に方をした男。

けれど、彼だけが、欲ではなく「心」のために動いていた。

その滑稽な純粋さが、このドス黒い事件の中で、唯一の「真理(ヴェリタス)」として残った。

私は、この時計を返す場所を失った。

実家に返せば、また争いの種になる。

質に入れれば、セドリックの想いが汚される。


「……私が、背負ってあげるわ」


私は決めた。

この時計は、私が使い続ける。

愚かな男が遺した、最後の誇りを守るために。

そして、私の「甘さ」と「未熟さ」を、二度と忘れないための戒めとして。


私はドレスの袖をまくった。

黒い服に、白い時計が痛いほど鮮やかに映える。

それは、私の在り方を決定づけるコントラスト。

世の中は綺麗事じゃない。

人は嘘をつく。愛は利用される。

けれど、その泥沼の中にこそ、拾い上げるべき「真実」の欠片が落ちていることもある。

時計は正確に時を刻む。

私の鼓動と重なる。

街は、燃えている。


私は、その地獄絵図のような街を、当てもなく彷徨っていた。

心身ともに、限界だった。

自分の甘さが招いた結末。救えなかった依頼人。見抜けなかった悪女の本性。

左手首に巻かれた『純白の時計』が、鉛のように重い。

その冷たく硬質なセラミックの感触は、私に「人間の業」と「現実の残酷さ」を突きつけてくるようだった。


「……疲れた」


私は、路地裏のベンチに崩れ落ちた。

煤と血の臭い。遠くで聞こえる怒号。

世界はこんなにも汚くて、救いがない。

私は膝を抱え、震える手で白い時計を握りしめた。

この冷たさに耐えながら、一人で生きていかなければならないのか。

その時だった。


「……お姉さん。寒くない?」


不意に、温かい声が降ってきた。

顔を上げると、そこには一人の獣人の女性が立っていた。

狼のような耳と、ふさふさした立派な尻尾を持つ女性。

服装からして、スラムの住人か、夜の仕事をしている女性だろう。彼女もまた、この抗争に怯え、逃げ惑う弱者の一人のはずだ。

だが、彼女は私を見て、優しく微笑んでいた。


「ひどい顔してる。……泣いてたの?」


彼女は私の隣に座った。

そして、何も言わずに、その太く、豊かで、毛並みの良い「尻尾」を、私の背中に回してくれた。

温かかった。

凍え切った体に、生物の体温が染み込んでくる。

剛毛混じりの毛並みの感触。筋肉の弾力。そして、ドクドクと脈打つ命の音。


「……あったかい」


私は思わず、その尻尾に顔を埋めた。

涙が溢れた。

セドリックの死体を見ても、アリサの裏切りを知っても流せなかった涙が、どっと溢れ出した。

彼女は、どこの誰ともわからない私を、ただ「寒そうだったから」という理由だけで温めてくれている。

欲も、計算も、嘘もない。

ただそこにある、純粋なぬくもり。

エルフたちは誇りのために殺し合い、人間たちは金のために裏切り合う。

けれど、差別され、見下されている獣人だけが、こんなにも温かい。


(……ああ、そうか)


私は、涙を流しながら悟った。

この世界で生きていくためには、二つのものが必要なのだ。

一つは、現実の冷たさを直視し、決して忘れないための「白」。

そしてもう一つは、凍えた心を溶かし、明日へ繋ぐための「尻尾」。

彼女はしばらくの間、私が泣き止むまで、黙って尻尾で包み込んでくれていた。

名も知らぬ獣人の女性。

彼女こそが、この地獄のような夜に舞い降りた、本物の聖女だったのかもしれない。


「……ありがとう」


私は涙を拭い、立ち上がった。

獣人の女性は、笑って手を振り、闇の中へと消えていった。

私は左手首を見た。

『純白の時計』は、相変わらず冷たく輝いている。

これは、私の戒め。私が背負うべき「業」の象徴。

けれど、今の私には、もう一つの支えがある。

私の胸の奥には、あの尻尾の感触が、確かな熱源として残っていた。


「……行きましょう」


私は、ドレスの袖をまくり、時計を露わにした。

そして、心に誓った。

この冷たい世界で、真実を見極める目を持つこと。

そして、疲れた時には、迷わずもふもふの尻尾に癒やされること。

それが、私、ナラティブ・ヴェリタスが一人で歩き始めた日の記録。

白亜の時計と、獣人の尻尾への執着。

相反する二つの要素を抱え、私は今日も、混沌とした王都の霧の中へと足を踏み入れる。

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