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第1話:全てが欺瞞!

●先に前作エラーラ・ヴェリタスの「知と学と狂気」全3話を読むと良いかも。

https://ncode.syosetu.com/n8833lb/111

獣病院の二階、ヴェリタス探偵事務所。

あたし、ナラティブ・ヴェリタスは、泥のような濃いコーヒーを喉に流し込み、重たい足取りで窓際へ向かった。

足が重いのは、気分のせいじゃない。物理的に重いのだ。


「……どきなさいよ」


あたしの足元には、大小様々な猫が五匹、足枷のようにしがみついている。

彼らはただ、じっとあたしを見上げている。その目は、この終わった世界を嘲笑っているようでもあり、「逃げられないぞ」と宣告しているようでもあった。


そして、事務所の玄関前には、いつものように「世界のバグ」が堆積していた。


「……貴様、今の羽ばたきは王都警察の暗号だな!」


薄汚い寝袋にくるまった老人、ガムス。

彼は電線に止まった一羽の鳩に向かって、真剣な眼差しでファイティングポーズを取っている。ボロボロのコート、伸び放題の髭。


そのガムスの背後、わずか五十センチの距離に、直立不動の男がいる。

瞳孔の開いた男。

瞬きをしない。呼吸をしている気配すらない。彼はガムスを見ているのではない。ガムスという存在がいる「座標」を、ただ、観測しているだけだ。


そして、三体目。

全身を白のドーランで塗りたくった、身長二メートルの巨大な女。

彼女は意味もなく玄関前を徘徊している。まるで、制御術式が壊れたゴーレムのように、壁にぶつかっては方向を変え、またぶつかる。


「……掃き溜めね」


あたしは呟いた。猫が「ニャア(そうですよ。)」と鳴いた。

こいつらはこの街の縮図だ。目的のない狂気、意味のない敵対、そして空虚な徘徊。王都そのものが、あたしの玄関にたまたまへばりついているに過ぎない。

リビングの魔導ビジョンが、今日も狂ったニュースを垂れ流している。


『極右騎士団『鉄の血盟』が「政府を支持する」と主張。王都警察はこれを「公務執行妨害」で強制排除しました』


画面の中で、王国の紋章旗を掲げた男たちが、愛する国家の犬たちに頭をカチ割られていた。


『反政府極左魔導ゲリラ『無政府の光』は、本日も「政府転覆デモ」を開催。王都警察は彼らの表現の自由を守るため、保護にあたりました』


画面が切り替わる。火炎魔法を杖から放つモヒカンの若者たちが、笑顔の機動隊員に肩を揉まれながら、警察車両を燃やしている。


「まるで、蛇が自分の尾を飲み込んで、消化不良で吐いているようだね」


奥のデスクで、エラーラ・ヴェリタスが冷ややかな声で言った。


「……お母様。除草剤はないの?玄関のあいつら、どうにかしたいんだけど」


「放っておきたまえ。彼らも生態系の一部だ」


その時、ドアが乱暴に叩かれた。

依頼人だ。

この腐った街で、まだ救いを求める馬鹿がいるらしい。


転がり込んできたのは、一人の青年だった。

ジーク。

彼は『鉄の血盟』の制服である豪奢な騎士鎧を着ていた。


「た、助けてくれ!俺のアイデンティティが……うわっ!」


玄関に入ろうとしたジークの肩に、重い衝撃音が響いた。

あの白塗りの巨大女だ。

彼女は、広い入り口で、わざわざジークに狙いを定めて衝突してきたのだ。


「あ、あらごめんなさい。私ったらおっちょこちょいで……」


女は無表情のまま、平坦な声で謝罪し、ペコペコと頭を下げた。


「な、なんだあの女は……!?いや、そんなことはどうでもいい!ヴェリタス、あんただけが頼りなんだ!」


ジークの依頼は、この街の混沌を凝縮したような代物だった。

彼は弾圧される極右騎士団の総長の息子でありながら、思想は紛れもなく、極左。

そして、恋い焦がれる相手は、国家公認の反体制テロリスト・アイドル、ココ。


「俺は労働者の楽園を作りたいんだ!でも親父は『国のために死ね』と言う!ココを連れ出してくれ!俺たち二人で、真の革命という名の愛の逃避行をするんだ!」


あたしは珈琲を啜った。苦い。この苦味だけが現実だ。


「……右翼の左翼が、国のテロリストと駆け落ちしたいと?」


「そうだ!」


ジークの目は血走っていた。

彼は本気だ。本気で、この茶番劇を悲劇だと思い込んでいる。

あたしはため息をつき、エラーラを見た。彼女は半笑いで「受託しろ」と口パクで言った。

こないだは至って真面目だったのに、今回は依頼人で遊んでやがる。

まあ……金にはなる。


「……いいわ。行きましょう。そのパレードのど真ん中へ」


あたしたちはデモの現場に到着した。

『無政府の光』のメンバーたちが、指定されたエリア内でたのしく爆裂魔法を放っている。


「ココ!」


ジークが叫んだ。

デモ隊の中心、派手な装飾を施されたパレード用フロートの上に、少女が立っていた。

ココ。国家公認のアナーキー・アイドル。

彼女は魔導マイクを握り、可憐に叫んでいた。


「政府の犬どもは死ね!……あ、警部さんお疲れ様です!」


警部と呼ばれた男が、笑顔で敬礼する。


「ご苦労様、ココちゃん!破壊活動のノルマ達成おめでとう!」


嘔吐感を催すような光景だった。


「ジーク!?」


ココが気づいた。彼女はフロートから降りてきた。


「なんで来たの!あなたのお父様の右翼騎士団、また警察にボコボコにされてたわよ!」


「それはどうでもいい!ココ、ここから逃げよう!国家の金で国家を否定するなんて、そんなファッション政治活動はやめて、俺と本当の自由を探しに!」


ジークが手を伸ばす。

しかし、ココは冷めた目で一歩下がった。


「……何言ってるの?」


ココはストローを噛みながら言った。


「この『国家公認国家反逆活動』のおかげで、私は上層街区に住めてるのよ?」


「な……君は、魂まで売ったのか!?」


「売ってないわよ。契約してるだけ。契約期間が終われば、次は『自然派活動家』にでも鞍替えするわ」


会話が噛み合わない。

ジークの純粋に歪んだ情熱は、ココのドライな処世術の前では無力だった。

その時、あたしの足元の猫を踏まないように、ガムスが這っていった。


「……ターゲット『ポッポ』がパン屑を啄んでいる。これは古代文字による暗号だ。『人類ヲ、家畜化セヨ』と言っている……!」


ガムスの視線の先には、平和ボケした鳩がいるだけだ。

そのガムスを、瞳孔男が直立不動で見下ろしている。


事態が動いた。

ジークの父率いる『鉄の血盟』が、デモ隊に突撃してきたのだ。


「やめろ親父!」


ジークが叫ぶ。

警察が動く。

破裂音。怒号。悲鳴。


その時だった。

あたしの背後に、気配が迫った。

殺気ではない。もっと異質で、ドロドロとした「非合理」の塊。


「……見つけたぞ」


低い声。

振り返ると、そこには見覚えのある、神経質そうな貴族風の男が立っていた。

漆黒のコートを着て、手にはティーカップを持っている。

かつてエラーラを「牛乳入り紅茶の復讐」というわけのわからない理由で襲い、今はエラーラの熱狂的な信者と化した元・暗殺者、「紅茶の男」だ。


「……何の用よ?あんたもデモに参加しに来たの?」


あたしは警戒した。

こいつは腕利きの殺し屋だが、思考回路がショートしている。


「デモなどという俗物には興味ない。エラーラ博士の命により『浄化』を行いに来た」


「浄化?」


「そうだ。博士は仰った。『私の娘が巻き込まれそうだ。適当に掃除しておけ』と。……だから私が、そのノイズを『選別』してやるのだよ」


紅茶の男は、優雅にティーカップを掲げた。

すると、彼の背後から、次々と「異形」たちが姿を現した。

かつてエラーラを襲い、そして彼女の「非合理フェロモン」なるものによって魅了され、信者と化した狂人集団。


「あ、どうも。お久しぶりです」


ペコペコと頭を下げながら現れたのは、「純血連盟」の包丁男だ。手には巨大な出刃包丁と、一升瓶を持っている。

 

「ぽーぽぽぽ、ぽぴーっ!ちゅくちゅくちゅん!」


陽気な歌と共に、清掃員の制服を着た男が、モップを槍のように構えて踊りながら現れた。


「レオ君…レオ君…ああ、レオ君はここにはいない…!なら、この暴徒たちでもいい!彼らの悪意がケレンに向けられたんだ!」


目を血走らせた男が、デモ隊を見て興奮している。性癖の男だ。


「博士は…私を裏切った…博士は男と歩いていた…だから、博士の敵は、私が貰う…!」


首をありえない角度に曲げた、目の虚ろなストーカー女が、短刀で自分の腕に「エラーラ」と彫りながら呟いている。


「左から来た時には左から来たのに魚を食べましたか?食べたんですか?食べたんでしょ!」


鉛筆をガリガリとかじりながら、ノイローゼの中年女性が機動隊を睨みつける。


「いたぞ!あいつらだ!ザイラス議員のスパイどもめ!」


陰謀論の男が、デモ隊を指差して叫ぶ。

そして、路地裏の影から、気怠そうにタバコを咥えた男が現れた。

裏社会最強の殺し屋、『鬼斬り』のリュウだ。

彼の横には、金色のペンキで全身を塗りたくり、頭にプロペラをつけた狂人ロプピと、下着姿で「ぷちゅぷちゅ」と呟きながら地面を高速移動するゴミ山男もいる。

リュウは、やる気なさそうに頭をかいた。


「エラーラ姐さんに頼まれたんだ。『私の娘の半径100メートルを更地にしろ』ってな」


「はぁ?更地って何よ!」


あたしは絶句した。

エラーラのやつ、あたしを助けるために、こんな核爆弾みたいな連中を解き放ったの!?


「皆さん、ご挨拶を」


紅茶の男が号令をかけると、全員があたしに向かって深々と一礼した。


「「「お騒がせして申し訳ありません。少々、暴れさせていただきます」」」


礼儀正しい。

異常なほどに礼儀正しい。

そして彼らは、まるで「やりたくない残業」をこなすサラリーマンのような顔で、地獄の釜の蓋を開けた。


「汚染源!汚染源!このデモは非合理な汚染に満ちている!」


純血連盟の男が、包丁を振り回して機動隊に突っ込んだ。


「聖水で浄化してやる!」


水をかけられた機動隊員が「冷たっ!」と怯んだ隙に、包丁が防御結界を切り裂く。


「ぽーぽぽぽ、ぽぴーっ! お掃除の時間ですよー!」


モップ男が、回転しながらデモ隊の中心に突入し、モップで火炎瓶を打ち返していく。


「ちゅくちゅくちゅん!」


左翼の若者たちが、自分の投げた火炎瓶で燃え上がり、踊り狂う。


「ハハッ! 赤いの! 赤いのいっぱい出るかな!?」


ロプピが、金色のプロペラを回しながら、右翼の重装騎士に飛びかかり、その鎧の上から喉元に噛みついた。


「硬い! 鉄の味がする! ゴミだ!」


騎士が悲鳴を上げる。


「な、なんだコイツは! 離せ! 離せぇぇ!」


「……めんどくせえ」


リュウは、ドスを抜くことさえせず、襲いかかってきた警官の顎を、裏拳一発で粉砕した。

ゴミ山の男が、「ぷちゅぷちゅ」と言いながら地面を這いずり回り、倒れた警官の装備を高速で解体していく。警棒が、手錠が、制服が、一瞬でバラバラのパーツになる。


「魚を食べた!食べたんでしょ!」


鉛筆女が、ココの乗るフロートに飛び乗り、ココに詰め寄る。


「い、いえ、食べてません!タピオカしか!」


「左から来たのに?」


地獄だ。

意味がわからない。

誰もが自分の役割を見失っていた。

善悪の彼岸などとうに超え、ただの「ファッション」の泥仕合が、狂人たちの乱入によって「シュールレアリスム」へと昇華されていく。

彼らはあたしの味方ではない。災害そのものだ。

あたしは腰を抜かした。

足元の猫たちが、怯えるどころか「もっとやれ」とばかりに喉を鳴らしているのが、さらに恐怖を煽る。


エラーラの狂信者たちが暴れまわるデモ現場に、さらなる「異物」たちが雪崩れ込んできた。

かつて裏社会で「鬼斬りのリュウ」を殺そうとして失敗し、なぜか彼と奇妙な友情で結ばれた、あの伝説の怪物たちである。

マンホールの蓋が吹き飛び、そこから『腕が6本ある赤ん坊の妖怪』が這い出してきた。

電線の上には、『逆さまに歩く、関節が折れ曲がった老人』が張り付き、重力を無視して笑っている。

路地裏からは、目玉の代わりに無数の口がついた女の妖怪が、嬌声を上げながら現れた。

さらに、屋根の上。

対立組のヤクザたちが、スナイパーライフルや魔導弓を構えて現れたかと思えば、なぜかリュウを見つけて「兄貴!同窓会っすか!」と手を振っている。

空には、フードを被った高位魔法使いたちが浮遊し、「空間ロック完了」と厳かに宣言する。

そして、極めつけは。

お揃いのジャージを着た5人の男たち――『肉体セミナー』の狂信者たちが、戦場のど真ん中にスクラムを組んで突入してきた。

彼らは火炎瓶や魔法弾が飛び交う中で、一斉にスクワットを開始した。


「三角の論理は!四角の筋肉に宿る!」


混沌の飽和。

全員が全員を敵視し、あるいは愛し、あるいは無視して、大乱闘を繰り広げている。


「な、なんなんだこれはぁぁぁッ!!」


ジークが絶叫した。

彼は目の前の金色の狂人――ロプピに向かって説教を始めた。


「おい貴様!金色は資本主義の色だ!なぜ赤く塗らない!革命的色彩感覚が欠如しているぞ!」


「ハハッ!赤いのは中身だよ!お前の腹の中も赤いかな!? 見せてよ!」


ロプピはジークの説教など聞かず、プロペラを回してジークの腹を噛もうとする。

ジークは「話を聞け! プロレタリアートの対話だ!」と叫びながら、ロプピの頭を押さえつける。噛み合うはずがない。

一方、あたしはリュウの襟首を掴んで揺さぶっていた。


「ちょっと!なんでこんなに呼んだのよ!」


「……知らねえよ。勝手についてきたんだ」


リュウはされるがままに揺さぶられながら、虚ろな目で答える。


「何も考えたくねえんだ。……酒をくれ」


その混乱の中心に、エラーラ・ヴェリタスが立っていた。

彼女は、飛び交う瓦礫や魔法を、最小限の動きで躱しながら、朗々と演説をぶっていた。


「見たまえナラ!彼らは各々の『非合理な物語』を衝突させることで、擬似的な熱エネルギーを生み出している!社会学的実験としては満点だ!」


エラーラは恍惚としていた。

だが、その演説を真剣に聞いているのは、あの『瞳孔の開いた男』だけだった。

彼は戦場の真ん中で直立不動のまま、エラーラの唇の動きを、瞬き一つせず凝視している。

そして、足元の猫たちが、エラーラを徹底的におちょくっていた。

一匹がエラーラの白衣の裾に爪を立てて登り、もう一匹が彼女の靴紐を解き、三匹目が彼女の進路にわざと寝転がる。

エラーラは足をバタつかせているが、猫たちは「お前の論理など知ったことか」という顔であくびをしている。


ここには「対話」がない。あるのは、狂気の大合唱だけだ。

限界だった。

この空間における「狂気密度」は、とうに臨界点を超えていた。

魔法使いの空間ロックと、モップ男の回転エネルギーと、肉体セミナーの熱気と、妖怪の呪詛が一点に集中し――。


カッッッ!!!!


視界が白く染まった。

音さえ置き去りにするような、巨大な魔力爆発。

王都の一角が、物理法則を無視した衝撃波によって吹き飛ばされた。


……。


…………。


数分後。

瓦礫の山となった広場で、モゾモゾと何かが動いた。


「フム。計算通りだ」


一番最初に瓦礫から出てきたのは、白衣の埃を払うエラーラだった。無傷である。


「非合理なエネルギーの衝突は、互いに相殺し合い、結果として『ゼロ』に収束する。私の理論が証明されたな」


続いて、瓦礫の下から、狂人たちがぞろぞろと這い出してきた。

全員、服はボロボロで煤けているが、奇跡的に五体満足だった。

バカは風邪を引かないというが、こいつらは爆発でも死なないらしい。


「……カオスね」


あたしは、煤けたドレスを払いながら立ち上がった。

誰も死んでいない。

ただ、全員が泥だらけで、意味不明なことを叫んで、じゃれ合っている。

これはこれで、王都らしい「茶番」の結末と言えなくもなかった。


――そう、ここまでは。

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