第1話:全てが欺瞞!
●先に前作エラーラ・ヴェリタスの「知と学と狂気」全3話を読むと良いかも。
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獣病院の二階、ヴェリタス探偵事務所。
あたし、ナラティブ・ヴェリタスは、泥のような濃いコーヒーを喉に流し込み、重たい足取りで窓際へ向かった。
足が重いのは、気分のせいじゃない。物理的に重いのだ。
「……どきなさいよ」
あたしの足元には、大小様々な猫が五匹、足枷のようにしがみついている。
彼らはただ、じっとあたしを見上げている。その目は、この終わった世界を嘲笑っているようでもあり、「逃げられないぞ」と宣告しているようでもあった。
そして、事務所の玄関前には、いつものように「世界のバグ」が堆積していた。
「……貴様、今の羽ばたきは王都警察の暗号だな!」
薄汚い寝袋にくるまった老人、ガムス。
彼は電線に止まった一羽の鳩に向かって、真剣な眼差しでファイティングポーズを取っている。ボロボロのコート、伸び放題の髭。
そのガムスの背後、わずか五十センチの距離に、直立不動の男がいる。
瞳孔の開いた男。
瞬きをしない。呼吸をしている気配すらない。彼はガムスを見ているのではない。ガムスという存在がいる「座標」を、ただ、観測しているだけだ。
そして、三体目。
全身を白のドーランで塗りたくった、身長二メートルの巨大な女。
彼女は意味もなく玄関前を徘徊している。まるで、制御術式が壊れたゴーレムのように、壁にぶつかっては方向を変え、またぶつかる。
「……掃き溜めね」
あたしは呟いた。猫が「ニャア(そうですよ。)」と鳴いた。
こいつらはこの街の縮図だ。目的のない狂気、意味のない敵対、そして空虚な徘徊。王都そのものが、あたしの玄関にたまたまへばりついているに過ぎない。
リビングの魔導ビジョンが、今日も狂ったニュースを垂れ流している。
『極右騎士団『鉄の血盟』が「政府を支持する」と主張。王都警察はこれを「公務執行妨害」で強制排除しました』
画面の中で、王国の紋章旗を掲げた男たちが、愛する国家の犬たちに頭をカチ割られていた。
『反政府極左魔導ゲリラ『無政府の光』は、本日も「政府転覆デモ」を開催。王都警察は彼らの表現の自由を守るため、保護にあたりました』
画面が切り替わる。火炎魔法を杖から放つモヒカンの若者たちが、笑顔の機動隊員に肩を揉まれながら、警察車両を燃やしている。
「まるで、蛇が自分の尾を飲み込んで、消化不良で吐いているようだね」
奥のデスクで、エラーラ・ヴェリタスが冷ややかな声で言った。
「……お母様。除草剤はないの?玄関のあいつら、どうにかしたいんだけど」
「放っておきたまえ。彼らも生態系の一部だ」
その時、ドアが乱暴に叩かれた。
依頼人だ。
この腐った街で、まだ救いを求める馬鹿がいるらしい。
転がり込んできたのは、一人の青年だった。
ジーク。
彼は『鉄の血盟』の制服である豪奢な騎士鎧を着ていた。
「た、助けてくれ!俺のアイデンティティが……うわっ!」
玄関に入ろうとしたジークの肩に、重い衝撃音が響いた。
あの白塗りの巨大女だ。
彼女は、広い入り口で、わざわざジークに狙いを定めて衝突してきたのだ。
「あ、あらごめんなさい。私ったらおっちょこちょいで……」
女は無表情のまま、平坦な声で謝罪し、ペコペコと頭を下げた。
「な、なんだあの女は……!?いや、そんなことはどうでもいい!ヴェリタス、あんただけが頼りなんだ!」
ジークの依頼は、この街の混沌を凝縮したような代物だった。
彼は弾圧される極右騎士団の総長の息子でありながら、思想は紛れもなく、極左。
そして、恋い焦がれる相手は、国家公認の反体制テロリスト・アイドル、ココ。
「俺は労働者の楽園を作りたいんだ!でも親父は『国のために死ね』と言う!ココを連れ出してくれ!俺たち二人で、真の革命という名の愛の逃避行をするんだ!」
あたしは珈琲を啜った。苦い。この苦味だけが現実だ。
「……右翼の左翼が、国のテロリストと駆け落ちしたいと?」
「そうだ!」
ジークの目は血走っていた。
彼は本気だ。本気で、この茶番劇を悲劇だと思い込んでいる。
あたしはため息をつき、エラーラを見た。彼女は半笑いで「受託しろ」と口パクで言った。
こないだは至って真面目だったのに、今回は依頼人で遊んでやがる。
まあ……金にはなる。
「……いいわ。行きましょう。そのパレードのど真ん中へ」
あたしたちはデモの現場に到着した。
『無政府の光』のメンバーたちが、指定されたエリア内でたのしく爆裂魔法を放っている。
「ココ!」
ジークが叫んだ。
デモ隊の中心、派手な装飾を施されたパレード用フロートの上に、少女が立っていた。
ココ。国家公認のアナーキー・アイドル。
彼女は魔導マイクを握り、可憐に叫んでいた。
「政府の犬どもは死ね!……あ、警部さんお疲れ様です!」
警部と呼ばれた男が、笑顔で敬礼する。
「ご苦労様、ココちゃん!破壊活動のノルマ達成おめでとう!」
嘔吐感を催すような光景だった。
「ジーク!?」
ココが気づいた。彼女はフロートから降りてきた。
「なんで来たの!あなたのお父様の右翼騎士団、また警察にボコボコにされてたわよ!」
「それはどうでもいい!ココ、ここから逃げよう!国家の金で国家を否定するなんて、そんなファッション政治活動はやめて、俺と本当の自由を探しに!」
ジークが手を伸ばす。
しかし、ココは冷めた目で一歩下がった。
「……何言ってるの?」
ココはストローを噛みながら言った。
「この『国家公認国家反逆活動』のおかげで、私は上層街区に住めてるのよ?」
「な……君は、魂まで売ったのか!?」
「売ってないわよ。契約してるだけ。契約期間が終われば、次は『自然派活動家』にでも鞍替えするわ」
会話が噛み合わない。
ジークの純粋に歪んだ情熱は、ココのドライな処世術の前では無力だった。
その時、あたしの足元の猫を踏まないように、ガムスが這っていった。
「……ターゲット『ポッポ』がパン屑を啄んでいる。これは古代文字による暗号だ。『人類ヲ、家畜化セヨ』と言っている……!」
ガムスの視線の先には、平和ボケした鳩がいるだけだ。
そのガムスを、瞳孔男が直立不動で見下ろしている。
事態が動いた。
ジークの父率いる『鉄の血盟』が、デモ隊に突撃してきたのだ。
「やめろ親父!」
ジークが叫ぶ。
警察が動く。
破裂音。怒号。悲鳴。
その時だった。
あたしの背後に、気配が迫った。
殺気ではない。もっと異質で、ドロドロとした「非合理」の塊。
「……見つけたぞ」
低い声。
振り返ると、そこには見覚えのある、神経質そうな貴族風の男が立っていた。
漆黒のコートを着て、手にはティーカップを持っている。
かつてエラーラを「牛乳入り紅茶の復讐」というわけのわからない理由で襲い、今はエラーラの熱狂的な信者と化した元・暗殺者、「紅茶の男」だ。
「……何の用よ?あんたもデモに参加しに来たの?」
あたしは警戒した。
こいつは腕利きの殺し屋だが、思考回路がショートしている。
「デモなどという俗物には興味ない。エラーラ博士の命により『浄化』を行いに来た」
「浄化?」
「そうだ。博士は仰った。『私の娘が巻き込まれそうだ。適当に掃除しておけ』と。……だから私が、そのノイズを『選別』してやるのだよ」
紅茶の男は、優雅にティーカップを掲げた。
すると、彼の背後から、次々と「異形」たちが姿を現した。
かつてエラーラを襲い、そして彼女の「非合理フェロモン」なるものによって魅了され、信者と化した狂人集団。
「あ、どうも。お久しぶりです」
ペコペコと頭を下げながら現れたのは、「純血連盟」の包丁男だ。手には巨大な出刃包丁と、一升瓶を持っている。
「ぽーぽぽぽ、ぽぴーっ!ちゅくちゅくちゅん!」
陽気な歌と共に、清掃員の制服を着た男が、モップを槍のように構えて踊りながら現れた。
「レオ君…レオ君…ああ、レオ君はここにはいない…!なら、この暴徒たちでもいい!彼らの悪意がケレンに向けられたんだ!」
目を血走らせた男が、デモ隊を見て興奮している。性癖の男だ。
「博士は…私を裏切った…博士は男と歩いていた…だから、博士の敵は、私が貰う…!」
首をありえない角度に曲げた、目の虚ろなストーカー女が、短刀で自分の腕に「エラーラ」と彫りながら呟いている。
「左から来た時には左から来たのに魚を食べましたか?食べたんですか?食べたんでしょ!」
鉛筆をガリガリとかじりながら、ノイローゼの中年女性が機動隊を睨みつける。
「いたぞ!あいつらだ!ザイラス議員のスパイどもめ!」
陰謀論の男が、デモ隊を指差して叫ぶ。
そして、路地裏の影から、気怠そうにタバコを咥えた男が現れた。
裏社会最強の殺し屋、『鬼斬り』のリュウだ。
彼の横には、金色のペンキで全身を塗りたくり、頭にプロペラをつけた狂人ロプピと、下着姿で「ぷちゅぷちゅ」と呟きながら地面を高速移動するゴミ山男もいる。
リュウは、やる気なさそうに頭をかいた。
「エラーラ姐さんに頼まれたんだ。『私の娘の半径100メートルを更地にしろ』ってな」
「はぁ?更地って何よ!」
あたしは絶句した。
エラーラのやつ、あたしを助けるために、こんな核爆弾みたいな連中を解き放ったの!?
「皆さん、ご挨拶を」
紅茶の男が号令をかけると、全員があたしに向かって深々と一礼した。
「「「お騒がせして申し訳ありません。少々、暴れさせていただきます」」」
礼儀正しい。
異常なほどに礼儀正しい。
そして彼らは、まるで「やりたくない残業」をこなすサラリーマンのような顔で、地獄の釜の蓋を開けた。
「汚染源!汚染源!このデモは非合理な汚染に満ちている!」
純血連盟の男が、包丁を振り回して機動隊に突っ込んだ。
「聖水で浄化してやる!」
水をかけられた機動隊員が「冷たっ!」と怯んだ隙に、包丁が防御結界を切り裂く。
「ぽーぽぽぽ、ぽぴーっ! お掃除の時間ですよー!」
モップ男が、回転しながらデモ隊の中心に突入し、モップで火炎瓶を打ち返していく。
「ちゅくちゅくちゅん!」
左翼の若者たちが、自分の投げた火炎瓶で燃え上がり、踊り狂う。
「ハハッ! 赤いの! 赤いのいっぱい出るかな!?」
ロプピが、金色のプロペラを回しながら、右翼の重装騎士に飛びかかり、その鎧の上から喉元に噛みついた。
「硬い! 鉄の味がする! ゴミだ!」
騎士が悲鳴を上げる。
「な、なんだコイツは! 離せ! 離せぇぇ!」
「……めんどくせえ」
リュウは、ドスを抜くことさえせず、襲いかかってきた警官の顎を、裏拳一発で粉砕した。
ゴミ山の男が、「ぷちゅぷちゅ」と言いながら地面を這いずり回り、倒れた警官の装備を高速で解体していく。警棒が、手錠が、制服が、一瞬でバラバラのパーツになる。
「魚を食べた!食べたんでしょ!」
鉛筆女が、ココの乗るフロートに飛び乗り、ココに詰め寄る。
「い、いえ、食べてません!タピオカしか!」
「左から来たのに?」
地獄だ。
意味がわからない。
誰もが自分の役割を見失っていた。
善悪の彼岸などとうに超え、ただの「ファッション」の泥仕合が、狂人たちの乱入によって「シュールレアリスム」へと昇華されていく。
彼らはあたしの味方ではない。災害そのものだ。
あたしは腰を抜かした。
足元の猫たちが、怯えるどころか「もっとやれ」とばかりに喉を鳴らしているのが、さらに恐怖を煽る。
エラーラの狂信者たちが暴れまわるデモ現場に、さらなる「異物」たちが雪崩れ込んできた。
かつて裏社会で「鬼斬りのリュウ」を殺そうとして失敗し、なぜか彼と奇妙な友情で結ばれた、あの伝説の怪物たちである。
マンホールの蓋が吹き飛び、そこから『腕が6本ある赤ん坊の妖怪』が這い出してきた。
電線の上には、『逆さまに歩く、関節が折れ曲がった老人』が張り付き、重力を無視して笑っている。
路地裏からは、目玉の代わりに無数の口がついた女の妖怪が、嬌声を上げながら現れた。
さらに、屋根の上。
対立組のヤクザたちが、スナイパーライフルや魔導弓を構えて現れたかと思えば、なぜかリュウを見つけて「兄貴!同窓会っすか!」と手を振っている。
空には、フードを被った高位魔法使いたちが浮遊し、「空間ロック完了」と厳かに宣言する。
そして、極めつけは。
お揃いのジャージを着た5人の男たち――『肉体セミナー』の狂信者たちが、戦場のど真ん中にスクラムを組んで突入してきた。
彼らは火炎瓶や魔法弾が飛び交う中で、一斉にスクワットを開始した。
「三角の論理は!四角の筋肉に宿る!」
混沌の飽和。
全員が全員を敵視し、あるいは愛し、あるいは無視して、大乱闘を繰り広げている。
「な、なんなんだこれはぁぁぁッ!!」
ジークが絶叫した。
彼は目の前の金色の狂人――ロプピに向かって説教を始めた。
「おい貴様!金色は資本主義の色だ!なぜ赤く塗らない!革命的色彩感覚が欠如しているぞ!」
「ハハッ!赤いのは中身だよ!お前の腹の中も赤いかな!? 見せてよ!」
ロプピはジークの説教など聞かず、プロペラを回してジークの腹を噛もうとする。
ジークは「話を聞け! プロレタリアートの対話だ!」と叫びながら、ロプピの頭を押さえつける。噛み合うはずがない。
一方、あたしはリュウの襟首を掴んで揺さぶっていた。
「ちょっと!なんでこんなに呼んだのよ!」
「……知らねえよ。勝手についてきたんだ」
リュウはされるがままに揺さぶられながら、虚ろな目で答える。
「何も考えたくねえんだ。……酒をくれ」
その混乱の中心に、エラーラ・ヴェリタスが立っていた。
彼女は、飛び交う瓦礫や魔法を、最小限の動きで躱しながら、朗々と演説をぶっていた。
「見たまえナラ!彼らは各々の『非合理な物語』を衝突させることで、擬似的な熱エネルギーを生み出している!社会学的実験としては満点だ!」
エラーラは恍惚としていた。
だが、その演説を真剣に聞いているのは、あの『瞳孔の開いた男』だけだった。
彼は戦場の真ん中で直立不動のまま、エラーラの唇の動きを、瞬き一つせず凝視している。
そして、足元の猫たちが、エラーラを徹底的におちょくっていた。
一匹がエラーラの白衣の裾に爪を立てて登り、もう一匹が彼女の靴紐を解き、三匹目が彼女の進路にわざと寝転がる。
エラーラは足をバタつかせているが、猫たちは「お前の論理など知ったことか」という顔であくびをしている。
ここには「対話」がない。あるのは、狂気の大合唱だけだ。
限界だった。
この空間における「狂気密度」は、とうに臨界点を超えていた。
魔法使いの空間ロックと、モップ男の回転エネルギーと、肉体セミナーの熱気と、妖怪の呪詛が一点に集中し――。
カッッッ!!!!
視界が白く染まった。
音さえ置き去りにするような、巨大な魔力爆発。
王都の一角が、物理法則を無視した衝撃波によって吹き飛ばされた。
……。
…………。
数分後。
瓦礫の山となった広場で、モゾモゾと何かが動いた。
「フム。計算通りだ」
一番最初に瓦礫から出てきたのは、白衣の埃を払うエラーラだった。無傷である。
「非合理なエネルギーの衝突は、互いに相殺し合い、結果として『ゼロ』に収束する。私の理論が証明されたな」
続いて、瓦礫の下から、狂人たちがぞろぞろと這い出してきた。
全員、服はボロボロで煤けているが、奇跡的に五体満足だった。
バカは風邪を引かないというが、こいつらは爆発でも死なないらしい。
「……カオスね」
あたしは、煤けたドレスを払いながら立ち上がった。
誰も死んでいない。
ただ、全員が泥だらけで、意味不明なことを叫んで、じゃれ合っている。
これはこれで、王都らしい「茶番」の結末と言えなくもなかった。
――そう、ここまでは。




