第1話:旧型機最後の秘策(1)
獣病院の二階、ヴェリタス探偵事務所。
そのリビングで、探偵ナラティブ・ヴェリタスは、まるで宝石を扱うかのような慎重な手つきで、化粧箱の封を切っていた。
「……見て、お母様!この洗練されたパッケージ。箱を開けるときの空気抵抗まで計算し尽くされた『吸い付き』。これが文明よ」
箱の中から現れたのは、白銀に輝く腕時計型の魔導デバイスだった。
特徴的なのは、その充電・通信端子の形状だ。鋭利で、美しく、攻撃的なまでの「五芒星」型。
これこそが、今、王都の若者たちを熱狂させている最新鋭デバイス。
興の魔導ベンチャー『オレンジ・テック』社製、『アイ・メイジ』である。
奥の実験スペースで、片手懸垂をしながらフラスコを振っていた天才魔導科学者、エラーラ・ヴェリタスは、呆れ果てた溜息をついた。
「ナラよ。……君はまた、そんな非論理的なガラクタに大金を払ったのかい?言っただろう。道具への依存は退化への第一歩だ。私の開発した『魔力増強スクワット・メソッド』を実践すれば、君の閉じた魔力回路も三ヶ月で開通する。コストはゼロ。なぜそちらを選ばない?」
「お母様は黙ってて!」
ナラは『アイ・メイジ』を左手首に装着した。
肌に吸い付くような装着感。起動音は、天使の羽ばたきのような「ヒュィン……」というクリアな高音。
「あたしはね、汗水垂らして筋肉をつけるより、スマートに解決したいの。見てこのフォルム! 『ゴレ・コム』なんて野暮ったいレンガ、あたしの美学に反するわ!」
ナラが比較対象として挙げたのは、東亜魔導社が販売している普及機『ゴレ・コム』だ。
無骨な四角いボディ、安っぽいプラスチック、そして汎用性だけが売りの「四角型」端子。
ナラに言わせれば、あれは「漬物石」だった。
「いいこと? 魔法はイメージなの。オレンジ・テックのCEO、ジョージ・スマイルズが言ってたわ。『魔法を使うんじゃない。魔法になるんだ』ってね。……フフ、素敵」
ナラはうっとりと画面を見つめる。
彼女はまだ知らなかった。
この美しいデバイスが、これから巻き起こる泥沼の「規格戦争」の火種になることを。
『アイ・メイジ』の発売から一ヶ月。市場は真っ二つに割れていた。
意識高い系エリート層が支持する『アイ・メイジ』。
保守的な庶民層が支持する『ゴレ・コム』。
戦いの口火を切ったのは、シェアで劣る東亜魔導社だった。
彼らは、アイ・メイジの最大の特徴である「星型端子」に狙いを定めた、効果的なネガティブキャンペーンを開始したのだ。
王都の街頭ビジョンに、衝撃的なCMが流れる。
悲鳴を上げる子供。血を流す指先。そして、赤く点滅する『星型端子』のアップ。
『危険です!星型端子は凶器です!』
『鋭利な独自規格が、あなたのお子様を傷つけます!』
『魔力漏洩により、触れるだけで「魔力破傷風」になる恐れも?』
『選ぶなら、角のないやさしさ。安心安全の四角い端子、ゴレ・コム』
「魔力破傷風」などという病気は医学的に存在しない。エラーラなら鼻で笑うデマだ。
だが、大衆心理は恐怖に弱い。
「アイ・メイジは危険だ」「持っているだけで野蛮人」という風潮が、一気に王都を覆った。
カフェの充電スタンドでは、「お客様、当店では安全のため、星型端子の利用をお断りしております」と入店拒否される始末。
ナラは憤慨していた。
「なによ愚民ども!この鋭角こそが、魔力伝導における黄金比なのよ!」
ナラが路地裏を歩いていると、暴徒化した「ゴレ・コム信者」のチンピラ数名が絡んできた。
「姉ちゃん。危険なオモチャつけてんじゃねぇよ。俺たちの安全なゴレ・コムと交換してやろうか?」
ナラは冷ややかな目で彼らを見下ろし、左手の『アイ・メイジ』を握りしめた。
そして、流れるような動作で裏拳を放つ。
『アイ・メイジ』の鋭利な星型端子が、チンピラの顎にクリーンヒットした。
チンピラは白目を剥いて崩れ落ちる。
「……ふん。たしかに東亜魔導社の言う通りね。確かにこれは『凶器』だわ」
ナラは端子についた血をハンカチで拭い、ニヤリと笑った。
「でも、護身用メリケンサックとして見れば、これ以上ない機能美よ。安全より実用性。……あたしにはこっちの方が合ってるわ」
この事件が魔導通信で拡散されると、風向きが変わった。
「アイ・メイジ、実は最強の護身具説」
「自分の身は自分で守る。それが自立した大人のスタイル」
オレンジ・テック社も即座に反応し、『鋭さは、強さ。』というキャッチコピーを発表。
結果として、『アイ・メイジ』は「媚びない強者のガジェット」としてブランド価値を高めることに成功した。
形状戦争を生き残った両社は、次なる戦場「スペック競争」へと突入した。
東亜魔導社は、『ゴレ・コム・マルチ』を発表。
「多機能」を売りにし、音楽再生、地図、通話、さらには「自動パン焼き機能」まで搭載した。
対するオレンジ・テックは、『アイ・メイジ・プロ』を発表。
「無駄を削ぎ落とした、純粋な速度」だけを追求した。
結果は、残酷だった。
事務所のリビングで、ナラの友人である情報屋のルルが、泣きそうな顔で自分のデバイスを叩いていた。
「ああん! またフリーズしました! ただ火をつけたいだけなのに!」
ルルの『ゴレ・コム』は、処理落ちを起こしていた。
画面には、東亜魔導社のマスコットである泥人形が、延々と砂時計を運ぶアニメーションが表示されている。
「パン焼き機能」の熱暴走が、点火魔法のプロセスと競合しているのだ。
「再起動に5分……点火プロセスに3分……。うう、私の休憩時間が終わってしまいます……」
それを横目に、ナラは優雅に足を組み、指を鳴らした。
「見てなさい、ルル。これが『プロ』のレスポンスよ」
ナラが「火」と念じた瞬間。
シュボッ!
一切遅延もなく、アイ・メイジから美しい青い炎が立ち上った。
「速っ!?」
「ええ。あたしの思考速度に、デバイスが完全に追従している。あたしが『火』と思った時には、既に世界は燃えているのよ」
ナラは勝ち誇った顔で、ルルのタバコに火をつけてやった。
「多機能?笑わせるわ。使えない機能なんて、ただの贅肉よ。……ゴレ・コムはまるで……そう、運動不足で内臓脂肪がついた中年のようね」
エラーラが横から口を挟む。
「……構造的には、オレンジ・テックの『シングルタスク』の勝利だね。東亜の設計思想は欲張りすぎだ」
圧倒的な性能差。
「ゴレ・コムを使っていると、人生の貴重な時間を砂時計鑑賞に費やすことになる」
そんな評価が定着し、市場シェアは『アイ・メイジ』に大きく傾いた。
シェアを独占されかけた東亜魔導社は、最後の手段に出た。
政治力である。
彼らは政府にロビー活動を行い、ある法律を成立させた。
『魔導端子統一法』
「端子形状がバラバラであることは、公共の魔力インフラ整備の妨げになる。よって、王都内の全ての魔導デバイスは、最も普及している『四角型』に統一しなければならない」
これは事実上の「アイ・メイジ潰し」だった。
ナラは激怒した。
「ふざけるな! 政府は東亜の回し者か! 星型の美しさがわからない無能どもめ!」
だが、オレンジ・テック社は転んでもただでは起きなかった。
彼らは法の抜け道を突いた。
「本体の端子は星型のままである。ただし、法律に準拠するための『変換アダプタ』を使用者に提供する」
数日後。
ナラの腕には、異様な物体が装着されていた。
本体はスマートな『アイ・メイジ』。
しかし、その端子口には、巨大な変換アダプタが刺さっていた。
さらに、「高速通信アダプタ」「高出力充電アダプタ」「規格互換アダプタ」……。
数珠つなぎになったアダプタ群は、ナラの細い腕から垂れ下がり、床につくほどの長さになっていた。
総重量、3キログラム。
「……ナラ?君は、魔法を使うために筋トレをしているのかい?」
エラーラが、プルプルと震えるナラの腕を見て言った。
「本末転倒だね。それなら私のスクワットメソッドの方が……」
「ち、違うわよ!」
ナラは強がって、重たいアダプタの鎖をジャラリと鳴らした。
「これは『拡張性』の証よ! ゴレ・コムは四角しか使えない『閉じた規格』。対してアイ・メイジは、このアダプタ・タワーを経由することで、あらゆる規格に対応できる『ユニバーサルな存在』になったのよ!」
「……腕、上がっていないじゃないか」
「うるさい!この重みこそが、ブランドの重みなの!四角い穴に棒を挿すだけの単純なゴレ・コムユーザーには、この『接続の儀式』の高揚感はわからないわ!」
「……フム?」
ナラは意地になっていた。
世間では「アイ・メイジのアダプタ、鈍器になる」「鎖鎌として使える」と揶揄されたが、信者たちは「これぞプロ仕様」と称賛し、むしろアダプタの長さを競い合う奇妙な文化が生まれた。
ゴレ・コムは「無傷」で法規制をクリアしたが、「何も変わらない=退屈」として、話題性でアイ・メイジに敗北したのだ。
そして、決定的なトドメが刺された。
『魔力排ガス規制法』の施行である。
従来の魔導デバイスは、魔力を変換する際に微量の「魔素煤」を排出する。
これが近年、王都の大気汚染の原因となっていた。
政府は、「排ガス基準をクリアしないデバイスの使用禁止」を打ち出した。
東亜魔導社の『ゴレ・コム』は、安価な旧式エンジンを搭載していたため、魔法を使うたびにプスン、プスンと黒い煙を吐き出す。
街中でゴレ・コムを使うと、周囲の人々が咳き込み、白い目で見られるようになった。
「うわ、ゴレ・コムだ。環境破壊者よ」
「あいつのせいで空が汚れるんだ」
一方、オレンジ・テック社は、以前から開発していた「完全燃焼型エコ・マナ・エンジン」を『アイ・メイジ』に標準搭載していた。
排出されるのは、無害な水蒸気ときらめく光の粒子だけ。
「チェックメイトね」
ナラは、王都を見下ろす高台で、夕日をバックに『アイ・メイジ』を掲げた。
彼女の腕には、相変わらず重たいアダプタ・タワーがぶら下がっているが、その表情は晴れやかだった。
「なんて環境に優しいあたし!知的で、クールで、エコ!……アダプタは重いけど、心は羽のように軽いわ」
ナラが魔法を発動させると、美しい虹色の光が舞った。
隣で、ルルがゴレ・コムを使おうとして、黒煙を吹き出し、警備員に怒られている。
「もう勝負あったわね?ゴレ・コムなんて、時代遅れの産業廃棄物よ」
市場シェアは9:1。
『アイ・メイジ』の完全勝利だった。
性能、デザイン、そして環境倫理。あらゆる面で、オレンジ・テックは東亜魔導社を叩き潰した。
もはや東亜魔導社には、倒産か、ニッチな産業用機械への転向しか道は残されていないように見えた。
ナラは確信していた。
自分の選択は正しかった。
美しく、正しく、高性能なテクノロジーこそが、未来を創るのだと。
――しかし。
ある日の夜。
オレンジ・テック社から、一通の通知が届く。
それが、栄光の『アイ・メイジ』帝国の、崩壊の序曲だった。




