第2話:Cheap Thrills
主題歌:破邪大星ダンガイオー/Cheap Thrills
https://youtu.be/gHp9Daxvfb4?si=Y5zKASWEsQarn2X9
数日後。
アキの端末に、ハヤトからのメッセージが届いた。
それは、彼がアキに捧げる、最大の「愛の証明」だった。
『親愛なるアキへ。私の計算によると、君の精神は不安定になっており、生産性低下のリスクがある。原因は、私との関係維持コストにあると判断した。よって、私は本日、自らを「最適化」する。私が消えれば、君のリソースは解放され、君は再び完璧な市民に戻れるだろう。君の未来の生産性に、私の命を捧げる。これが、私からの最後の愛だ』
完璧で、理性的で、そして狂気じみた献身。
「……違う」
アキは、震える声で呟いた。
「死んだら……生産性も、愛も、何もないじゃないか……」
数時間後。
ハヤトが「最適化」されたことを伝える通知が届いた。
彼の肉体はエネルギーに変換され、街の灯りとなった。
アキの評価スコアは、ハヤトの「貢献」によって上昇した。
だが、アキは泣けなかった。
この国では、悲しみさえも「処理すべきエラー」だからだ。
彼女は、乾いた心のまま、街を彷徨った。
そして、路地裏の廃棄コンテナの隙間で、それを見つけた。
コンクリートの裂け目から顔を出していた、小さな双葉。
都市管理システムが見落とした、バグとしての生命。
アキは、震える手でそれを掘り起こした。
それは、何の役にも立たない雑草かもしれない。
だが、彼女はそれをコートの中に隠し、自室に持ち帰った。
アキは、鉢に土を入れた。
水をやり、光量調節ライトを当てた。
「育つかどうか」という結果は分からない。
枯れるかもしれない。徒労に終わるかもしれない。
それでも、アキは毎日、水をやった。
ハヤトの死で作られた電気を使って、名もなき草を温めた。
それは、生産性のない、完全に閉じた円環のような作業だった。
季節は移り、都市の環境制御システムが「冬」を告げた。
そして、ある朝。
その「過程」は、一つの結果を生んだ。
固く閉じていた蕾が、静かに綻び始めたのだ。
艶のある深い緑の葉に縁取られ、凛とした赤い花弁が重なり合う。
椿だった。
目的もなく、花が、ただ、そこに在る。
誰のためでもなく、何かの役に立つわけでもなく。
ただ「咲く」という行為そのものが、圧倒的な存在感を放っていた。
「……ああ」
アキは、その花に触れた。
指先に伝わる、冷たくて瑞々しい感触。
ハヤトの死の知らせを受けた時、感じられなかった何かが、胸の奥から溢れ出した。
熱い。痛い。そして、愛おしい。
「……綺麗だ」
アキは、生まれて初めて「喜び」という感情で、自らの思考が満たされるのを感じた。
だが。
システムは、バグを見逃さない。
アキの住居における非定型な有機物反応と、感情数値の異常な上昇を検知した治安維持部隊――『隣人』が、彼女の部屋を訪れた。
ドアが、音もなく開く。
入ってきたのは、白に統一された服を着た、穏やかな笑顔の女性たちだった。
彼女たちは、部屋の中央で赤い光を放つように咲く椿を見て、一様に眉をひそめた。
それは、嫌悪ではなかった。
それは、末期の患者を見る医者のような、深い、深い悲しみと慈愛の表情だった。
「これは、何の結果だ?」
リーダー格の女が、静かに問うた。
「結果じゃない」
アキは、椿の鉢を抱きしめ、彼女たちを睨み返した。
「ただ、咲いただけだ」
「可哀想に」
隣人の一人が、涙ぐみながら言った。
「あなたの生産性は著しく低下している。無意味な有機物にリソースを割き、感情を浪費している」
「あなたを愛する隣人として、これ以上あなたが非効率に堕ちていくのを見過ごすことはできない。速やかなる『最適化』を」
彼女たちは、アキのために本気で悲しんでいた。
アキが「苦しんでいる」と信じ込み、そこから救い出そうとしているのだ。
「断る」
アキの返事は、即答だった。
彼女の瞳には、ハヤトが死んだ時のような虚無はない。
燃えるような拒絶の意志があった。
「我々は、あなたを苦しみから解放したいのだ」
「苦しみ?これが?」
アキは、椿の花びらに頬を寄せた。
「花を育てる手間が、毎日水をやる時間が、苦しみだと?」
アキは笑った。
皮肉ではなく、晴れやかに。
「これは『喜び』だ。結果なんてどうでもいい。私は、この花が咲くまでの時間を愛していたんだ」
その言葉は、テロスの住人にとって、理解不能な言語だった。
「これより、我々は『救済』を施す」
リーダーの言葉を合図に、隣人たちが一斉に動いた。
彼女たちの手には、瞬時に生命活動を停止させるための、鎮静剤と電気ショックのアタッチメントが握られている。
動きには一切の無駄がない。最短距離で、アキの急所を狙ってくる。
「やめろッ!」
アキは叫び、椿の鉢を抱えて後ずさった。
逃げ場はない。ここは高層階の密室だ。
だが、アキの脳裏に、あの映画の少年たちの姿が過ぎった。
彼らは、効率的に動いていなかった。
転がり、叫び、泥だらけになって、それでも前に進んでいた。
アキは、テーブルの上のポットを掴み、床に叩きつけた。
熱湯と破片が飛び散る。
隣人たちが一瞬ひるむ。想定外の、無駄な行動だったからだ。
アキは、その隙に走り出した。
ドアではなく、ダストシュートへ。
ゴミを地下の処理場へ送るための、汚れた穴。
「そこは廃棄ルートだ。入れば汚染されるぞ」
「汚染。上等だ」
アキは、椿をコートの中に守り、ダストシュートに身を投げた。
暗闇。
腐敗臭。
体か壁にぶつかり、骨が軋む。
痛い。汚い。
だが、その痛みこそが、今、自分がシステムの外側にいる証明だった。
「生きるんだ」
アキは、地下の暗闇へと滑り落ちていった。
・・・・・・・・・・
同時刻。
テロスの迎賓館。
「……素晴らしい国ですわね」
ナラティブ・ヴェリタスは、最上級のワインを傾けながら、窓の外の夜景を見下ろしていた。
幾何学的な光のライン。静寂。秩序。
スラムの混沌とは対極にある、完成された美。
「ええ。……ここには『争い』の種がない」
エラーラも、満足げに頷いた。
「誰もが自分の役割を知り、満たされている。私たちが求めていた『理想郷』の完成形かもしれないね。」
二人は、この国のシステムに感銘を受けていた。
結果が保証された世界。努力が正当に数値化され、報われる世界。
それは、かつてナラが渇望し、エラーラが目指した「救済」の具現化に見えた。
「……でも」
ナラは、グラスを置いた。
「少し、退屈ですわね」
「贅沢な悩みだよ、ナラ君。トラブルがないことは、良いことだ」
二人は、帰国の途につくため、魔導飛行艇の発着場へと向かった。
専用のリニアチューブで、快適に移動する。
「また来ても、いいかもしれませんわね」
「ああ。研究の参考になるデータも多かった」
二人は、この国を「正解」だと信じたまま、去ろうとしていた。
飛行艇が待つドック。
そこは、都市の最外郭に位置していた。
白亜の城壁の向こうには、手つかずの荒野が広がっている。
「さようなら、完璧な国」
ナラがタラップに足をかけた、その時。
ドックの片隅にある、廃棄物排出ゲートが内側から弾き飛ばされた。
「……おや?」
エラが振り返る。
黒い汚水と共に、何かが転がり出てきた。
泥とヘドロにまみれた、黒い塊。
警備ドローンが即座に反応し、銃口を向ける。
「待って!」
ナラは、反射的に動いていた。
汚染物質? 違う。
あれは――人間だ。
ナラはドローンの前に立ちはだかり、鉄扇で銃撃を弾いた。
「……何者ですの?」
黒い塊が、動いた。
泥を払い、よろよろと立ち上がる。
それは、ボロボロになった少女――アキだった。
服は裂け、肌は傷だらけ。髪は汚水で濡れそぼっている。
この清潔な都市において、最も異質で、最も醜い姿。
だが。
ナラは、アキの顔を見て、息を呑んだ。
アキは、胸に何かを抱きしめていた。
赤い花。椿だ。
泥だらけの中で、その花だけが、奇跡のように鮮やかに咲き誇っていた。
そして、アキの瞳。
そこには、絶望も、諦めもなかった。
ギラギラと燃えるような、生への渇望。
「生きてやる」「守り抜く」という、野生の獣のような光。
ナラは知っていた。この目を。
かつて、未来のスラムで、泥水を啜りながら明日を睨みつけていた、自分自身の目を。
「……」
アキは、ナラを見た。
助けを求めるわけでもなく、敵意を向けるわけでもなく。
ただ、対等な「生命」として、ナラを見据えた。
そして。
アキは、泥だらけの顔で──笑った。
「……あ」
ナラの中で、何かが崩れ落ちた。
この国が積み上げてきた「完璧な理想」。
「結果」だけを求め、「過程」を排除した美しい虚構。
それが、アキのその笑顔の前では、なんて薄っぺらく、色褪せて見えることか。
アキの笑顔には、「物語」があった。
種を拾い、水をやり、待ち続け、愛する人を失い、追われ、傷つき、それでもここへ辿り着いたという、壮絶な「過程」の輝きがあった。
それこそが、人間が生きる意味なのではないか?
「……美しい」
ナラは、無意識に呟いていた。
白亜の塔よりも。完璧な治安よりも。
この泥だらけの少女の方が、遥かに美しかった。
ナラは、ドレスの裾をつまんだ。
そして、その場で優雅に膝を折り、深く頭を下げた。
王族が、真の英雄に捧げる、最高の敬意。
「……ごきげんよう、名もなき冒険者!」
アキは、一瞬驚いたように目を丸くした。
そして、嬉しそうに頷き返した。
アキは、花を抱き直し、荒野へと向かって走り出した。
どこへ行くかは分からない。野垂れ死ぬかもしれない。
ここより残酷な世界が待っているかもしれない。
だが、彼女の背中には、誰にも書けない、彼女だけの物語が始まっていた。
『警告。排除.。』
ドローンが追おうとする。
「……やめなさい!」
エラーラが、杖を一振りした。
ドローンがショートし、停止する。
「……行かせてやろう」
エラは、走り去るアキの背中を見つめた。
「この国には……『物語』がありませんわ……」
結果だけの世界。
失敗のない世界。
それは、誰も主役になれない、ただの背景画だ。
「あの傷。あの泥。……あの笑顔……」
ナラは、荒野の彼方を見つめた。
「あれこそが……世界を彩る『真実』ですわ」
二人は、飛行艇に乗り込んだ。
エンジンが唸りを上げ、船が浮上する。
眼下には、白く美しいテロスの街並みが広がっている。
だが、ナラの目にはもう、それは巨大な墓場にしか見えなかった。
ナラは、窓から顔を背けた。
飛行艇は、完璧な理想郷を後にした。
不完全で、理不尽で、だからこそ美しい、混沌とした世界へと戻るために。
ナラティブ・ヴェリタスは、胸の奥に刻み込んだ。
あのアキの笑顔を。
結果ではなく、過程を愛することの尊さを。
それが、彼女の物語を、また一つ豊かにするのだった。




