第14話:都市の開発と、一輪の花!
王都の休日は、珍しく晴れ渡っていた。
しかし。
「……殺風景ですわね」
漆黒のドレススーツを着たナラティブ・ヴェリタスは、レジャーシートの上で優雅に足を崩し、周囲を見渡してため息をついた。
「文句を言うなよ、ナラ君。ここは『都市計画予定地』だ。……何もないということは、何でも描けるキャンバスということさ」
白衣のマッドサイエンティスト、エラーラ・ヴェリタスは、サンドイッチを片手に、楽しそうに笑った。
「それに、君と一緒なら、砂漠の真ん中だってオアシスに見えるよ」
「わ。……い、いきなり何を言いますの!?」
ナラは顔を真っ赤にして、サンドイッチを喉に詰まらせかけた。
この「母親」は、時々こういうキザな台詞を無自覚に吐くから心臓に悪い。
「ほら、口元にマヨネーズがついているよ」
エラーラが指を伸ばし、ナラの唇を拭う。
その指先が触れただけで、ナラの全身に電流が走る。
「……子供扱いしないでくださいまし」
ナラは拗ねたふりをしながら、エラーラの指を――もちろん、ほんの一瞬甘噛みしたかったが――払いのけた。
「と、とにかく!せっかくのピクニックですのよ。もっとこう、お花畑とか、小鳥のさえずりとか、ロマンチックな要素が必要ですわ!」
「ふむ。論理的に考えて、この土壌汚染レベルでは植物の生育は困難だね。……だが」
エラは、ナラの肩に頭を預けた。
「君のドレスの黒は、どんな花よりも美しいよ」
「……もう! 黙って食べなさい!」
ナラは照れ隠しに、バスケットから特製の唐揚げを取り出し、エラの口にねじ込んだ。
平和だ。
コンクリートの荒野であろうと、二人でいればそこは楽園になる。
……はずだった。
突如、地面が微振動を始めた。
レジャーシートの上のティーカップがカタカタと揺れ、紅茶が波紋を描く。
「……地震?」
ナラが警戒して立ち上がる。
「いや、違う。……この振動パターンは、物理的な地殻変動ではない。地下からの魔力干渉だ! ……来るぞ、ナラ!」
二人が座っていた場所のアスファルトが爆ぜた。
裂け目から飛び出してきたのは、巨大な植物――ではない。
鉄筋とコンクリート、そして錆びた有刺鉄線が絡み合ってできた、醜悪な「イバラ」の怪物だった。
『……ジャマダ……。ドケ……。ハナハ……イラナイ……』
怪物は、アスファルトの破片を撒き散らしながら、巨大な触手を振り上げた。
その切っ先が、ナラたちが広げていたお弁当――エラが徹夜で計算して作ったサンドイッチと、ナラが早起きして揚げた唐揚げ――を狙う。
「あっ……!」
無慈悲な一撃が、ランチを粉砕した。
卵サンドが飛び散り、唐揚げが泥にまみれる。
時が止まった。
ナラは、潰れたサンドイッチを見つめた。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳から「淑女」の色が消え、地獄の底から這い上がってきた「修羅」の色が宿る。
「……よくも」
ナラの周りの空気が、怒りで歪む。
「お母様が……作ったサンドイッチを……」
「あたしが……二度揚げした唐揚げを……」
ナラは、鉄扇を抜き放った。
鋼鉄の扇が開く音が、戦いのゴングとなる。
「万死に値しますわよ、この三流ガラクタァァァッ!!」
『ハイジョ……ハイジョ……』
怪物が再び触手を振り下ろす。
その質量は数トン。直撃すれば人間など肉片になる。
だが。
「遅いッ!」
ナラは一歩も退かなかった。
彼女は正面から踏み込み、振り下ろされる鉄筋の触手を、鉄扇一本で受け止めた。
凄まじい火花が散る。
地面が陥没する。
だが、ナラは微動だにしない。細い腕一本で、数トンの質量を支えきっている。
「お母様! 解析を!」
ナラが叫ぶ。
「了解だ! 私のランチを邪魔した罪、数式で償わせてやる!」
エラは、ナラの背後に飛び込み、背中合わせに立った。
彼女は『因果抽出式・時間逆行注射器』を構え、怪物の本体を狙う。
「ナラ君! 奴の核は地下深くだ! 根っこを引きずり出せ!」
「無茶言いますわね! ……でも!」
ナラは、受け止めていた触手を弾き返し、逆にその鉄筋を素手で掴んだ。
「あたしを誰だと思ってまして!?」
ナラは全身に魔力を巡らせた。
身体強化。筋力増大。
ドレスの袖が張り詰め、筋肉が躍動する。
「んんんんんッ……ふんッ!!」
ナラは、大地に根を張るコンクリートの怪物を、鉄筋ごと一本背負いで引っこ抜いた。
「……化け物だねぇ……」
エラが感心しながら、宙に浮いた怪物の本体めがけて跳躍した。
「成分、抽出ッ!」
空中でシリンジを突き刺す。
怪物が悲鳴を上げ、灰色の液体が吸い出されていく。
怪物は空中で霧散し、ただの瓦礫の山となって落下した。
ナラは優雅に着地し、乱れた髪を直した。
「……ふん。ランチの恨み、思い知りましたか」
「解析完了だ」
エラが着地し、シリンダーの中身を確認する。
その表情が、怒りから哀しみへと変わる。
「……これは、切ないねぇ」
エラがタブレットに投影した映像。
それは、30年前のこの場所だった。
まだ開発が進んでいない頃、ここは小さな空き地だった。
そこで、一人の老人――ポルポが、たった一人で花を育てていた。
「彼は、妻を亡くした後、荒れ果てたこの街に『色』を取り戻そうとしていたんだ。毎日水をやり、雑草を抜き……ようやく、小さな花壇が完成した」
映像の中で、色とりどりの花が咲き誇っている。
ポルポ爺さんは、それを孫のように愛でていた。
だが、ある日。
「区画整理」という名目で、役人たちがやってきた。
彼らは無表情で、ブルドーザーを引き連れていた。
『ここは道路になる。邪魔だ』
ポルポは必死に抵抗した。
「待ってくれ! この花は、もう少しで種をつけるんじゃ!」
「知ったことか。効率的な都市計画のためだ」
役人――開発局長バラストは、冷酷に指示を出した。
ブルドーザーが唸りを上げ、花壇を踏み潰していく。
花が散り、茎が折れ、土がコンクリートの下に埋められていく。
ポルポは、泥まみれになって泣き叫び、そして失意のうちにこの場所を去った。
「……小さな幸福を、効率という名の暴力で、塗り潰す」
エラーラが、ギリッと歯を食いしばった。
「許せんね。……一輪の花の価値も分からない無粋な輩が、都市を作る資格などない」
「同感ですわ!」
ナラは、潰れたサンドイッチの残骸を拾い上げた。
食べ物を粗末にされた怒りと、ポルポ爺さんの無念が重なる。
「お母様。……送ってくださいまし」
ナラは首筋を差し出した。
その瞳は、冷たく燃えていた。
「その無粋なブルドーザー……。あたしがスクラップにして差し上げますわ」
「頼んだよ、ナラ。……花と、愛と、ランチの復讐だ!」
灰色の液体が魔導回路に注入される。
ナラの意識が、30年前の工事現場へと飛んだ。
30年前。
エンジンの轟音と、土埃。
「やめてくれぇぇぇ!」
ポルポ爺さんが、花壇の前に立ちはだかっていた。
その向こうから、巨大な黄色い怪物――ブルドーザーが、排気ガスを撒き散らして迫ってくる。
「往生際が悪いぞジジイ! 引っ込んでろ!」
開発局長バラストが、メガホンで怒鳴る。
「進め! 時間がないんだ!」
ブルドーザーの排土板が、ポルポと花壇を飲み込もうとした。
(……間に合った!)
上空から、漆黒の流星が降ってきた。
ナラティブ・ヴェリタスだ。
「ごめんあそばせぇぇぇッ!!」
ナラは、ブルドーザーの排土板の上に、両足で着地した。
凄まじい衝撃で、重機の前輪が浮き上がる。
「な、なんだ!?」
運転手が悲鳴を上げる。
「そこまでですわ、鉄屑さん」
ナラは、排土板の上に仁王立ちし、運転席の男を睨みつけた。
「花を踏むなんて……。庭師の風上にも置けませんわよ?」
「だ、誰だ貴様は!?」
バラストが駆け寄ってくる。
「通りすがりの、ガーデニング・アドバイザーですわ」
ナラは、優雅に鉄扇を開いた。
「この花壇は、この街の宝ですの。……それを壊そうとする無粋な輩には、教育が必要ですわね」
「ふざけるな! 公務執行妨害だぞ!」
バラストが叫ぶ。
「やれ! その女ごと埋めてしまえ!」
ブルドーザーが再び唸りを上げる。
エンジン全開。数十トンの鉄塊が、ナラを押し潰そうとする。
「力比べ? ……いい度胸ですわ」
ナラは、鉄扇を懐にしまった。
そして、排土板の縁に手をかけ、腰を落とした。
「お母様直伝の、身体強化魔法……フルドライブ!!」
ナラの全身から、赤いオーラが噴き出す。
彼女は、迫りくるブルドーザーを、正面から受け止めた。
金属が軋む音。
タイヤが空転し、白煙を上げる。
だが、ブルドーザーは進まない。
たった一人の女性が、素手で重機を押し留めているのだ。
「ば、馬鹿な……! 人間か!?」
バラストが腰を抜かす。
「人間ですわよ。……ただ、少しばかり『愛』が重いだけですわ!」
ナラは、一歩踏み込んだ。
ミシミシとアスファルトが割れる。
「花一輪も愛せない人間に……街を作る資格なんてありませんのよォォォッ!!」
ナラは、気合と共にブルドーザーを持ち上げた。
「空を飛びなさいッ!!」
ナラは、ブルドーザーを背負い投げた。
数トンの重機が宙を舞い、ひっくり返って地面に激突する。
運転手とバラストが、衝撃で吹っ飛ぶ。
静寂が戻る。
ナラは、息一つ乱さずに、ポルポ爺さんの方を向いた。
「……怪我はありませんか? お爺様」
ポルポは、口をパクパクさせていた。
「あ、あんた……女神様か……?」
「いいえ。ただの通りすがりですわ」
ナラは、踏み荒らされかけた花壇を見た。
端の方は少し潰れてしまったが、中心の花たちは無事だ。
小さな、色とりどりの命。
「綺麗なお花ですわね」
ナラは屈み込み、花に触れた。
「守ってくれて、ありがとう」
「い、いや……わしは……」
「あんたの『好き』という気持ちが、あたしを呼んだのよ」
ナラは立ち上がり、ポルポに微笑んだ。
「咲かせ続けなさい。……この花は、いつか街中を埋め尽くすわ」
ナラの体が光に包まれる。
タイムリミットだ。
「……水やりを忘れずにね」
「……ッは!」
ナラが目を開けると、現代に戻っていた。
足元には、潰れたサンドイッチの残骸……は、なかった。
「……あれ?」
ナラは周囲を見渡した。
そこは、灰色のコンクリートの荒野ではなかった。
一面の、花畑だった。
赤、青、黄色。
色とりどりの花が咲き乱れ、蝶が舞い、小鳥がさえずっている。
かつての殺風景な埋立地は、美しい「公園」へと変貌していた。
「……すごい」
「大成功だね、ナラ君」
エラーラが、ベンチに座って待っていた。
その手には、無事だったバスケットと、新しいサンドイッチがある。
「ポルポさんは、あの日からこの場所を守り抜いた。……市の計画は変更され、ここは『ポルポ記念公園』として残されたんだ」
エラーラは、公園の入り口にある石碑を指差した。
そこには、花に水をやる老人のレリーフと共に、こう刻まれていた。
『花を愛する心こそ、真の豊かさである』
「……素敵な言葉ね」
ナラは、花畑の中を歩いた。
花の香りが、風に乗って漂ってくる。
それは、かつてのヘドロの臭いとは正反対の、命の香りだった。
「……お母様」
「なんだい?」
「ここなら、最高のピクニックができますわね」
ナラは、花の中にレジャーシートを広げ直した。
今度は、揺れることも、爆発することもない。
「さあ、仕切り直しですわ! ……あーん、してくださいまし」
ナラは、新しいサンドイッチを差し出した。
「やれやれ。……君は甘えん坊だねぇ」
エラーラは苦笑しながらも、口を開けた。
「……美味しい?」
「ああ。世界一だ」
ナラは、エラーラの膝に頭を乗せて、青空を見上げた。
視界の端には、揺れる花々。
そして、愛する人の顔。
「……あたしたち、最強のヒーローね」
「違いない。……悪を挫き、花を愛で、ランチを楽しむ。完璧な正義の味方だ」
二人の笑い声が、花畑に響き渡る。
壊された花壇は蘇り、コンクリートの街に色が戻った。
ナラティブ・ヴェリタスと、エラーラ・ヴェリタス。
彼女たちが通った後には、必ず「物語」の花が咲く。
それは魔法よりも強く、鋼鉄よりも硬い、優しさという名の奇跡だった。




