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ナラティブ・ヴェリタス  作者: 王牌リウ
襲来する支持率
137/201

第1話:反転する支持率!

ある雨の夜。ヴェリタス家のリビング。

暖炉の薪が爆ぜる音と、雨が窓を叩く音だけが響く静寂の中で、一人の少女のすすり泣く声が漏れていた。


「……殺されるんです。私が、あの人の『裏の顔』を、知って…しまったから」


革張りのソファに深く沈み込み、震えているのは、今、王都で飛ぶ鳥を落とす勢いの歌姫、ルミだった。

亜麻色の髪、陶器のような肌、そして庇護欲を掻き立てる大きな瞳。普段は華やかなステージ衣装で民衆を魅了する彼女が、今は地味な灰色のコートを羽織り、雨に濡れた子犬のように震えている。

その手には、強く握りしめられた魔導記録テープがあった。

彼女の対面に座るナラティブ・ヴェリタスは、眉をひそめて温かい紅茶を差し出した。

一方、デスクで分厚い魔導書を広げていたエラーラ・ヴェリタスは、冷徹な眼差しでルミを見下ろしていた。


「……整理しようか?君は、現宰相であるレイノルズの愛人であり、彼が国庫を横領し、裏社会と癒着している決定的証拠を見てしまった。だから命を狙われている。……そういうことかね?」


ルミは、涙目で頷いた。


「はい……。レイノルズ様は、表向きはクリーンで誠実な政治家です。でも裏では、武器商人から賄賂を受け取り、私のような身寄りのない芸人を……その……玩具にして……」


ルミは言葉を濁し、顔を覆った。細い指の隙間から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

ナラの胸に、激しい義憤が込み上げる。

レイノルズ宰相。国民的な人気を誇り、「王都の良心」と謳われる男。その裏の顔が、か弱い少女を食い物にする獣……だとしたら。


「許せないわね。……それで? 私たちにどうしろって言うの?」


ナラが身を乗り出す。

だが、ルミはナラではなく、エラーラに縋り付くような視線を向けた。彼女はソファから滑り落ち、床に膝をついて懇願した。


「エラーラ様……!お願いです、私を助けてください!貴女様は世界最強の魔導師だと伺いました。貴女様の力と知恵があれば、宰相の私兵団からも守り抜けるはず……!この証拠テープを渡しますから、どうか私の命を……!」


ルミは、涙ながらにクリスタルを差し出した。

エラーラは、それを一瞥もしなかった。


「……断る」


「え……」


ルミの動きが止まる。


「一国の宰相を敵に回せば、この病院は潰される。君が持っているテープが本物だという保証もない。捏造された囮捜査の可能性も捨てきれない」


エラーラは本を閉じた。パタン、という乾いた音が、ルミの希望を断ち切る音のように響いた。


「論理的に考えて、関わるメリットが皆無だ。……君のトラブルは、君自身が招いたものだろう?権力者に近づけば火傷するのは、道理だ。」


エラーラの拒絶は、あまりにも合理的で、冷酷だった。

ルミの顔から血の気が引く。彼女は床に崩れ落ち、絶望に打ちひしがれた。


「そんな……。私は……殺されるのを待つしかないんですか……?」


「帰ってくれ。雨が強くなる前に」


エラーラは背を向けた。

その態度に、ナラの中で何かが弾けた。


「待ちなさいよ、お母様!」


ナラが立ち上がり、テーブルを叩いた。


「あんた、また?……血も涙もないの!?助けを求めて震えてる女の子を、死地に追い返すなんて!」


「ナラ?これは政治だ。感情で動けば、我々も破滅する」


「知ったことじゃないわ!目の前の弱者を見捨てるのが『論理』だっていうなら……あたしは!」


ナラは、ルルの肩を抱き起こした。

その体温は低く、震えている。こんな少女を見捨てて、一体何が真理(ヴェリタス)か。


「行きましょう、ルミ。……この冷血な魔女に頼る必要はないわ。私が守ってあげる」


ルミが、涙に濡れた瞳でナラを見上げる。


「ナラさん……でも、相手は宰相ですよ……? 私なんかのために……」


「関係ないわ。私の依頼人は、いつだって『泣いている方』なの。……安心しなさい。ナラティブ・ヴェリタスの名にかけて、あんたに指一本触れさせない」


ナラは、自分のコートをルミにかけ、優しく微笑んだ。

ルミは、ナラの胸に顔を埋めて泣きじゃくった。


「ありがとうございます……! ありがとうございます……!」


エラーラは、その様子を横目で見ながら、小さく溜息をついた。


ナラは、ルミを連れて獣病院を出た。

まずは身を隠す必要がある。王都の地下に広がる旧下水道エリアにある隠れ家へ向かおうとした、その時だった。


『緊急速報!』


王都中の街頭ビジョン、ビルの壁面広告、あらゆる魔導スクリーンが、一斉に切り替わった。

大音量のアラート音。

映し出されたのは、レイノルズ宰相の姿だった。

彼は執務室で、やつれた顔をしてカメラに向かっていた。


『親愛なる王都市民の皆様。……悲しいお知らせがあります』


宰相の声は、深く、憂いに満ちていた。

俳優顔負けの、悲劇の父親のような表情。


『我が国の宝、歌姫ルミが……凶悪な誘拐犯によって連れ去られました』


「はぁ!?」


雨の中で、ナラが足を止める。


『犯人の名は、ナラティブ・ヴェリタス。……彼女はルミを人質に取り、理不尽にも、国家機密の開示と身代金を要求しています。ルミは今、恐怖に震えています。……許せません。このような卑劣な行為を、私は、いや、私達は断じて許さない!』


宰相は、涙ながらに拳を握りしめた。

国民の「アイドルを守りたい」という庇護欲と、「テロリストへの怒り」を同時に煽る、計算し尽くされた、ポピュリズム演説。

街が、ざわめき始めた。

雨の中を行き交う市民たちが、足を止め、ナラを見る。

その目に宿るのは、疑念ではない。確信めいた敵意だ。


「ちょ、ちょっと……!違うわよ!私は護衛を……!」


ナラが叫ぼうとした時、地面が激しく揺れた。

王都の中央広場。

そこに設置されていた、宰相の巨大な銅像が、黄金の光を放ちながら溶解し、変形し始めたのだ。

全長10メートルを超える黄金のゴーレムが立ち上がった。

その名は、世論執行兵器『民の声』。

宰相が極秘に開発させていた、自律型防衛システム。

その動力源は、魔力ではない。

国民の「支持率」と、敵に対する「ヘイト」だ。

街中のモニターに表示された宰相の支持率グラフが、爆発的に上昇していく。

90%……95%……98%!

国民の想いが、光の粒子となってゴーレムに吸い込まれていく。

ゴーレムの全身が、太陽のように輝き始めた。

圧倒的な質量と、熱量。

それは、「正義」という名の暴力の具現化だった。


「……嘘でしょ?支持率を物理エネルギー変換ですって?」


ナラは、ルミを背に庇いながら後ずさった。

ゴーレムがこちらを向く。顔はない。ただ、「民意」という名の殺意が向けられている。


『排除。』


ゴーレムが右腕を掲げた。

その掌に、黄金の熱線が収束する。


「逃げるわよ、ルミ!」


ナラはルミの手を引き、路地裏へと駆け込んだ。

直後、彼女たちが立っていた場所が、熱線によって蒸発した。

爆風がナラの背中を叩く。

逃走劇が始まった。

だが、それは通常のチェイスではなかった。

敵はゴーレムだけではない。

王都全体が、ナラの敵だった。

市民たちが、石を投げてくる。空き缶が飛んでくる。

普段、ナラが守ってきたはずの善良な人々が、今は鬼の形相で彼女を追い詰めてくる。

彼らは自分たちが「正義」を行っていると信じて疑わない。


「くっ……! 邪魔よ!」


ナラは鉄扇で飛来する石を弾き、市民を傷つけないように峰打ちで気絶させながら進む。

手加減しなければならない。それが余計に体力を奪う。


『支持率上昇中。出力増加。』


背後から、『民の声』が建物を粉砕しながら追ってくる。

ゴーレムは、ナラに向けてミサイルを発射した。

それは物理的な弾頭ではない。「非難」「中傷」「罵倒」といったネガティブな感情を圧縮した魔力弾だ。

ナラはルミを抱えて横っ飛びに回避する。

弾が着弾した場所の壁が、黒く腐食して崩れ落ちる。精神的ダメージを物理破壊力に変換する凶悪な兵器。


「こんなの、どうやって倒せばいいのよ!」


黄金の装甲。それは「国民の信頼」という名の絶対防御。

民意を敵に回している今のナラの攻撃は、世界そのものに拒絶され、無効化されるのだ。


「無駄だ、ナラ!」


通信機からエラーラの声が響く。


『奴の装甲強度は、現在の支持率に比例している! 論理的に考えて、物理破壊は不可能だ! 逃げるしかない!』


「逃げるって、どこへよ!」


『地下だ! 地下鉄構内なら、奴の巨体は入れない!』


ナラは地下鉄の入り口へ向かって疾走する。

だが、ゴーレムはナラの動きを先読みするように、先回りして道路を寸断した。

アスファルトがめくれ上がり、壁となる。

ゴーレムは、街中の監視カメラと市民の目撃情報をリアルタイムでリンクさせている。

ナラがどこに行こうと、誰かが見ていて、それがゴーレムに伝わる。

プライバシーゼロ。全方位監視社会の恐怖。


「……はぁ、はぁ……。しつこい!」


ナラは、ルミを抱えたままビルの壁を駆け上がった。

屋上へ。立体機動で撹乱するしかない。

だが、屋上に出た瞬間、上空からサーチライトが浴びせられた。

報道ヘリだ。


『発見しました!凶悪犯ナラティブ・ヴェリタスです!ルミさんを盾にしています!』


アナウンサーの声が、街中に響き渡る。

それを見た市民の怒りが、さらにゴーレムの出力を上げる。

ゴーレムが、ビルの壁を垂直に登ってくる。


「もう……終わりだわ……」


ルミが、ナラの腕の中で震えた。


「ナラさん、私を置いて逃げて……。私がいれば、貴女まで……」


「馬鹿言わないで!」


ナラは、ルミを強く抱きしめた。


「私は一度受けた依頼は投げ出さない! たとえ世界中が敵になっても、あんただけは守り抜く!」


ナラは、ビルからビルへと飛び移り、王都の最下層――スラム街へと逃げ込んだ。

ここなら、政府の監視の目も届きにくい。

だが、それは甘い考えだった。

スラムの広場に着地した瞬間、貧しい住民たちがナラを取り囲んだ。


「いたぞ!お尋ね者だ!」


「捕まえろ!宰相様が懸賞金をかけてる!」


金だ。

貧困層にとって、正義よりも明日のパンの方が重い。

宰相は、スラムに「ナラを捕まえれば大金を与える」という情報を流していたのだ。

大人も、子供も、老婆も。

全員が武器を手に、ナラに襲いかかってくる。


「ごめんなさい!」


ナラは、襲ってくる住民の足を払い、肩を脱臼させ、気絶させていく。

万が一殺したら、本当に「悪党」になってしまう。

手加減しながらの乱戦。ナラの体力が削られていく。

そこへ、ビルを粉砕してゴーレムが降り立った。

スラムの掘っ立て小屋が、ゴーレムの足元で踏み潰される。

だが、住民たちはゴーレムを恐れない。


「おお!正義の味方だ!あの女を殺せ!」


彼らは、自分たちの家を壊す怪物を応援している。

思考停止。ポピュリズムの極致。

強い者に従い、共通の敵を叩くことで得られる、安易な一体感とカタルシス。


「……見なさい、ルミ」


ナラは、血の滲む唇で笑った。


「あれが、あんたのファンよ。……真実なんてどうでもいい。彼らは『正義の味方ごっこ』がしたいだけ!」


ナラは、迫りくるゴーレムの拳を、鉄扇で受け止めた。

地面が陥没する。骨が軋む。

重い。数百万人の「悪意」の重さが、腕にのしかかる。


「でもね……。私は違う」


ナラは、膝を震わせながらも、耐えた。


「市民なんてどうでもいい。世論なんてどうでたもいい。……私はただ、『目の前の命を守ること』。私の美学は、私が決める!」


ナラは咆哮した。


「おおおおおッ!!」


彼女は、全身のバネを使って、ゴーレムの巨大な拳を弾き返した。

そして、ルミを抱えて再び走り出す。


「行くわよ! ……場所を変える!」


「ど、どこへ!?」


「放送塔よ!」


ナラは、王都の北にそびえる、旧時代の遺物――「魔導放送塔」を見据えた。

あそこは、宰相の検閲システムから独立した、古い回線が生きている唯一の場所。


「そこで、あんたの持ってる証拠をぶちまけるのよ! 嘘で塗り固められたこの世界を、ひっくり返してやるわ!」


ナラは、絶望的な包囲網を突破し、北へ向かって疾走した。

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