第13話:自転車の飛行と、未来の可能性!
王都工業地区。
そこは、巨大な煙突が林立し、空が常に灰色のスモッグに覆われている場所だ。
歯車が噛み合う音、蒸気が噴き出す音、そして、工場で働く人々の疲れた足音だけが響く、鉄と油の街。
「不潔ですわね……空気がジャリジャリしますわ!」
漆黒のドレススーツに身を包んだナラティブ・ヴェリタスは、ハンカチで口元を覆いながら不快げに言った。
そのドレスの裾は、油まみれの地面に触れないよう、魔力で微妙に浮かせている。
「文句を言うなよ、ナラ君。ここは産業革命の最前線! テクノロジーの揺り籠だ!」
隣を歩くエラーラ・ヴェリタスは、防塵ゴーグルを装着し、背中に巨大な掃除機のような装置を背負って上機嫌だ。
「揺り籠というより、墓場に見えますけれど?」
ナラが冷ややかな視線を向けた先。
工場地帯の上空、スモッグの切れ間を、一つの影が飛んでいた。
自転車だ。
翼をつけた奇妙な自転車が、空を飛ぼうとしてはバランスを崩し、墜落を繰り返している。
地面に激突する寸前で影は霧散し、また上空に現れては墜落する。
終わりのない、墜落のループ。
「……『イカロスの自転車』。噂通りの怪異だね」
エラーラが背中の装置――『霊的質量捕獲機』のスイッチを入れた。
「あの亡霊が現れてから、工場の機械が次々と誤作動を起こしている。……『飛べないものは落ちるべきだ』という呪詛を撒き散らしながらね」
「夢破れた少年の成れの果て、ですか。……切ない話ですわ」
ナラは鉄扇を取り出し、パチンと開いた。
「行きましょう、お母様。……あの子を、空へ還してあげなくては」
二人が墜落地点である廃工場の屋上へ向かうと、そこには異様な光景が広がっていた。
屋上の端に、半透明の少年が座り込み、壊れた自転車の設計図を呆然と見つめている。
その周囲には、無数の「歯車」の形をした小型の精霊たちが漂い、少年を嘲笑うように回転していた。
『無駄ダ……』
『オ前ハ部品ダ……』
『飛ベルワケナイ……』
「……まあ、趣味の悪い野次馬ですこと」
ナラが一歩踏み出す。
その瞬間、歯車の精霊たちが集結し、巨大な「鉄屑の巨人」へと変貌した。
工場の廃棄物、鉄骨、鎖が絡み合い、見上げるような巨体がナラたちを見下ろす。
『夢ナド見ルナ。……現実ヲ見ロ!!』
ゴーレムが腕を振り上げる。
鉄骨の拳が、ナラを押し潰そうと迫る。
「ナラ君! 跳べ!」
「言われなくてもッ!」
ナラはドレスを翻し、バックステップで回避。
屋上の床が砕け散る。
「物理攻撃が効くタイプね?……上等ですわ!」
ナラは鉄扇を構え、ゴーレムの懐に飛び込んだ。
だが、ゴーレムの体からは蒸気と共に強烈な「重力波」が放たれていた。
体が重い。泥沼の中を歩いているようだ。
「くっ……! 重力が……!」
「こいつは『常識の重力』だ!」
エラーラが叫ぶ。
「『飛べるわけがない』という集団心理が、物理的な重力場を形成している! 正攻法では近づけないぞ!」
『落チロ……地ニ這イツクバレ……!』
ゴーレムが追撃の拳を放つ。
ナラは動けない。
「させるかッ!」
エラーラが『ゴースト・キャッチャー』の出力を最大にした。
「吸引開始!」
強力な吸引力が、ゴーレムの周囲の重力場を吸い込み、中和する。
「体が……軽い!」
ナラが顔を上げる。
「ナラ! 今だ! 核を抽出する!」
エラーラが『因果抽出式・時間逆行注射器』を放り投げた。
「ナイスパスですわ!お母様!」
ナラは空中でシリンジをキャッチし、ゴーレムの腕を駆け上がった。
そして、その頭部にシリンジを突き立てた。
「成分、抽出ッ!」
ゴーレムが悲鳴を上げ、シリンジの中に灰色の液体が満たされていく。
重力場が消滅し、ゴーレムは鉄屑の山へと戻った。
「……解析完了だ」
エラーラはシリンジを受け取り、データを読み解いた。
その表情が、怒りで険しくなる。
「彼の名はレオ。……30年前、この工場で働いていた少年工だ」
ホログラムが展開される。
昼間は工場で働き、夜は隠れて「空飛ぶ自転車」の開発に没頭する少年の姿。
彼の目は輝いていた。いつか、この灰色の空を越えていくことを夢見て。
だが、ある日。
工場長のガストンに見つかった。
ガストンは、「仕事中に遊ぶな」「人間が自転車で飛べるわけがない」と罵り、レオが書き溜めた設計図をビリビリに破き、作りかけの翼を踏み潰した。
『お前はただの歯車だ! 余計なことを考えるな!』
レオは絶望し、夢を諦め、死んだ魚のような目をして一生を工場で終えた。
その無念が、この場所を呪っているのだ。
「……才能の芽を摘む。あたしが一番嫌いな『剪定』ですわ」
ナラは、拳を強く握りしめた。
彼女もまた、かつては誰かの道具として扱われ、物語を奪われていた。
だからこそ、レオの痛みが我がことのように分かる。
「お母様。……送って」
「ああ。だが今回は少々厄介だ」
エラーラは、再生し始めたゴーレム(鉄屑の山が再び動き出している)を指差した。
「この怪異は強力だ。君が過去へ行っている間、私がここでこいつを食い止めなければ、ゲートが閉じて君が帰れなくなる」
「……一人で大丈夫なの?」
ナラが心配そうにエラーラを見る。
「君は誰に言っているんだね? 私はエラーラ・ヴェリタスだよ?」
エラーラは白衣を翻し、魔導ライフルを構えた。
「君は過去で『原因』を断て。私は現在で『結果』を抑え込む。……時空を超えた、親子のコンビネーションだ!」
ナラは、エラーラの頼もしい笑顔を見て、フッと笑った。
「了解ですわ。……最高のショーにしましょう!」
シリンジがナラの首筋に刺さる。
意識が飛ぶ。
30年前。工場の裏倉庫。
油と鉄錆の匂い。
「あーあ。ゴミが増えちまったなァ」
工場長ガストンが、ニヤニヤしながら設計図を破っていた。
その足元には、踏み潰された翼の残骸。
少年レオは、地面に這いつくばり、涙を流しながら破片を拾い集めようとしている。
「やめてください……! それは……僕の……!」
「うるせぇ!お前はネジを回してりゃいいんだよ!空を飛ぶだァ? 頭のネジ、飛んでんじゃねぇか?」
ガストンが、レオの手を踏みつけようと足を上げた。
(……今ッ!)
倉庫の影から、ナラティブ・ヴェリタスが飛び出した。
彼女はガストンの足を空中でキャッチし、そのまま一本背負いで投げ飛ばした。
「ごめんあそばせッ!!」
ガストンがドラム缶の山に突っ込む。
「な、なんだぁ!?」
「通りすがりの、航空力学アドバイザーですわ!」
ナラはレオの前に立ち、鉄扇を構えた。
一方、現代。
廃工場の屋上で、エラーラは復活したジャンク・ゴーレムと対峙していた。
『現実ヲ見ロォォォォッ!!』
ゴーレムが、無数の鉄パイプをミサイルのように射出してくる。
「現実は変えられる! それが科学だ!」
エラーラは、背負った『ゴースト・キャッチャー』を『反重力フィールド発生機』モードに切り替えた。
「展開!」
青いドーム状のフィールドがエラを包み、鉄パイプを空中で停止させる。
「ナラ君! そっちはどうだ!?」
エラーラが通信機に向かって叫ぶ。
『ええ、最高にムカつく相手ですわ!』
ナラの声が返ってくる。
過去の世界。
ガストンは、屈強な作業員たちを呼び集めていた。
「あいつだ! あいつを殺せ!」
スパナやハンマーを持った男たちが、ナラを取り囲む。
「多勢に無勢。……でも、関係ありませんわ!」
ナラは、床に落ちていた自転車のフレームを拾い上げた。
「この自転車はね、空を飛ぶために作られたのよ。……鈍器として使うのは不本意ですけれど!」
ナラは自転車を振り回した。
鋼鉄のフレームが、作業員たちをなぎ倒す。
「レオ! 設計図を拾いなさい!諦めちゃダメ!」
ナラは戦いながら叫んだ。
レオは震えながら、必死に紙切れをかき集める。
「でも……僕なんかじゃ……」
「こら!僕『なんか』、なんて言わないで!」
ナラは、襲いかかるガストンの顔面に、自転車のタイヤを叩きつけた。
ゴムの焼ける匂い。
「あんたが見た夢でしょう!? だったら、最後まで責任を持ちなさい!」
現代。
ゴーレムが巨大化し、屋上全体を押しつぶそうとしていた。
『飛ベナイ! 人ハ飛ベナイ!』
「うるさいねぇ?重力如きに縛られるな!」
エラは、停止させた鉄パイプを全てゴーレムに撃ち返した。
だが、ゴーレムは再生する。過去の絶望が消えない限り、こいつは不滅だ。
「急げナラ! こちらも限界が近い!」
『任せて! ……仕上げにかかりますわ!』
過去。
作業員たちは全員のびていた。
残るはガストン一人。
「く、くそっ! 化け物め!」
ガストンは、フォークリフトに乗り込み、ナラに向かって突進してきた。
「潰れちまえよ!!」
「機械頼みなんて、三流ですわね」
ナラは、フォークリフトの突進を正面から受け止めた――わけではない。
彼女は、レオの自転車に跨った。
タイヤは歪んでいる。チェーンも外れかけだ。
でも、ナラはペダルに足をかけた。
「レオ! 見てなさい! ……あんたのマシンは、最高よ!」
ナラは魔力を込めた。
エラーラから教わった身体強化。そして、自転車への魔力充填。
「飛べぇぇぇぇッ!!」
ナラはペダルを全力で踏み込んだ。
フォークリフトに向かって加速する。
激突する寸前、ナラはハンドルを引き上げた。
奇跡が起きた。
自転車の翼が風を孕み、ナラの魔力を受けて浮力を生んだ。
自転車が、ふわりと宙に浮いた。
「なっ!?」
ガストンが口を開けて見上げる。
ナラは、フォークリフトの頭上を飛び越え、そのまま天井のクレーンに着地した。
そして、上空からガストンを見下ろした。
「見えましたか? ……これが『可能性』ですわ!」
ナラは、自転車ごとダイブした。
落下エネルギーを乗せた、自転車の前輪プレス。
「夢を笑う奴は……夢に潰されなさいなッ!!」
ガストンとフォークリフトが、まとめて粉砕された。
工場の床が抜け、ガストンは地下の下水へと落ちていった。
「……す、すごい……」
レオが、目を輝かせてナラを見上げている。
ナラは、自転車を降り、優しくレオに返した。
「飛べたわよ。……少しだけだけど」
「はい……! 僕、直します! もっと高く、もっと遠くへ飛べるように!」
レオの目に、光が戻った。
絶望の霧が晴れ、未来への滑走路が開かれた。
現代。
ゴーレムの動きが止まった。
『飛……ベル……? オレハ……飛ベル……?』
「ああ、飛べるさ」
エラーラがゴーグルを外し、優しく微笑んだ。
ゴーレムの体が、光の粒子に分解されていく。
鉄屑たちは、鳥の形になり、灰色の空へと舞い上がっていった。
スモッグが晴れ、青空が覗く。
「……任務完了だね」
・・・・・・・・・・
「……ッは!」
ナラが目を開けると、現代の屋上だった。
エラが手を差し伸べている。
「おかえり、ナラ君」
「ただいま、お母様。……ふぅ、いい運動でしたわ」
ナラはエラーラの手を取り、立ち上がった。
二人は、街を見下ろした。
そこは、かつての灰色の工場地帯ではなかった。
空には、色とりどりの「飛行自転車」が飛び交い、人々が空の散歩を楽しんでいる。
空気は澄み、工場はクリーンエネルギーで稼働していた。
「レオの発明が、この街を変えたんだね」
エラーラが感心したように言った。
「彼は『航空自転車の父』として歴史に名を残したよ」
「ふふ。……いい景色ですわね」
ナラは、空を飛ぶ自転車を見つめた。
あの時、彼女が守った小さな翼が、こんなにも大きな風を起こしたのだ。
「……ねえ、お母様」
「ん?」
「あたしたちも、飛びませんこと?」
ナラは、屋上の隅に置いてあった、レンタル用の二人乗り飛行自転車を指差した。
「え?まさか、私が漕ぐのかい?」
エラーラが嫌そうな顔をする。
「当たり前ですわ。あたしは疲れてますのよ」
ナラは強引にエラを前の席に座らせ、自分は後ろに乗った。
「さあ、出発進行! 一流のサイクリングですわよ!」
「やれやれ……。動力源は私の魔力で代用するか……」
エラーラがペダルを漕ぐと、自転車はふわりと空に浮いた。
風が気持ちいい。
ナラは、エラーラの背中にしがみつき、空からの景色を楽しんだ。
「高い……! お母様、もっと高く!」
「無茶を言うな! 酸素濃度が下がるぞ!」
「いいじゃないですか! ……あたしたち、どこまでだって行けますわ!」
ナラは、エラーラの腰に手を回し、顔を背中に押し付けた。
温かい。
そして、頼もしい。
「ありがとう、お母様。……あんたがいなきゃ、あたしは飛べなかった」
「……君こそ。私に空を見せてくれてありがとう」
二人の乗った自転車は、青空に吸い込まれるように上昇していく。
過去の重力を振り切り、未来の風に乗って。




