第2話:現実対虚構(2)
私はグラスを置き、椅子を蹴るようにして立ち上がった。
ブーツの踵が、古い床板を強く踏みしめる。
私は、二人の男のテーブルへと歩み寄った。
彼らはまだ、カウンターで泣き崩れている復員兵を肴に、「脚本の甘さ」について談笑していた。
私は無言で彼らのテーブルに両手をつき、上から睨み下ろした。
「……いい加減にしなさいよ。」
私の声は、怒りで震えていた。
「あんたたち何様のつもり?あれは映画じゃないの。今、そこで血が流れてるのよ。人が死ぬのは『演出』でも『伏線』でもないわ」
店内の空気が凍りついた。
周囲の客たちが、好奇と迷惑の入り混じった視線を向けてくる。
だが、二人の男たちは動じなかった。
彼らは顔を見合わせ、私に対して──憐れみの笑みを浮かべたのだ。
「はぁ……ッ!!」
男が、わざとらしく大きなため息をついた。
「これだから素人は困る。感情論でしか語れないヤツは、議論の邪魔なんだよ。」
「……何ですって?」
「おばさん、『抑止力』……知ってる?……我々が圧倒的な武力を誇示することで世界平和が保たれてるんだよ。あの兵士の足一本はシステム維持のための必要経費だ。全体最適の話をしてるんだよ俺たちは。」
彼は、フライドポテトをつまみながら淡々と言った。
自分の足がなくなるリスクなど、1ミリも想像していない口調で。
すると、男が追撃してきた。
「そうそう。君はね、『メタ視点』が足りないんだよ。」
彼は眼鏡の位置を直し、諭すように語り始めた。
「僕たちはね、戦争という事象を『国家の物語構造』として分析してるんだ。すなわちね、君みたいにね、個人の悲劇にフォーカスして『かわいそう〜!』とか言ってる奴がいっちばん、大局を見誤らせるノイズなんだよね。」
「ノイズ……?」
「そうさ。映画で言えば、作戦会議のシーンで『でも〜!人が死ぬわ〜!』って泣き叫んで会議を止めるヒロイン役だね。……なるほど、あれ、観客からすると一番イライラするんだよね。物語の進行を妨げるだけの、無駄な尺だから。」
私の頭の中で、血が沸騰する音がした。
こいつらは、目の前の復員兵の痛みを、そして現地で死んでいった人々の無念を、「無駄な尺」と切り捨てたのだ。
「はあああ?……ふざけないで!あんたたちが安全な場所でポップコーン食ってる間に、彼らは地獄を見てきたのよ!その痛みへの想像力もないくせに、偉そうに語るんじゃないわよ!」
私が叫ぶと、男が冷ややかな目で私を見上げた。
そして、私の全身――黒いドレス、鉄扇、そして私の顔を、値踏みするように舐め回した。
「……だいたいさぁ」
彼は、嘲笑を隠そうともせずに言った。
「あんたさ、多分さ、自分のこと『悲劇のヒロイン』か何かだと思ってない?その古臭い黒いドレスに、安っぽい正義感。……自分だけは真実が見えてる、みたいな顔してるけどさ。そういうあんたは、戦争、行ってきたの?」
「だいたいさ。あんた、鏡、見たことある?」
男が、鼻で笑った。
「君のその服さ、顔もだけどさ、『ヴァルハラ』なら、序盤で流れ弾に当たって死ぬ、モブおばさん、だよね。」
私は言葉に詰まった。
議論の話をしていたはずなのに、突然、私の存在を否定されたからだ。
「わかる!装備も貧弱だし、戦場に出たら3秒で蒸発するタイプだ。顔も地味だしさ、華、ないよね。君みたいなのが生き残って『戦争反対〜!』とか叫べるほど、現実は甘くないんだよ?それともあれ?反社の人?……あ!……さては活動家の人?」
「そうそう。主人公になれるのは、選ばれた力を持つ者だけなんだよね。君みたいな『背景』が、メインストーリーに口出しするなよ。身の程を知れって。」
彼らはゲラゲラと笑った。
店内の他の客たちからも失笑が漏れる。
空気が、彼らの味方をしている。
『空気の読めない、反社のおばさんが、楽しんでいる若者に、絡んで、自爆した』
そういう構図が、できあがっていた。
私は拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。
悔しい。
彼らの論理は破綻している。人間として最低だ。
だが、「物語」と「設定」という強固なシェルターの中にいる彼らには、どんな「現実」の言葉も届かない。彼らは私を「つまらない登場人物」としてカテゴライズし、処理してしまったのだ。
「……外見なんて……関係ないわ」
私は震える声で反論を試みた。
「わ、私が言ってるのは、命の話よ。映画?とかマシン?とか、そんなわけのわからない知識で人の死を弄ぶなと言ってるの!」
私がそう言った瞬間。
男の表情から、笑いが消えた。
彼は、軽蔑と憐れみ、そして優越感が入り混じった目で、私を射抜いた。
「……知識、ねぇ……なるほどね……」
男は、ゆっくりと立ち上がった。
私と目線を合わせ、威圧するように一歩踏み出してくる。
「じゃあ聞くけどさ、おばさん。」
彼は、早口で問い詰めた。
「あんたさ、『M83直列魔導ライフル』を知ってんの?」
「……え?」
唐突な問いに、私は虚を突かれた。
M83?なにそれ。
「はああああ?知らないの?常識だぞ?……じゃあもう一回聞くぞ?『M83直列魔導ライフル』を知ってるか?え!む!は!ち!さ!ん!ちょ!く!れ!つ!ま!ど!う!ら!い!ふ!る!」
彼は同じ言葉を繰り返した。
呪文のように。あるいは、踏み絵のように。
「……知らないわよ。それが何の関係……」
「関係あるに決まってんだろッ!」
男が机をバン! と叩いた。
グラスが跳ね、ビールがこぼれる。
「M83はな!今回の!ソル攻略戦で主力として配備された!歩兵用装備だ!その有効射程!魔力変換効率!排熱問題!……それらの特性を知らなきゃ!現場の兵士が!どんな!苦労を!してるかなんて!理解できるわきゃねぇんだよ!」
彼はまくし立てる。
「ふざけんなよ……本当にふざけんなよ……M83の重量を知ってるか?4.25キロだ!それに予備の魔力パック!つまり!王都製じゃないから質の低い帝都製の重い方のナナゴーのVNパックと防具を合わせて!兵士は!30キロの装備を背負って密林を歩くんだ!その!『重み』も!知らねぇくせに!命がどうとか寝言抜かしてんじゃねぇよ!」
私は圧倒された。
彼の言うことは、一見もっともらしく聞こえる。
だが、それは詭弁だ。兵器の型番を知っていることと、命の尊さを理解することは、別のはずだ。
「……そんな……本質とは…関係…ないわ……」
「はああああ?本質?」
今度は男が呆れたように口を挟んだ。
「君さ、君ね、君、映画の評論する時に、カメラの機種も監督の過去作も知らずに『つまんない』とか言うタイプでしょ?それさ、一番嫌われるよ?ね?」
「知識がないってことは!リスペクトがないってことなんだよ!」
男が指を突きつける。
「俺たちはな!俺たちは!兵器のスペックから戦術まで!全ッッッ部勉強して!理解した上で語ってんだ!それが『当事者への敬意』ってもんだろ!あんたみたいに何も知らないくせに感情だけで『戦争反対〜!』とか言ってる奴が!いっっっちばん現場を馬鹿にしてんだよ!」
「ち、違う……私が言いたいのは……」
「違わないねッッッ!」
二人は、勝ち誇ったように私を追い詰める。
「じゃあ!改めて聞くけどなあ!M83の派生型である『M83改騎兵仕様』の連射速度は?86じゃないぞ?83だぞ?知ってるか?」
「し、知らない……」
「じゃあ!ソル軍の『99魔導連射歩兵銃』の装弾数は?知ってんのか?」
「知らないわよ……!」
「ほら見ろ!ほらッッッ見ろッッッ!なあんにも知らないじゃねえか!ふッッッざけんじゃねえよ!」
男が、勝利宣言のように両手を広げた。
「『M83直列魔導ライフル』も知らないくせに戦争を語るな!偉そうに説教するな!冒涜だぞ!無知は罪だぞ!クソババア!」
「帰れ!帰れよ!ここは『わかってる奴ら』の店だ。素人が来ていい場所じゃねぇんだよ!英霊に謝れ!だからまず俺に謝れ!」
私は、何も言えなかった。
唇を噛み締め、立ち尽くすことしかできなかった。
彼らの論理は、完璧な「門前払い」だった。
『特定の豆知識を持たない者は、その事象について語る資格がない』
そのルールを勝手に設定し、私を土俵にすら上げずに不戦敗に追い込んだのだ。
悔しい。
あんな、兵器カタログを暗記しただけの知識が、人の痛みを知る心よりも上位にあるなんて。
だが、この場においては、彼らのルールが絶対だった。
「……ッ」
私は、踵を返した。
これ以上ここにいたら、惨めさで死んでしまいそうだった。
背後から、彼らの大きな笑い声が聞こえる。
「ほら見ろ!逃げたぞ!正論ぶちかまされたから逃げるんだわ!論破されてくやしいでちゅかッッッ!」
「M83も知らない馬鹿が、よく恥ずかしくなく説教できたもんだなァ!」
「ギャハハハ!勉強して出直してこい!」
さらに、店内の他の客たちまでもが、それに同調し始めた。
「そうだそうだ!なめんなよ!」
「M83!M83!」
誰かが手拍子を始め、それが店全体に広がっていく。
『エム・ハチ・サン! エム・ハチ・サン!』
地獄のようなコール。
彼らは、私という「無知な異物」を排除できたことへの連帯感で、奇妙な高揚感に包まれていた。
私は、逃げるように店のドアを開けた。
カウンターの隅で、あの復員兵が、虚ろな目で私を見ていた。
彼は何も言わなかった。
助けてもくれなかった。
ただ、その目は語っていた。
『無駄だよ。こいつらには、何も届かない』と。
パブの外に出ると、冷たい夜風が汗ばんだ肌を打った。
私は路地裏のゴミ箱を蹴り飛ばした。
空き缶が転がる音が、虚しく響くだけだった。
「……なによ。なによ、あいつら……」
涙が溢れてきた。
悔し涙だ。
私は間違っていないはずだ。命はスペックじゃない。悲劇はエンタメじゃない。
でも、私は負けた。
「M83直列魔導ライフル」という、「たった一つの単語」の前に、私のリアリズムは完全に粉砕された。
王都の夜空を見上げる。
戦勝を祝う花火が、色鮮やかに打ち上がっている。
赤、緑、金。
それはまるで、映画のエンドロールを飾る演出のようだった。
私は、自分のドレスの裾を強く握りしめた。
彼らの言う通りだ。
私はモブだ。この巨大で狂った「国家の物語」の中では、名前さえない背景の一人に過ぎない。
「……でも」
私は、涙を拭った。
「現実は、リテイクがきかないのよ」
いつか、この映画館の壁が壊される日が来る。
安全圏などないことに、気づく日が来る。
その時、彼らはまだ、M83なる何らかのスペックを語っていられるのだろうか。
私は、足元に落ちていた新聞記事を踏みつけた。
『王都軍、連戦連勝! ソル軍の首都へ迫る!』
薄っぺらい紙切れが、風に舞って泥水の中に沈んでいく。
私は背筋を伸ばし、夜の闇へと歩き出した。




