第2話:Fries
主題歌:ロボコップ3 サウンドトラック
https://youtu.be/SRCbGWh8Utg?si=Hbc6OPdMMlLtXNHt
三日後。
『ドラッグストア・ゼイ』は、週末のセールでごった返していた。
ナラは、殺気を消してレジに立っていた。
鉄扇は没収されている。武器は自分の肉体のみ。
だが、彼女の神経は極限まで研ぎ澄まされていた。
午後3時。
自動ドアが開いた。
入ってきたのは、男とも女ともつかない、なんとも奇妙な人物だった。
全身にボロボロのコートを重ね着し、顔には包帯を巻いている。
だが、その目だけが、ギラギラと異常な光を放っていた。
あの妊婦と同じ目。あの老人と同じ目。
怪盗『千の仮面を持つ乞食』。
変装をやめ、素顔で現れたのだ。
「ヒヒッ! ……全部、全部俺のモノだ……!」
怪人は、入り口のワゴンにあった特売のバナナから、高級化粧品、さらにはゴミ箱の中身まで、目につくもの全てをコートの中に放り込み始めた。
選別しない。
価値があるかどうかではない。「そこにあるから盗む」のだ。
店の存在そのものを食い尽くすイナゴのような強欲。
「出たわね……!」
ナラがカウンターを飛び越える。
怪人はナラに気づくと、両手を広げた。
「ああ!店員さん! 好き!愛してる!」
怪人はナラに抱きつこうとした。
ナラが身構えると、怪人の表情が一瞬で憎悪に変わる。
「死ね!触るなセクハラだ!」
隠し持っていたナイフを振り回す。
ナラは紙一重で回避する。
「情緒不安定すぎるでしょ!」
怪人はさらに暴挙に出た。
コートの前を、バッと広げたのだ。
その下は――全裸だった。
「見ろ!俺の美しさを!そして商品を!」
股間にぶら下げた高級メロンと、脇に挟んだ大根を見せつけながら、怪人は腰を振った。
周囲の客から悲鳴が上がる。
精神的テロル。
ナラは目を逸らしたくなる衝動を堪え、怪人の腕を掴もうとした。
だが、怪人の体はヌルヌルしていた。
ローションか、あるいは自身の脂汗か。
ナラの手が滑る。
「ヒャハハ! 捕まらないよ!」
怪人は、ナラの股下をくぐり抜け、店内を疾走し始めた。
竜巻のように商品を巻き上げ、棚をなぎ倒していく。
ナラが追いかけるが、怪人は商品を投げつけ、客を突き飛ばし、障害物を作る。
「逃げろ俺!」
「殺せ私!」
「全部燃やせボク!」
怪人の中で複数の人格が会議し、予測不能な動きを生み出す。
右へ行くと見せかけてバク転し、天井の梁に張り付き、シャンデリアを落とす。
店が破壊されていく。
だが、ナラは攻撃できない。
「お客様を傷つけてはいけない」という呪いが、彼女の拳を止める。
怪人は、商品を山のように抱え、出口へと向かった。
自動ドアが開く。
外の光が差し込む。
「勝った!俺の勝ちだ!ざまぁみろ!」
怪人は、一歩、外へ踏み出した。
店の敷地外。
万引きが成立した瞬間。
ナラは、入り口で立ち止まった。
ギリリ、と歯ぎしりをする。
逃げられた。
また、負けた。
絶望が胸を支配しかけた、その時。
店内のスピーカーから、ノイズ混じりの声が響いた。
ドラド店長の声だ。
『――ナラティブ・ヴェリタス』
冷徹な、事務的な声。
『犯人の逃走を確認。および、店舗の損壊率が規定値を超過。よって……』
ナラは俯いた。
終わりだ。クビだ。借金地獄だ。
『君はクビだ!』
その言葉が、店内にこだました。
クビ。
それは、生活の終わりを意味する言葉。
だが、今のナラにとっては――。
「……ありがとう!」
ナラは叫んだ。
それは、解放の叫びだった。
クビになった。
つまり、私はもう「店員」ではない。
「お客様を傷つけてはいけない」というルールも、「商品を丁寧に扱う」という義務も、たった今、消滅したのだ!
ナラは、制服のエプロンを力任せに引きちぎった。
胸元の名札をむしり取り、床に叩きつける。
「私はもう店員じゃない! ……ただの通りすがりの、機嫌の悪い『暴力装置』よ!」
ナラは、床を蹴った。
加減などしない。
大理石の床が蜘蛛の巣状にひび割れ、ナラの体は砲弾のように射出された。
店外。駐車場。
怪人は、盗んだ商品をカートに詰め込み、高笑いしていた。
「見ろ!誰も追ってこれない!法律が俺を守ってる!店員は店から出られない!」
怪人は勝利を確信していた。
安全圏からの嘲笑。
だが、彼は気づいていなかった。
背後のスーパーの2階、ガラス張りの吹き抜けから、黒い影が迫っていることに。
パァァァァァン!!
強化ガラスが粉々に砕け散った。
破片がダイヤモンドダストのように降り注ぐ中、ナラティブ・ヴェリタスが空中に舞っていた。
重力を無視した跳躍。
太陽を背負い、逆光の中で彼女は叫んだ。
「お前は、私のプライドを盗んだ!」
ナラは、空中で体を捻った。
右足に、全身のバネと、溜まりに溜まったストレス、そして全魔力を集中させる。
足先が赤熱し、大気が焦げる。
「退職金代わりよ!受け取りなさいッ!」
ナラは、流星となって落下した。
怪人が見上げた時には、もう遅かった。
視界いっぱいに広がる、ナラのヒール。
「あ、え、客……」
ドゴォォォォォォォォン!!!!!!
轟音。
ナラの踵が、怪人の顔面を直撃した。
怪人の顔が歪み、首がめり込み、体が地面に沈む。
衝撃はアスファルトを貫通し、その下のコンクリートを砕き、さらに地下の下水道まで到達した。
駐車場に、巨大なクレーターが出現した。
衝撃波で、周囲に停まっていた車が横転し、盗まれた商品はすべて粉砕されてチリとなった。
土煙が晴れていく。
大穴の底。
下水の浅瀬に、怪人がピクリとも動かずに埋まっていた。
全身の骨が砕け、変装も剥がれ、ただの汚い肉塊となっている。生きてはいるが、二度と万引きなどできない体だろう。
ナラは、穴の縁に着地した。
ガラスの破片を踏みしめ、乱れた髪をかき上げる。
その表情は、憑き物が落ちたように晴れやかだった。
「……ふぅ。最初からこうすればよかったのよ」
ナラは、ボロボロになった自分の服を見た。
制服の下に着ていたシャツも破れ、スカートも裂けている。
だが、不思議と誇らしかった。
そこへ、ドラド店長が歩いてきた。
彼女は、破壊された窓ガラス、穴だらけの駐車場、そして瀕死の犯人を見て、深く、深く溜息をついた。
「……ナラ君?」
「何? 元・店長」
「犯人を確保したのは評価するが……。店の修理費と、粉砕された商品の弁償、どうするつもりだ?犯人には支払い能力がなさそうだが……」
ナラは、笑った。
それは、獣のような、獰猛で自由な笑みだった。
「退職金で相殺して!」
ナラは、ドラドに背を向けた。
「……やれやれ。私の財布が死ぬな」
遠くから、パトカーのサイレンが聞こえてくる。
ナラは、悪びれもせずに歩き出した。
職を失い、金もなく、借金は増えた。
だが、彼女の手には「自由」と「尊厳」が戻っていた。
どんな手を使おうと、悪は滅び、ナラは勝ったのだ。
王都の風が、汗ばんだナラの肌を心地よく撫でていった。




