第1話:借金返済探偵!
王都の再開発地区にオープンした巨大商業施設『ドラッグストア・ゼイ』。
24時間営業、品揃え数万点、王都の胃袋を支える流通の要塞。
その一階、食品売り場のレジカウンターに、死んだ魚のような目をした美女が立っていた。
ナラティブ・ヴェリタス。
裏社会で名を馳せる凄腕の探偵である彼女が、なぜこんな場所で「いらっしゃいませ」と棒読みで言っているのか。
理由はシンプルだ。借金である。
先日の事件で、彼女は同居人であるエラーラ・ヴェリタスの所有する「国宝級魔導顕微鏡」を、うっかり鉄扇で叩き割ってしまったのだ。
「……時給900クレスト。完済まであと300年かかる計算ね」
ナラはレジを打ちながら、虚空を見つめていた。
オーナーであるドラドは冷酷だった。「身体で払えとは言わない。労働で払え。うちの店の警備兼レジ打ちとしてな」と。
そして、鉄の掟が課された。
『第一条:お客様は神様です。いかなる理由があろうと、店員から客への暴力は禁止とする』
『第二条:万引きによる損害は、全額ナラの給料から天引きする』
つまり、ナラは「手出しできない状態で、万引き犯を止めなければならない」という無理を強いられていたのだ。
「……やってられないわ」
ナラが溜息をついた時、自動ドアが開いた。
繁忙期の店内。客の波に紛れて、その「異物」は入ってきた。
その客は、異様なほど腹が膨らんでいた。
臨月を通り越して、何か別の生き物を宿しているかのような大きさの妊婦……の姿をした中年男性。
彼は、ふらふらとした足取りで、高級酒コーナーへと向かった。
ナラの眼光が鋭くなる。
ナラはレジを離れ、さりげなく通路を巡回するふりをして近づいた。
彼は、1本50,000クレストもするヴィンテージワインの棚の前に立っていた。
彼は周囲をキョロキョロと見回すと、スカートの裾を広げた。
シュボッ。
音がした。
ナラは目を疑った。
男がワインボトルを手に取り、股の間に落とした瞬間、ボトルが消失したのだ。
床に落ちた音もしない。
まるで、スカートの中がブラックホールに繋がっているかのように。
男は止まらない。
ワイン、ブランデー、さらには隣の棚の高級生ハム、チーズ、キャビア。
高額商品だけを選んで、次々とスカートの中へ「逆出産」するように吸い込んでいく。
その顔は、商品を盗むたびに恍惚として歪んでいる。盗む行為そのものが快楽なのだ。
「……お客様?」
ナラは背後から声をかけた。
鉄扇を使いたい。あのふざけた腹を叩き割ってやりたい。
だが、できない。お客様は神様であり、自分は店員だからだ。
「商品を……ス、スカートの中に入れるのは、ご遠慮いただけますか?」
男が振り返る。
その顔には、厚化粧と、脂ぎった汗が浮いていた。
男はナラを見ると、ニタリと笑い、そして突然、白目を剥いて叫び出した。
「きゃああああああ!! 暴力よ!! 店員が私を殴ったわ!!」
大音量の悲鳴。
周囲の客が一斉に注目する。
男はその場にうずくまり、腹を抱えてのたうち回り始めた。
「痛い!お腹の赤ちゃんが!この女が私のお腹を蹴ったのよ!人殺し!」
「はあああ!?指一本触れてないわよ!」
ナラが反論するが、群衆心理は「可哀想な妊婦」の味方をする。
「酷い店員だ」
「警察を呼べ」
「妊婦を蹴るなんて」
正義感に駆られた客たちが、ナラを取り囲み、非難の言葉を浴びせる。
その隙に。
男は「痛い、痛い」と呻きながら、床を這いずって出口の方へと移動していた。
そのスカートからは、カチャカチャと瓶がぶつかる音がするが、誰もそれに気づかない。
「待ちなさい! そいつは万引き犯よ!」
ナラが追いかけようとするが、客の壁に阻まれる。
男は自動ドアを抜けると、急にシャキッと立ち上がり、ナラに向かって中指を立てた。
「精神的苦痛を受けたわ! 慰謝料を請求してやるから! ……オホホホホ!」
男はスカートを翻し、驚異的なスピードで走り去った。
ナラは歯噛みした。
追えない。店員が店を飛び出して客を追い回せば、それこそ大問題になる。
その後、棚卸しが行われた。
被害総額、3,000,000クレスト。
ドラド店長は、冷酷な目で電卓を叩いた。
「……ナラ君?今月の給料はマイナスだ。利子をつけて来月に繰り越す」
「くっ……!殺してやる……あいつ……!」
数日後。
ナラは警備を強化していた。
どんな客も信用しない。怪しい奴は入店した瞬間にマークする。
だが、敵はナラの想像の斜め上を行く「異常者」だった。
電動車椅子の駆動音と共に、一人の老人が入店してきた。
立派な白髭、高級そうなスーツ。
一見すると富豪の老人だが、ナラの直感が警鐘を鳴らす。
(……あの車椅子、デカすぎる)
座席の下に、不自然なほど巨大なボックスがついている。
老人は、家電売り場へと向かった。
そして、最新型の大型魔導テレビの前で止まった。
「ふん。……わしを敬え。わしはこの国の宝だぞ」
老人はブツブツと呟きながら、車椅子のスイッチを入れた。
座席の下から、掃除機のような吸引ノズルが伸びた。
それは魔力で強化された吸引機だった。
50インチのテレビが、空間圧縮魔法によってミカンのようなサイズに縮められ、ノズルの中へと吸い込まれていく。
テレビだけではない。冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ。
家電売り場が、物理的に「掃除」されていく。
「ちょっと! 何してんのよジジイ!」
ナラが駆けつける。
老人はナラを見ると、吸引を止めるどころか、蔑むような目で鼻を鳴らした。
「下民が。わしの買い物を邪魔する気か? わしのような美しい人間に貢献できることを光栄に思え」
「万引きは買い物じゃないわよ!商品を返しなさい!」
ナラが車椅子を掴もうとした、その時。
老人が、ガクガクと震え出した。
「う、ううっ……!し、心臓が……!」
老人は胸を押さえ、白目を剥いて泡を吹き始めた。
痙攣し、車椅子から崩れ落ちそうになる。
演技だ。ナラにはわかる。
だが、万が一、本当だったら?
店内で客が死ねば、営業停止だ。
ナラは反射的に、老人を支えようと手を伸ばした。
「だ、大丈夫!?」
その優しさが、仇となった。
ナラの手が触れた瞬間、老人の目がカッと見開かれた。
「汚い手で触るなァァァッ!!」
老人は、車椅子のアームレストに仕込まれていたスプレーを、至近距離でナラの顔面に噴射した。
催涙ガスだ。
しかも、唐辛子成分と魔界の毒草を濃縮した、失明レベルの劇物。
「ぐあぁぁぁッ!?」
ナラは顔を覆ってうずくまった。
目が焼ける。喉が塞がる。
「ヒヒッ! チョロいねぇ! バカな店員だ!」
老人は、泡を吹いていたのが嘘のようにケロリとして、車椅子を急発進させた。
彼は家電を満載したまま、猛スピードで店内を暴走し、自動ドアを突破して逃走した。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、ナラは床を叩いた。
「……覚えてなさいよ……クソジジイ……!」
閉店後。
ドラド店長は、空っぽになった家電売り場を見て、静かに言った。
「被害総額、10,000,000クレスト……」
「……」
「ナラ君。ついに、私の年収を超えたよ。……次、逃がしたら……」
ドラド店長の眼鏡が、冷酷に光った。
「即刻クビだ。そして、借金は、臓器でも何でも売って、払ってもらうからね……」
ナラは、腫れ上がった目で誓った。
次はない。
次にアイツが現れたら、店員のルールなんて知ったことか。
客じゃない。あれは「敵」だ。




