第1話:確定された敗北!
王都中央広場の上空、地上30メートル。
そこに、巨大な透明の立方体が浮遊していた。
それは、何者かが仕掛けた、逃げ場のない処刑台だった。
閉じ込められているのは6名。
偶然居合わせた市民が5名。
そして……彼らを助けようと飛び込んだ、ナラティブ・ヴェリタス。
『ゲームの開始だ。生き残りたければ、誰か一人が「芯」となれ』
広場に設置されたスピーカーから、ノイズ混じりの犯行声明が響く。
キューブの天井から、無数の「魔導レーザー発射口」と、鋭利な「回転鋸」がせり出してくる。
「……まったく、趣味の悪い鳥籠ですこと」
ナラは、漆黒のドレススーツの裾を払い、鉄扇を構えた。
彼女の足元、透明な床の下には、何千人もの野次馬が広場を埋め尽くし、この惨劇を「鑑賞」していた。
地上。
規制線の最前線に、カレル警部がいた。
カレルは、上空のキューブに向けて愛用のリボルバーを構えた。
犯人の姿は見えない。だが、あの檻を壊さなければ、中の人間はミンチになる。
「ナラ君!今助ける!」
カレルが引き金を引く。
銃声が響き、弾丸がキューブの底面に命中する。
だが。
乾いた音がして、弾丸はそのままの速度でUターンして、カレルの右肩を貫いた。
「ぐあッ!?」
「警部!?」
部下が駆け寄る。
「弾いた?……魔法反射か!……だが、撃ち続けるしか……!」
カレルは血を流しながら、左手で銃を構え直す。
今度は太ももを掠める。
カレルは倒れない。彼は魔法を使えない。だからこそ、自分の血と痛みで代償を払ってでも、市民を守ろうとする。
「やめろ!警部!」
「もうやめるんだ!」
群衆から声が上がる。
だが、それは、けしてカレルを心配する声ではなかった。
「お前が撃つと、弾がこっちに来るだろうが!」
「そうだ!安全にショーを見せろ!」
群衆は、カレルに罵声を浴びせはじめた。
彼らにとって、この事件は「対岸の火事」であり、スリル満点の見世物なのだ。
それを邪魔し、あまつさえ、自分たちに危険を及ぼすカレルは、彼らにとって「悪」だった。
「貴様らァ!中に人がいるんだぞ!」
カレルが叫ぶ。
「知るか!楽しむ権利を奪うな!」
暴徒と化した市民たちが、カレルを取り囲む。
殴る、蹴る。泥水を浴びせる。
カレルは抵抗しなかった。市民に銃を向けるわけにはいかないからだ。
彼は血まみれになり、ボロ雑巾のように路肩の側溝へと蹴り落とされた。
「……くっ……ナラ……君……」
カレルは、薄れゆく意識の中で空を見上げた。
一方、エラーラ・ヴェリタスは、巨大な望遠鏡型の解析機をキューブに向けていた。
彼女の表情は、氷のように冷徹だった。
「……解析完了。……『絶対隔離空間』だ……」
エラーラは、震える手で数式を書き殴る。
「外部からの干渉……全て無効。強引にこじ開けようとすれば、内部の空間が崩壊する……」
つまり、外からは手出しができない。
ナラが自力で解決するしかない。
エラーラは、解析結果が示す残酷な未来を見た。
あの罠は、必ず「一人の命」を要求する。
誰かが犠牲にならなければ、全員が死ぬ。
「……ナラ」
エラーラは、望遠鏡から目を離した。
そして、即座に別の準備を始めた。
巨大な魔力タンク、蘇生用の触媒、生命維持装置。
「私は……君を助けに『行かない』」
エラーラは、呪文の詠唱を開始した。
「君は、必ず自分を犠牲にする。……だから私は、君が『死んだ後』のために全力を注ぐ」
それは、母親としての苦渋の決断であり、賢者としての冷酷な最適解だった。
ナラが死ぬことを前提に、蘇生の準備をする。
生きているナラを見捨て、死体となるナラを待つ。
「……死なせない。たとえ魂が砕けても、私が縫い合わせてやる……!」
エラーラは、自身の寿命を削り、魔力を充填し始めた。
上空、キューブ内部。
『排除シークエンス開始』
天井の回転鋸が、唸りを上げて降下してくる。
逃げ場はない。
「た、助けてくれ! まだ死にたくない!」
「なんで私がこんな目に!」
閉じ込められた市民たちがパニックになる。
彼らは、裕福な商人、市の議員、学者の卵、主婦、そして活動家風の男だった。
「落ち着きなさい! 騒げば酸素が減りますわよ!」
ナラが一喝する。
「お前! 何か武器を持ってるな!?」
商人が、ナラの鉄扇を指差した。
「それで何とかしろ! 早く!」
「やってますわよ!」
ナラは跳躍し、迫りくる鋸の刃を鉄扇で弾いた。
凄まじい衝撃。ナラの手首が悲鳴を上げる。
「くっ……! 硬い……!」
刃は弾かれたが、すぐに軌道を修正し、再び襲いかかってくる。
それどころか、ナラの攻撃に反応して、壁からレーザーが発射された。
「危ないッ!」
ナラは市民を庇って前に出た。
ジュッ。
レーザーがナラの肩を焼き、ドレスを焦がす。
「……ッ!」
「おい! お前が攻撃したから、罠が反応したんじゃないか!」
議員が叫んだ。
「は?」
ナラは痛みをこらえて振り返る。
「余計なことをするな!お前が動くたびに、我々が危険に晒される!」
「助けようとしてるんでしょうが!」
「嘘をつけ!」
学者の卵が、眼鏡を直しながら論理的にまくし立てた。
「観察したところ、君が鉄扇を振るった『直後』にレーザーが発射された。つまり、君の攻撃がトリガーだ。……君は、我々を巻き込んで、自分だけが助かるための実験をしているんじゃないか?」
「な……!?」
「そうだ! 最初から怪しいと思ってたんだ!」
活動家の男が続く。
「その黒い服! 喪服か? 最初からここで死人が出ることを知っていたような格好だ!」
「これは趣味ですわよ!」
「それに、あの下の騒ぎ……。警官がやられていたぞ。お前、警察とグルになって……さては、自作自演のヒーローごっこ、してるんじゃないか?」
彼らの目は、恐怖で濁っていた。
極限状態において、人間は「敵」を欲する。
理不尽を誰かのせいにすることで、精神の均衡を保とうとするのだ。
そして、この場で唯一「戦う力」を持ち、異質な存在であるナラは、格好のスケープゴートだった。
「……バカなことを」
ナラは、再び迫る鋸を受け止めた。
火花が散る。腕の筋肉が断裂しそうだ。
「あたしは……あんたたちを守るために……!」
「守るだと?笑わせるな!」
商人が唾を吐く。
「お前貧乏人だろう?服の生地はいいが、仕立てが悪い。……金持ちの我々が死ねば、社会的な損失は計り知れない!だが、お前一人が死んでも、誰も困らない!」
商人は、財布から札束を取り出し、ナラの足元に投げつけた。
「ほら、金ならやる!これで満足か?満足だろう?違うのか?違うのかよ?……足るを知れ!さっさとその機械に飛び込んで、身代わりになれ!」
「……」
ナラは、札束を踏みつけ、鋸を押し返した。
「金なんて……紙切れですわ!」
「なら、政治的な観点から言おうか。」
議員が冷徹に告げる。
「私は次期選挙の有力候補だ。私の政策は、未来の数万人を救う。……功利主義的に考えれば、君なんかの命より、将来的に皆を救う私の命の方が、圧倒的に『重い』のだよ!」
「命に重さなんて……」
「あるさ!……社会的地位という天秤の上ではな!」
すべて、教科書通りの正論だった。
彼らは正当に、ナラを責め立てた。
「お前は学がない」「身分が低い」「社会貢献度が低い」。
だから、死ぬべきだ、と。
それが「正義」だと、彼らは本気で信じていた。
『第二段階移行』
無機質なアナウンスと共に、床から高圧電流が流れ始めた。
「きゃあああ!」
主婦が悲鳴を上げる。
ナラは、鉄扇を避雷針代わりにして、電流を引き受けた。
激痛が全身を走り、ナラの体が痙攣する。
煙が上がる。
「……ぐ、ぅ……!」
ナラは膝をついた。
ボロボロだ。
肩は焼かれ、腕は痺れ、意識が飛びそうだ。
だが、市民たちは駆け寄ろうともしない。
彼らは、安全な隅に固まって、ナラを見下ろしていた。
「……わざとらしい」
学者が呟く。
「は?」
ナラが顔を上げる。
「そんなに派手に傷ついて……。同情を誘うつもりか?」
活動家が冷笑する。
「お前、本当は死にたいんだろ?」
「……なんですって?」
「こんな大掛かりな装置を作って、注目を集めて、悲劇のヒロインとして死ぬ。恐ろしいよ。恐ろしい……承認欲求の塊だな!」
「そうだ!自殺に我々を巻き込むな!」
「死ぬなら一人で勝手に死ね!」
「迷惑料を払え!」
彼らの言葉は、刃物よりも鋭く、ナラの心を切り刻んだ。
助けようとしているのに。
身を挺して守っているのに。
彼らは、ナラの痛みを「演技」だと嘲笑い、ナラの命を「消費財」として扱っている。
彼らは、傍観者だ。
当事者であることから逃げ、安全圏から石を投げ、正義の仮面を被って悪意を垂れ流す。
この世で最も醜悪な、「最強の弱者」たち。
「……う、うぅ……」
ナラは、涙を流した。
痛いからじゃない。
悔しいからだ。
こんな奴らのために、命を懸けている自分が。
そして、それでも彼らを見捨てることができない自分が。
「……お母様……」
ナラは、地上を見下ろした。
遥か下、獣医院の屋上で、エラーラが光っているのが見えた。
エラーラは、動かない。助けに来ない。
それは見捨てたからではない。
「ナラならできる」と信じているからでもない。
「ナラが死ぬ」ことを受け入れ、その先で待っているからだ。
(……分かってるわよ、お母様!)
ナラは、血の混じった唾を吐き捨てた。
(あんたは、あたしの死体でも愛してくれる。……だから、あたしは戦えるのよ!)
ナラは、立ち上がった。
フラフラと、しかし確かな足取りで。
「……よく聞きなさい、ゴミ屑ども!」
ナラは、市民たちを睨みつけた。
その瞳は、真っ赤に充血し、鬼のような形相だった。
「あたしは死にたいんじゃない。……生きたいのよ!泥水を啜ってでも、あんたたちに罵られても、生きて、帰って、そうして、美味しいご飯を食べるのよ!」
ナラは、鉄扇を構え直した。
「でもね。……あんたたちみたいなクズでも、死なせたらあたしの目覚めが悪いの!」
『最終シークエンス空間圧縮』
キューブの壁が、内側に向かって迫り始めた。
全員を圧殺するプレス機。
止める方法は一つ。
中央にある回転鋸の基部に、命を過剰供給し、ショートさせること。
「……見てなさい」
ナラは、鋸に向かって走った。
「これが……あたしの『物語』よッ!!」
市民たちは、呆然と見ていた。
狂った女が、自殺しに行くのを。
やっと、自殺してくれるのを。
「助かった」という安堵の表情で。
ナラは、回転する刃の中に、自らの体を投げ出した。
肉が裂け、骨が砕ける音が、密閉されたキューブの中に響き渡った。
ナラティブ・ヴェリタスは、自らの左腕と左足を、回転鋸のギアに噛み込ませていた。
鮮血がスプリンクラーのように撒き散らされ、市民たちの顔にかかる。
「ひぃッ!汚い!」
「血がついたじゃないか! クリーニング代どうしてくれる!謝れ!」
彼らは、目の前で起きている自己犠牲の惨劇に、悲鳴ではなく文句を上げた。
ナラの血は、彼らにとって「汚れ」でしかなかった。
「ぐ、ぅ……ぁぁぁぁぁッ!!!」
ナラは絶叫した。
激痛。意識が飛びそうになる。
だが、彼女は残った右手と右足で、必死にギアを食い止めていた。
自分の肉体を「異物」として機械に認識させ、エラーを起こさせるために。
『警告異物混入駆動系停止』
火花が散り、黒煙が上がる。
迫っていた壁が、停止した。
そして、キューブのロックが解除され、底面が開いた。
「助かった!」
市民たちは、我先にと開いた穴へ殺到した。
そこには、地上から伸びた緊急避難用のスロープが架かっていた。
誰も、ナラを振り返らなかった。
機械に挟まれ、血まみれになっている彼女を、誰も助けようとしなかった。
「早く行こう!」
「あいつのおかげで助かったな、ラッキーだ!」
「まあ、あいつは死にたがってたし、本望だろうよ!」
彼らは、ナラの屍を踏み潰して、脱出していった。
ナラは、薄れゆく意識の中で、それを見ていた。
(……知ってたわよ)
期待なんてしていなかった。
「ありがとう」なんて言葉、こいつらから出るはずがない。
でも、それでも。
一つくらい、振り返る視線があっても良かったじゃあ、ないか。
「……お母、様……」
ナラの手から力が抜けた。
彼女の体は、破壊された鋸と共に、開いた床から落下した。
地上30メートル。
死への、ダイビング。




