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ナラティブ・ヴェリタス  作者: 王牌リウ
世界からの不採用通知
102/212

第3話:世界からの不採用通知(3)

「……いいか、ゴウ君」


カレル・オータムは、瓦礫の陰で『受取拒否の手紙』が詰まった鞄をゴウに渡しながら、早口で説明した。

周囲では、ドロドロに溶けた人間たちの融合体が、楽しげな歌を歌いながら徘徊している。


「この世界は今、『肯定』のエネルギーで飽和している。……過剰な肯定が、個体の壁を溶かしているんだ」


カレルは、一通の手紙を抜き出し、その封蝋に刻まれた赤い「拒絶」の印を指差した。


「だが、この手紙には『拒絶』という概念が焼き付いている。……これは、この世界にとって猛毒であり、唯一の解毒剤だ」


「……つまり」


ゴウは、鞄を抱きしめながら、カレルの言葉を継いだ。


「この手紙を……この世界を溶かしている『中心』……あの『正義と悪の塔』の心臓部に、直接叩き込めば……」


「ああ。……『拒絶』の概念が循環し、世界に『冷たい他人行儀』が戻る。……結合が解け、個体に戻れるはずだ」


カレルは、ゴウの頭に手を置いた。

無意識の行動だった。


「……君は、賢いな」


「えへへ……。エラーラさんたちの受け売りですけど」


ゴウが照れくさそうに笑う。

その笑顔を見た瞬間。

カレルの胸の奥で、ドクン、と奇妙な鼓動が鳴った。


(……なんだ、今の?)


胸が温かい。

冷え切っていたはずの心臓に、熱い血が通うような感覚。

この少年を守りたい。無事に帰したい。

そんな、人間らしい「情」が、湧き上がってくる。

カレルは、自分の手を慌てて引っ込めた。

冷や汗が出る。

この世界で「情」を持つことは、「融合」への招待状だ。

自分は、枯れた刑事でなければならない。執着のない、乾いた男でなければ。


二人は、融合した裁判所とアジトの中心部にたどり着いた。

そこには、巨大な心臓が脈打っていた。


「……あれが、コアだ」


カレルは、脈動する肉塊を指差した。

周囲には、融合した護衛たちがうごめいている。


「ゴウ君。私が道を開く。君はあの心臓に、手紙を全てぶちまけろ」


「はい!」


二人は飛び出した。

カレルが発砲する。


「どけ! 邪魔だ!」


銃弾が融合体たちを怯ませる。

だが、敵は無限に湧いてくる。

その時。

コアの背後から、音もなく影が現れた。

それは、かつて街で一番「献身的」と言われた看護師と、彼女が愛した患者が融合した怪物、『包帯の天使』だった。

天使は、ゴウの背後に忍び寄っていた。

ゴウは、コアに向かって走っていて気づかない。


『……治シテアゲル……。私ノ中デ……永遠ニ……』


天使が、ゴウを包み込もうと、巨大な包帯の翼を広げた。

それは物理的な攻撃ではない。「治癒」という名の捕食だ。

触れられた瞬間、ゴウは溶かされ、取り込まれる。


「ゴウッ!!」


カレルは、叫んだ。

思考する時間はなかった。

彼は、ゴウを突き飛ばした。


「……っ!」


ゴウが転がる。

その代わり、カレルの左半身が、天使の翼に触れた。


「あぁぁぁぁぁッ!!!」


カレルの左腕と左足が、瞬時に溶解を始めた。

天使の「慈愛」が、カレルの細胞を強制的に愛で満たし、個の境界を溶かしていく。

強烈な快楽と、自我が消滅する恐怖。


「け、警部!?」


ゴウが駆け寄ろうとする。


「来るなッ!!!」


カレルは、右手のリボルバーをゴウに向けた。

その形相は、鬼のように凄まじかった。


「……離れろ……!近づくんじゃない!」


「でも……!」


「いいから行けェェェッ!世界を戻せッ!」


カレルは、溶けかける左腕を、自らの右手で引きちぎろうとしていた。

汚染を止めるために。

いや、それ以上に……自分の中に芽生えた「猛毒」に気づいてしまったからだ。


(……なぜ、庇った?)


カレルは、激痛の中で自問した。

俺は、枯れた刑事だ。

他人になど興味がない。生きようが死のうが知ったことではない。

そうやって、心を殺して生きてきたはずだ。

なのに。

なぜ、俺はこの少年のために、体を投げ出した?


(……ああ。そうか)


カレルは、ゴウの涙に濡れた顔を見た。

必死で、健気で、弱いくせに懸命なその姿。


(……愛おしい)


亡くした妻との間に、もし子供がいたら、こんな年頃だっただろうか。

あるいは、かつて失った相棒の面影か。

カレルは、この地獄のような旅の中で、ゴウに対して……「父性」にも似た、強烈な「愛」という「執着」を抱いてしまっていたのだ。

それが、致命傷だった。

「愛」はこの世界において、融合のトリガーだ。

カレルがゴウを「愛して」しまった瞬間、彼はこの世界のルールに取り込まれたのだ。


「……う、あ……あぁ……」


カレルの左半身が、急速にピンク色に変色していく。

天使が、嬉しそうに笑う。


『……受ケ入レテ……。一緒ニナロウ……』


「断るッ!」


カレルは、リボルバーを天使の顔面に突きつけ、連射した。

天使が怯む。


「……ここは通さん。……俺の『家族』には、指一本触れさせんぞ……!」


彼は、口走ってしまった。


「家族」と。


その言葉が、彼の溶解を加速させる。

涙が流れる。それは透明な涙ではなく、溶けた肉体の一部だった。


「……う、あああああっ!!!」


カレル・オータムの絶叫が、肉の壁に反響した。

彼の左半身は、すでにピンク色の粘液と化していた。

目の前には、『包帯の天使』――かつての看護師と患者が融合した怪物が、慈愛に満ちた笑顔で迫っている。

その背後からは、数千、数万の融合体たちが、津波のように押し寄せていた。

「混ざろう」「一つになろう」「愛し合おう」。

地獄の合唱。

カレルは、残った右手だけでリボルバーを連射した。

狙いは定まらない。だが、関係ない。

目の前全てが敵だ。

彼の放つ弾丸は、物理的な鉛玉だが、そこには「個」としての最後の意地が込められていた。


「俺は……カレル・オータムだ! 誰の一部でもない! 俺は俺だァッ!」


天使の顔が弾ける。だが、すぐに再生し、カレルを包み込もうとする。

カレルの足が崩れる。

視界が溶ける。

思考が、甘い幸福感に塗りつぶされそうになる。


(ああ……楽になりたい……)


その時。

背後から、少年の声が聞こえた。


「……誰も、いらないッ!!!」


ゴウ・オクトーバーの叫びだった。

カレルは、溶けかけた首を無理やり回した。

ゴウは、脈動する巨大な心臓の前に立っていた。

彼は、鞄を逆さにし、中身をぶちまけていた。

舞い散る数百通の手紙。

『受取拒否』『絶縁状』『不採用通知』。

世界で一番冷たく、悲しい言葉たち。


「僕は一人だ!……一つになんかなりたくない! 寂しくても、辛くても……!」


ゴウは、手紙の山を、コアの裂け目にねじ込んだ。


「僕は……『僕』でいたいんだァァァッ!!」


手紙が、コアの内部に吸い込まれた。

異物混入。

「愛」と「結合」のエネルギーで満たされた炉心に、「拒絶」と「孤独」という猛毒が投下されたのだ。

コアが、大きく痙攣した。

世界中の融合体たちの動きが止まる。

悲鳴。

だが、それは断末魔ではない。

産声だ。

個々人が、再び「自分」という殻を取り戻すための、分離の痛み。


「……やったか……」


カレルは、膝をついた。

彼の左半身の溶解が止まる。

目の前の天使が、苦悶の表情を浮かべ、二人の人間に分裂しようと藻掻き始めた。


「……警部!」


ゴウが駆け寄ってくる。

カレルは、ゴウを見た。

涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔。

世界一、情けなくて、勇敢な少年の顔。


「……よくやった、相棒」


カレルは、溶けかけた手で、親指を立てようとした。

だが、指は動かなかった。

世界が、白く染まっていく。

コアが臨界点を超え、因果律の修正崩壊が始まったのだ。

粘着質な愛の世界が弾け飛び、冷たく乾いた「他人行儀な世界」が上書きされていく。


「……あ」


カレルは、光の中で目を閉じた。

怖くはなかった。

最後に見たのが、あの少年の無事な姿だったから。


(……秋風が、吹いているな)


意識が、白光に溶けて消えた。


・・・・・・・・・・


「……ッ、は!」


カレル・オータムは、公園のベンチで弾かれたように目を覚ました。

心臓が早鐘を打っている。

全身に、あの粘着質な肉塊の感触と、世界が崩壊する轟音の記憶が焼き付いている。


「……夢、か?」


カレルは、荒い息を整えながら周囲を見回した。

夕暮れの公園。

乾いた風が枯れ葉を巻き上げている。

子供たちが遊び、恋人たちがベンチで語らっている。

誰も溶けていない。誰も融合していない。

そこにあるのは、あまりにも「正常」な、退屈な日常だった。


「……夢だ。悪い夢を見た」


カレルは、額の汗を拭おうとして――手が止まった。

彼の手は、震えていた。

そして、その爪の間には、微かに「ピンク色の何か」がこびりついていた。

さらに、コートのポケットには、くしゃくしゃになった封筒が一枚、ねじ込まれていた。

『受取拒否』のスタンプが押された、あの手紙だ。


「……夢じゃ、ない」


カレルは、戦慄と共に顔を上げた。

世界は戻った。

だが、その過程にあった地獄を、俺は覚えている。


「……カレルさん……」


隣のベンチから、震える声がした。

ゴウ・オクトーバーが、膝を抱えて座っていた。

彼は、真っ青な顔で、自分の手を見つめていた。


「……覚えてますよね?」


ゴウは、カレルを見た。

その瞳は、恐怖と、そして「確認したい」という懇願に揺れていた。


「……ああ」


カレルは、短く答えた。


「……どうやら、世界は元に戻ったようだ。……あの狂った『融合』の記憶を、きれいに忘れてな」


カレルは、通り過ぎる人々を見た。

彼らは、自分たちが数分前まで怪物になっていたことなど、露とも知らない顔で歩いている。


「……僕たちだけですか?覚えているのは」


「おそらく、な」


カレルは、ポケットの手紙を握りしめた。


「俺たちが、『拒絶』したからだ。……世界と混ざり合うことを拒み、個として残り続けた。だから、世界が修復された時も、俺たちの記憶だけは『個』の中に保存されたんだ」


それは、孤独な特権だった。

世界の命運をかけた戦いを、たった二人だけが知っている。

称賛もない。共感もない。

ただ、この重たい記憶を、二人で背負っていくしかない。

ゴウは、泣きそうな顔をした。


「……怖いです。……みんな、何もなかった顔をして……僕だけが、おかしくなったみたいで」


「一人じゃない」


カレルは、ゴウの隣に座り、その肩を強く抱いた。


「俺がいる。……俺だけは、知っている」


カレルは、ゴウの目を見た。

ゴウの瞳から、涙が溢れた。

安堵の涙だ。

共有できる誰かがいる。それだけで、地獄の記憶は「二人の秘密」に変わる。


「……はい。……僕も、忘れません……」


二人は、夕暮れの公園で、肩を並べて座っていた。

秋風が吹く。


「……そういえば、ゴウ君」


カレルは、空を見上げながら言った。


「君の誕生月は、いつだ?」


「え? 10オクトーバーですけど」


「そうか。俺も10月……オータムだ」


カレルは、ニヤリと笑った。

それは、刑事としての顔ではなく、一人の男としての、共犯者のような笑みだった。


「……似た者同士だな。……枯れ葉の季節の、はぐれ者だ」


「……ええっ?名前だけじゃないですか!」


ゴウは涙を拭って、吹き出した。

カレルも、声を上げて笑った。

世界は、何も知らずに回っていく。

ナラも、エラーラも、アリアもケンジも、何も覚えていないだろう。

それでいい。

この重荷を背負うのは、愛に溶けなかった「寂しい二人」だけで十分だ。


二人は、立ち上がり、並んで歩き出した。

街の灯りが灯り始める。

その光の一つ一つが、今は愛おしく、そして少しだけ遠く感じられた。

彼らは戻っていく。

たった二人だけの「秘密」という絆を、ポケットに隠し持って。

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