王子の教育係をしていた聖女のなれの果ては?
昨日、私はアルベール王子に呼ばれ、彼の私室へと向かった。
こうして王子の私室に入るなど、城内では限られた人にしかできないことだ。
私はこの国、ソラリス王国の聖女であり、アルベール王子の魔法教育係でもあったので、その限られた数人のうちの一人に入っていた。
王子は私を見るなり、いきなりこう話しかけてきた。
「アリア、好きな女性に告白するなら、どんな方法が良いと思う?」
「それは⋯⋯」
私はとっさに考え、王子へと歩み寄った。
ジリジリと距離を詰めながら、強い視線を王子に向け続ける。
すると王子は私の迫力に押されたのか、後ずさりをはじめた。
それでも私はお構い無しに距離を詰めると、とうとう王子は部屋の壁に背中を付け、それ以上後ろには下がれなくなってしまった。
そこで私は、左手でドンと壁を叩いた。私の左腕は王子の頬の横にある。
顔と顔が接近し、じっと王子を見つめながら私はわざと低い声を出してこう言った。
「お前は、ずっと俺のそばにいればいい。俺が必ずお前を幸せにしてやるから」
しばらく沈黙が続いたが、ついに私はこらえきれなくなり、プッと吹き出し笑ってしまった。
「なんだ、これ?」
「とっておきの告白方法です。女心をつかむには、とても効果的です」
「本当か? 偉そうで、安っぽいセリフに聞こえたが」
「そんなことありません。本当に好きな人には、直球で、剛速球で勝負するべしですよ」
「そ、そうか⋯⋯。アリアがそう言うのなら間違いないだろう。今度、試してみるよ」
「試してみる? ということは、好きな人ができたのですね?」
王子は顔を赤らめ、下を向いてしまった。
「では、予行練習です。今のを私にしてください」
「わ、わかった。やってみる」
そう言うと王子は壁から離れ回り込み、鋭い眼光で私を睨みつけてきた。
王子の教育係になって、もう五年も経つのか⋯⋯。
アルベール王子の精悍な顔を見ながら私はふと昔を思い出した。
私が王宮に呼ばれたのは二十三歳の時⋯⋯。
王子はまだ十七歳になったばかりだった⋯⋯。
あの当時、どこか繊細で弱々しく見えた青年も、今では立派な大人になっている。
そんな大人の男性の迫力に押された私は、すでに背中に壁が当たり、どこにも逃げ場のない状態になっていた。
ドン!
「ひっ!」
私は思わず声をもらしてしまった。
すると王子はまっすぐ私に目を合わせながら、息がかかる距離まで顔を寄せてきた。
「お前は、ずっと俺のそばにいればいい。俺が必ずお前を幸せにしてやるから」
不覚にも私は金縛りにあってしまい、動けなくなってしまった。
そんな私などお構い無しに、王子はサッと離れこう言った。
「本当にこんな方法で上手くいくのか?」
「う、上手くいきます。ただし、これをするのは⋯⋯、本当に好きな人だけにしてください」
「わかった」
そう答える王子の顔が輝いて見えてしまっている。
王宮で働くようになって、仕事に集中するあまり、王子以外の男性と関わる機会を逸していた⋯⋯。
そんな中、いつしか私はアルベール王子を男性として意識してしまっているのだろうか⋯⋯。
予行練習のやり取りから一日経った今日、アルベール王子とスザンヌ公爵令嬢が並んで歩いている姿を城内で見かけた。
花々が咲き誇る庭園で、二人は見つめ合い、笑顔を浮かべていた。
耳を澄ますと、王子の声が聞こえてきた。
「二人の未来をバラ色にしよう⋯⋯」
正直、不快だった。
バラ色にだなんて、気取りすぎよ⋯⋯。
「あの二人、とてもお似合いね。もうすぐ結婚すると聞いているわ」
声をかけてきたのは、隣国の聖女ルミナだった。
「結婚? まさか?」
「間違いないわよ。二人の噂は私の住むセフィロス公国まで届いているのよ。⋯⋯王子のそばにいるあなたが知らないなんて意外だわ」
「⋯⋯」
ルミナの言葉は本当だった。
その日のうちに、アルベール王子とスザンヌ公爵令嬢の婚約が発表されたのだ。
私の頭に、スザンヌの姿が浮かんできた。
私よりもずっと若くて美しい令嬢だった。しかも、性格も素晴らしいと聞いている。
祝福の言葉を贈らなければ⋯⋯。
そう思い、私は王子と会うため、執務室へと向かった。
「王子、婚約おめでとうございます」
「ああ、で要件とは何だ?」
執務室の椅子に座っていた王子が、椅子に座るようにと手で合図した。
けれど、私は座ることなく、机を隔てた向かい側に立ち続けこう述べた。
「少しお休みを頂きたいのです」
「急にどうした?」
「王子が結婚されると聞き、私も幸せな気持ちでいっぱいです。でも、これからはスザンヌ様との暮らしが始まるのですから、女性である私は、少し離れた場所で王子を見守りたいと思っています。ですので、これを機会に王子の魔法教育係も卒業させていただければと」
「何だって? アリアにはまだまだ教わりたいことがたくさんある」
「いえ、魔法に関してはすべて王子にお伝えしております。これ以上私にできることは何もありません」
「そんなことはない。この前、告白の方法を教えてもらったじゃないか。魔法以外にも、そういったことを色々と教えてくれ」
告白の方法⋯⋯。
私は思わず吹き出しそうになってしまった。
「あれ、うまくいきました? スザンヌ様、びっくりされたのではないですか?」
「いや、さすがにあれは試せなかった」
「あの告白をせずとも、二人の心は通じていたわけですね」
「まあ、そうだ」
アルベール王子は照れくさそうな顔でこう付け加えた。
「あれは、王家の秘伝としてとっておく。そして必要な時がくるまで封印しておく」
「そうですね、それが賢明だと思います」
※ ※ ※
結局私は、長期のお休みをいただくことに成功した。
はじめは渋っていたアルベール王子も、私の体調がすぐれないと聞くと、すんなり許可を出してくれた。
体調が悪いというのは、半分本当で半分嘘だった。
具体的にどこかが痛むということではないのだが、なんとなく心が重いのだ。
「それ、恋わずらいじゃない?」
私の話を聞いたルミナがそう言った。
「恋わずらい? 私が誰に恋していると言うのよ?」
「うーん、アルベール王子とか」
「まさか! そんなこと、あるわけないでしょ!」
「なに怒ってるの?」
「別に、怒ってないわよ⋯⋯。王子は弟みたいなものよ。ありえないわ」
「ふーん」
「まあでも、長年見てきた王子が結婚すると思うと、なんか多少の喪失感はあるけどね」
「胸が痛む、とか?」
「そうじゃないって!」
ただ、そうは言ったが、王子が正式に婚約したと聞いた瞬間から、私の気持ちが不思議と重くなってしまったのも事実だった。
これからは、アルベール王子と関わることのない場所で暮らすほうが良いかも⋯⋯。
そう思った私は、ルミナに尋ねた。
「ねえ、あなたもうすぐセフィロス公国に帰るのよね」
「そうよ」
「私も一緒に連れて行ってくれない?」
「え?」
「私もセフィロス公国で暮らしてみたくなったの」
「ふーん、いいけど、セフィロスのレオ王子のこと、知ってるでしょ?」
「ええ、かなりの変わり者だとか」
「そんな王子のいる国だけど、いいの?」
「かまわないわ」
※ ※ ※
セフィロスに入国すると、この国で暮らす許可をいただくため、さっそくレオ王子と会うことになった。
謁見するにあたって、私は心に決めていることがあった。
この国で私は、ソラリス王国の聖女だったことを隠して生きようと決めていたのだ。
そうすれば、私の噂が立つこともなく、アルベール王子との関係も完全に切れるはず。
これからは、目立たずにひっそりと生きていこう⋯⋯。
そして、新しい出会いに期待しよう⋯⋯。
レオ王子と会うため、謁見の間の入り口でルミナと二人並んで待っている時だった。
派手な赤いドレスを着た女性が私たちに近づいてきた。
「まあ、お久しぶりです。聖女ルミナ様」
「久しぶりね、カミーラ」
ルミナはなぜか不機嫌そうな顔で腕組みをしている。
「あの件はうまくいっているの?」
「ええ、それはもう、とっておきの魔法を習得できました。今回はきっと上手くいくと思います」
「だったら、レオ王子もさぞお喜びになるわね」
「はい。やっとレオ王子も、長年の苦しみから解放されることでしょう」
そう言いながら、カミーラは私へと顔を向けた。
「この人は誰ですの?」
「親友のアリアよ」
「ふーん、よくある名前。魔法使いなのですか?」
「そう⋯⋯」
ルミナが答えるのを塞ぐようにして私はこう答えた。
「いえ、魔法は使えません」
「まあ、それはレオ王子もがっかりするわね。それにしても⋯⋯」
カミーラは、私の服を眺めている。
「地味な服ね。顔も地味なのだから、服だけでも派手にしたほうがいいのに」
「⋯⋯は、はい」
初対面でこんな失礼なことを言われるなんて思ってもみなかった私は、とっさにこう言い返してしまった。
「でも、日ごろから赤いドレスを着る勇気など、私にはありませんので」
その言葉を聞いたカミーラは、きつい目で私を睨みつけてきた。
「あなた、誰に向かってそんな口を利いているのかわかっているの? 今に後悔するわよ」
そう吐き捨てると、カミーラは不機嫌そうな顔をしながら立ち去っていった。
「誰、あれ?」
「治癒魔法使いよ」
そしてルミナはこう付け加えた。
「レオ王子の女よ」
「へー、趣味わるっ」
そんな話をしていると、宰相のバルデという男が現れ、私たちを謁見の間に招き入れた。
部屋に入り奥を見ると、一人の男性が椅子に腰掛けている。
整った顔をした青年で、年はまだ二十代前半⋯⋯。
おそらく、あれがレオ王子に違いない。
あまり良い噂を聞かないレオ王子とは、どんな人物なのだろうか⋯⋯。
「王子、ただいま戻りました」
まず声を出したのは、ルミナだった。
「変わりなく元気そうだな」
王子の声は低くて高圧的に聞こえた。
「で、その後ろの女は誰だ?」
レオ王子が鋭い視線を私に向けてきた。
私は焦りながら自己紹介しようとしたが、その前にルミナが口を開いた。
「アリアと申します。私の友人で、ソラリス王国から来ました。この度、ここセフィロスで暮らしたいと」
「ほう、聖女ルミナの友人か⋯⋯、ならばお前も、相当な魔法使いなのだろうな?」
私は、計画通りにこう答えた。
「⋯⋯いえ、魔法は使えません」
「使えないのか⋯⋯。ルミナ、俺が優秀な治癒魔法使いを探していることは知っているよな。なのに、なぜ魔法の使えない女などを連れてきたのだ」
「⋯⋯」
ルミナは言葉に詰まってしまった。
「で、お前」
レオ王子は私に目を向けた。
「お前は、いったい何ができる?」
「⋯⋯料理少々と、掃除が得意です」
「まったく役に立ちそうにない女だな」
高圧的なレオ王子を前にして、私が黙っていると、ルミナが助け舟を出してくれた。
「王子、アリアは私の大切な友人です。どうか私に免じて、この国に置いていただけませんでしょうか?」
「好きにしろ」
レオ王子はあまり興味がなさそうに答えた。私など、どうでもいい存在のようだ。
「俺はこの後、カミーラと大事な用事がある。お前たちはもう下がっていいぞ」
その言葉で、私たちは急いで謁見の間を後にした。
「うわさ通りの王子ね」
廊下を歩きながら、私はルミナにそっとつぶやいた。
「いつもあんなに偉そうなの?」
「まあ、そうね。でも、あれでもなかなか人に優しいところもあるのよ」
「そうなの? そんなふうには見えなかったけど⋯⋯。『まったく役に立ちそうにない』なんて言われたし⋯⋯」
それにしても⋯⋯。
私は、疑問に思ったことを尋ねてみた。
「レオ王子は、なぜ治癒魔法使いを探しているの?」
「⋯⋯、まあ、いろいろあるのよね」
ルミナは言葉を濁した。そして、こんなことを述べてきた。
「私はこれから、王宮で用事があるの。三時間ほどで戻るから、その間ここで待ってもらってもいいかしら」
そして、ここなら暇つぶしができるだろうと、ルミナは私を書庫室へと案内したのだった。
※ ※ ※
妹のクラリスは、呪いが原因で酷い障がいを持っていた。
レオ王子は、なんとかそれを治せないものかと、高名な治癒魔法使いを呼び寄せ、様々な魔法を試みている。
しかし、残念ながら妹の呪いを解ける者は未だに現れていない。
「お見えになりました」
そう言いながら、宰相のバルデが十歳の少女を連れて現れた。
少女は左手でバルデの肘を持ち、右手には長めの杖を持っていた。
「クラリス。今日も付き合ってもらうぞ」
「はい、お兄さま」
「今日こそ、ここにいるカミーラがお前の呪いを解いてくれるはずだ。呪いが解ければ、お前の目はちゃんと見えるようになるんだからな」
「お兄さま⋯⋯、いつも、ありがとう⋯⋯」
レオ王子は、部屋で待機していたカミーラに声をかけた。
「さあ、さっそく習得した治癒魔法を行ってくれ」
「わかりました」
そう答えたカミーラは、クラリスをベッドに寝かせた。そして、自分の両手のひらをクラリスの目の上へと当て、ぶつぶつと呪文を唱え始めた。
今回は必ず上手くいくはずだ⋯⋯。
レオ王子はそう思いながら、クラリスの様子をうかがっていた。
クラリスの目は、呪いが原因で見えなくなってしまっている。
そして、クラリスは一生目が見えないままだろうと言われている。
なぜなら呪いは、一度かかってしまうと一生解けることがないからだ。
けれど最近になり、レオ王子はとんでもない内容が書かれている古書を発見した。
その古書には、呪いによって視力を奪われた者が、大聖女の魔法によって回復した例が記されていたのだ。
さっそくレオ王子は、その古書を頼りにカミーラを他国に赴かせ、解呪魔法を習得させたのだった。
ようやくだ⋯⋯。
ようやく、クラリスの目が見えるようになる⋯⋯。
しかし⋯⋯。
時間が経過しても、クラリスの様子に変化はない⋯⋯。
しばらくして、呪文を終えたカミーラは、下を向きながらこう言った。
「申し訳ありません。うまくいかなかったようです」
「⋯⋯」
カミーラは、横目で王子の顔色をうかがいながら言った。
「大変申し上げにくいのですが⋯⋯。この国で、私の治癒魔法の右に出る者など誰もおりません。その私の治癒魔法でも効かないということは⋯⋯」
「⋯⋯もうよい、それ以上は言うな」
「⋯⋯お役に立てず、申し訳ありません」
カミーラはそう言い残し、部屋から立ち去って行った。
ベッドで横たわったままのクラリスに駆け寄ったレオ王子は、すぐさま彼女の身体を起こし、言葉をかけた。
「クラリス、申し訳なかったな」
「私なら大丈夫よ」
「クラリス、安心しろ。俺がお前の呪いを解いてやる。クラリスの目を見えるようにしてやるから」
「うん。でも⋯⋯、私、知ってるの。みんながもう無理だと言っていることを⋯⋯」
「無理などではない。皆が無理だと言っても、俺は絶対にあきらめない。だからお前もあきらめるな」
そう言いながらレオ王子は、妹をしっかりと抱きしめたのだった。
※ ※ ※
書庫にはたくさんの本が並んでいた。
けれど私は、それほど読書好きな人間でもない。
二時間も経つと限界がきた。
ルミナが戻ってくるまで、あと一時間もある⋯⋯。
あー、何か美味しいものが食べたい⋯⋯。
こういう時、甘いおやつがあればいいのに⋯⋯。
そう考えると、無性にあんこが食べたくなってきた。
今度、あんころ餅でも作ってみようかな⋯⋯。
そう考えていると、頭の中があんころ餅でいっぱいになってしまった。
ここでじっとしているより、少し歩いてみた方がいいかも⋯⋯。
そう思った私は、書庫を抜け出し、城内を探索してみることにした。
少し歩くと、ドアが開きっぱなしになっている部屋があった。
そっと中を覗いてみると、部屋にはずらりと立派な彫像が並んでいる。
そんな彫像たちの中、一人の少女の姿が目に映った。
あの子は、何をしているのだろう⋯⋯。
なぜか少女は、彫像をずっと手でさすっている。
私は部屋に入ると、「こんにちは」と少女に声をかけてみた。
少女の顔がこちらを向いたが、目の焦点は私に合わなかった。
「こんにちは」
少女は挨拶を返してきた。そして突然こう言ってきた。
「お姉さん、何歳か言い当ててみようか?」
「えっ? 私の歳を言い当てるの?」
「うん、私、目が見えないから、その人の声を聞くと、だいたい何歳か分かるのよ」
「本当? じゃあ当ててみて」
「もう少しそばに来て、たくさん声を聞かせて」
「こう」
私は言われるがままに少女の目の前に立った。
「何かお姉さんの話を聞かせて」
「何の話をしよう?」
「恋の話が聞きたい」
「え? 恥ずかしいよ」
「お願い、私そういうの知りたいの」
「そう言われても⋯⋯」
私はずっとアルベール王子のもとで働いていたこともあり、他の男性と付き合ったことなどなかった。
「分かったわ、特別に教えてあげる」
「じゃあね、お姉ちゃんは今好きな男の人がいるの?」
いないと言ってしまうと話が盛り上がらないと思った私は、正直にこう答えた。
「いるよ」
「どんな人?」
「年下なんだけど、結構しっかりしている人よ」
「ふーん、お姉ちゃんはその人と結婚するの?」
「うーん、しないかな。その人は、私の教え子だし、それに他に好きな人がいて、もうすぐその人と結婚するのよ」
「えっ」
なんだか悲しい話になってしまったので、私は、急いで話を元に戻した。
「もうたくさんお話ししたけど、私が何歳か分かった?」
「うん、だいたい」
「じゃあ何歳?」
「二十八歳、かな」
「すごい、当たってるよ」
「やっぱりね」
少女は得意そうに言った。
「私の名前はクラリス。お姉ちゃんは?」
「私? 名前はア⋯⋯」
名前を言いかけて、止まってしまった。あらゆることに目立ってはいけないと思ったのだ。
そして、とっさに出てきた名前は⋯⋯。
「名前は、アンコロよ」
「アンコロ? 変わった名前ね」
「そうでしょ」
打ち解けてきたと感じた私は、気になっていることを尋ねることにした。
「クラリスちゃんは、目が不自由だよね。どうしてそうなったのかわかるかな?」
「呪いにかかってるらしいの」
やはり⋯⋯。
見た感じからの想像だったが、思った通り呪いが原因だった。
昔、一度だけ目の見えない子供を魔法で治したことがある。その子も、同じように呪いで目が見えなくなっていた。
この種類の呪いなら、もしかして⋯⋯。
「ねえ、お姉ちゃんは魔法使いなんだけど、あなたに魔法をかけてみてもいい?」
「いいけど、どんな魔法?」
期待させて駄目だったらクラリスを落ち込ませるだけ⋯⋯。
「ちょっとしたおまじないの魔法、悪いことは何も起きないから、安心して受けて」
「分かった」
「では、始めるわよ」
膝をつき、クラリスの背丈に合わせた私は、両手で彼女の目を覆った。
魔力を込めると、私の手が白く輝き始めた。
「うわ、なんだか心地いい」
クラリスは声を出した。
けれど私は、集中するために黙って魔法をかけ続けた。
そして、クラリスの中に溜まっていた得体のしれない濁った黒いものが消え去るのを確認してから、そっと手を離した。
「どう?」
「うわっ、なんだかとても眩しい」
うまく目が見えるようになってくれればいいのだけれど⋯⋯。
そう願っている時だった。
部屋の外から男性の声が聞こえてきた。
「クラリス様! どこにいらっしゃるのですか! クラリス様!」
誰かが少女を探している。
外の切迫した声を聞くと、クラリスと一緒だと面倒なことになりそうな気がした。
なので私は、「じゃあね」とクラリスに声をかけ、急いで部屋を出たのだった。
※ ※ ※
執務室に宰相のバルデが駆け込んできた。
「レオ王子、た、た、大変です!」
「どうした?」
「そ、そ、それが!」
「落ち着いて話せ」
「いえ、落ち着いてなんていられません。クラリス様が⋯⋯」
「クラリスがどうしたのだ?」
「クラリス様の目が、見えるようになっております」
「な、なんだと! 確かなのか!」
レオ王子は勢いよく椅子から立ち上がった。そのため椅子は後ろに倒れてしまった。
「はい。こちらをご覧ください」
バルデが示す執務室の入り口に、クラリスが一人で入ってきた。
手にはもう杖を持っておらず、目をしっかりと見開いている。そしてなにより、クラリスの目の焦点が、レオ王子にしっかりと合っていた。
「お兄様⋯⋯」
「クラリス、見えるのか? 本当に見えるのか?」
「ええ。お兄様のお顔、思っていた以上にステキよ」
レオ王子はクラリスに駆け寄り、膝を床につけながら抱きしめた。
「どうしてだ? どうして急に見えるようになったんだ?」
「アンコロさんに治してもらったのよ」
「アンコロ?」
「うん、一人で展示室にいたら、アンコロさんが来て、私に魔法をかけてくれたのよ」
「魔法? 魔法で目が見えるようになったのか?」
「そうよ」
クラリスの呪いを、魔法で解いたというのか⋯⋯。
この国に、そんなことのできる魔法使いがいたのか?
いや、いない。
どれだけ探しても、そんな魔法使いなど、この国どころか他国でも見つけることはできなかった。
いったい誰が?
「アンコロというのは、名前か?」
「うん」
「そのアンコロは、今どこにいる?」
「それが分からないの。目が見えるようになった時には、もういなくなっていた」
「顔は見たのか?」
「見ていない。⋯⋯けど、歳は二十八歳だと言っていた。分かっているのはそれだけ」
レオ王子は、すぐさまバルデに命じた。
「アンコロという名の魔法使いが、この国にいるかどうか調べてくれ。歳は二十八歳だ」
「かしこまりました。登録名簿がございますので、すぐにわかると思います」
だが、バルデが調べた結果、セフィロス公国にアンコロという名の魔法使いは存在しなかった。
魔法使いばかりでなく、アンコロという名の国民など一人もいなかった。
他国に関しても調べてみたが、そのような魔法使いを見つけることはできなかった。
「バルデ、とりあえずはクラリスを医務室に連れて行ってくれ。そしてクラリスの視力がどのくらい回復しているのか、詳しく調べてくれ」
「かしこまりました」
「それと、カミーラをここへ呼んでくれるか」
治癒魔法使いの第一人者であるカミーラなら、アンコロに心当たりがあるかもしれない⋯⋯。
しばらく経ち、カミーラが姿を見せると、レオ王子はすぐさま今起こったことを説明した。
するとカミーラはすぐさまこう述べた。
「私の魔法が遅れて効果を表したに違いありません」
「遅れてだと?」
「はい、魔法には速攻型と遅延型がございます。今回の魔法は、習得したばかりでまだつかめていませんでしたが、どうやら効果が遅れて出てくる魔法だったようです」
「では、アンコロという魔法使いは?」
「私以上に治癒魔法が長けている者など、この国にはおりません」
「確かに」
「クラリス様は、たまたまその女性と遊んでいただけだと思います。もし本当にアンコロという女性がクラリス様の目を治したのなら、本人から申し出てくるはずです」
今日、クラリスはカミーラに治癒魔法を施されている。
そして二時間ほど経過すると、目が見えるようになっていた。
冷静に考えれば、カミーラの魔法が効いたということに違いなかった。
「カミーラ、よくやった。褒美をつかわすぞ」
「ありがとうございます」
「何なりと望みを言うがよい」
「では⋯⋯」
カミーラは一呼吸置いてからこう言った。
「聖女ルミナを、どこか遠くへ追いやっていただけませんか」
「なに? ルミナを?」
「はい。私、あの人が苦手なのです。それと、ついでに一緒にいるアリアとかいう女もどこか遠くへ追いやってください。例えば、ヴォルク地方など、いいのでは」
「ヴォルク地方か⋯⋯。そうか、わかった」
「よろしくお願いいたします」
そう言うと、カミーラは目を細めながら微笑んだのだった。
※ ※ ※
セフィロス公国に来て一週間が過ぎた。
私は今、一時的に聖女ルミナの家に居候させてもらっている。
落ち着くまでの間、置いてもらえることになったのだ。
「アリア、今日はいったい何を作ってくれたの?」
ルミナが皿の上にあるものを見ながら尋ねてきた。
「あんころ餅よ。とても美味しいから食べてみて」
さっそくルミナがひと口頬張った。
「なにこれ? おいしい!」
ルミナはあんころ餅を絶賛しながら食べ続けた。
二人ともお腹いっぱいになったとき、彼女がこんな話をはじめた。
「今セフィロス公国では、レオ王子の妹のことで話が持ちきりなのよ」
「へえー」
「王子の妹は、呪いで目が見えなかったのだけど、急に見えるようになったの」
「え?」
もしかして⋯⋯。
「妹の名前は、何と言うの?」
「クラリスよ」
クラリス⋯⋯。
あの子、レオ王子の妹だったんだ⋯⋯。
それにしても良かった。
しっかりと見届けていなかったから心配していたけど、ちゃんと目が見えるようになったんだ。
「治癒魔法使いのカミーラが、クラリスを治癒させたらしいわ」
「カミーラが?」
「今やカミーラの株は急上昇中よ。もう私の居場所はないくらいだわ」
そう言ってルミナは笑った。
なぜカミーラがクラリスを治したことに?
まあ、クラリスの目が見えるようになったのなら、どうでもいいけど⋯⋯。
私はとにかく、目立たないように生きていくと決めたんだし⋯⋯。
「それとアリア⋯⋯」
ルミナは表情を引き締めた。
「明日、私と一緒に王宮へ行ってくれる? レオ王子が、私たちに話したいことがあるそうよ」
「レオ王子が?」
「ええ、何やら重要な話らしいわ」
何だろう⋯⋯。
私にはまったく興味のない様子だったレオ王子が、わざわざ呼び出してくるだなんて⋯⋯。
※ ※ ※
翌日、私とルミナは、言われるままに王宮へと赴いた。
広間に通され待っていると、レオ王子とカミーラが姿を見せた。
そして、王子の横にはクラリスもいた。
クラリスはしっかりと目が見えているようで、ちゃんと私に視線を合わせてきた。
けれどクラリスは、私がアンコロだとは気づいていない。
あの日私は、顔を見られる前に部屋を出て行ったので、当然といえば当然なのだが。
レオ王子は広間に入るなり、不機嫌な様子でこう述べてきた。
「聖女ルミナ、ヴォルク地方へ行ってくれ」
「え?」
「ヴォルクの安定にお前が必要だ。今すぐ赴いてくれるか?」
「ヴォルク⋯⋯」
私は小声で尋ねた。
「それ、どこ?」
「ヴォルクは、罪人が送られる極寒の地よ」
「ど、どうしてそんなところに?」
ルミナは私の問いには答えず、レオ王子にこう言った。
「私がここを離れれば、聖女が不在になってしまいますが」
「ああ、それなら心配ない。これからはここにいるカミーラが新聖女となる」
「カミーラが、新聖女⋯⋯」
「もう私は必要ないということですね」
「まあ、そうだ。カミーラは呪いを解く力を持っている。つまり、大聖女の力を持っているということだ」
ふとレオ王子の隣を見ると、カミーラが目を細めながら笑っていた。
「それから、ルミナの親友とやら、お前も一緒にヴォルクへ行くんだ」
「⋯⋯」
「ヴォルクなどへは行きません」
ルミナはそう言い、唇をかみしめた。
「聖女ルミナ様、いえ、今はもうただのルミナさんだったわね、これは王命なのですよ。断ることなどできませんわよ」
「ルミナ、ヴォルク地方はお前の力を必要としている。よろしく頼むぞ」
レオ王子がそう話している時だった。
宰相のバルデが真っ青な顔で広間に駆け込んできた。
「レオ王子、緊急事態です!」
「騒がしいぞ! で、何があった?」
「急に、アルベール王子がお見えになりました」
「何?」
「アルベール王子がこの王宮に⋯⋯」
「なぜだ? 約束はしていないぞ。いったい何の用で来たのだ?」
「わかりません。けれど、今こちらの広間に向かっておられます」
「なっ! すぐにこの場を整えろ! 相手は大国、ソラリス王国の第一王子だ!」
部屋に緊張が走ったが、誰も具体的にどうしたらいいのか分からず、右往左往するばかりだった。
「レオ王子、もう来られるかと」
バルデの表情は緊張で固まっていた。
「とりあえず、くれぐれも失礼のないようにしろ」
そんな中、カミーラが口を開いた。
「確か、ここにいるアリアはソラリスから来たと言っておりました。ややこしいことになるかもしれません。アルベール王子と会わせない方がよろしいかと」
「確かに⋯⋯。ここにいるアリアとルミナをどこか別の部屋に連れて行け」
レオ王子が護衛隊に命じると、カミーラが言葉を重ねた。
「逃げ出さないように、地下牢に入れておきなさい」
護衛隊員が近寄り、私の腕をつかもうとした。
「やめてください!」
私は反射的に声をあげた。
「おとなしくしろ!」
「どうして私たちが地下牢なんかに!」
そんなやり取りをしていると、思わぬ人物が声をあげた。
「この声は⋯⋯」
目を向けると、そこにはぼう然と私を見つめるクラリスの姿があった。
「この声は、アンコロさんだ!」
「アンコロ?」
レオ王子が首をひねり、何か思い出そうとしていた。
「クラリス、もしかしてアンコロというのは、お前の呪いを解いたという魔法使いのことか?」
「そうよ。この声、アンコロさんに間違いないわ」
レオ王子はあ然としながら私を見た。
「お前の本当の名前は、アンコロというのか?」
「いえ、あ、あだ名です。なので、そう呼ばれるときもあります」
お前の歳は?
「二十八歳です」
「な、なんだと」
「それで、妹の呪いを解いたというのは、本当か?」
もう、これ以上嘘をつき続けられる雰囲気ではなかった。
「⋯⋯はい。でも、たまたまうまくできただけなのですが⋯⋯」
「たまたまですって!」
声を張り上げたのは、カミーラだった。
「だいたいあなたは魔法が使えないのでしょ!」
「いえ、実は⋯⋯」
「この嘘つき女が! 呪いを解くなんて、簡単にできることではないのよ! 伝説の大聖女にでもなったつもりなの!」
「⋯⋯」
「レオ王子、だまされてはいけません。この女はクラリス様をたぶらかしているだけです」
「確かに⋯⋯。国中の、いや周辺国を含めた名だたる魔法使いでさえ、妹の呪いを解くことはできなかった。それを、この女はたまたまできたと言っている。そんな言葉、信じろと言っても信じられることではない⋯⋯」
「クラリス様の目を治したのは、この私よ。アンコロだかなんだか知らないけど、たいした魔法も使えないあなたが、できるようなことではないのよ!」
広間の奥の扉が開いたのは、カミーラがそう息巻いている時だった。
皆の視線がいっせいに向けられる中、姿を現したのはアルベール王子とその臣下たちだった。
その姿を見て、まず口を開いたのはレオ王子だった。
「これはこれはアルベール王子、いったい急にどうされたのですか?
「レオ王子、久しぶりだな」
アルベール王子は簡単に挨拶を終えると、こう続けた。
「大切な人を探しているのだ。この国にいると聞いて慌てて訪ねてきた」
「大切な人ですか⋯⋯」
そんなやり取りをしている中、カミーラが護衛隊員に小声で命じた。
「さあ、アリアとルミナを地下牢へ連れていきなさい」
命じられるまま、再び護衛隊員が私の腕をつかみ広間から追い出そうとしている時だった。
「まて! 何をしている!」
アルベール王子の厳しい声が響いた。
「この者たちは、アルベール王子に会わせる資格のない者たちです。ですので、ここから退出させるべきかと」
「会わせる資格がない?」
「はい。たいした魔力もないのに、呪いを解いたなどという大嘘つきの女です。今すぐに⋯⋯」
「失礼なことを言う女だな」
「はい、大聖女気取りの大嘘つきです。本当に失礼な女⋯⋯」
「失礼なことを言っているのは、お前だよ」
アルベール王子はカミーラを睨みつけると言葉を続けた。
「わが国の聖女を侮辱するにも程があるぞ」
「わが国の、聖女?」
皆があっけにとられている中、アルベール王子は険しい顔をして護衛隊員の腕をつかんだ。
「俺の大切な聖女に気安く触るな!」
護衛隊員は、王子の迫力に押されたのだろう、おびえた顔で後ずさりをはじめた。
そして、そんな私たちをレオ王子は青ざめた顔で見つめていた。
「聖女⋯⋯、ということは、妹の呪いを解いたのは、アンコロ⋯⋯、いやアリアさん、あなただったのか⋯⋯」
横にいるクラリスも嬉しそうな顔をしながら話し始めた。
「アンコロさんの魔法はすごいんだよ。体の中がすごく気持ちよくなって、そしたら急に、目の中に光が入ってきたの」
「違うわよ!」
カミーラは顔を真っ赤にして声を上げた。
「クラリスの呪いを解いたのは私よ! あの女ではないわ!」
そんなカミーラにルミナが言い放った。
「ごめんねカミーラ、黙っていて悪かったわ。ここにいるアリアは、私よりもずっと優秀な聖女なのよ。もちろんカミーラ、あなたなど足元にも及ばない魔力を持っているわよ」
「⋯⋯」
レオ王子は、言葉を失ったかのように私を見つめ続けた後、こうつぶやいた。
「俺はとんでもない間違いを犯してしまった。妹の恩人に対して、とんでもないことを⋯⋯。アリア、申し訳なかった⋯⋯。許してくれ⋯⋯。いや、許されることではないが⋯⋯」
「レオ王子、だまされてはいけません。クラリス様を救ったのは、私です!」
まだそう言い続けるカミーラに、レオ王子が冷たく言い放つ。
「今すぐカミーラを地下牢へ入れておけ」
「ど、どういうこと! クラリスの恩人は私よ。その私に対して⋯⋯」
カミーラの言葉が終わらないうちに、護衛隊員はカミーラの腕をつかむと、暴れる彼女を引きずるようにして広間から出ていった。
その様子から私は思った。
カミーラはレオ王子の女だと聞いていたが、実際には大した関係でもないようだと。
カミーラがいなくなると、レオ王子は周囲の目を気にすることなく、深々と頭を下げながら何度も私に謝罪してきた。
そして、ルミナのヴォルク行きを撤回し、代わりにカミーラがその任に就くことを明言した。
そんなレオ王子の言葉を聞き終えたアルベール王子は、あっさりとこう言ってきた。
「さあアリア、ソラリスへ帰ろう」
「いえ、帰りません」
「どうして?」
「私は、ソラリス王国を離れると決めたのです」
「なぜだ? 俺を避けているのか?」
「そうです」
「俺のことが嫌いになったのか?」
「はい」
「なぜだ? 教えてくれ」
アルベール王子とそんなやりとりしていると、クラリスが話に割り込んできた。
「アルベール王子は、アンコロのお姉ちゃんのことが好きなの?」
「ん? まあ、そうだ」
「でも、無理よ」
「無理? どうしてだ?」
「だってお姉ちゃんには、他に好きな人がいるんだから」
「本当か?」
「うん、お姉ちゃんに直接聞いたから」
「ちょ、ちょっと」
私は慌ててクラリスの話を止めようとした。
けれどクラリスは構わずに話を続けた。
「お姉ちゃんはね、おしるこが好きなんだよ。でも、そのおしるこはもうすぐ別の人と結婚するんだけど」
よかった⋯⋯。
教え子とおしるこを間違えている。
これではアルベール王子も何のことだかわからないはず。
「お姉ちゃん、そうでしょ?」
「う、うん、そうよ」
私はホッとしながらそう答えたのだった。
※ ※ ※
このままアリアを残して帰るわけにはいかない。
そう思ったアルベール王子は、彼女を説得するため、二人きりで話し合うことにした。
別室でアリアと向き合ったが、なかなか言葉がでてこない。
説明しなければいけないことがあったが、どう伝えて良いのかわからない。
言葉を間違えれば、アリアとの関係が終わってしまうと思うと、柄にもなく緊張した。
すると、先にアリアが口を開いた。
「王子、助けていただきありがとうございます。ただ、あれはいけません」
「何がいけないのだ?」
「あのような言葉は誤解を生みます。あなたは、ご結婚を控えている身ですよ」
「どういうことだ? はっきり言ってくれ」
アルベール王子は、何か自分の言葉に問題があったのか思い返してみたが、思い当たることは何もなかった。
「⋯⋯、あれでは王子は、私に気があると勘違いされてしまいます」
「本当のことを言っただけだ」
「そういう言い方が誤解を生むのです。今の王子の言葉を、スザンヌ様が聞けば悲しまれますよ。あんな素敵な人⋯⋯」
やはり、きっちりと説明しなければ⋯⋯。
「そのスザンヌとのことだが、彼女との婚約は解消している」
「えっ?」
「俺とスザンヌは政略によって結婚を強いられていただけだ。スザンヌには他に心に決めていた男性がいたし、俺にしてもそうだった。だから、二人でなんとかこの婚約を解消して、二人の未来をバラ色にしようと企てていたのだ。そして、この度それがうまくいったということだ」
「でしたら、王子は私などではなく、心に決めている人と一緒になってください」
「俺が心に決めている人はアリア、君だ。ずっとアリアのことが好きだった。だから⋯⋯、俺と結婚してほしい」
アリアはじっと下を向き、王子の言葉を聞いていた。
そして、唇を噛みながら、王子に目を合わせることなくこう言った。
「⋯⋯ありがとうございます。けれど⋯⋯、結婚はできません」
「⋯⋯どうしてだ?」
「⋯⋯どうしてもです。ですから私は、アルベール王子の教育係をやめさせていただきます。そして、二度と会わないように致します」
「なぜ?」
「王子と会いたくないからです」
「⋯⋯そ、そうか、わかった。それがアリアの答えなのだな。俺には興味がないということか⋯⋯」
「はい。王子は私の教え子です。それ以上でもそれ以下でもございません」
「教え子⋯⋯」
もう終わりにしなければ⋯⋯。
これ以上しつこく言い寄ってもアリアに迷惑をかけるだけ⋯⋯。
そう思ったアルベール王子は、最後にアリアへお礼と別れの言葉を口にしようとした。
すると、なぜかふと、先ほどのクラリスの言葉が頭に浮かんできた。
クラリスはこう言っていた。
「お姉ちゃんはね、おしるこが好きなんだよ。でも、そのおしるこはもうすぐ別の人と結婚するんだけど」
なぜあの時、すぐに気づかなかったのか。
アルベール王子は自分の鈍感さを恥じた。
食べ物であるおしるこが、結婚などするはずもない⋯⋯。
おしるこが、もうすぐ別の人と結婚する⋯⋯⋯。
おしるこ⋯⋯教え子⋯⋯。
だったら⋯⋯。
『お姉ちゃんはね、教え子が好きなんだよ。でも、その教え子はもうすぐ別の人と結婚するんだけど』
アルベール王子は、最後にもう一度だけアリアに告白してみようと心に決めた。
「本当に好きな人には、直球で、剛速球で勝負するべし」
あの時のアリアの言葉を心に刻みながら、王子は無言で彼女との距離を詰め始めた。
迫力に押されたのか、アリアは一歩ずつ後ろへ下がっていく。
そして、アリアの背中が壁についた瞬間、王子は左手でドンと壁を突いた。
顔を近づけ、低い声で言った。
「お前は、ずっと俺のそばにいればいい。俺が必ずお前を幸せにしてやるから」
アリアは、動かずにじっとしていた。
表情は固く、口は真一文字に閉じられ、何の返事もない。
やはり、こんな方法ではだめだった⋯⋯。
こんな、脅迫めいたやり方⋯⋯。
王子が左手を離し、「脅かしてすまない」とアリアに謝ろうとした時だった。
アリアの口が動き出した。
そして、小さな声が聞こえてきた。
「⋯⋯はい」
「え?」
あまりに小さな声だったので、聞き直してみた。
「今、何と言ったのだ?」
「⋯⋯はい、と申しました」
「はい、ということは、承知したということか?」
「はい」
今度の「はい」は、はっきりと聞こえた。
アルベール王子は、嬉しさのあまりアリアに自分の腕を回し、ギュッと抱きしめた。
そして改めて本心を述べた。
「今この時だけではない。アリアが年をとって寿命を迎える時までずっとだ⋯⋯、俺が必ずお前を幸せにしてやるから」
アリアは、アルベール王子の腰にそっと腕を回した。そして、アルベールの胸に自分の顔をうずめた。
一ヶ月後、ソラリス王国では、二人の婚約が正式に発表されたのだった。
ありがとうございました