謝罪
一度自宅に帰ってから訪ねたのか、その少女は制服ではなく私服を身に纏っていた。膝下まであるブーツを脱いだ彼女は案内した洗面所へと向かい、手洗いなどを済ませると家の間取りを確認するように辺りを見渡している。娘のいる和室に到着し、少女は丈が長く腰の辺りが絞られたダウンジャケットをそっと脱いだ。仏壇の前に膝をついて座り、ロウソクに火を灯して線香を近づける。
お鈴の音が、静かな和室に響く。手を合わせたまま俯く鶴見さんの後ろ姿を眺め、何か飲み物でも用意しようかと音を殺しながら立ち上がる。
寒空の下を歩いてきた子に出すには温かな飲み物が良いだろうと、ケトルの中に残っていたお湯を使ってココアを作る。もう消費されることのない粉だから、と袋に書かれた文量よりも少し多めに入れた。カップを手に和室へ戻ると、鶴見さんは未だ仏壇に向き合ったまま、真っ直ぐ背筋を伸ばして正座していた。
「これ、よかったら」
声をかけると鶴見さんは首だけを回してこちらを一瞥し、私が手にしたカップを見て小さく会釈を返した。しかし、彼女はカップを受け取らずに再び彩未へと向き直る。
和室にはテーブルがないため、居間のテーブルへとカップを置き、動く気配のない鶴見さんの横顔を眺める。
四角い狭い世界で笑い続ける彩未と、じっと目を合わせている。ゆっくりと瞬きを繰り返し、膝に置かれた両手を握り込み、次第に、何かを堪えるように薄い肩が小さく震えはじめる。瞳の潤みは瞬時に雫を作り出し、薄く化粧の施された頬を滑るように伝って落ちていく。
大粒の涙は規制が解けたように止めどなく落ちていき、彼女の革製のショートパンツを濡らした。染み込まない水滴はパンツの上を滑り、照明を控えめに反射している。
彼女の傍に寄ってしゃがみ、丸まっていく背に手を添える。驚いたのか、薄い肩が小さく跳ねた。
「こんなに泣いてくれる子がいるなんて彩未は幸せ者ね」
黙って涙を流し続ける鶴見さんの横顔に、内心安堵していた。仏壇まで手を合わせに来てくれて、彩未の死を悼み涙を流してくれる子がいる。その事実を知るだけで、楽しく学校へ通っていた娘の姿は決して私の願望ではなかったのだと実感できる。
しかし、少女は溢れ続ける涙を指先で拭いながらゆるりと首を振った。
「ちが・・・違うんです・・・」
濡れた声で切れ切れの呼吸の合間を縫って言葉を紡ぎ、何かに抵抗するように首を振る。握られていた拳がこちらに向き、縋るように私の腕を捉えた。震える身体とは対照的に力強い指先が、食事もままならず細くなっていく腕に痛いほど食い込んでいく。
「私が、私が迷っていなければ室田さんは死ななくて済んだかもしれないのに・・・」
あれだけ強かった指先の力が一瞬で抜け、畳にするりと落下していく。拭われない涙が畳の色を僅かに濃くした。
「・・・何か知ってるの?」
その質問を恐れていたかのように、嗚咽していた声が止まった。そして、待ち望んでいたかのように、鶴見さんの額が落ちていく。畳に額を擦りつけるようにして、小さな声で何かを繰り返し呟いている。顔を近づけて耳を澄ましてみてようやく、それが謝罪の言葉であることに気がついた。
「室田さんは、いじめられていたかもしれません」
こもった声が線香の香りを纏いながら、四畳半の和室に響く。目の前の少女のすすり泣く声だけが残り、淀んだ空気が私を包み込んだ。
何気なく泳いだ視線は娘の笑顔を捉えた。
あの日から、その笑顔を繰り返し夢に見ている。ビデオテープを再生するように、何度も繰り返し、繰り返し。緩んだテープは鉛筆で巻いて、テープの擦り減っていくような異音に気がつかないふりをしながら、現実から逃げるように上演を繰り返す。
足もとで崩れたままの少女の姿を再び目にすると、鮮明だった娘の笑顔にノイズがかかるような感覚があった。間違いを正すように介入するノイズは娘の笑顔を覆い隠し、問いただすように映像を乱す。
お前の中の娘は果たして正しい姿で残っているのだろうかと。