4.滅びのリファクタ
澤村拓也には、誰にも言えない過去があった。かつて彼が所属していたのは、某中央省庁が主導する国家的DXプロジェクト――コード名「ZERO-CODE」。AIによる〝完全自動プログラミング〟を目指したその計画は、画期的だった。だが、完成直前にシステムが暴走、制御不能となった。
数億行のコードが、一晩で〝自己書き換え〟を始めた。結果、プロジェクトに関わっていた三社の業務が同時停止、一名が過労で死亡――
「俺は、あのとき〝本当のコードの怖さ〟を知った」
そう澤村は、誰にも聞かれない深夜の会議室で、独り呟つぶやいた。
※
「咲良さん、ちょっといい?」
咲良が振り返ると、サーバールームから出てきた木下がこっそり何かのファイルを渡してきた。
「これ、先週のバックアップから拾った旧仕様書。例の〝隠し処理〟……正式には〝存在しなかった〟ことになってる」
中を開いた咲良は凍りついた。そこには、澤村の手による〝対ハイリスク顧客用フィルタリング処理〟が詳細に記述されていた。
(これは……取引先の不正アクセスを〝隠蔽〟するためのコード?)
「こんな処理、リスク高すぎる……!」
「でも、運用部も営業部も誰も止めなかったんだよ。便利だからね。澤村さんがいなきゃこの〝裏仕様〟はとっくに破綻してたさ」
木下の目には、諦めにも似た冷めた色があった。
※
その日、プロジェクトの負荷テスト中に、突如としてログサーバがダウンした。咲良がログを追うと、裏仕様が〝特定の入力パターン〟で暴走し、無限ループに陥っていた。
「……あれは、バグじゃない……! 誰かが意図的にやった……!?」
暴走ログには、『Zero.C:Line_777』という奇妙なタグが付いていた。
ZERO-CODEの残滓――?
まるで〝古いコードが目を覚ました〟ような錯覚。
「澤村さん……あなたは何を封じ込めてるの……?」
咲良には、コードの中に〝亡霊〟が存在しているかのように見えていた。
※
その夜、咲良はついに澤村に詰め寄った。
「どうして、あんなコードを書いたんですか? 不正を隠すなんて、あなたが一番嫌うことじゃないの?」
澤村は、しばらく黙っていた。そして、まっすぐ彼女を見て言った。
「咲良……俺は、善悪では動いていない。〝プロジェクトを止めないこと〟が俺の仕事だ」
「それじゃ、ただの保身じゃないですか!」
「違う。〝失敗するよりマシな選択肢〟を選んでるだけだ」
その言葉には、どこか虚無的な響きがあった。
「ZERO-CODEのとき、俺は正義を信じて暴走を止めようとした。でも、止めた後に残ったのは、誰にも感謝されない現実と、ひとりの遺体だった」
「それは……決してあなたの……」
「咲良、お前にだけは知っておいてほしい」
澤村は、ポケットから古びたUSBメモリを取り出し、彼女に手渡した。
「中には、〝本当のログ〟が入ってる。あのとき、俺が世界から消したコードの断片だ。……見る覚悟があるなら、な」
※
咲良は自宅に帰ると、受け取ったUSBを取り出した。澤村の鋭い眼差しを思い出して躊躇した咲良は、震える手でUSBをPCに差し込んだ。中には無数のコード断片と、澤村自身の名前がログに残るプロセス記録。
その一行目――
[ZERO-CODE SYSLOG] 200X/XX/XX: 全システムの強制停止のたm) 澤村
彼には珍しい誤字タイプミス。まるで自らを戒めるかのように残されたその残骸に、震える手で打ち込む若き澤村が浮かんだ。彼は、あのとき〝神のコード〟に手を加えリファクタ、強制停止させた。プロジェクトを止めた代償として、責任をすべて背負い、人知れず、その痕跡すら自らの手で〝書き換えた〟 咲良の目に涙が浮かんだ。
(こんな方法でしか、守れなかったの……?)
『プロジェクトは生き物だ。止めたら死ぬ。動かせば壊れる。それでも前に進めなきゃならない』
あの時の澤村の悲し気な目が脳裏によみがえった。
『じゃあ……どこで〝成功〟を測ればいいんですか?』
咲良の問いに、彼は淡々と答えた。
『誰かが〝逃げ場〟を作れるかどうかだ。全員を守れなくても、一人でも逃がせるコードを書く。それが、俺の定義する〝成功〟だ』
咲良は、その言葉に言い知れぬ衝撃を受けた。技術は、正義でも悪でもない。ただそこに在る。使う者の〝覚悟〟だけが、それを意味あるものに変える……想像も及ばない、澤村が身を置く世界を、ただ、受け入れる以外なかった。