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私の執事が最近冷たい

作者: 茶野みるく


小さい頃はもっと優しかった気がする。幼い頃から一緒に育った執事の彼――アッシュは私にとって、王子様のような存在だった。彼の膝の上に座って頭を撫でられながら、絵本を読んでもらうのが何よりも好きだった。彼はどこに行くにもついて回る私のことを邪険にせず、大切に扱ってくれた。


けれど、いつからだったのだろう。彼の態度が変わったのは。


「お嬢様にはそんな大人びた服装はお似合いになりませんよ。もっとご自分を客観視されたらどうですか」

「なっ……!?」


最近の彼は冷たいし、指摘は小姑のごとくやかましい。私を冷たい鉄のような声で否定してくるその態度に、胸が締めつけられる思いがする。


アッシュの言葉に、私は反論することもできず、ただ悔しさを押し殺して口をつぐむしかなかった。確かに私は背が低いし、すぐ感情が表情に出るし、大人っぽさには程遠い。


でも、それをわざわざ口に出して言う必要なんてあるかしら?


昔の彼なら、もっと優しく諭してくれたはずだ。「ふんわりとした可愛らしい雰囲気のほうがシアには似合うと思います」なんて、うまいこと言ってくれたはずなのに。


部屋に戻った私は、大きな鏡の前に立ち、自分の姿を見つめた。


胸元の開いたハートカットのドレスは、彼の言う通り、少し背伸びをして選んだものだ。憧れだった。親戚の女性の結婚式で、幸せな表情をした彼女が着ていたウェディングドレスがハートカットの形だったのだ。それを見て、ああ、こういう服が似合う女性になりたいと思った。


でも、鏡に映るのは子どもっぽい顔立ちの自分だけで、ため息が漏れる。


「……アッシュに何がわかるっていうのよ」


ハートカットのドレスに皺が寄らないように丁寧に脱ぎながら小さく呟く。アッシュに追いつきたくて頑張ってみても、毎回すげない態度で応対されて撃沈していることなど、彼は知る由もない。


結局私はパステルピンクのドレスに着替えた。

行先は未来の旦那様を見つけるためのパーティ会場だ。


16歳になってデビュタントを終わらせたばかりの私は、貴族令嬢らしく、結婚相手を探すために度々パーティへ連れ出された。両親は急かしてくるわけでもないし、こんな相手が良いと私に要求を押し付けてくるようなこともない。貴族令嬢の中でも自由にさせてもらっている方だと思う。けれどレールの幅が普通より少し広いだけで、結局は貴族令嬢としてのレールの上を歩いていることに違いはなかった。


いつものように男性と交流するなんて気は起きず、壁の花として空気のごとく数時間をやり過ごす。今日は特にアッシュのせいでやる気が出なくて、足が痛むからと早々にパーティを切り上げて帰宅することにした。


迎えたアッシュからはくどくどとお叱りの言葉を受け、「こんな体力がないようでは貴族の夫人としてやっていけない」とありがたくもお墨付きをいただいてしまった。


「別に夫人としてやっていきたいなんて思ってないわ」


そう言ってやりたかったが、言ったが最後、更に説教の時間が長引くことは分かりきっていた。なぜなら前に同じようなことを言って、まるまる半日説教で時間が潰れたからだ。


アッシュと一緒にいられるにしても、好きな相手から自分の至らない点を列挙されることほど辛いものはない。


私はしおらしく反省しているふりをして、隙を見て自室へ向かった。


◇◇◇


疲れた体をいたわりながらベッドに入る。一人になると思い浮かぶのはアッシュのことばかりだ。結婚適齢期になって結婚というものが現実を帯びてからは、アッシュとの思い出を思い返すことが増えていた。


前はあんなに冷たくなかったのに。


誕生日にはプレゼントをくれたり、休みの日には私の息抜きのために湖の畔まで連れて行ってくれたりした。


今ではプレゼントなんてくれることはないし、休みの日に一緒に出かけることもなくなってしまった。段々とアッシュは私の目の前で歯を見せて笑うことはなくなり、執事として一線を引いて接するようになった。そしてそれはやがて刺々しく、冷たく変化していったのだった。


押し花にした白詰草のしおりを手にして、ぼんやりと眺める。かなり前に作ったからか、少し色あせてしまっている。その色あせすら愛おしくて撫でるように指で擦った。


タイムリミットはあまりない。パーティに付き添ってくれた叔母様が、そろそろ私の結婚相手探しに本腰を入れるという話をしていたのだ。


私は悶々と悩み続け、度々引きかえしたりしながら彼のいる執務室へ向かった。執務室の扉をノックすると、すぐに彼の「どうぞ」という低い声が返ってきた。


「何かご用ですか、お嬢様」


書類に目を落としたままの彼は、まるで私が部屋に入ってきたことさえ気にしていないようだった。


「貴方にちょっと話があるの。聞いてくれる?」


彼はそこでようやく顔を上げ、吸い込まれるような灰色の目を細めた。


「もちろんです。ですが遅い時間ですので、手短にお願いできますか」


その冷たい言い方に胸がちくりと痛む。でも、ここで引き下がるわけにはいかない。


「どうして……私に冷たい態度を取るようになったの?」


上手い言い方をできず、詰るような物言いになってしまって自分でも驚いた。言葉が出た瞬間、部屋の空気が張り詰めたような気がする。彼は少しの間、何も言わずに私を見つめていた。


「冷たい、ですか」


静かに繰り返されたその言葉には、彼らしい皮肉も感情も含まれていない。ただ平坦な調子だった。


「昔はもっと優しかったじゃない。私を膝に乗せて本を読み聞かせたりしてくれて。でも今のあなたは私に一切触れてこないし、気軽に話をしてもくれない」


思わず声が震える。自分でも驚くほど本音が溢れ出していた。


彼は深く息を吐き、椅子から立ち上がった。

背の高い彼が目の前に立つと、その存在感に圧倒される。彼は私の目をじっと見つめて言った。


「お嬢様、伯爵家のためにも私達にとっても必要なことです」

「……どういう意味?」


彼は答えず、少しだけ視線をそらした。その仕草が私を拒絶しているようにも感じられて、胸が締め付けられる。


「お嬢様はご令嬢で、私は貴方に仕える執事です。そして私の役目は、あなたを嫁ぎ先に立派な女性として送り出すことです。必要以上に優しくある必要などないでしょう?幼い頃、身の程を弁えずに接していたことのほうが間違いだったのです」


その言葉に、私は言葉を失った。彼が執事として正しくあることなんて、私は求めていない。


求めているのは――いつだって彼の温もりだけだったのに。


「嘘つき!大きくなったら結婚してくれるって言った癖に!」


感情が爆発し、思わず叫んでしまった。彼は驚いたように目を見開いたが、すぐに静かな表情に戻る。そして聞き分けのない幼子に対するようにゆっくりと、言葉を紡いだ。


「あれは子供の頃の戯言です。貴方と私では立場が違います。忘れてください」


その言葉を最後に、彼は再び書類に目を落とした。まるで、「これ以上言うことはない」とでも言うかのように。


私は気落ちしながらも彼の本棚に目を向ける。綺麗に整頓された本棚は彼の真面目さを象徴しているようだった。そのうちの一つの本の中に、相も変わらず紫色の紐がついた栞が挟まれているのを見た。


私はアッシュの執務室を出ると大きく息を吐き出した。


「忘れられていないのは貴方もじゃない」


冷たいアッシュの態度を思い出しては落ち込むのに、希望も同時に抱いてしまい、ままならない感情のまま、私は自室への道を進んだのだった。


◇◇◇



「……」


私は次の日、屋敷を抜け出して湖に向かった。昔アッシュとも来たことがある湖だ。私は膝を抱えてぼんやりと湖を眺めていた。持ってきたパンを湖にちぎって投げる。すると鯉が寄ってきて餌を欲しがるように私に向かって口をパクパクと動かした。


「……パンで釣れたら楽なんだけど」


相手はとても手ごわい。なにせ考えていることが全く分からない。こんなに一緒にいたのに、距離は開く一方だった。


湖畔に静寂が広がる中、鯉たちはパンを争うように集まってくる。その様子を眺めながら私はため息をついた。アッシュのことばかり考えて滅入ってしまうから湖まで足を運んだのに、また気づけばアッシュのことばかり考えてしまっている。


私は頭を振って思考を振り切ると、再度パンを細かくちぎって湖へと投げ入れた。湖面にパンがつくより先に水しぶきが上がり、鯉が跳ね上がった。


「わあ、すごい!」


食べ物にありつこうとする美しくも勇ましい鯉の姿を見たくて、湖の縁に近づいていく。ギリギリまで近づいた時に、後ろから腕が伸びてぐっと陸の内側へ戻すように腰を引かれた。


「お嬢様自身を捧げて何を釣るおつもりですか」

「っ……!?」


聞き慣れた声が背後から聞こえる。振り返ると冷たく光るグレーの瞳が私を見下ろしていた。


「もしかしてついてきたの?」

「まさか。貴方が使用人に行先も告げず一人で来るならここだと思ったまでです。一人でこんなところまでいらっしゃるのは危険ですので、供を連れるようにしてください」

「……私のことよく分かってるわね。私のことなんてどうでもいいくせに」


言ってから途端に後悔した。自分で口に出した言葉なのに想像以上に自分を傷つけたからだ。


「それは――」


アッシュが口を開いたけれど、自分を更に傷つけることになるだろう言葉なんて聞きたくなくて、顔を背けた。


その時だった。


遠くに男性と黒馬の姿が見えた。どうやら湖で一休みして馬に水を飲ませているところのようだ。優雅な仕草で馬を引くその男性の姿は、どこか洗練された雰囲気をまとっている。背筋が自然と伸び、湖の風景の中で目を引く存在感を放っていた。


私達の視線に気づいたのか、男性が黒い馬を引いて、こちらへゆっくりと近づいてくる。私は彼が何者なのかに気づき、慌てて彼に向かって頭を下げる。そしてアッシュに聞こえるようにつぶやいた。


「陛下だわ。今日いらっしゃるとは耳にしてないけれど我が家にご用かしら?アッシュは何か知ってる?」

「いえ、耳にしておりません」


陛下とは直接会話をしたことはないけれど、デビュタントの際に顔を拝見したことがあるので顔はわかる。この国の王が我が家に何の用があるのだろうか。地味な装いからお忍びだろうと考えられるが、威厳のあるオーラは隠しきれていない。


アッシュは高貴な人物が突然現れたことに動揺しているのか、微かに緊張しているのが分かった。


「君は伯爵のご令嬢かな?」


声をかけられてやっと顔を上げる。我が国に君臨する王たる彼は、人々を魅了するほどに美しい顔立ちをしており、堂々とした威厳ある雰囲気を纏っている。こちらを見下ろす瞳の色は、そばにある湖面のように冷たくも吸い込まれるようなブルーグレーだった。


「はい、エリシアと申します。先日のデビュタントではお世話になりました」


カーテシーをして挨拶をする。陛下は軽く顎を引いて応えてくれた。その後アッシュの方に視線が向いたため、付け加えるように陛下にアッシュを紹介する。


「こちらは私の執事のアッシュです」


陛下はアッシュを見て一瞬目を丸めると、「なるほど」と呟いた。アッシュの事を知っているのだろうか。よく分からない反応にアッシュの方を見ると、アッシュはただ静かに目を伏せていた。


「今頃どこかの路地で死んでいると思っていたのに、伯爵も優しいことだな」

「えっ……」


自分の耳で聞いたことが信じられないという思いで、私ははしたなくも声を上げてしまった。「どうしてそんな暴言を?」「陛下はアッシュとどんな関係なの?」そんな疑問が次から次に浮かび上がる。アッシュについて何かを見逃しているような気がして、言いようのない焦燥感を感じた。


「旦那様にはお世話になっております」


そう言って何の感情も見えない表情で、アッシュは頭を下げた。陛下はアッシュを見て「おかげでお前を探し回る手間が省けた」と言って、懐から書状のような物を取り出した。その書状には所々に金があしらわれ、見るからに上等だと分かる代物だった。


「父が残した遺言状が見つかった。父が身罷って既に20年経つわけだし、遺言を無効だと言う者もいるわけだが、私はこの遺言を公表することに決めた。王族間での余計な争いを避けるためにもな」


陛下の父とは前王のことだ。20年近く前に亡くなっているため私も良くは知らない。しかし民を思いやる優しき王だった、とは伝え聞いている。


前王の遺言が見つかったなんて喜ばしいことなのに、続く陛下の言葉を聞きたくないと思ってしまった。陛下が今日こんな場所まで足を運んだのは、アッシュに会いに来るためのように見える。そして会いに来た理由は前王の遺言状にある――


ろくに供を連れずに陛下が直接アッシュに来た理由は、側近たちにも隠したい不都合があるからなのではないだろうか。今まで全く気づかなかったが、陛下とアッシュはよく似ていた。色は違うものの、整った形の瞳、すっと通った鼻筋、艶のある黒髪……彼らの符合する特徴を見て胸を掻きむしりたいほどの衝動に襲われた。


「ここには庶子のお前に北部地域の王族領を一部譲り、爵位を授けると記載がある。遺言公開後、近々叙爵を行うことになるから覚悟しておけ」

「!」


足元が揺らぐのを感じた。陛下の御前だからはしたないところをみられるわけには行かないと何とか踏ん張ったものの、気を抜いたらそのまましゃがみ込んでしまいそうだった。不穏な雰囲気から考えていたことではあったものの、衝撃はおさえられない。


アッシュが前王の庶子、それに叙爵される……

明かされた真実と行く末が突飛すぎて目が回りそうだった。アッシュは自分が前王の庶子であることを全く匂わせたことはないし、私に何も言わなかった。隠していたのだろう。それは私が頼りなかったからかもしれないし、信用してもらえてなかったからかもしれない。身近な人間に自分の出生を隠し通していたアッシュの心情を思うと胸が苦しくなる。


「承知いたしました。ご厚意痛み入ります」


アッシュは目を伏せたまま、抑揚のない声で返事をした。領地と爵位を与えられるというのに、その表情には何も浮かばない。むしろその姿には諦念と思える悲哀すら浮かんでいるように見えた。まるで痛みから気を逸らしているような仕草に駆け寄りたくなる。


陛下は私に向き直ると先ほどまでとは違い優しい口調になった。


「ご令嬢、今聞いたことは公になるまでは口を噤んでもらえると助かる。いつこいつを害する者が出てこないとも限らないからな」


アッシュの立場の危険を示唆されて私は瞬時にアッシュを向き直る。


「お嬢様がお気にされることはありません」


アッシュは私の心配が分かったのか、淡々とそう言った。


「承知いたしました。今日のことは他言しないと約束いたします」


私は困惑のままにそう言うしかなかった。私の返答に満足したらしい陛下は、アッシュに「また連絡する」と言い残して黒馬に乗って去っていった。


湖畔の静寂が戻ったあと、私は再びアッシュを見上げた。彼の顔にはいつもの冷たい執事としての顔があった。


「帰りましょう、屋敷の使用人がお嬢様を探しているはずです」


彼は先ほどの事については何も告げることなく、一歩を踏み出す。私はアッシュの腕を摑んで止めた。


「アッシュ、貴方大丈夫なの……?」


聞きたいことは色々ある。でも何よりも知りたいのはアッシュの心の内だった。もし自分がアッシュの立場だったら、良い意味でも悪い意味でも冷静でいられるはずがない。


「お嬢様が気にされることは何もありません」


アッシュは振り向きもせずにそう言った。強く握りしめられた拳が言外にその心情を訴えかけてくる。


「その返事、大丈夫じゃないってことでしょう」


アッシュは小さい頃からずっと私に弱みを見せようとしなかった。私が4歳も年下というのもあるかもしれないが、弱いところを見せるのを極端に恐れているようだと感じる事もあった。


昔、高熱がある時にも症状を一切感じさせないように振る舞っていて、私の目の前でいきなり倒れてしまったことがあった。私は酷く驚いたものだった。非常に心配してしまい、何も手につかないほどだったというのに、お見舞いに行っても断られるばかりで姿を見せてはくれなかった。あれから時間は経ったもののアッシュに弱音が吐けるような相手がいるようには思えない。私はアッシュの手に触れると握りしめられた拳の指を解いた。そして両手で包み込む。


「貴方が望んでいなくても私は一生貴方の味方だわ」


アッシュは私の言葉にハッとしたように振り向いた。そして包みこんだ私の手をぎゅっと握ると、苦しそうな顔をした。


「俺の味方だと言うなら、さっさといい男と結婚してくれませんか。早く離れないといけないと思いながら、貴方が幸せに結婚するまではと粘っていたのに……結局貴方の結婚相手すら知らないままで終わりそうです!」

「え……」


いつから私の結婚の話になったんだろうか。それにいつの間にか、アッシュの一人称が昔のように「俺」に戻っている。他の男との結婚を勧められているというのに、話し方が変わっただけで胸が途端に脈打ち始めるほどに嬉しかった。


「早く離れないといけないってどうして?」

「先ほど聞いて分かったでしょう。俺は前王の庶子で王族の汚点です。死んだ方が都合が良い存在なんです。敵が多い俺を匿うのは伯爵家にデメリットしかないんですよ」


陛下が言っていた言葉が思い出される。

「今頃どこかの路地で死んでいると思っていたのに、伯爵も優しいことだな」

アッシュの立場は複雑で、それは私が思っているよりずっと壮絶で大変なものだったのだろう。お父様はアッシュの出自を知っていて引き取ったはずだ。前王には可愛がってもらっていたとお父様は常々話していたから、恩義を果たすためでもあったのかもしれない。


「お父様は気にしないと思うけど」

「そんな訳ありません。たとえ旦那様が気にせずとも厚意に甘えるつもりはなかったんですが……シアは未だに俺と結婚したいとか言い張るし」


アッシュは項垂れるように頭を抱えた。最近の無表情のアッシュがしそうもない感情豊かな仕草をする。冷たいアッシュが昔の優しいアッシュへと姿を変えていく姿を目にして、私はアッシュに抱きついた。


「今シアって呼んだでしょ。やっと呼んだわね、待ってたんだから!」


昔のようにぎゅっと抱きつく私に、アッシュは驚いたように目を見張った。そして天を仰ぐと、ため息を落とした。


「……優しい男が好きなら他にお嬢様に似合う男がいます。お嬢様は甘えたい盛りの幼少期にそばにいた存在に依存しているだけです」

「違うわ!もっと純粋にアッシュがアッシュだから好きなの。冷たくてもアッシュのこと好きだから、苦しかったもの」


寂しかった数年間を埋めるようにアッシュの胸に顔を埋める。昔のアッシュよりずっと背は伸びて体は大きくなっているけれど、安心感は相変わらずだった。


アッシュは私の肩にそっと手を置いた。その手が一瞬私を引き剥がすように動いたのを感じたけれど、すぐに動きを止めた。


「……お嬢様、すみませんでした。貴方を傷つけていることは分かっていましたが、貴方が俺に抱いた幻想を捨てて、俺なんかよりずっといい男と結婚してくれればいいと思ってたんです」

「そんなことしたって意味ないのに」


拗ねたような声になってしまったのは仕方のないことだ。冷たくされてもずっとアッシュが好きなままだったが、だからこそ冷たく対応されるのが堪えた。アッシュは少しくらい私の痛みを知るべきだと思う。


「どうやらそのようですね」


アッシュは自嘲するように口角を上げた。


「アッシュ、私も領地に連れて行って」


ついて行きさえすれば、会えなくなることもない。アッシュはいきなり貴族社会に放り込まれることになるのだから、貴族社会での経験がある私が少しくらい支えてもあげられるかもしれない。


「駄目です。俺と一緒にいるせいで貴方に危険が及ぶのは耐えられません」


アッシュの温かい掌が、頭を撫でて慰めるように動いた。昔のように優しく動くその手に、縋り付くように身を寄せる。


「それって、アッシュの気持ち的にはもっと私と一緒にいたいって思ってくれてるってこと?」


私を撫でていたアッシュの手が止まる。


「言葉の綾です」


期待を込めて投げた疑問をアッシュはいつものように冷たく一刀両断した。

そしてアッシュにまだ抱きついていたい私を説き伏せると、屋敷へ連れ帰ったのだった。


◇◇◇


アッシュは前ほど冷たい態度を取ることはなくなったものの、前よりも一層私の結婚相手探しにやかましく口を出してくるようになった。本気で私を結婚させようとしてくるアッシュから逃げるように、私は日々を過ごしていた。


そんな時、アッシュを叙爵する旨の通達が王家から届いたのだった。アッシュの貴族になる日取りは着々と決まり、アッシュはテキパキと執事業務の引き継ぎを済ませた。辛い現実から目を逸らすように過ごしていると、気づけばアッシュは明日には、我が家を出ていくことになっていた。屋敷はアッシュの出自に驚きつつも祝福ムードで、皆がアッシュの門出を精一杯応援している。


どうしてもアッシュと別れるのが辛くて、暗くなってしまうのを抑えられず、私は屋敷をそっと出た。


「はぁ」


いつもように湖の畔に座り込む。灰色の雲がぶ厚く上空を覆い、湖面を濁った色に見せていた。今にもひと雨来そうな気配だが、立ち上がる気力がない。


長年一緒にいたアッシュが傍からいなくなったら自分はどうなってしまうんだろうか。このまま何もしなければ、疎遠になって人生の節目にも会えなくなってしまうのだろう。アッシュが結婚したことさえ知らなくて――そこまで考えて叫びたくなる程に嫌だと思った。アッシュが結婚したことさえ知ることのできない距離感が嫌だし、そもそもアッシュが私以外の誰かと結婚するなんて耐えられない。なんていったって、アッシュの花嫁としての地位は十年以上前から私が予約済みなのだ。


「やっぱり私がアッシュの領地についていくしかないわ」


アッシュにもう一度掛け合ってみよう。そもそも身分差という大きな課題が無くなったのに、なんを悩むことがあるのだろうか。アッシュだって私との結婚は条件としては悪くない筈だ。後ろ盾もなく、貴族教育を受けてこなかった前王の隠し子が、伏魔殿のような貴族社会でうまくやっていくのは至難の連続だろう。我が家がバックについている、というのは決して悪くは働かない筈だ。


やっぱりアッシュと私が結婚するしかないじゃない!


そんなことを勝手に思って立ち上がろうとした時、周囲に影が落ちた。


「っ……!?」


何だろうと思い、振り返った所で頭に衝撃が走り、そこで意識が途切れた。



◇◇◇


小さい頃、アッシュが白詰草を編んで冠を作ってくれた。器用なアッシュの手の中で綺麗に編まれていく姿は、まるで魔法のようだった。自分でもやってみたいと白詰草を輪にして冠を作るものの、どうやっても不格好で、輪がすぐに崩壊して冠が作れない。何回もチャレンジしても思うような冠はできなかった。


落ち込む私にアッシュが「簡単に作れる飾りがある」と言って、教えてくれたのが白詰草の指輪だった。アッシュは白詰草を摘むと、茎を編んで指輪を作ってみせた。そして私の指に嵌めてみせたのだった。


「アッシュ、わたしとけっこんしたいの?ゆびわをはめたんだもの。けっこんするってことでしょ」


確かアッシュが指輪をはめた指は薬指ではなかったと思うのだけど、ませた子供だった私はそれがプロポーズのように見えた。そして結婚指輪をはめたからには、なぜかアッシュと結婚しなくちゃいけないという使命感のようなものを感じていた。


「じゃあシアが大きくなったら結婚しましょうか」

 

アッシュは今思っても宥めるためにそう言ったんだと思う。でも私が送った白詰草の指輪を栞にして、未だに大切に持っているのだから思わせぶりにも程がある。私がこんなに長い初恋に煩わされているのは、アッシュのせいでもあるのだ。


「んっ……」


目を開くとそこは狭くて埃っぽい小屋のような場所だった。明かりはついておらず、小さな窓はあるようだが、日が沈んでいるようで暗くて何も見えない。外からはぽつりぽつりというような雨音だけが響いている。


身を起こそうとしたが腕が動かず、縛られていることに気づいた。足も縄で縛られている。


「これは――」


誰がどう見ても誘拐、拉致、監禁されているようだった。貴族の子供を狙う誘拐の話は聞いていた事があったが、まさか自分がそんな対象になるなんて考えてもいなかった。あの湖に足を運ぶ人間はほぼいなかったし、完全に油断していた。そう考えれば、私の行動をずっと見張っていて行動範囲を把握していたのではないか、なんて思ってしまい、冷たい汗が背を伝った。


「ああ、起きたか」


ドアがいきなり開いて誰かが部屋に入ってきたかと思うと、その人物は私のそばまで来て、私の顔を覗き込むようにしゃがんだ。こちらからは暗くて表情は全く見えないのだが、男からは私が見えているんだろうか。


「あんたがエリシア・ペレス伯爵令嬢だな?」


思ったよりも爽やかな口調で話しかけられたが、その語気には有無を言わせぬ迫力があった。


「ええ、そうよ」


私は素直に頷いた。犯人がずっと自分を見張っていたとするならば、素性などすべてバレているに違いない。この圧倒的に不利な状況で相手の気分を少しでも害する行動を取るべきではない。


私の回答に男は満足そうに頷いた。

「あんた、アッシュの恋人なんだろ?」

「アッシュ……?」


アッシュにも何かしているということだろうか。私は探るように男を見あげる。


「いいえ、私はアッシュの恋人ではないわ。アッシュの恋人を探しているの?」


「恋人じゃないんだ。まあ、いいや。あいつずっとあんたに仕えてたんだろ?大切にしてたみたいだし、見捨てはしないだろ」 


他の人の目から見てアッシュは私のこと大切にしているように見えたんだ……こんな状況なのに少し嬉しくなってしまう。口角が上がりそうになるのをこらえて、私は犯人と思わしき男に問いかけた


「アッシュに何をするつもり?」

「そんなの決まってるだろ。消えてもらう」


決まりきったことだと断定するように、男は断言した。


「っ……!?アッシュに恨みでもあるの?」

「恨みじゃなくて罰だ。正統な天罰だ。隠れていればいいものを、あいつの存在が公になれば王族は辱めを受けて世が乱れる」


「死んだ方が都合が良い存在なんです」アッシュも男と同じようなことを言っていた。すべてを諦めたような顔をして、「死んだと思っていた」なんて陛下に言われても、アッシュはただ目を伏せて耐えていた。小さい頃、熱で倒れた時にも同じような顔をして、耐えていたのだろうか。


「反吐が出るわ」


つい言葉が溢れた。アッシュが望んだことなんて一つもないのに、勝手に恨まれて害されるなんて酷すぎる。人に弱いところを見せないようにしていたアッシュの感情の片鱗が見えた気がする。アッシュは根本的に人を信じていないし、救われたいとも願ってないのだろう。


「そうだろ?あんたもあいつの存在の邪魔さが分かったか」


男は嬉しそうにしながら声の調子を上げた。


「何を言ってるの。貴方たちが酷すぎて反吐が出るって言ったのよ!」


私は悪意に満ちた相手に声を張り上げた。こんな人々のせいでアッシュは息を潜めて私の執事として生きていくしかなかったのだ。酷い環境だったと思いたくはないけれど、私は結果的にアッシュに信じてもらうことも頼ってもらうことも出来なかった。小さな頃から危険な目に遭わされていたようだ。

いくら自分が危機的な状況だからといってアッシュを害することなんて許せるはずもない。


「あ?」


男が苛立ったように低い声を出した。私は目に力を入れて男の影を睨み返した。危険だと分かっていても、アッシュへの誹謗に同調したくはない。男がこちらに向かって腕を振り上げたのが見える。


(別にいいわ。殴られたとしても思ってもない嘘をついてアッシュを傷つけるよりは、ずっといいもの)


歯を食いしばった瞬間、小屋の扉が大きな音を立てて蹴破られた。


「シア!」


アッシュは扉をいきなり部屋に飛び込んできたかと思うと、そのまま男を蹴り飛ばした。


「ぐっ……」


男はそのままの勢いで壁に身体をぶつけたようでゴンっと大きな音が響く。昏倒したように男は動かなくなった。


「アッシュ……?」

「お嬢様、ご無事ですか?」


アッシュは私の姿を見つけると一目散に走り寄ってきた。アッシュは私を縛っていた紐を素早く切り落としてくれた。

自由に動かせるようになった手をアッシュの体に滑らせる。


「ええ、私は無事よ。アッシュは怪我はない!?」


誘拐犯の狙いはアッシュだったのだ。暗くてよく見えないが、アッシュの服は雨で濡れてはいるものの、破れたりはしていないし、怪我などもなさそうに見えた。


「俺は全く怪我はないです。本当に何もされなかったんですね?」

「ええ。丁度殴られそうになったところでアッシュが来てくれたから平気よ」


安心させるために何も無かったのだと伝えると、アッシュは私の方に倒れ込むように抱きついてきた。

「間に合って良かったです、本当に……男と言い争いする貴方の声が小屋の中から聞こえて、肝が冷えました」


声も身体も震えている。それでも腕だけは力強く私を抱きしめていた。アッシュの温もりに触れて、やっと安心できた。自分を誘拐したのだろう人物を前にしても、自分は思ったよりも冷静だった。だけどやっぱり怖くないわけは無かったし、酷く緊張していたのだと思う。


「私は大丈夫だったわ」


私はアッシュの背に腕を回した。自分とアッシュが無事に生きていることを実感したかった。


◇◇◇


私を誘拐した男は、アッシュに縛り上げられると騎士団に引き渡され、連行されていった。今回の事件は王の再従兄弟にあたる人物の差し金だろうが、十中八九企みが暴かれることはないだろうとのことだった。王の再従兄弟は元々アッシュが貰う領地を手に入れられる可能性があった人物だ。それを逆恨みして、私を攫ってアッシュをおびき寄せて殺そうとしていたらしい。


犯人は自分の意志で私を攫ったといい張っているらしい。首謀者である人物も捕まえられず、トカゲの尻尾切りで今回の件は終わってしまうだろう、とアッシュは申し訳なさそうに私に告げた。真犯人を暴けないのなら、また再びアッシュが危険な目に合う可能性があるということだ。そんな心配が顔に出ていたのか、自分は大丈夫だと言ってアッシュはくすぐったそうに笑った。


屋敷に戻った頃には時刻は12時をすっかり回り、日付が変わっていた。アッシュと屋敷に帰ると、雨が降っているというのにお父様とお母様と使用人たちが外に出て待っていた。たった数時間の誘拐ではあったけれど、大層心配させてしまったらしく、皆に泣かれてしまった。お風呂にご飯と皆が甲斐甲斐しく世話を焼いてきて、私をいつもより数倍甘やかしてくる。


大事な人々から思われていることを実感して、その温かさに少し涙が出た。幸せな思いに浸りながら、ぬくぬくと布団に入り込む。少し気が張っていたものの、布団の温かさでうとうととしていたところで、はたと思い返した。


「今日アッシュが出ていくんだった!!」


とんでもない大事件のせいで己のやるべきことが、頭の外にすっかり飛んでしまっていた。アッシュに心配されて、甲斐甲斐しく世話されて上がっていた気分が萎んでいくのを感じる。


私が想像していた以上にアッシュの敵は多い。ほとんどの貴族が唐突に爵位を賜ったアッシュのことを疎ましいと考えているようですらある。今のままではベットの上で当たり前の死に方ができない可能性が高い。


私はアッシュの温もりを思い出して、彼の執務室までの道のりをがむしゃらに走った。


「アッシュ!」

「お嬢様!?お休みになったのでは……」


執務室の扉を大急ぎで開けて、中にいたアッシュに駆け寄った。執務室は綺麗に片付けられ、荷物は端に綺麗にまとめられている。閑散とした室内に寂しくなり、たまらず私は声を上げた。


「アッシュ、私と結婚して!私を連れて行って!」


これを伝えたくて執務室に来たのだとアッシュに告げると、アッシュの眉間にじわじわと皺が刻まれていく。


「何をまた血迷ったことを言っているんですか。俺と一緒にいたせいで貴方に危険が及んだんですよ?」


アッシュは落ち着いたトーンで、諭すようにお説教じみたことを話し出す。いつもだったらちゃんと聞くけれど、今日はアッシュに譲る気はない。


「こんな目に遭ったからこそ言えるの。アッシュが危険な目にあう時には一緒にいたいもの。訃報だけ時間が経ってから聞くなんて嫌なの」


アッシュが大変な時はそばにいたい。死ぬ時は一緒に死に逝きたい。死なないように努力したい。


「シア……」


アッシュは狼狽えたように見えた。葛藤しているのか暫く黙り込んで、首を振った。


「……俺にだって選ぶ権利はあるんですよ。俺は貴方と結婚しようなんて気は微塵もありません」


言うに事欠いてアッシュは浮気宣言をした。素直じゃないアッシュの反応に、私はムッとした顔を抑えられなくなる。


「アッシュも私のこと好きじゃない!この白詰草の栞、大切に持ってるでしょう」

「!」


私は白詰草の栞を懐から取り出した。栞の中の白詰草は茎が円を描いている。これは小さい頃アッシュが白詰草の指輪を作って、私にくれた物を押し花にしたからだ。反対に私もアッシュに自分が作った白詰草の指輪をあげていた。そしてそれをアッシュが押し花にしたことを知っている。


「……何の話です?」

「しらばっくれるのね」


いつもの本が今日は本棚ではなく端に積まれた荷物の中にあるのを見つけた。本からは紫色の紐が出ている。その本を引っ張り出してアッシュに見せつけると、アッシュは露骨に目を逸らした。

本を大きく開くとはらりと栞が落ちる。栞には私が持っているものより、随分不格好な白詰草の指輪が押し花にされていた。不恰好な白詰草とは似つかわしくないほどに、栞の装飾は精巧なものだった。私の白詰草より劣化は少なく、綺麗なまま保管されているようだ。


「私よりもずっと大切に扱ってきたみたいね」

「それは――」


アッシュがまた冷たいことを言いそうな雰囲気を感じて、私はアッシュの唇を人差し指で塞いた。


「もう私を貴方の人生から締め出さないで。もし次に貴方が拒絶しても私は追いかけるわ!そっちのほうがむしろ危ないと思わない?」


一応お嬢様なのだから人を追うのには慣れてないのよ?と言うと、彼の表情がわずかに崩れたように見えた。

アッシュは唇を塞いでいた私の掌をそっと掴む。その手が一瞬震えていた。


「……困った人ですね。本当、困りました」


懐かしい、あの優しいアッシュの声だ。顔を上げて彼を見つめると、アッシュの瞳がどこか切なげに揺れていた。


「シア、貴方はずっと俺の宝物なんです。苦労なんてして欲しくない……なのに、貴方も俺を求めていると思うと、貴方を諦められなくて困ります」


アッシュはまるで迷子の子供のような途方に暮れた顔をしていた。小さい頃からアッシュは私よりずっと大人のように見えていたけれど、それはアッシュが大人であろうと振る舞ってきたからだったのだろう。奪われてばかりいた少年のころのアッシュを思うと、胸が締め付けられる思いがする。私はぎゅっとアッシュに抱きついた。


「諦めなくていいわ!アッシュ、これからは貴方が諦めなくてもいいように私が貴方を甘やかしてあげる」

「……シアには一生敵う気がしません」


困りきったようにアッシュは眉を下げているのに、つぶやく声は微かに笑みを帯びていた。次の瞬間、彼は私の背に手を回した。まるで壊れやすい宝物を守るような、その優しい力強さに、私は大きく胸が高鳴るのを感じる。


「アッシュ……!」

「前に言った言葉は撤回させてください。シア、小さい頃の約束通り俺と結婚してください。どんなことがあっても貴方を守りぬくと誓いますから」


アッシュの言葉に、私は強く頷いた。彼の胸の中で感じる鼓動は、私たちの新しい物語の始まりを告げているようだった。


◇◇◇


季節は春、柔らかな日差しが差し込む中庭で、アッシュは私の膝に頭を預けて横になっていた。手入れの行き届いた庭園には、満開の花々が咲き乱れ、甘い香りが漂っている。アッシュの額に手を置いて撫でるように手を動かすと、アッシュは私の視線に気づいたのか、見つめ返してくる。


「なんです、そんなにじっと見て?」


その表情は昔の冷たさを感じさせないほど、心を許した穏やかなものだった。


「幸せだなって思ったの。昔のアッシュだったらきっとこんなことさせてくれなかったでしょ」


昔は自分の出生のせいでずっと気を張っていて、私にこんな風に甘えてくれることもなかった。そうでなくても年下の私を甘やかしてばかりいて、自分が甘えることなんて考えも及んでいないようだった。


彼は少し照れたように視線を逸らした。その仕草が微笑ましくて、思わず笑ってしまう。


「仕える身でしたし、狙われてもいましたからこんなこと出来るわけありませんよ……今とは全然立場も状況も違う」


彼はそう言って起き上がるとそっと私の手を握りしめる。


アッシュは叙爵して領地を継いでからというものの、とても忙しい生活を送っていた。一時は嫉妬や恨みの対象として命の危機さえあった。領地の運営が回るようになり、他貴族との関係を築けるようになって、やっと腰を落ち着けて過ごせるようになったのだ。


最近、私たちは本当に小さなことに喜びを感じられるようになった。朝早く一緒に庭を散歩する時間や、夜に一緒に夜空を並んで眺めるひととき。それは決して豪華な暮らしではないけれど、私たちにとってはかけがえのない幸せそのものだった。


「アッシュ、これからもずっと私の傍にいるって約束して」


私が呟くと、アッシュは優しく微笑みながら小さく頷いた。


「もちろんです」


そう言って彼は、少し恥ずかしそうに私を見つめた。そして距離が近づき、目を閉じると、優しい口づけが降ってきた。


二人で笑い合いながら過ごす日々。幼き日の約束はこうして叶った。そしてこれからも約束は叶い続ける。

小さい頃の白詰草の指輪は、今はダイアモンドへ変化して2人の左手の薬指に輝いているのだった。










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