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9話

 噴水ではなくて、久しぶりの雨が降った。

 分厚い雲に遮られ日は届かず、家の中でも陰鬱な空気が漂っている気がする。激しい大雨で音も遮られていて、ミルスたちの声も聞こえにくそうで流石に作業はお休みにした。


 たまにはこんな一日があっても良い。

 なんて思っていたら次の日も同じような天気だった。


 噴水の日を含めると、計四日続けて水が降っていたことになる。



 さらにその次の日である今日。


 雨が上がったとはいえ、まだ雲は残りどんよりとしている。

 頻繁な噴水があってもへっちゃらなほど水捌けが良いこの地域ですら、明確に足元が悪くなっている。

 単純に動き辛いこともあるけど、それ以上に言葉に出来ない、不思議な嫌な感覚がある。


――そんな空気を読んだかのように、読まなくてもいいのに。まれびとのように、尋人がやって来た。まだ朝も早いというのに。


 ゆらゆらと、力が抜けた気力の無い歩き姿。


 そもそもこの農園に人がやって来ることはほとんどない。

 町からそう遠いわけじゃないけど、ここは人ではなくモンスター、ミルスの領域だとされているからだ。赤の他人にとっては、この農園に踏み入ることはダンジョンなどの危険地帯に突入する事と同じだと言われた事がある。


 にも関わらず、この男の人はやって来た。


「ミルス農園のリコさん、で、よろしいでしょうか」


 雰囲気通りに、深く沈んだ声。まるで生気が感じられない。


「はい、そうですけど……」


 気付けばユフィが隣にいてじっと男の人を見つめている。溜まった仕事を消化すると言って、米畑の方へ行っていたはずなのに。


「突然の訪問、申し訳ありません。茶色い、バナナのようなモノの産地がこちらだと聞いてやって来ました。可能であれば……いや、あるならば何とかして譲って頂きたいと思いやって来ました。代金は払います」


 用件は農園に訪れると考えると妥当なもの。だけど、生産体制に入っていない作物は基本的に一点もの。


「ありません。再生産の予定もありません」

「最後に一緒に、いや、僕が食べる分が無くとも構わないんです。ほんの一欠片で良いんです!」


 自分の都合で話すこの人の言葉は伝わりにくいけど、私には分かった。


 そう言われる気がしていたから。

 この町の立地を考えると、ないことじゃない。


「資料用に残している一片ならあります。そちらをお譲りするとなると、イル様の研究資料の提供となるため、非常に高額になってしまいます。構いませんか?」


 半分本当で半分嘘。

 このような状況も含めて、緊急事態用にとっておいてあるもの。イルちゃんの名前を出すのも、トラブル回避のために出すよう言われているだけで所有権は私のものでしかない。


「構いません」


 即答。

 決意の強い言葉。


「わ、分かりました。申し訳ありませんが、その場でお待ち下さい」


 なんとか言葉を出して、振り返り冷蔵室へ向かう。


「ありがとう……」


 背中から感謝の言葉が届く。

 まだ渡してないし、本来購入を思い留まらせるため気が引けるくらい法外の値段になっているというのに。


 思いの強さに、たまらず涙が溢れる。後ろからも、男の人のえづく泣き声が聞こえ始めた。


 一月ほど経過したバナナップルは、パッと見あまり変化がなかった。元々茶色かったこともあり、傷んだり腐ったりしても分からないのだろう。


「えと、見た目の変化は少ないですが、食べられるとは思いませんので、ご承知ください」

「ありがとう、ありがとう……」


 最初は何とか体裁を整えるために我慢していただけだったのか、男の人は涙と鼻水を垂れ流している。見てるこっちが辛い。

 取り引きを終えて帰るところへ「お気をつけて」と声をかけ、見送る。


「ミャー」


 ユフィに抱き付く。


 農園で仕事をしていて、することになるとは思っていなかった取り引き。


――お供物。最後の思い出の品の、提供。


 一点ものである食材だからこそ、記憶に残り話題になる。『ユグカプローコ』での食事は、立地上冒険者たちが最後にとるまともな食事となり、最後の贅沢になる可能性がある。


 この町は、町自体の安全性は高くとも周りには危険が多い。


 東には水山とそれを囲う森。南東にかけては非友好的なエルフが住み『禁忌の森』と呼ばれ、北東にはミルスたちが住む。ミルスたちの住処を含め北側一面に広がっている森は『禁断の森』と呼ばれる、上級冒険者が挑む秘境の地。


 危険地域に接しているにも関わらず、この場所はポッカリと空いている安全地帯で、各地へ向かう冒険者が立ち寄ることもある。

 どこもうま味のある狩場というわけでもないから冒険者が集まるような町にはならず、観光で稼ぐような町。それでもたまに北へ向かう冒険者が来て、今回みたいなことが起きる。


 冒険者が冒険者である以上、逃れられない悲劇。


 長く信頼関係にある冒険者パーティは絆も強いからこそ、仲間が欠けたときのショックも大きい。弔いに出し惜しみもしないから、私の農園にも時々こうしてお金に糸目を付けずお供え物を買いにやって来る。


 人が死に、悲しむ人がいる。

 当たり前のことだけど、それに直接触れるとこっちまで悲しくなる。それでも無視なんて出来ないし、かと言って気を使い過ぎていると成り立たなくなる。上手く折り合いを付けるしかない。




「うわー、雨降ってるなとは思ってたけど、思った以上に酷かったんだ。こんな風になるのは珍しいね」


 午後にはイルちゃんが遊びに来た。ぬかるんだ足元を気にしてる。


「……ポッキー食べる?」


 普及し始めたとはいえまだまだ高価なチョコ菓子を差し出してくれるイルちゃん。もう落ち着いたはずだけど、何か感じるところがあったんだと思う。


「今はいいや。ありがとうね」

「そっかー、リコちゃんもダメか。意外と受けが悪いんだよね。やっぱチョコワームってのがダメなのかな。私は気にしないんだけど、あのキショい見た目のモンスターから摂ってるって考えると抵抗あるのかな」


「え、待って。それ私知らない」


 気を使ってくれてると思って遠慮して断ったんだけど、もしかしてナイスな回避した?

 未だにカカオの発見が望まれてるとは聞いてたけど、その原因が原材料への忌避感だとは知らないぞ。


「チョコみたいな甘い臭いで獲物を誘因して罠にはめる、アリ地獄みたいな生態のモンスター。基本はムカデみたいな形で、細かくは言わないでおくけどプニプニワシャワシャしてる」


「ひえっ」


 ちょっと想像してしまった。


「その臭い袋のエキスが、ほとんどチョコそのものみたい。でも一体当たりの量がそれほど摂れないから供給が少なくて、値段が下がらないんだってさ。しかも当初望まれてたほどこのチョコを買おうとする人もいなくて、売れ残ったりで利益率が悪くて生産者側も大変なんだって」


「そ、そう」


 私はまだそのモンスターを見ていないからマシな方だとは思うけど、その話を聞いてしまうとまず食べたいとは思わない。


「転生前だって着色料に虫とか使ってたはずだけど、そんなに嫌なもんかね。デカいのがダメなのかな?」

「知らないから口に入れてただけで、知ってたら食べないって人も結構いたと思うよ……」


 そういう噂は聞いたことあるけど、実際に何に使われているか私も知らなかったし。知りたくなかったってのもある。


「へぇー、そうなんだ」


 イルちゃんは素敵な人だけど、何かズレてたりする。学者肌っていうのかな?それだけじゃないけど、そういうとこもある。


「あ、土の状態見たいんだけど良い?魔素の具合とか見てみたい」

「ああうん」

「あと植物の状態も気にした方が良いと思うし、ミルスたちによく確認しておいてね。ついでに今度なんだけどさ」



 そんな風に続けざまにイルちゃんの相手をしていたら、あっと言う間に日が暮れ始めていて。


 イルちゃんが帰ってから、落ち込んでいたことを思い出した。


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