1話
朝、窓から入り込む日差しで目が覚める。曇りの日は遅れちゃうかもしれないけれど、曇りの日なら洗濯ものをしないから大丈夫。
軽く体を伸ばして、傍らで一緒に寝てるほんのり小麦色をした大きな毛玉、ユフィを起こす。私がベッドに入ってからユフィも入ってくるから、ユフィをどかさないとベッドから降りられない。
丸くなってるから毛玉だけど、起きたらしっかり大型犬くらいの動物になる。
でも、ユフィは犬でも猫でもない。たぶんカーバンクルとかそういうやつ。額に宝石はないから実際は違うんだろうけど、じゃあ何と表せば良いのかは分からない。
兎と狐の間かな?一応ミルスと呼ばれる種類だけど、ミルスの見た目は決まってないから結局だ。
「ほらユフィ、早くしないと落としちゃうぞー」
なんて、そんなことしないけど言ってみる。
ユフィはまだ寝ていたいのか、肉球でシーツを掴む。こちらも負けじとユフィの体を揺らす。観念したのか、渋々といった感じでのっそり起き上がり、あくびを一つしてからピョンと飛び降りる。
「んーっ!」
私も足を下ろして立ち上がり、改めて伸びをする。
まずは洗濯ものかな、と思ったけれど、よく見ると外は雨が降っている。近くの水山が噴水したのだろう。快晴でも水が振るのは、ここではよくあること。
水山の水は栄養価が高いのか、おかげで農作物が良く育つ。良いことばかりじゃないけれど、私の農園はこの水があってこそだ。
いつから降り始めたか分からないけれど、噴水は長くても数時間。洗濯ものは少し先送りにして、農園の方を見て来よう。
とりあえずは顔を洗って、サッパリさせる。私の濃い茶髪も今のユフィくらい柔らかい色の方が可愛いかなーと思う。
朝の準備をしたら外に出て、頭の上に傘を広げる。青味がかった透明の、魔法の傘。手で持つ必要がないから楽ちんだ。横のユフィは傘じゃなくて防水魔法を使いながら、私と一緒に歩き始める。今日は付いて来るみたい。
防水魔法の方が使い勝手が良さそうだけど、傘の魔法より難しい。それに傘の魔法は見た目にも楽しいから、私はこっちの方が好きだ。
傘にしろ防水にしろ、雨対策の魔法はこの地域に住む人は大体使える。噴水がいつあるか分からないし、使えないと傘を持ち歩くことになって不便だ。
農園には、統一感なく様々な野菜や果物が成っている。色とりどりの作物に付いた水滴が日差しを反射して、それだけで虹みたいに綺麗だ。
「ミャ~」
ユフィはまだ少し眠そうだけど、美味しそうな作物を見て喜んでる。綺麗よりも美味しそうが先に来るのが食いしん坊のユフィらしい。
ユフィの声を聞いたからか、作物の間からミルスたちがひょこひょこと顔を出す。それぞれ色も形も違うけど、みんな同じミルス。不思議な生き物。
ここのミルスは野生だけど、すっかり馴染みの顔。なんて、野生なんて言っちゃうと怒られちゃうけどね。ミルスたちからすれば野生も何もなくて、みんな普通に暮らしてるだけ。野生の人間がいないのと同じことだ。
ユフィは私と一緒にいてくれるけど、これも飼ってるわけじゃない。大切な仲間。誰かがユフィをペット扱いしたら私は怒る。そんな人ここには来ないけどね。
「あれ、何だろう」
見たこともない黄色い茎と葉の植物が増えている。ミルスの誰かが植えたのだろうけど、傍に姿が見えないし、放っておくとすぐ枯れちゃうかもしれない。
ぬかるんでる土を長靴で進んで少し近付いてみる。
「この黄色いやつ知ってる子いるー?」
近くにいるミルスたちに聞いてみるけど、みんなは首を横に振る。常連さんたちの仕業ではないみたい。
本当は作物は同じ種類をまとめて育てた方が効率的だけど、ごちゃごちゃになっているのはこういう理由がある。みんな育ててみて欲しい植物を勝手に植えて行っちゃうのだ。
でもこれは悪いことじゃなくて、ミルスは自分が植えたからにはしっかり世話もしてくれる。どちらかというと、私が助けてあげてる便利屋さんみたいなもの。ミルスは自分の植物を世話した上で、手伝っている私への恩返しとして他の植物の世話とかも手伝ってくれる。
本当はミルスの方が育てるのは上手いんだけど、抜けてる部分があったりお出かけしている期間があったりで私の存在が嬉しいみたい。
あとは、素敵な植物を一緒に育てることが楽しいからだ。
ミルスたちにユフィみたいな食いしん坊は珍しくて、味見はしたいけど沢山は食べないという子が多い。おかげで私は残りを頂いて、ヘンテコな農家としてやっていけるのだ。
グルっと農園を周りながら黄色い植物を植えたミルスを探してみたけど、やっぱり見つからない。ユフィはやれやれという感じで、森の方へ向かって行ってくれた。森の中に住むミルスたちに聞きに行ってくれるのだろう。足の遅い私が付いて行ってもしょうがないので、大人しく作業をして待つことにする。
既に魔法を消していたユフィの後ろ姿を見て気付いたけど、雨はもう止んでたみたい。
「これはもう良い感じ、かな?」
植え主であるミルスに収穫時期なのか聞いてみるけど、「多分?」と言うように首を傾げられてしまう。この子にとっての食べ頃と、私にとっての食べ頃が一致していないから答えようがないんだと思う。この子自身は実が付いてすぐ、色が薄く大きくなる前に食べていた。それでも自分なりに教えてくれるミルスに「ありがとうね」と感謝を伝えつつ、収穫する。
この紫色のトマトはどんな味がするのだろう。トマトとは全然違うかもしれない。楽しみだ。
紫トマトの収穫が終わるタイミングで、しゃがんでいる私の膝をペシペシと叩く、垂れた耳が可愛い桃色のミルス。付いて行って、次の場所へ。
向日葵のように真っすぐ高く育った植物が、大きな真っ赤な花を咲かせている。
「ピピィ」
高い位置にあるから採って欲しいみたいだ。よく見ると、花の中に実みたいなものがある。桃色ミルスの言う通りに後ろに回ってから花の根本を素早く切って、地面に置いてあげる。
ピキッ
変な音が鳴ったかと思うと、花の部分が萎れて実だけがそのまま残る。
何が起こったか全く分からなくても気にしない。必要なら教えてくれるはずだし、一度切りになる植物が多いからいちいち教わっても仕方ない。
きっと、私ほど何も分からないままやっている農家は他にいない。
桃色ミルスと一緒に味見した実の味は苺のようで、舌触りはとろける桃のよう。甘く美味しく、頬も一緒にとろけるようで幸せになった。もっと食べたいけど、量が少ないので残りはとっておこう。
量産出来るならしたいけど、これはきっと無理。桃色ミルスがしっかり世話をしていたから、私だけでどうこう出来るような種類じゃない。
私、”莉子”……いや”リコ”は、この世界『エベナ』に転生してからずっと、こんな感じで分からないことだらけのまま過ごしている。
収穫作業の朝の部が終わった頃、ミャーミャーとユフィの声が聞こえてきた。
声の下まで行くと、ユフィと一緒に黄色いもじゃもじゃした毛が特徴のミルスがいた。ユフィの小麦色よりもハッキリした黄色で、目の黒色も含めてバナナみたいな色合いだなと思った。
「あら、黄色い植物の犯人さん?植えて行くのは良いけど、手入れのやり方を教えてくれると嬉しいな。それとも、放ったままでも大丈夫なやつ?」
水山の噴水もあるしここは良い土壌が整ってることもあって、ほとんど何もしなくても平気だという場合もある。ミルスによっては必要なことだけを私にお願いするという場合もあって、そういうのも含めて一旦は手出し無用と言われるのは珍しいことじゃない。
黄色いミルスはフルフルと頼りなさげに顔を振る。事情は分からないけど、何やら怯えている感じがするので次の言葉を出さずにじっと待つ。ここにやって来るミルスは元気な子が多いから、こうした子は初めてかもしれない。
「もし良かったら食べる?」
話題を変え、先ほど収穫した苺の味がする花の実をお皿に乗せ出してあげる。ミルスたちが必要とすることがあるので、器とか小道具は色々常備してある。
慎重に口を付けた黄色いミルスは、その味を知ると一気に食べきった。とはいえ、ほんの一かけらではあるのだけど。
それで信用を勝ち取れたのか、緊張がほぐれたのか。「ナゥナゥ」と鳴いて、事情を教えてくれた。
この黄色い子は他のミルスよりも幼いのか、この植物についてよく分からないまま植えちゃったらしい。それで放ったらかしでどこかへ行っちゃったと。ミルスの間でも良くないことだったらしく、ユフィにしこたま怒られたみたいだ。
「ナゥー……」
謝ってくれるのは良いんだけど……。結局あの植物をどうすれば良いのか分からない。
ユフィに聞いてみても首を振られるし、困ってしまう。ミルスは個性が強いから、興味がある植物、分かっている植物もそれぞれ違う。他のミルスに期待しても仕方がないと、私も経験から知ってる。
こんな時に頼りになるのは、大体決まっている。
選択肢にいるのは、ミルスの王様か、エルフさんたちか、イルちゃん。
王様に関しては、このくらいのことで相談しても相手にしてくれない。偉いだけあって、もっと大きいことじゃないと動いてくれない。エルフさんたちはお礼に食べ物が山ほど必要だから、これもあんまり気軽に頼れる人たちじゃない。
となると、やっぱりイルちゃんだ。
イルちゃんは私の友達で、お得意さんでもある。
錬金術に色んな素材が必要みたいで、私のとこの作物もよく使ってくれている。帰る前に味見って言ってたくさん食べちゃってるけど、貴重な素材になるみたい。私よりもよっぽど色んな事を知っているから頼りにもなる人だ。
色々知っているからと大抵イルちゃん頼りにしちゃってるから、ちょっと頼り過ぎかもしれない。代わりにいっぱいおまけすることにしてる。
そうと決まればイルちゃんに連絡しないといけない。ふもとの町に行かないと。
町に行きイルちゃんを呼ぶことをユフィに伝え、そのまま町の方へ駆け足で下りる。
「ほっほっ」
私の家は丘の上にあるから眺めも良くて気持ち良いんだけど、こういう時はちょっと大変。おかげで私の足腰はバッチリ鍛えられちゃった。農作業のせいでもあるけどね。
道は噴水で濡れているけど、私の長靴は魔法で加工してあるから簡単に滑ったりはしない。水山と上手く付き合って行くために、この地域に住む私たちは十分適応しているのだ。
町に着いたら早速掲示板の方へ向かう。この魔法の掲示板は、この世界で貴重な連絡手段だ。魔法の力で他の掲示板と同じ書き込み内容になるみたいで、どんなに遠くまでもあっという間に伝わる。電話やインターネット代わりになる。
[リコ:イルちゃんへ。知らない植物があるから教えて欲しい!]
よし。これでイルちゃんが気付いてくれれば、暇な時に来てくれるだろう。
イルちゃんはこの町に住んでるわけじゃなくて、水山の向こう側に住んでいる。私なら行くまでにどれだけの日にちが必要か分からないくらいだけど、イルちゃんならあっという間だ。
用事が済んだので、ついでに商店街を歩いて買い物をしていく。
この町はカラフルなガラス細工があちこちに配置されていて、色鮮やか。特に商店街を含む人通りの多いところは気合いが入っていて、何も用がなくたって楽しく歩ける。今は用があるんだけどね。
野菜や果物は買わなくてもたくさんあるけど、お肉は買わなきゃ。ユフィも結構食べるから、味よりも量を優先して買う。それでもしっかり美味しいやつを買えるから嬉しい。
ミルスみたいに色んな生き物が住んでいるこの世界では、畑はしょっちゅう荒らされちゃう。そのせいでお肉よりも野菜の方が貴重になるみたいで、私は悪くない暮らしが出来ている。
私の場合は周りに住んでるのがほとんどミルスだし、そのミルスと協力して農園をやってるから問題ないのだ。
「あ、お魚もあるんだ」
お魚もお肉より貴重。前はもっと数も種類も少なくて、お魚というだけで高級品だった。開拓が進んで手に入るようになったみたい。私みたいにちょっと変な方法で手に入れてるだけかもしれないけど。
この世界は、転生者を大っぴらに受け入れている。
私が来た最初の頃は町とかも少なくて、正直あまり良い暮らしは出来なかった。でも、開拓が進んで行くに連れて色んな事が出来るようになったし、色んな美味しいものが食べられるようになった。
私の農園も、そんな風にみんなの生活に彩りを加えられていれば嬉しい。
ちょっと奮発してお魚も買って、家へ戻ることにする。