無邪気な愛
今は泣いてもいいんだよ ぽたぽた落ちるその涙
怒りぶつけてドカンといこう 胸のもやもや吹き飛ばせ
トントン響く朝の音 キラキラ輝く陽射しのもと
今日はきっと素敵な日 ホカホカ笑顔で始まるよ
ザワザワ心が揺れる時も フワフワ雲に乗せてみよう
君の歩幅で進めばいい ポカポカ未来が待っている
高速道路を走る車内で、カーステレオから能天気な歌が流れている。最近、朝の子供向け番組で可愛いアニメと一緒に放送されている曲だ。
「なんか元気をもらえる」とか「一日がハッピーに感じられる」といった声が上がり、子供だけでなく幅広い世代で人気を集めている。幼稚園のお遊戯でもこの曲で踊ることが多く、ネット上には「踊ってみた」動画が数多くアップされている。
鬼嗣は助手席で後ろの二人に気づかれないように舌打ちをした。
完の異父姉弟である真実がこちらをチラリと見ている。不愉快そうな鬼嗣の様子を気にしているようだ。
もっとも、真実が意図的にこの曲を流しているわけではない。流行の曲がランダムに再生される設定にしているだけで、わざとではないのは鬼嗣も分かっている。しかし苛立ちを覚えるのは止められない。
大学受験を無事終えた完、仁、鬼嗣の仲良し三人組は遊園地に行くことになった。だが、なぜか完の姉として過ごしている天部の真実も同行している。
運転は真実が担当し、体格の良い鬼嗣は助手席に座っている。
後部座席にいる完と仁はこの曲が好きなようで、楽しそうに聴きながら遊園地でどう過ごすか相談していた。
「昇天コースターとかみんなは乗りたいだよね? 俺待ってるから、三人で乗ってきてよ」
鬼嗣としては、名前もふざけたようなそのコースターに乗りたいとは思っていなかったが、この遊園地の目玉アトラクションを避けるのも不自然な気がしてしまう。一気に最初から高スピードブチ上がり、その後激しい上下を繰り返すというもの。乗ると気分がブチあがるとコースター好きの人には大人気なコースター。
「ん〜、実は私もあそこまでのコースターは怖いのよね。だから、完くんと鬼嗣くんの二人で乗ってきたら?
仁くん! その間、私とブンブンハニーハント乗らない? あれ、見た目と違って結構動きが派手で楽しいらしいのよ。友達か彼氏と乗ると、ギューっと体を寄せ合う感じになって最高!って聞いたことあるの」
「えー! そんなの、俺なんかと乗っていいんですか?」
「お互い後学のために!」
真実は大らかで陽気で、無邪気に周囲を振り回すように見えるが、実は冷静に周りを見渡し、気遣いを忘れない人物。
基本的に魂の救済を目指す天部だが、真実は情熱と冷淡さを絶妙に併せ持っていた。
彼女は完の父親について、「自己中心的で、己の愚かさに気付くことすらなく、無意識に人々を不幸に巻き込む魂。更生の余地なし」と断じ、天部でありながら赦門界送りの申請を通してしまった。
赦門界は地獄の一歩手前の世界。ここで魂は本当の意味で贖罪の行動をとらねば地獄に落とされる。
赦門界送りとは、優しくない鬼が管理していることもありほぼ地獄行きを意味する裁定であり、通常、天部はこれを避けたがる。 事実上の下獄と同義であるため、赦門界送りはここでは「下獄」と称されるくらいである。
通常、下獄の決定は鬼が下し、その判断に従って担当の天部が手続きを進める。しかし、このケースでは真実が積極的に鬼へ働きかけ、下獄を推し進めるという異例の手続きとなった。
以前、鬼嗣が彼女を少し煽ったこともあったが、実際に行動に移すその豪胆さは並大抵のものではない。
現在では完の父親の恋人だった女性と、真実、そして完の三人で穏やかな生活を築いている。
母親の死の原因となった女性と父親との間に生まれたとされるその娘とされる真実との共同生活。無茶苦茶な状況だが、その女性が実の母親以上に深い母性愛を持っていること、そして完も義母も優しい性格であることで、平和な関係が構築されている。
とはいえ、そこまでの状況にするのは簡単な事ではなかっただろう。
互いに蟠りを生む要因となり得るものを、真実が絶妙に掻き回し、表面化させた上で、最終的には二人に受け入れさせる方向へと導いた。その手腕は見事だった。
四人でいるときは「お姉さん」を気取って接しているが、その中に鬼の界長の一人である鬼嗣がいるという状況は、彼女にとって仕事がしづらい環境だろう。
しかし、天部にありがちな過保護な一面が、今回の遊園地への同行につながったようだ。
鬼嗣がいる以上、何か問題が起きることはないだろうが、以前鬼嗣が彼女をからかいすぎたことが尾を引いているのか、また完に対して何かするのではないかと疑っているのかもしれない。
車がサービスエリアに停まると、トイレを待ち侘びていた仁が勢いよく走り出した。それを見て笑いながら、完と鬼嗣も追いかける。
三人でトイレを出て、ショップを覗こうと移動していると、鬼嗣の目の端に真実の姿が映った。
買い物を楽しむ完と仁から離れた鬼嗣は、コーヒースタンドでコーヒーを二杯買い、真実のもとへ向かった。
彼女はサービスエリア内で楽しそうにしている人達を、どこか穏やかで愛おしそうな目で眺めている。
その表情には、魂を慈しむ天部の気質というより、ただ人間そのものを愛しいという素直な感情が滲んでいた。
鬼の界長である鬼嗣に対しても、臆せず己の信念を貫き抗議の姿勢を見せた彼女に、鬼嗣は少なからず感心していた。
コーヒーを片手に近づくと、鬼嗣は気軽に声をかけた。
「真実さん、お疲れですよね? よかったらどうぞ」
鬼嗣は弟の友人役として振る舞いながら、コーヒーを差し出した。
「恐れ多いことでございます。このようなお心遣いを賜り、恐縮の極みです」
真実は一瞬驚いたように目を見開き、お礼を述べながらコーヒーを受け取った。
「こないだ俺に怒鳴り込んできたくせに、今さらそんなに畏まることもあるまい」
鬼嗣が意地悪そうに笑いながら言うと、真実は目を逸らす。
「いえ、先日は大変失礼な態度を取りまして、申し訳ありません」
「それくらいの気概で任務を遂行しているってことだろう? 頼もしい。
お前みたいな天部だから、魂を安心して任せられる」
鬼嗣の柔らかな声に、真実はさらに目を逸らしたが、その口元にはかすかな微笑が浮かぶ。
二人は静かに、サービスエリアで楽しそうに過ごす人々の姿へと視線を巡らせた。
流れてくるのは、あの能天気な歌
今は泣いてもいいんだよ ぽたぽた落ちるその涙
心の痛みを洗い流して そっと軽くなればいい
怒りは風に乗せてもいい ドンドン響け強い声
空に放てば届くから きっと気持ちも晴れるはず
朝になれば光が射す キラキラ明日が君を待つ
ホカホカお日様包み込む 君の未来は明るいよ
雨上がりには虹が出る ザワザワ心も晴れてゆく
フワフワ漂う雲の向こう 君を迎える青い空
鬼嗣が大きく息を吐くと、真実はその様子をじっと観察していた。
「鬼嗣様はこの歌がお嫌いですか?」
少し首を傾げながら真美は問いかける。
「貴方様らが安寧界で使用されている歌を、こちらにも流すように働きかけたと聞きましたが」
鬼嗣は小さく笑って首を振った。
「働きかけたのはお前たち天部側の長だ。俺は反対はしなかっただけで、別に何もしておらぬ」
真実は眉をひそめ、考え込むように唇に手を添えた。
「歌が得意な天部の作品と聞きましたが……歌声も歌詞も素敵だと思います。何か気がかりなことでも?」
「天部じゃない、堕天部だ」
鬼嗣は溜め息を吐く。
「この界の魂を界の外に連れ出すという愚行をした奴だ」
その言葉に、真実は目を大きく見開いた。まるで信じられないことを聞いたかのように、驚きがそのまま顔に出る。
「その魂はこの界にふさわしくなく、天国こそが居場所だと言って連れ出したらしい。
無駄に行動力のある無知な奴だ」
鬼嗣は肩をすくめながら続けた。
「そ、それは……」
真実は戸惑いながらも、驚きを隠せず目を泳がせる。
鬼嗣はその反応を一瞥しつつ、淡々と話を続けた。
「現世ではカリスマ的に人気のある歌手だった。
天賦の才。今時の言葉で言うならギフテッドだな。若い頃から才能を開花させ、歌で人に愛や夢や希望を与え愛された人物だ。彼女の歌で自殺を踏みとどまった人もいるとかいないとかも聞く。
善き性格ではあるが、早い時期から活躍したせいか、世間知らずのまま無邪気な大人になったような奴だったらしい」
彼はわずかに皮肉めいた笑みを浮かべながら、続けた。
「しかも最後は、車に轢かれそうになった子供を救って命を落とした。
そういう経緯もあってまっすぐ天国に迎えられた。
魂そのものも無垢で、妙にキラキラしてる。見てるだけで目が痛いくらいだ」
「それは……逆に天部に向いている方のようにも思えますが」
真実は慎重に言葉を選びながら返す。
「天国行きの魂としては相応しいであろうが、天部には向かぬ」
鬼嗣は即座に否定した。天音光の死後、その助けられた子供と家族は世間から激しくバッシングを受けて大変な目にあった。生前から衝動的行動が更なる混乱を生み出す人物だった。
額に手を当て、少し面倒くさそうに首を振る。
「そもそも、天部は馬鹿ができる仕事じゃないであろう?
悪人ではないが、俺は馬鹿と無知と能天気が嫌いだ。だから、この曲も気に入らぬ」
鬼嗣の言葉に、真実は少しだけ苦笑した。その表情には鬼嗣の言い分に納得しつつも、天音光への同情がわずかに滲んでいた。
一歩ずつでいいんだよ トントン進めばそれでいい
振り返れば道はできる 君はちゃんと歩けてる
疲れた時は休めばいい ホカホカ陽だまり見つけたら
そこで少し深呼吸 未来はきっと味方だよ
モグモグ食べよう大好きな ご飯は元気の種になる
お腹が満たされ温かく 心もポカポカ広がってく
疲れたらスヤスヤ眠ろうよ 夢の中でひと休み
朝が来ればリセットできる また新しい一歩から……
黙り込んだ二人の耳に、例の能天気な曲が流れ続ける。
真実は目を細め、楽しげに周囲の人々を眺めている。
「私はこの曲、好きですよ。嘘のない真っ直ぐな愛と、誰かへのエールの気持ちだけで作られたのが感じられるから……なんか、素直に胸に響くんです」
鬼嗣はフッと鼻で笑った。
「確かにな。無駄で真っ直ぐで……そんな表現では足りんな。無鉄砲なまでの素直さが、言葉や音にそのまま現れてる」
真実は目を細めて鬼嗣を見上げる。
「鬼嗣様、意外にこの曲を気に入ってるのでは?」
「どうだろうな」
鬼嗣は背筋を上げてコーヒーを口に運び、目を細めた。
「まあ、俺は『純粋さ』ってのは、燃料としては素晴らしいが、制御の効かんエンジンにもなると思ってる。特にこの曲を作った天部のような奴にはな」
真実は一瞬戸惑った表情を見せる。
「それでも、結果としてこの曲は人々を幸せにしてるではありませんか」
「そうだな。だが、幸せを与えるだけが正しい道と言えぬだろう?」
鬼嗣は遠くを見つめ、低い声で続けた。
「人を導く者が、ただ無邪気に笑顔を振りまくだけで相手も幸せになる。それは幻想だ。
まっ俺の仕事でもないし、そういうものに興味がないが……」
ここで鬼嗣は真実に視線を戻し、わずかに微笑む。
「無垢な奴らがつくる世界ってのも、悪くないなと思う時ある。
だが、それは、お前たちという存在が見守りが支えてるからこそ、だろう?
この堕天部は、こうして少し距離のあるところから一方的に愛とエールを振り撒かせる。
これが彼奴の才能を一番有効的に活かす形なのだろうな」
皮肉の混じる鬼嗣の口調に、真実は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「でも、そういうふうに自分の力を惜しみなく使えるのって、素敵だと思います」
真実は足元に目を落とし、小さな声で呟いた。鬼嗣はその言葉に特に返事をすることなく、コーヒーを一口飲んだ。
曲はサービスエリアの喧騒の中で薄れたり響いたりを繰り返す。
鬼嗣は楽しそうに天音光の曲を口ずさむ子供を連れた家族連れを一瞥しながら呟くように言った。
「まあ、能天気さが合う場面もある、ってことかもな」
その言葉に、「そうですね」と答え真実は笑顔を見せた。二人の視線は向き合うことも無く、周囲の人々の様子へと向けられていたまま。
サービスエリアにいるそれぞれ魂は傷を受け青色を帯びているが、ここでは皆楽しそうで笑っている。
完と仁が買い物を下げて二人の前に戻ってくる。二人の魂もこの界に来た当時に比べかなり青みが引いている。
「ごめん、もしかして待たせた?」
完の言葉に、鬼嗣は小さく肩をすくめる。
真美はにっこりと笑い、飲んでいたコーヒーを掲げるように持ち上げた。
「現在、私自身にガソリン給油中♪」
その言葉に、完と仁はほっとしたように息をつく。
「そうだ、帰りにサービスエリアに寄るか分からないから、義母さんへのお土産を買っておいたんだ。これなんだけど……」
完が下げているレジ袋を見せると、真実が覗き込み、目を輝かせた。
「あっ、可愛い! お母さん喜びそう!
ねえ、半額払うから、便乗させてくれない?
二人からのプレゼントってことにしたいんだけど」
少し驚いたように眉を上げた完だったが、すぐに「いいけど」と頷いた。
頼子と完は、まだ普通の家族として馴染んでいるとは言えない。
おそらく、お土産を渡すときも、ぎこちない空気が流れるだろう。
だが、双方と血のつながりがあることになっている真実が加わることで、そのぎこちなさを和らげようとしている。
彼女なりの気遣いが見える。
その様子を見て、鬼嗣は目を細める。
「ん? 鬼嗣、どうかした?」
完が不思議そうに視線を向けてくる。
鬼嗣は軽く肩をすくめ、ぼそりと呟いた。
「いや、姉弟仲が良くて、ええのう」
その言葉に、完は視線を逸らしながら呟く。
「そんなんじゃないよ……」
一方、仁はのんびりと相槌を打った。
「俺も一人っ子だから、ちょっと羨ましいなあ」
それを聞いて、真実がぱっと顔を輝かせ、仁の方へ身を乗り出す。
「弟の友達って、もう弟みたいなものじゃない? 仁くんも私のこと“お姉ちゃん”って呼んでくれていいのよ!」
「はぁ?」
完は呆れたように眉を寄せる。
「“お姉ちゃん”なんて、俺、一度も言ったことないだろ」
真実はわざとらしく悲しげな表情を作り、肩を落とす。
「そうなのよ。完くん、照れ屋だから絶対言ってくれないのよ。
だから、仁くんから”お姉ちゃん”って呼びかけ運動を始めて、完に伝授してくれない?」
「えっ……」
仁は困ったように、完と真実の顔を交互に見比べる。
鬼嗣は、そのやりとりを静かに眺め笑った。
鬼嗣自身はもともとごく普通の高校生男子というキャラクターとはかけ離れている。だからあえて演じて二人と接している。
だが、こうして他愛ない会話を楽しむのは、案外嫌いではなかった。
天部の連中は、役割を演じるのではなく、本音で魂たちと向き合い、愛を投げかけている。
そこは感心するしかない。
仁が困惑しているのを見て、真実はおどけたように肩をすくめた。
「まあまあ、冗談よ。
けど、いつか“お姉ちゃん”って呼んでくれる日を楽しみにしてるから! 二人とも!」
仁は困ったように笑い、完は「それはないな」とそっけなく返したが、その表情はどこか穏やかだった。
「よし、揃ったから出発しようか!」
完の言葉を合図に、車に乗り込む。
サービスエリアの喧騒が少し遠ざかる。
エンジンがかかり、車はゆっくりと走り出す。
窓の外には、雲ひとつない青空が広がっている。
陽の光が静かに降り注ぎ、彼らの進む道を照らしていた。
〜〜fin〜〜
これにて、コチラの物語は完結です。
楽しんで頂けたでしょうか?
最後までお付き合い頂きありがとうございました。




