怯えた子供
私は穏やかな陽射しの中で大きく息を吐く。
なけなしの気合を入れて笑顔を作り扉を開けた。
そこは青空の壁紙に緑の毛足の長い絨毯。ベッドヘッドがウサギさんになっている可愛い白いベッドとぬいぐるみの乗ったフッカフカのソファーがある。
観葉植物もいっぱいある日当たりのいい素敵なお部屋。
「未生ちゃん、起きてる?」
明るい声を意識して呼びかけると、ベッドの中で丸まった小さな影がぴくりと動いた。私の姿を認めると、未生ちゃんは身を縮め、うさぎのぬいぐるみをさらに強く抱きしめる。その手は、微かに震えている。
「今日のご飯、可愛いの♪ ほら、ウサギさんのホットサンドだよ」
私は笑顔を作りながら、トレイをベッドの脇に置いた。けれど未生ちゃんの視線は、サンドイッチではなく私の顔をじっと伺う。まるで、次に何かされるのではないかと恐れているように。
怖がらせないように笑顔でゆっくり近づく。
未生ちゃんはギュッとウサギのぬいぐるみを強く抱きしめ私の様子を伺っている。
ウサギの焼き目のついたホットサンドど蜂蜜入りのホットミルクと手でも食べられるスティックサラダ。見た目も可愛くて女の子なら声をあげて喜ぶようなランチ。
未生ちゃんは大人である私への恐怖があるようでチラチラと私の顔色を伺っている。未生ちゃんの顔は青痰が痛々しく、ワンピースから見えている腕にも包帯が巻かれている。腕だけではなく未生ちゃんは背中まで火傷が広がっている。
私は出来る限り未生ちゃんから身体が小さく見えるように床に座り目線を低くして笑いかける。
「ご飯食べて、元気になろうね」
「はい」
しっかり注意しなければ聞こえないような小さい声で未生ちゃんは答える。
命令しているわけではないのに、未生ちゃんはお腹が空いたからではなく言われたから食べているそんな感じでホットサンドを震える手でもち食べ始める。
「今日も外はいい天気だね〜
元気になったら何したい?」
そう声かけても怯えたように私をみるだけで答えない。
安寧界で私がお世話をしている子供は未生ちゃんだけでなく皆どこかしら怪我をしていて何かにいつも怯えている。
男性が怖かったり、大人全般が怖かったり、怒鳴り声が怖かったり、暗闇が怖かったり、ここは心に深い傷を負って亡くなった子供の為の世界。ほとんどの子は虐待されて殺された子供達。
初めてこの子達を見た時、何故怪我を治してあげないのかと私は担当の天部に訴えた。
天国では怪我しても早くて一時間、遅くても一日で完治していたから。
「この子たちの怪我は、傷ついた魂から沸き起こっている怪我なので外部からは治せないの。あの子達の魂の傷を癒す事でしか治せないの」
悲しそうに天部は教えてくれた。
つまりはこの子達の心が元気にならないと、怪我は治らない。
世界を拒絶している程傷付いた魂を癒すなんて無理ゲーでしかない。
最初の時は、私が強い愛を持って接したら子供達は元気になってくれるだろうと少し簡単に考えていた。
天国でも私は、居るだけで場が華やぎ明るくなるムードメーカーとして人気者だった。
でも私の笑顔は全く子供達には届かない。子供によっては私の言葉が届いているのかも分からないほど反応もない。
傷だらけの身体で震えていて、寝ていても悪夢に魘されている。
そんな子供に対して私はあまりにも無力だった。
そんな状況に涙が出てくる。
「貴女の涙は、何の涙ですか?」
その声は静かで、穏やかな陽射しとは対照的に私の心を冷たく貫いた。顔を上げると、界長の眼差しが真っ直ぐに私を見つめていた。その中には、怒りでも軽蔑でもない、ただ厳しさと哀しみが混じっていた。
「……自分が情けなくて……」
かろうじて言葉を紡ぐと、界長は小さくため息をついた。そして、低く深い声で言葉を続けた。
「自分を憐れむ涙なら、それを恥じなさい。それは誰のための涙でもない。ただの自己満足です」
胸が締め付けられる。何かを言い返そうとして、口を開いたけれど、言葉が出ない。
「魂の傷は、愛や明るさだけで癒せるほど単純なものではありません。
貴女がどれだけ笑顔で接しようと、彼らがその傷を拒む限り、何も変わらないのです。ただ受け入れ、向き合い、寄り添い続けるしかない」
その言葉はまるで重い杭のように胸に刺さり、動けなくなった。
「……本当に向き合い、寄り添い続けるしかない」
界長の言葉が静かに響き、私は茫然とするしかない。
向き合う。寄り添う。それがどれほど難しいことか、この数日で痛感していた。自分の笑顔も、優しさも、子どもたちには届かない。ただ怯えた瞳が返ってくるだけだった。
笑顔を向ければ笑い返してくれた啓司くんや陣くんの優しさを思い出す。彼らがどれほど私を甘やかし、救ってくれていたのか、その時になってようやく分かった。
その事実が胸をえぐるように痛い。それでも、界長の言葉は私を否応なく突きつける。
私はここに居続けるしかない。その事実に、立ち尽くすしかなかった。




