茶会にて
お茶を飲むという言葉は、もっとカジュアルなものだと思っていた。しかし、まさか茶室のような場所で、点てられた本格的なお茶をいただくとは思わなかった。
一度、授業で習ったような床間の花や掛軸の説明、それに感想を述べるようなことはしなくて済んだが、タカシくんが自ら茶筅で点ててくれたお茶を振る舞ってくれた。
女性が運んでくれたお茶を目の前にして、俺は悩んだ。
何故、自分が一番上座に座らされているのか。これでは他の人の所作を真似することができない。
「ジン、作法など気にすることはない。自由に飲んでくれ」
俺が戸惑っているのを察したのか、タカシくんはそう声をかけてくれた。
そうは言われても、趣きのある茶碗を手に取ると、なけなしの知識を活かして茶碗を回し、一口飲んだ。
思ったより苦味は少なく、香りが良く、ほのかな甘味も感じられて美味しかった。
俺が飲み始めたことで、隣に座っていたミキさんと母親もお茶を飲み始めた。
二人は慣れた手つきで茶を飲み、その所作も美しかった。
二人に倣い、お茶を飲み終えると、飲み口を手で拭き、茶碗を戻した。
「気分は落ち着いたか? して、ジン。何から話そうかのう。色々と聞きたいことも多かろう」
タカシくんが俺に向き直り、そう尋ねてきた。俺は悩んだ。聞きたいことが多すぎて、どれから聞くべきか迷う。
「癒栄の土地ってそもそも何なの? 死者の国であることは分かったけど、天国とも違うんだよね?」
まずはそこから聞かないと全体が見えてこない。
タカシくんは赤い目を細め、口角をクイッと上げながら俺をまっすぐ見つめた。
「その話をする前に、一つ約束をしてほしい。お前がこの数日で知り得た情報は、誰にも漏らすな。本来、人が知るべき話ではないからな」
俺は頷いた。その目には「約束を違えたら分かっているだろうな」と暗に伝えてくる圧があった。
「人は本来、死すれば天国か地獄に送られる。だが、どちらも審査が厳しくてな。だからこそ作られたのが、この癒栄界だ」
説明を聞いていると、隣の二人の反応が少しおかしい。
どうやら彼らの認識とは違う部分があるようだった。
「俺は何か悪いことをしたの? だからここで審査待ちになっているの?」
「そんなことないわ」「それは違う!」
隣の二人が声を上げた。
「神はそれはもう慈悲深い立派なお方。困ったほどに」
タカシくんは人の悪い笑みを浮かべ、横の二人は顔を顰めている。
「神は全ての人間を救おうとしている。どんな人間でも、まず救済の道を与える。そんな神が人を救済するために作られたのがこの世界だ」
救済……? 俺は首を傾げた。
「その救済には二つの意味がある。天国では不要な哀しみや怒りといった患いを癒し、清らかな状態で天国へと旅立てるようにする。そしてもう一つは、地獄に行くほどではない罪を犯した者が、自らの愚かさに気付き、反省して更生するための場所だ」
タカシくんの説明を聞いて、だからこの世界がどこか青に染まっているのかと納得する。
「先程二人も話したが、お前は前者だ。純粋であるが故に傷つき、痛んだ魂を癒すためにここに送られた」
罪を犯したわけではないと知り、俺はホッとする。
「名前を変えられたのは?」
俺は真多陣だったはずが、真田仁となっていて、ヒロシくんは佐東啓司だったのに佐藤完となっている。
「ここでは、より魂にふさわしい名前に変化する。
そもそも死とはそういうものだ。現世で手にした余計なものを手放し、身軽な姿に戻る。
名前も、誰それの子ではなく、天国や地獄へ行くと、個の存在となるからな。
それぞれの人生で培った個の気質は魂に刻み込まれておるしな」
それが名前が変わるという理屈らしいが、いまいち納得がいかない。
漢字のない海外の人だとどうなるのか? その疑問が頭をよぎったが、話が脇道に逸れそうなので聞くのはやめた。
「ヒロシくんと俺との思い出が、何故か貴方に代わってきたの……でしょうか?」
タカシくんが、この世界で重要な存在だと気づいた俺は、少し口調を改めた。
タカシくんは苦笑しながら答える。
「まぁ、其方の立場を俺が取っていたことは謝る。
というのも、まだ若いお主がこんなに早く亡くなり、しかもコチラに来るなんて予想できなかったからな」
確かに、俺もこんなに早く死を迎えるとは思っていなかった。
タカシくんの言葉に頷き、さらに詳しい説明を求めて黙って耳を傾ける。
「完の心を癒すには、魂に幸せと喜びを与える親友の思い出や存在が必要だった。
とはいえ、無理やり記憶を改ざんして新しい存在を作るのは、魂に負担が大きくなる。
だから、お前の思い出を利用させてもらっていた」
そこでタカシくんは一度言葉を切り、俺の反応を伺うように目を細めた。
「しかし、今の状況では、完の中でも記憶の混乱が起きておる。
お主と共にいるときは、お前との記憶が俺の介入した記憶をかき消し、向き合っている状態だ。
お主のためだけでなく、完のためにも、そこは元に戻し、俺はお主に誤認させていた『前川』という友人の役割を引き受けよう」
タカシくんの言葉に、俺は少し混乱しながらも、彼の真意を汲み取ろうと必死になった。
「そもそも、それは天部の仕事では? 貴方様のような立場の方が何故ヒロシの友人役をされているのですか?」
ミキさんが口を挟む。タカシくんは鼻で笑う。
「天部の問題行動の面倒を見てやっていたお主がそれを言うか? 俺は気さくな長なのでな……と言うのは冗談だ」
揶揄うようにタカシくんはミキさんを見る。
「若い天部は少なく、そして天部は今飽和状態のこの世界に手一杯だ。
あと丁度俺は学校で仕事していたからな」
「仕事って?」
俺はつい聞いてしまう。
「近くでしかと査定したい魂がいくつも学校にはおるからな。
幼き魂の罪は見極めが難しい……って話を戻そうか?
お前の望みは、癒栄界で愛香殿との元の生活に戻る。
完と友情を元の形にする。それで良いのだな?」
俺は頷く。
「はい。それで良いです
となると、ヒロシくんと俺が離れてしまっていた間の記憶はどうなるの?」
「ま、そこは自動で良い感じに繋がるだろう。安心せい」
微笑まれ、そう言われると信じるしかない。
「わかりました。そのようによろしくお願いします」
そう答えた途端に、俺は身体ごとどこかに軽くふわりと放り出されるような感覚が襲う。
何か優しくて温かいものに包まれる心地よい感じになり意識は遠のいていった。
自分がなんで死んだのか? ヒカリ姉さんが奉仕活動をする場所どんな所なのか? 他にも聞きたい事もあったのに……。
※ ※ ※
愛香は、仁の魂が家へと向かったのを確認してから、鬼長へと視線を戻し頭を下げる。
「このたびは、我が倅のためにさまざまなご便宜をお図りくださり、誠にありがたく存じます」
柔和で「菩薩の申し子」とも称される愛香は、その優しさだけでなく、強い愛情と熱意を持つ天部であることを、鬼嗣は彼女の真っ直ぐな眼差しから改めて感じ取った。
「別にそれも俺の仕事だ」
そう答えながら、いささか腑に落ちぬ様子の三鬼へと視線を向ける。彼は誠実で才覚のある男ではあるが、若さゆえか、いささか融通の利かぬところがあるようだ。もっとも、そうした気質の鬼を鬼嗣は嫌いではない。むしろ微笑ましく思い、目を細めながら静かに見つめるのだった。
「何か言いたげやのう。聞いてやろう」
そう言葉を投げると、三鬼は視線をまっすぐ鬼嗣へとむけて口を開く。
「何ゆえ、裁きの場へ彼を参じさせたり、そこまで多くを明かされる必要がございましょうか?
さては、彼に何がしかの役割を担わせようとお考えなのでは? 幼き子に余計な責務を負わせるなど、あまりにも酷にございます。本来ならば、この地にて患いを癒し取り除くことこそ、彼が果たすべき勤めにござりましょうに」
鬼嗣は微笑ましそうに笑い首を横にふる。
「俺もそこまで無情ではないわ。
あの子にあれほど話したのは、彼自身がこの地での暮らしを違和感なく営むためじゃ。
いかに鬼や天部の記憶を消すとはいえ、記憶を改める際に納得の上で行うか否かで、その魂への負担は天と地ほどの差がある」
鬼嗣の言葉を、三鬼は目を見開き聞いている。地獄と現世のみ活動してきた彼には、癒栄界のこういう面倒な調整は考えもしない観点だったから。
「それとな、完のほうも、仁と共におる折には現世での記憶が甦り、そうした中で接しておるうちに軽き混乱を起こしておった。ゆえに、これこそが最善の策と判断した次第よ」
鬼嗣の言葉を聞き、三鬼は安堵した表情になる、そして姿勢を正し部屋にいる二人に頭を下げる。
「二人のことを宜しくお願いします」
「それが我らの仕事じゃ……。
所で、お前はなかなか面白い男だ。どうじゃ? 俺の下で働いてみないか?」
鬼嗣の言葉に、三鬼は頭を下げる。
「ありがたき言葉ですが、私には現世の雑多な空気が肌にあっていますので」
鬼嗣は予測していた答えなのか、気を悪くした様子もなく頷く。
「ま、現世で働く鬼こそ、其方のように情け深い者であるべきなのだろうな。
こうして会ったのも一つの縁。どうだ今から酒でも飲まぬか? 愛香殿も一緒にいかがじゃ?」
「素敵な鬼の殿方二人との酒宴。断る理由などありませんわ」
愛香はコロコロと朗らかに笑った。こう言う流れになると三鬼も断る事ができない。
「ご馳走になります」
そういって頭を下げた。
今年中に完結させる予定でしたが、私がインフルエンザに罹患してしまい更新ができませんでした。来年投稿して完結させようと思っています。




