願いは二つ
「このように騒ぎ立てまして、誠に申し訳ござらぬ。しかしながら、貴殿にお手を煩わせるような事柄ではござりませぬゆえ……」
「そなたらの務めを侵すつもりは毛頭ない。ただの見物ついでに顔を出しただけのことじゃ」
法壇に立つ黒装束の人物の言葉を遮るように、タカシくんは愉快そうに笑みを浮かべつつ答えた。
「とはいえ、お主とて、天部の犯した罪に対して沙汰を下すこともできぬので、似たような立場だな」
タカシくんは視線を法壇の白装束の人物に向ける。
「癒栄の長でもある貴方のお怒りは理解しております。もちろん、この者に甘い処罰など」
頭を下げながらそう言う白装束の人物。その会話を聞いて、俺は思わず手すりから身を乗り出す。
「待って! 俺は無事でした! それにヒカリさんは善意で動いた事ですよね? だから厳しい処分はやめてください!」
叫んで訴える俺を、慌てたようにミキさんが腕を回し、後ろに移動させて止めてくる。
「お主は本に優しいのう。お主の存在そのものが消滅するかもしれない、そんな危険な目に合わされたというのに」
「そうだったかもしれない。でも俺はこうして無事だ! だからお願いします」
ガッチリ後ろから抱きしめるようにミキさんに拘束された状態だが、俺は尚も叫ぶ。
「安心せい。鬼の我らだったらともかく、天部の世界に死罪や肉刑はない。
だからと言って、反省の念がないようではワシとて見過ごせないがな」
タカシくんはいつものように俺には優しげな表情を向けていたが、それを泣きじゃくっているヒカリお姉さんに視線を向けた時、背筋が凍るような圧が発せられる。
ヒカリお姉さんは「ヒッ」と声を出し、後ずさる。ヒカリお姉さんはタカシくんに見つめられることで震えながら頭を下げる。
ヒカリ姉さんは震える手で胸元を押さえ、唇を噛みしめた。そして、小さな声で答える。
「……私は、反省はしています。ただ、でも、ジンを助けたかった。その気持ちだけは嘘じゃないです!」
彼女の目から涙が零れる。
その言葉に、タカシはしばらく沈黙したまま彼女を見つめていた。周囲も全員が固唾を飲んで彼の反応を待つ。
「なるほどな。害意はなかったから許せと」
タカシくんはフッと笑う。
「違います! 許しが欲しいわけではないです。ただジンくんには謝りたいだけです。
ジンくんごめん! 私はジンくんに世界中で最も美しく優しい世界である天国に早く誘ってあげたかっただけなの。それが……またジンくんを危険に晒す行動なんて分からなかったの」
後悔と反省の弁を言い続けるヒカリお姉さんをに冷淡な視線をむけていたタカシくんは再び俺の方を見上げてニヤリと笑う
こういう顔を見ると本当に鬼だと分かる。人のために働いているというのがにわかに信じ難くなる。
「お主のように善良な人間はいいな。俺は好きじゃ。
我らの領分で色々迷惑をかけたな。お前はどうしたい?
お前の望みを聞いてやろう…この娘の処分に対して以外でな」
「タカシ様!」
周りにいた皆が慌てたように声を上げる。
「話を聞いてやると言っているだけだろうに。
俺とて、無理なことは出来ぬしな」
タカシくんは部屋にいる人々にそう言ってから、俺に赤い目を戻す。
俺は深呼吸をする。ここで俺が求めるのは何なのか?
「……お願いしたいのは二つだけ!
一つは俺はまだ天国には行きたくない。今さっきまで居た癒栄とかの世界に帰りたい。
もう一つは、奪われてしまっていたヒロシくんとの思い出を全て返して!」
「ジンちゃん! でもそれだと君の魂にまた悲しみを加えてしまうことになる」
母親が声を上げる。
「ヒロシくんとの時間は俺にとって何よりも大切でかけがえのないもの。
最後は確かに哀しかったけど、生きていた時に何よりも喜びを与えてくれた時間なんだ。それを奪われたくない」
ヒカリ姉さんは驚いた表情で俺の方を見ている。
「俺は癒栄の世界でヒロシくんと再会できた。だから笑って一緒に天国に旅立ちたい」
「え、ヒロシくんもそこに? そんな……」
ミキさんは息を大きく吐き、上を向く。ヒカリ姉さんは下を向いた。
天国に行くということが、ヒカリ姉さんにとって何よりも素敵で最高の選択なのだろう。
でも俺は天国にそこまで魅力を感じられない。
そこにヒロシがいないから。
現世での別れはあまりにも唐突で、ヒロシくんにも俺にも選択の余地もなかった。
でも今は違う。今度は俺がヒロシくんを救いたい。
「相わかった、そのように処理を進めよう」
納得いってない周囲にタカシは視線を巡らせる。
「そもそもこんなにも悔悟の念や患いを残している魂を移天するのは無理があろう。
記憶操作も大規模になると魂に負担もかけるしな。
それにこの子はしっかりしておる。自分自身や周りと向き合う強さもある。
憐れなる友人にも良い影響を与えるだろう」
タカシくんの言葉に、法壇に座る白い服の男は黙り込む。
「癒栄の地についての沙汰は、あなた様の領分ゆえ、口出しをするつもりはありません」
法壇の黒い服の人物はそう言って頭を下げた。
意味が分からず視線をミキさんに向けると、小さな声でここでのメンバーは現世担当の者たちだと教えてくれた。
「して、この女子をどうするのじゃ? 何なら地獄で引き取り更生させようか?」
法壇の白い服の人物は大きく息を吐き、ヒカリ姉さんに視線を向ける。
ヒカリ姉さんは緊張した面持ちで背筋を伸ばす。
「天音光、其方の天部の地位を剥奪する。そして安寧界にて五十年の奉仕活動を命じる。
そこで多くの魂の患いと向き合い、彼らが安穏の世界を取り戻す手伝いをするように」
ヒカリ姉さんは大きな目をさらに見開き、力無く座り込み震え泣き出した。しかし、誰も彼女を慰めるものも、同情の視線を送るものもいない。
タカシくんは少し考えるように目を細めヒカリ姉さんを見つめていたが、ニヤリと笑う。
俺にはヒカリ姉さんの判決が妥当なのかどうか分からない。でも五十年って少し長すぎる気もする。
「まっ、そんなものかのう。
娘よ、お主のような緩い考え方の者には優しい場所ではないが、せいぜい励むが良い。
与えられたお役目を全うし贖罪を果たせ」
そう言ってヒカリさんの肩を軽く叩いて部屋から出ていった。
隣に座っていた母親や、裁判所の中にいた天部が安堵したのが空気で分かった。しかし、ミキさんは少し不満そうに感じた。
部屋の中でヒカリ姉さんの嗚咽声だけが響いた。
何もない空間に屋根と手摺りのついた木の橋のような回廊が続く。どこからどこにつながっているか分からない回廊を歩きながら、俺は考え込んでいるミキさんには話しかけ辛かったので、母親に声をかける。
「ヒカリ姉さんに対する判決って、あれはどのくらい重さのあるものなの?」
母親は少し悩む顔をする。
「軽くはないわね。彼女が長い時期努力してなれた天部という地位を剥奪されたし、
あの子のように人間の暗部を知らずに育ってきた子にとって安寧の郷は苦しむ場所になるでしょうね。
でもそこでの学びは彼女の糧となる」
「彼女が鬼でなくて幸いだったな。鬼だったら五体満足では済まない状態だっただろうな」
ミキさんはそんな物騒なことを言ってくる。
「そう言うな、罰による更生を司る我らとは異なる理の世界だ。
それにお前もあの女子も救うために動いたのであろう?」
少し先の手すりにタカシくんが座っていた。軽やかに飛び降りて、俺たちに向き合うように立つ。
跪こうとする母親とミキさんを制する。
「癒栄の者を救ってくれたことを感謝する」
タカシくんは頭を下げる。そのことにミキさんは慌てる。
「いえ、こちらの者の暴走を止められなかったのは私の不手際」
タカシくんは手をヒラヒラと振り、声を出して笑う。
「お主の仕事は天部の尻拭いではないだろうに。
それにあんな愚行に走ることを予測できるヤツがいるか? でもお主は察することができたから動いた。大したものだ」
ミキさんは恐縮したように頭を下げる。
「ま、立ち話もなんだ。我が館で茶でも飲みながら話をするかのう。
ジン、愛香殿も、今後のこと話し合わねばならぬしな」
そう言って、俺たちの返事も待たずに踵を返して歩き出した。




