俺の名を呼ぶ見知らぬ人
夏休みに入った。
母親には遊べと言われたが、未来のために勉強をした方が良いと思い、夏期講習を受けることにした。
買いたいゲームがあるからという友人と駅前で別れ、俺はいつものように改札を通りホームへと向かう。
キンキンに冷えて快適だった塾の冷却効果も切れてきたようで、汗が噴き出してくる。
俺はおでこに張り付いた髪と汗を拭いながら、自販機に向かいお茶を買った。
「ジンくん! よかった、やっと見つけた!」
そんな声が聞こえ、俺は辺りを見回す。
すると、俺の横に白いヒラヒラしたワンピースを着た女性が立俺を見つめニコニコしている。
長い髪に大きな目、クルクルンとカーブした睫毛……アイドルでもおかしくないくらい綺麗で可愛い女性だった。
「え? あの……どちら様ですか?」
俺が尋ねると、女性は悲しげな顔をする。忘れてしまった知り合いなのかと申し訳ない気持ちになったが、彼女は突然俺の手を握ってきた。
「ジンくんは、こんな所にいてはダメ! ここから脱出するよ!」
そう言って、いきなり俺の手を引き歩き出す。
抵抗しようとした瞬間、彼女の手が触れたからか、記憶が次々と蘇ってくる。その為引かれるままに足は動かしていた。
「ヒカリ姉さん! どういうこと?」
俺の言葉に、ヒカリ姉さんは振り返りニコリと笑うが、足を止める気配はない。俺は彼女に引っ張られるまま足早に歩くしかなかった。
突然、周囲の景色が消えた。振り返ると、後ろには扉だけがポツンと立っている。
「え? ねえ。どういうことか教えてよ! ここ、どこ?」
ヒカリ姉さんは何も答えず、俺の手を引いたまま歩き続ける。まるで俺をレジャーに連れ出す時のようなご機嫌な様子だった。
しばらく歩くと、真っ白な空間に日傘が一本浮いている場所にたどり着く。
よく見ると、その日傘は先端がどこかに突き刺さっているようだが、その向こうも白い空間が広がっていて、壁なのか、ただの空間なのか区別がつかない。
ヒカリ姉さんはその日傘の取手を持つと、ワンタッチボタンで開いた。瞬間、空間に穴が広がる。
「ジンくん、向こうへ抜けるよ!」
振り返ると、さっきまであった扉はもう見えない。ここに取り残されても困りそうだったので、俺はヒカリ姉さんの指示に従い、穴を通った。
穴を抜けると、そこは海岸だった。
白い砂浜が続き、前には大海原。陸の方を見ると、なだらかな草原が広がっている。
さっきまでの白い空間への穴は跡形もなく消え、ただ普通に風景が繋がっているだけだ。
少し離れた波打ち際に不自然にスワンボートがある。海にコレがあるのも変だし、この空間に唐突に人工物があるのにも違和感しかない。
景色は爽やかで美しいが、俺はそれを楽しむ余裕がなかった。
ここに来てから、身体がズンと重く怠い。足元が砂のせいで歩きにくいということもあるのだろうが、それだけではない気がする。
ヒカリ姉さんは少し離れた足漕ぎのスワンボートの方へ歩き出す。
俺は身体の重さを感じながら、それでもなんとか追いかける。
やっと足を止めたヒカリ姉さんは、フーと息を吐いて、ようやく落ち着いた様子で言った。
「ここまでくれば安心! 無事に見つけられてよかった」
彼女は俺の手をようやく離し、日傘を差しながらゆっくり歩き出した。
「ヒカリお姉さん、どういうことか教えてよ! あの世界は何なの?」
状況が意味不明すぎる。蘇った記憶から、恐ろしいことも思い出していた。
――なんでヒロシくんが生きていたのか? そして、ヒロシくんの親友がタカシという別の人になっているのか? ヒロシくんのお母さんだけが亡くなり、お父さんとお父さんの恋人は生きていてその二人がなぜ結婚しているのか?
――俺がさっきまでいた世界は何だったのか?
「私もよく分からないけど……天国の待合所的な場所だと思う」
「え……」
俺は足を止める。
「ジンくんみたいな良い子が、天国にすぐ行けないなんて間違ってるよね! だから私が直に連れて行ってあげる♪」
彼女の明るい口調に反して、俺の心に重い感情が広がる。
「俺、死んだの?」
そう呟いた瞬間、ヒカリ姉さんの表情が強張る。
「……なんで?」
俺の問いに、ヒカリ姉の大きな瞳から涙が溢れる。そして子供のように顔を横に振った。
「……事故だったの」
事故? どんな事故? 俺がさらに尋ねようとした時だった。
ザッ
砂を踏む音が響いたかと思うと、次に破裂音のような音がした。
気がつけば、ヒカリ姉さんは砂浜に倒れていた。その近くには、一人の男性が立っていた。




