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イロガミノイロハ  作者: 伽耶


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第8話:白炎の影を追う

スニーカーの紐を強めに結び直し、境内を全速力で走る茜を追った。

進むたび、邪魔であろう竹刀袋がガチャガチャと音を立てている。

碌な防具はつけていないが、機動力を重視したスタイルなのだろう。


俺も念のため、軽く装備を整えてきた。

腰にはスチール製の長めの警棒。

胸元には、弓道の防具を改造した簡易の胸当て。


石段を飛び降りるような勢いで駆け下り、不知火町につながる道路へ出る。


不知火町の倉庫街は、以前は反社のたまり場だった。

数ヶ月前、見回り組と県警による掃討で、跡は残るもののきれいさっぱり一掃されている。

だからといって、積極的に立ち寄る場所ではないのは間違いない。


墨染神社から徒歩で二十分ほどの距離だが、茜と俺の全速力なら十分とかからない。


道中、すれ違う車もないほど寂れた場所だということは理解していた。

だが、入り組んだ倉庫街では正確な位置までは掴めない。

二人とも息は乱れていなかったが、倉庫街の入り口で自然と減速していた。


分岐路に、厳つい男が立っている。

見回り組の一人だと、すぐにわかった。


「石火矢、現場はどこ?」

「お嬢、こちらです。墨染の坊ちゃんも、わざわざすみません」

「いえ、たまたまですから。お気になさらず」


何度も顔を合わせたことはあるが、スキンヘッドの大人に敬語を使われるのは、どうにも落ち着かない。

石火矢さんは蘇芳流剣術の門下で、物腰は柔らかいが、緋紅さんから直々に手解きを受けた中伝の剣士だ。

そこらのゴロツキなら、刀がなくても完封できるほどの腕前を持つ。


石火矢さんの後について、倉庫街のさらに奥――森に繋がった倉庫の一角まで走る。

待機していた見回り組の残り二人が、ほっとした表情でこちらを見た。


息の上がった石火矢さんが足を止め、手で制する。


「ここから先です。……音、聞こえますか」


言われて耳を澄ます。


――ぱち、ぱち、という燃焼音とは違う。

何かを撫でるような、微かな擦過音が辺りに漂っていた。


倉庫の裏手、コンクリート塀に囲まれたゴミ捨て場。

そこだけが、妙に明るい。


「……あれか?」


俺が尋ねると、石火矢さんは黙って頷いた。


一見、何かに照らされているようにも見える。

まるでスポットライトのような――炎。


だが、色がおかしい。


報告の通り、赤でも橙でもない。

白だ。

しかも、影を作らない白さ。


地面から噴き上がる炎ではない。

積まれた木箱やビニール袋の“表面”だけをなぞるように揺れている。

燃えているはずなのに、煤は一切出ていなかった。


なぜ「燃えている」と認識したのか。

それを言葉にすることが、できない。


「熱はあります。近づくと、じりっとくる」

石火矢さんが低く言う。

「でも、水をかけても……この通りで」


足元には、鎮火のために使ったのだろうペットボトルが転がっている。

濡れた痕跡は残っているが、白炎の周囲だけが不自然に乾いていた。


炎は弱まるどころか、形を保ったままだ。


「……これは燃えてない」

俺は呟く。

「削ってる。何かを削り取るみたいに」


茜が一歩、前に出た。

竹刀袋の口に手をかけ、視線を炎から外さない。


「気配、わかる?」

「ええ……なんとなく」

石火矢さんが喉を鳴らす。

「火の“向こう側”に、何か……立ってる感じがします。威圧してくる」


じりじりと包囲するように、俺と茜は距離を詰める。


「近づくな」


俺は見回り組の三人に、低く指示した。

それぞれが得物に手をかけた、その瞬間――


白炎が、ふっと揺れた。


風はない。

それなのに、炎だけが――こちらを“睨んだ”ように歪む。


全員の背中に、ぞわりと粟立つ感覚が走った。


「――来る」

茜が短く告げる。


白い炎の奥。

人の形にも見える“何か”が、一歩、後ろへ下がった気配。


視線が左右に動いた気がした。

逃げる。

直感が、そう告げていた。

野生動物が人を認識したときの、あの緊張感。


「やばい! 森だ!」


俺は即座に叫び、逃げ道めがけて警棒をぶん投げる。


ガキン!


金属音が響いた直後、茜が一瞬遅れて背中から黒檀の木刀を抜刀する。

怯んだ“何か”に、袈裟斬りがかすった気がした。

だが、相手は澱みない速さで、森の闇へ駆けていく。


「ごめん、しくった」

「いい、とりあえず後を追うぞ」


珍しく謝る茜の横で、警棒を回収しながら即答する。


「石火矢は、現場の保存をよろしく」

「お嬢も、坊ちゃんも、お気をつけて」


先ほどの攻防に手も足も出なかった石火矢さんは、悔しそうな表情を浮かべていた。


白炎は、すっと収縮する。

次の瞬間、灯りを消すように――消えた。


残ったのは、

焼け焦げてもいないのに、確かに“削り取られた”痕跡だけ。


「……いくわよ」

抜刀した木刀を納めながら、茜が言う。


答える前に、足はもう動いていた。


白い何かは、走るように逃げた。

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