第6話:打ち続けられる日常
「……はぁ、……はぁ……」
道場の床に、茜が転がるように倒れていた。
天井を仰ぎ、必死に呼吸を整えている。
立ち合いは、三度。
すべて、俺の勝ちだった。
得物は変わらず小太刀。
戦法だけを変えた。
小太刀で、間合いで、体捌きで――
茜の“受け”を、一つずつ崩した。
複雑に絡んだ糸のようにゆっくりと解いた。
鍛錬には、なったはずだ。
きららが心配そうに近づき、
スポーツドリンクとタオルを差し出す。
「……きらら、ありがとね」
「どういたしまして」
茜は受け取り、喉を鳴らす。
悔しさを隠すように、タオルで顔を覆った。
手加減はしていない。
だが、全力でもない。
それくらいの違いは、
茜にも、わかっている。
俺は小太刀を壁に戻し、
じいちゃんに一言もらおうと振り返った。
――いない。
いつの間にか、気配ごと消えていた。
「……なんか、言いなさいよ」
茜が立ち上がる。
感想戦をする気らしい。
「体術が甘い」
即答した。
「話にならん。刀を振るだけが、蘇芳流か?」
茜は一瞬、口を開きかけて、
何も言えずに目を逸らした。
図星だ。
「受けが完成してるから、誤魔化せてるだけだ」
追い打ちをかける。
「体幹が崩れた瞬間、ああやって“内側”を取られる。今日は袋竹刀だから済んでるが普通の木刀だったらしばらく剣は握れない」
沈黙。
「……わかってるわよ」
小さく、噛みつくように言う。
「でも、わかってても出来ないのが一番ムカつくのよ」
その言葉に、少しだけ――
納得した。
「なら、いい」
俺は言った。
「それがわかってるうちは、まだ伸びる」
茜は顔を上げ、
悔しそうに、でも少しだけ笑った。
「……ほんっと、嫌な兄弟弟子」
「今さらだろ」
きららが、二人を交互に見て、
首を傾げている。
「……仲良し?」
「違う」
「違うわ」
声が、重なった。
きららが汗ひとつかかなかった俺を放置して汗だくの茜を風呂場へ連行する。
「お兄ちゃん、勉強するから部屋にいて」
「あいよ」
お風呂嫌いの猫のような抵抗を見せる茜を問答無用で連れていく様は貫禄があった。
小腹が空いたなと思って母屋にある柱時計を見てみると、15時を過ぎていた。
勉強をみる時間をオーバーしているのを申し訳なく思ったが決して不満を言わないきららに
まだ、小学6年生なのにできた妹だと思う。
台所からスナック菓子とチョコレート、3人分のオレンジジュースを用意してきららの部屋に向かう。
部屋には準備万端のきららが待っていて、
申し訳なさそうにできなかった、問題のページを開いていた。
最近よく勉強をみることが増えたが、きらら曰く算数の授業が特に苦手らしい。
もちろん、うちの成績優秀な妹がそんなわけがあるはずもなく――
原因は、単純だった。
「式を書かないで解こうとするな」
きららの机に広げられたノートを覗き込み、ため息をつく。
途中式がごっそり抜け落ちている。
答えだけが、確かに正しい。
「でも、頭の中ではやってるよ?」
「それを他人に伝えるために、式を書くんだ」
納得していない顔だ。
理解はしているが、腑に落ちていない。
合理主義、効率主義のきらららしい感想だった。
そのとき、勢いよく扉が開いた。
「失礼しまーす」
湯気と一緒に現れたのは、
髪をガシガシと雑に乾かした茜だった。
俺のTシャツに短パンを履いている、完全にくつろぎモードである。
「勝手に入ってくるな、あとそれ俺の服だからな」
「問題ないわ」
問題しかない。
「ほら、茜。ちゃんと髪を乾かしなさい」
きららが注意すると、
「はーい」と気のない返事。
完全に姉貴ヅラだ。
年上なのは確かだが、態度は逆転している。
「なにやってるの?」
「算数」
「うわ、懐かし。あたしもそこ嫌いだった」
きららがちらりとこちらを見る。
“仲間が来た”という顔だ。
「言っとくけど、こいつは途中式も解答も間違ってるからきららとは違うからな」
俺が先回って言うと、
「違うもん」と小さく反論する。
「流石に小6の算数はわかるわ!バカにすんな!」
茜の異議申し立てはスルーして
人数分のオレンジジュースを配り、
スナック菓子の袋を開ける。
「……ねえ、ここどうなるの?」
図形の問題を指差すきらら。
距離感が、少しだけ近い。
「まず、これを図にしろ」
紙に線を引き、条件を書き出す。
「式にすると、こう」
「……あ」
腑に落ちた瞬間の顔。
これを見るのが、嫌いじゃない。
「わかった!」
「類似問題があるからこれも解いてみようか」
その横で茜が、
チョコレートを口に放り込みながら言う。
「ほんと、いい兄してるわね」
「当たり前だろ?」
何か言いたげな顔した茜に
俺は答えなかった。
「こんな感じかなぁ、お兄ちゃん…」
「はいはい」
窓の外では、
春の光がゆっくり傾き始めていた。




