第2話:墨染の姫君
師匠である祖父・鏡鉄に教えられ、鍛錬の前には必ず入念なストレッチから始める。
身体の柔軟さは怪我のリスクを下げると同時に、技――型のキレを高めてくれる。
修めている蘇芳流剣術は、戦国時代以前から続く古武術に分類されるが、その本質は徹底した「合理」だった。
一対多数の状況で、いかに効率よく倒すか。それだけを突き詰めた剣術だ。
修練を重ねるうちに、この剣術の始祖が天才だったのだと理解できるようになってきた。
三十分ほど汗をかきながら身体を解し、木刀を使った鍛錬に移る。
両手での素振り、大刀を模した木刀での素振り、体重移動を使った抜刀、片手ずつ同じ動きを繰り返す二刀流。
一通り終える頃には、汗だくのまま道場の床に突っ伏していた。
非力な俺にとって、大刀で行う逆袈裟は腕への負担が大きい。
終わる頃には、腕が上がらなくなっていた。
半年以上続けているせいで、指のマメは何度も潰れ、今では厚い皮膚になっている。
道場の窓から朝日が差し込み、ようやく時間の経過に気づいた。
「おはよう、お兄ちゃん。今日も早いね……」
重い引き戸を開けて、きららが眠そうな目をこすりながら入ってくる。
「眠いだろ? まだ寝てろよ」
長い黒髪がさらりと揺れ、朝日を受けてわずかに緑を帯びて見えた。
ジャージの裾で手を拭き、頭を撫でると、きららは少し安心したように笑う。
「お兄ちゃん、朝ごはんまだだよね? 持ってきた……」
「さっき、ゼリー食べたぞ」
きららは少し膨れた顔になり、大きめのランチボックスを胸の前に突き出してくる。
受け取ると、温かかった。
「食べて」
ぶっきらぼうなお姫様は、最高に可愛かった。
小さな手で握られたおにぎりと、スープマグに入ったお麩とワカメの味噌汁が、疲れた身体に染み渡っていく。
「きららは食べないのか?」
ガツガツ食べる俺をじっと見ていたので、念のため聞いてみる。
「いい」
「そうか……?」
怪訝な顔をしているのは自分でも分かる。
(まぁいいか……)
相変わらずきららの行動は分からないことが多いが、嫌われていないのは分かる。
「ごちそうさま」
「うん」
片付けながら、少しだけ微笑んでいる横顔が見えた。
「さて……鍛錬に戻るけど、きららはどうする?」
「見ていく」
そんな、見て楽しいものじゃないんだけどな。
まだ身体にだるさは残っていたが、仕上げの体術を始めた。




