第17話:迦陵頻伽とは①
ペタペタと、どこか間の抜けた足取りで歩く夜を先頭に、俺たちは茜の家へ向かった。
茜の家――蘇芳家は、文字どおり蘇芳流剣術の宗家だ。
戦国時代以前から続く由緒ある武家だが、気質は驚くほど現実的で、『合理』を何よりも重んじる家系でもある。
剣術だけに固執せず、商業や農業にも早くから取り組み、地域に根を張ってきた。
祭祀を執り行う墨染神社とは深い縁がある。
また、自衛意識の高さは群を抜いており、現在の見回り組の原型も、もとは蘇芳家の私設警備に近いものだったと聞く。
近年では、茜の父親である緋紅さんが師範代を務め、剣術のみならずIT分野にも力を入れ、地域社会に貢献している。
古い武家でありながら、時代に取り残されない――それが蘇芳家だ。
だからこそ、原点である剣の思想に、伝統や継承を重んじているのも理解できる。
俺は、尻尾をぴんと立てた夜の背中を眺めながら、街路樹のソメイヨシノを見上げた。
蕾はまだ固いが、確実に膨らみ始めている。
日向と日陰の寒暖差は、まるでグラデーションのようだ。
日陰にはまだ冷えが残り、夜の肉球が霜焼けにならないかと、つい余計なことを考えてしまう。
歩いて五分ほどすると、城郭めいた土塀が視界に入った。
道場や門下生の住まいが併設する、蘇芳家の敷地の一端だ。
土塀に沿って進み、やがて重厚な門の前に立つ。
墨染の神社とは対照的に、ここは出入りしやすい造りで、大門は常に開放されている。
もっとも――
蘇芳家に悪さをしに入り込む者など、よほど霓ヶ崎を知らないか、あるいは救いようのない愚か者くらいだろう。
門下生が寝泊まりするこの敷地でそんな真似をすれば、それはもう、アザラシを弄ぶ鯱のような惨状になるに違いない。
大門をくぐった途端、空気が変わった。
張り詰めているわけじゃない。
だが、背筋が自然と伸びる――そんな感覚だ。
行雲流水な墨染神社とは違い、人工的で機械的な印象を受ける。
「相変わらず、気持ち悪いくらい整ってるな……」
思わず漏らすと、隣の茜が肩をすくめた。
「それ、褒めてる?」
「半分な」
夜は一歩遅れて門を越え、きょろりと敷地を見回す。
猫の姿でもわかるのか、尻尾がぴんと立った。
「……相変わらずだな」
「……来たことあるの?」
「まぁな、人が怠けていない」
妙に納得してしまう言い方だった。
その時だ。
「おう、来たか」
低く、よく通る声が道場の方から飛んできた。
視線を向けると、道着姿の男が腕を組んで立っている。
筋骨隆々というほどではないが、無駄のない体つき。
白髪混じりの長髪を後ろでに結んでいる。
剣客というには似つかわしくない柔らかな眼―
蘇芳緋紅さん。
茜の父であり、蘇芳流剣術の師範代だ。
「おはようございます、緋紅さん」
「おはよう、茜ちゃんから連絡もらってたから準備はできてるよ。」
「わざわざ、すみません」
「また、こっちの道場に遊びにきてよ」
気にするなと手を振り勧誘を受ける
そう言いながらも、視線は俺の足元――夜に向いていた。
「……猫?」
「すみません、外で待たせるんで…」
「足だけ拭いてくれれば構わないよ」
出入り自由は動物(神)でも変わらないらしい。
さすが蘇芳家、というべきか。
茜に捕まりタオルで足を拭かれている夜は本当に嫌なのが伝わってきた。
「今日は記録の件でしょ?」
「はい。放火事件の」
「石火矢に持ってこさす、客間で待ってなさい」
そう言って、道場の中に消えていった。
⸻
道場の脇を抜け、母屋とは別棟になっている建物へ向かう。
歩きながら、改めて蘇芳家の敷地を眺めた。
手入れの行き届いた砂利道、規則正しく並ぶ木立、
無駄な装飾は一切ないが、すべてが機能美で統一されている。
「……合理主義の極地だな」
思わず呟くと、夜を抱きかかえたまま茜は小さく笑った。
蘇芳家の施設は、あえて閉鎖的な空間を排除しているように感じる。
昔から身分や年齢を問わず門下生が集まり、寝泊まりし、学び、鍛える。
そのための設備が、すべて“現役”で稼働している。
古い。
だが、古びてはいない。
夜は不服そうに諦めた様子で茜の腕の中で目を閉じていた。
⸻
客間には、すでに石火矢さんがタブレットPCと、なぜか古い新聞や古文書を並べてくれている。
電子化されているのは最近の記録がメインだと聞いていたが、
これだけ時代の異なる資料が同じ空間に共存しているのは、素直に面白かった。
「お嬢、坊っちゃん、おはようございます。放火記録は、こちらです。」
「おはようございます、朝早くからすみません」
相変わらず丁寧な対応に恐縮してしまう。
「お嬢、こぼしたらダメですからね」
石火矢さんはお茶の準備をしながら茜に釘を刺す。
「わかってるよ!」
膝に諦観を帯びる夜を乗せながら返す。
俺はお茶をいただきながら、タブレットPCの記録をつぶさに確認した。
日付、場所、被害規模、鎮火までの時間。
地図アプリにピンが立ち距離感や因果関係の考察が記載されている。
「……多いな」
思わず声が出た。
茜からは三件ほどと聞いていたが、この一週間で二桁を超えている。
「聞いてた件数と違うわね……」
茜の表情が、思いのほか険しくなる。
警察や消防など、見回り組以外で処理された案件もあるのだろう。
数字の差が示すものは重い。
「この考察は…?」
「師範代がしたものです」
「なるほど」
表示された地図に、赤い印が浮かぶ。
倉庫、集会所、使われなくなった小屋――
いずれも、古い祭具や楽器が保管されていた場所だ。
「……太鼓、笛、鉦……」
茜が小さく読み上げる。
「夏祭りの、か。今は使われなくなったものばかりだな。どれも、火を使う祭りと縁が深い」
胸の奥が、ひやりと冷えた。
思いの外簡単に繋がった。
――赤の彩神『緋縅』。
迦陵頻伽は比類なき美しい声で鳴き、楽器を奏でる。
「とりあえず、目星はついたな」
俺の呟きに、夜の尻尾が静かに揺れた。
糸口は確かにここにあった。




