人間レンタル
「俺の代わりに、一回だけバイトしてみないか?」
「何のバイトだよ」
「人間レンタル」
「は?」
昨日から着たままのスウェット姿で、いつ干したのかわからない布団の上に起き上がった。
スマホを持ち直して、もう一度「何のバイトだよ」と繰り返した。
「人間レンタル。文字通り、人間をレンタルするんだ。
お前、暇だろ?最近忙しいから、人手が足りなくて」
「メンタル病む寸前で、仕事辞めた人間をレンタルしたい奴なんているか」
がりがりと頭を掻きむしる。
眠れない、体重が減る、吐きながら会社に行く。
この日常がおかしいと気がついて、自己都合で退職をしてから早3ヶ月。
久々に会った友人にケーキバイキングへ連れ出されたのが先週のこと。
なぜかその友人の会社の同僚まで合流して、男三人でひたすらケーキを食べまくる謎の時間を過ごしたばかりだ。
特に外に出たいとも、バイトしたいとも思っていない。
断る方向で話そうとすると、わざとらしい咳がスマホ越しに聞こえた。
「ごほごほっ!やっべ。俺、陽性反応出たわ!
大丈夫、お前、この前のケーキバイキングで採用面接は合格してたから。
胸はってレンタルされてこい!
じゃあ、あとは会社の係の方から電話いくから。
じゃあな!」
一気に捲し立てた後、唐突に電話は切れた。
こうしてオレは訳のわからないまま、「人間レンタル」のバイトに行くことになった。
***
「初めまして。河瀬と言います」
大きな病院の正面玄関。
穏やかな口調で頭を下げた老人に、オレはつられてお辞儀をした。
「あの、『人間レンタル』の結城です。はじめまして。
今日は、通院の付き添いと伺っていますが、ここで待ち合わせでよかったのでしょうか」
「ええ、これだけ大きい病院の中をひとりで毎回検査巡りをするというのは、案外疲れるもので。
その付き添いをお願いします」
「はい、わかりました」
バイト先から受けた指示通りに、靴音の出ないスニーカーに、清潔な服装髪型をして、オレは河瀬さんと並んで病院の中に入った。
血液検査にレントゲン、そのほかにエコー検査とオレにはよくわからない検査を順番にこなしていった。
河瀬さんは慣れた足取りで、広い病院内を歩き回った。
河瀬さんが検査室に消える。
その間、オレは廊下の長椅子に座ってぼんやりと待つ。
こんなので金を貰っていいのか?
毎日残業をしても、仕事が遅いと書類を無言で投げられ続けていた前の職場と雲泥の差だ。
違いがありすぎて、騙されているんじゃないかと思い始めている。
それでも、毎回検査室から河瀬さんが出てきて、顔を合わせるたびに「ありがとう」と小さく笑うのを見ると、そんな不安も消えてしまう。
午前中は検査で終わり、昼食は河瀬さんのおごりで病院の食堂で食べた。
「午後からは診察なので、待合室で一緒に待ってもらえますか?」
「はい、大丈夫ですけど……河瀬さん、あの、オレ……私、役に立ってますかね?」
「はい、充分に」
にこにこと笑う河瀬さんに、オレはそれ以上何も言えなかった。
午後三時を過ぎて、会計の精算も終わり、また河瀬さんと病院玄関に並んで立つ。
「以上で、『人間レンタル』は終わりになりますが……本当にこんなことで良かったんですか?」
「ええ。妻も亡くなって、自分ひとりで後始末をするつもりでいたんですが。
こういう時に人がいる安心感を時々は味わいたいものなんですよ」
一日中、ずっと隣で話していても、オレのプライベートに首を突っ込むでもなく、かといって、自分の昔話をするわけでもなかった河瀬さんは、終始穏やかで、本当にオレをレンタルしてよかったと思っているのか分からなかった。
「今日はありがとうございました。指名は出来ないそうなので、ご縁があればまた」
そう言うと、病院前で客待ちをしていたタクシーに乗り込んで、帰って行った。
***
数日後、オレの口座にバイト代が振り込まれた。
時給で考えると、コンビニのバイト代より少し安いくらいだった。
病院の付き添いしかしていないのに、こんなに貰っていいんだろうかというのが正直な感想だった。
河瀬さんは、この金額に斡旋料などが上乗せされたものを支払っているはずだ。
どうしてこんなことに金を使ったのだろう。
思わず、そんなことを友人に言ってしまったのが運の尽きだった。
「じゃあ、もう一回やってみよっか?」
こうして、次の「人間レンタル」のバイトを決められてしまった。
***
そして、次の土曜日の夕方。
待ち合わせ場所は、ビジネスホテルのロビー。
向かい合って椅子に座るのは、まごうことなきイケメン。
オレより少し年上だろうか。
「それじゃあ、部屋に行きましょうか」
スーツ姿を指示されたオレは、自分のものよりも上質なスーツを着たイケメンのぴしっと伸びた背中を追った。
無言でエレベーターに乗り、無言で部屋に案内されると、そこはツインルームだった。
「それでは、事前に依頼してある通りに、これに着替えてください」
「はい」
日が暮れ始めた街並みを見下ろす窓のカーテンを閉めると、イケメンはスーツを脱ぎ始めた。
オレは渡された紙袋を胸に抱いて、ユニットバスの中に入った。
*
着替えを終えて扉を開けると、ワイシャツ姿のイケメンがベットの上に寝転がっていた。
淡い残照がカーテン越しに部屋に満ちている。
「こちらへ」
困ったように笑いながら、イケメンはオレに腕を伸ばした。
そのままオレはベットの上で文字通り、イケメンに抱きしめられた。
長いウェーブヘアーのカツラをかぶり、ひらっひらのワンピース姿で。
***
紙袋に入っていたのは、カツラとワンピース、そして香水だった。
オレは指定された通りにカツラをかぶり、ワンピースを着て、これでもかと香水を振りかけた。
念の為シャワーを浴びたが、これでいいのだろうか感が拭えない。
イケメンは一言も喋ることなく、三十分ほどオレをベットの上で抱きしめたまま、静かに泣いていた。
「もういいですよ……着替えてシャワーを浴びたら、コーヒーを飲みましょう」
目元を真っ赤に腫らしたイケメンは、同性のオレでも見惚れるくらいに艶っぽかった。
***
何度もボディソープで体を洗い、香水の匂いが薄くなってから、オレはユニットバスルームから出た。
部屋との境の扉を開けると、ふわりとコーヒーの香しい匂いがした。
壁際にある備え付けのテーブルの上には、空になったミネラルウォーターのペットボトルと、有名なコーヒーチェーン店のドリップコーヒーがいくつか並んでいた。
「どうぞ」
ワイシャツ姿にまで戻ったイケメンは、使われていないベッドの方に腰掛け、オレには椅子をすすめた。
砂糖を入れてもらい、無言で互いにコーヒーを飲んでいると、ぽつりとイケメンが言った。
「どうして、こんな馬鹿げたことをしたのか、気になりますよね」
そりゃあ、気になる。
でも、言いたくなければ言わなくていいと思った。
あんなに至近距離で泣き続けていたイケメンに、気になるから全部喋れとは言えなかった。
オレは無言でコーヒーを口にしただけで、返事をしなかったが、イケメンは勝手にポツポツと話し出した。
「好きな人がいたんです。
それで、同じような年齢と身長の方をレンタルしたいと依頼しました……最初は女性で頼んだのですが、断られました。
ただ身代わりが欲しかったんです。
当たり前なんですけど、思った通りに……それ以上に違いましたね。あはは。
……あの人とのことは、もうどうにもならないくらいに、終わってしまったんだなと、ようやく理解できました。
ありがとうございました」
そして、「いつも泊まった朝は、こうやってコーヒーを選んで飲んでいたんです」と、寂しそうに笑うと、また静かに泣いた。
カーテンを開けると、外はもう夜だった。
***
二時間ほどのビジネスホテルでのバイトで、河瀬さんの時より大きな金額が振り込まれているのを確認した日。
オレは友人に「人間レンタル」の依頼をするために電話をかけた。
電話の向こうの友人は、嬉しそうに笑っていた。
***
「は、はじめまして!今回レンタルされました榎本です!」
オレが指定した時間通りに、小柄で可愛らしい女の子がやってきた。
友人に好みを把握されているのが腹立たしいが、あいつなりの激励のつもりなんだろう。
「はじめまして。結城と言います。それじゃ、お願いします」
「はい!がんばってください!」
オレはスーツ姿で、ビジネスバックを片手に、榎本さんに手を振ると、ひとり、ビルの入り口に立った。
そして、小さく気合を入れて、ビルの自動ドアをくぐった。
ガラス越しにもう一度後ろを振り返ると、小さな手を握りしめて「がんばってください」と榎本さんの口が動いたように見えた。
オレは力強く頷くと、あとは振り返ることなく、真っ直ぐに進んだ。
**
オレが依頼したレンタル内容は、“就職活動の面接に付き添って欲しい”だった。
河瀬さんの病院の付き添いのバイトをして、イケメンの失恋受け入れの手伝いをする女装をして、オレは考えた。
どうして、あの二人は「人間レンタル」を頼んだのだろう。
ずっともやもやして、消化ができなかった。
大したことはしていないし、馬鹿げたことをしたとも思っている。
それなのにあの二人には、必要なことだった。
ひとりで病院に通うことだって、河瀬さんにはできた。それでも偶には、人に付き添ってもらいたかった。
イケメンだって、あんな雑な女装姿のオレを抱きしめて泣くなんていう滑稽なことをしないで済ませる選択肢もあった。
けれど、イケメンは気持ちを収めるためにどれほど馬鹿げたことでも、必要だった。
気持ち。
それが「人間レンタル」を頼む理由だった。
オレが退職した会社では、人に頼ることは、許されないことだった。
他の人たちはしていたのかもしれない。それでもオレやオレの周りの人間たちは、「能なし」と言われ、書類を投げられて終わりだった。
困っても人に頼ってはいけない。
気がつけば、オレはそう思い込むようになっていた。
オレの気持ちなんて誰も汲んでくれない。それが当たり前になっていき、オレもオレ自身の気持ちを無視するようになっていった。
それに友人は気がついていたんだろう。
何もかもをひとりで抱え込んで、誰にも頼らず、全てを終わりにしようとしていたオレ。
そんなことは大したことじゃないと、言い続けて助けを求めなかった。
けれど、河瀬さんも、イケメンも、自分の気持ちのために人に頼ることをダメだとは考えていなかった。
助けてと思ってもいいんだ。
オレはオレの気持ちに応えていいんだ。
もやもやして、消化ができなかったものを理解した時、大したことじゃないのに、人に頼ることもできないと諦めていたことを実行してみることにした。
幸い二人から支払われたバイト代もある。
そのバイト代を使って、人に頼ってみようと思った。
それが面接の付き添いだった。
がんばれって言ってもらいたい。
面接が終わったら、お疲れ様でしたって誰かに言ってもらいたい。
そして、一緒にファミレスか喫茶店でクリームソーダを食べてみたい。そしてそして、最後に「ありがとう」って言ってみたい。
大したことじゃない。
大したことじゃないんだけど、オレにはそれが必要だった。
大したことじゃなくてもいい。
それでもオレには必要なんだから。
ふうっと大きく息を吐いて、「終わったら、一緒にクリームソーダ」と小さく呟くと、オレは面接会場のドアをノックした。